2020年度歴史学研究会大会

*報告者タイトルの前の( )内は報告時間の予定です。
当日、多少の前後することはあります。あらかじめご了承ください。

12月5日(土) 
全体会 「生きづらさ」の歴史を問う 13:00~17:00
(13:10~14:00)日本近代形成期の集団と個人-家・村・窮民-………松沢裕作
(14:05~14:55)アメリカ革命後・市場革命下の〈救貧〉運動
 -19世紀前半ニューヨークの人間と社会-………………………………松原宏之
 コメント:(15:05~15:20)大橋幸泰・(15:20~15:35)定松 文
主旨説明文

特設部会 「生きづらさ」の歴史を問うⅡ―若手研究者問題について考える―10:00~12:00
(10:05~10:35)
問題提起-足元からみる若手研究者問題-……歴史学研究会若手研究者問題ワーキンググループ
(10:35~11:05)
ウェブ・アンケート調査からみえる若手研究者問題…日本歴史学協会若手研究者問題特別委員会
主旨説明文

11月28日(土) 
古代史部会 古代律令国家の「制度」と「支配体系」の展開 9:30~16:30
(9:40~11:10)古代の人の移動と制度…………………………………河野保博
(11:20~12:50)唐賦役令継受の歴史的意義……………………………神戸航介
主旨説明文

11月29日(日) 
合同部会 「主権国家」再考 Part 3-帝国論の再定位- 14:00~17:30
(14:10~14:50)複合国家としての大清帝国
 -マンジュ(満洲)による集塊とその変容-……………………杉山清彦
(14:50~15:30)ロシア帝国-陸の巨大帝国と「不可分の国家」像-…青島陽子
 コメント:(15:45~16:00)稲垣春樹・(16:00~16:15)松方冬子
主旨説明文

12月6日(日) 
中世史部会 日本中世における権力と東国 
 報告動画を公開します。公開期間 12月5日15:00(予定)~12月6日12:00まで
(佐藤報告の討論時間13:00~13:45)
鎌倉幕府の《裁判》と中世国家・社会…………………………佐藤雄基
(植田報告の討論時間14:00~14:45)
東国社会と鎌倉府権力の展開……………………………………植田真平
 (全体討論)15:00~16:30 
主旨説明文

近世史部会 近世後期の幕藩権力と豪農・村役人 10:00~18:00
(10:10~11:40頃)畿内豪農の「家」経営と政治的役割…………………萬代悠
(12:50~14:20頃)関東の組合村と地域秩序
 -近世後期の「地域的公共圏」?-…………………………………児玉憲治
主旨説明文

近代史部会 「科学」を問いなおす-福祉・衛生の実践の場から- 9:45~15:00 
(10:00~10:55)慈善と科学のあいだで-近代ドイツの障害者保護-…中野智世 
(11:10~12:05)「いきる」ための知・実践における「科学」
 -近代日本の「癩」をめぐって-……………………………………石居人也
 コメント:(13:00~13:25)三時眞貴子・(13:25~13:50)愼 蒼健
主旨説明文

現代史部会 冷戦下のジェンダーと「解放」の問題
 -社会政策・社会運動の交叉地点から- 13:00~17:15
(13:15~14:00)「実験場」としての戦後日本
 -占領下で合法化された避妊・中絶とアメリカ-………………豊田真穂
(14:10~14:55)
戦後社会・学生運動・労働運動と知識生産のジェンダー分析……チェルシー・センディ・シーダー
 コメント:(15:05~15:25)松久玲子・(15:25~15:45)服部美奈
主旨説明文

*大会運営協力金:1000円 学生(博士課程まで)500円
お支払い方法はこちらから。

主旨説明文

全体会 「生きづらさ」の歴史を問う

 委員会から
 いま,私たちは虐待事件のニュースを観ながら朝家を出て,人身事故によって遅延した電車に乗り,非正規雇用の蔓延する職場や大学に通う日々を過ごしている。家族や地域社会の存続は自明のことではなくなり,むきだしの個人として,暴力や精神疾患,不安定な雇用の存在が当たり前の社会,それらが貧困と連鎖している社会に生きることを強いられている。そして,これらの問題の当事者としての不安,当事者になるかもしれない不安を,常に抱え込んでいる。いずれの問題も,「自己責任」によって発生したものとみなされ,「自己責任」によって解決されることが期待されているからである。
 2000年代後半から,社会運動家や精神科医・哲学者・社会学者・社会教育学者らは,このような理不尽な境遇に「生きづらさ」という名を与えたうえで,問題は個人にではなくむしろ「生きづらさ」を強いる社会の構造にこそあると訴えてきた。そして,その構造を変革する運動を,互いに連携しながら進めてきた(湯浅誠・河添誠編『「生きづらさ」の臨界』旬報社,2008年,など)。たび重なる労働者派遣法「改正」により非正規雇用が拡大してきたという事実,2002年に258万人であったうつ病をはじめとする精神疾患患者数が2017年には419万人に激増しているという事実(厚生労働省「患者調査」),2016年には大学生の約半数が奨学金利用者となっているという事実(日本学生支援機構「学生生活調査」),子どもの貧困率が,2015年現在13.9%であり,7人に1人の子どもが貧困状態におかれているという事実(厚生労働省「国民生活基礎調査」)をみれば,「生きづらさ」が,もはや個人の「自己責任」に帰すべき問題でないことは明らかである。そして,非正規雇用の過半数が女性であるという事実,ひとり親家庭の貧困率がOECD加盟国中もっとも高いという事実,貧困問題をかかえる女子学生やシングルマザーが風俗業界へと続々と誘導されている事実は,この国の「生きづらさ」が女性と子どもにより強くふりかかる構造にあることをよく示している(NHK「女性たちの貧困」取材班編『女性たちの貧困』幻冬舎,2014年,中村淳彦『東京貧困女子。』東洋経済新報社,2019年,など)。
 このような「生きづらい」社会は,どのような経緯と構造のなかで,もたらされたのだろうか。そして歴史学はこれまで,「生きづらさ」についてまったく関心を寄せてこなかったのだろうか。ここで想起されるのは,「生きづらさ」という言葉が世の中を席巻しはじめたのとまったく同じ時期に,歴史学界においては「新自由主義」批判が展開され始めていたことである。労働形態の変容や市場原理・労働規律を組み込む教育の普及,さらには地域間格差をもたらす新自由主義は,1970年代に先進資本主義国の政策として導入されて以降,グローバルな広がりを見せ体制化されていった。しかし思想そのものの生成はすでに1930年代からみられ,その促進を支えたのがまさに「自助」や「自己責任」という理念であった(小沢弘明「新自由主義の時代と歴史学の課題 Ⅰ」歴史学研究会編『第4次 現代歴史学の成果と課題1』績文堂出版,2017年)。
 すでに歴史学研究会大会では,「新自由主義の時代と現代歴史学の課題―その同時代史的検証―」(2008年),「民衆運動研究の新たな視座―新自由主義の時代と現代歴史学の課題(Ⅱ)―」(2009年)と題する全体会を開催している。そこでは,新自由主義が歴史認識に与えている影響の検証や,社会経済史研究および民衆運動史研究の史学史的検討がなされている。その結果,主体の側から市場・国家・社会のしくみと人々の行為との関係を明らかにするための「生存」という新たな視角や,個人の生存を起点として形成される共同性への着目の重要性が確認された。それとともに,地域史の有効性や,民衆運動の共同性を支えた自律性・規律性の存在も明らかとなった。これらの取り組みは,新自由主義の拡大・浸透の影響を自らも受けざるを得ない歴史研究者が,いかに自覚的に歴史学研究の方法を鍛えこれに対峙するかを問う,重要な問題提起であったといえる。
 このような問題提起がなされて12年がたとうとしている現在,新自由主義がもたらす問題はいっそう深刻化し,歴史研究者である私たちもまた,「生きづらさ」を抱える「当事者」,あるいは「生きづらさ」を抱える人々と同じ社会を生きる「当事者」であることを免れない現状にある。「生きづらさ」をもたらす社会構造の変革を志してきた湯浅誠は,かつて,自らが社会運動の現場で体験している課題が,中間層をも含むより広い社会的次元や,1990年代以前を含むより長い歴史的スパンで捉えなおされることが必要であると訴えていた(前掲『生きづらさの「臨界」』)。こうした主張をも想起するならば,「生きづらさ」という言葉に投影された現代の社会構造の歪みや欠陥,およびそれが生じた経緯を,「当事者」でもある私たち歴史学研究者の知を結集して明確化していくこと,これによって民衆運動や人々のつながりを強化していくことが,いまいっそう求められているのではなかろうか。
 そこで今回の全体会では,日本近代史から松沢裕作「日本近代形成期の集団と個人―家・村・窮民―」,アメリカ史から松原宏之「アメリカ革命後・市場革命下の〈救貧〉運動―19世紀前半ニューヨークの人間と社会―」の2報告を用意した。松沢氏には,近世近代移行期日本の個人と集団の関係を,「村」や「家」のありようから検討していただくとともに,「家」を形成できない人々の存在形態についても言及していただく。また松原氏には,19世紀前半のニューヨーク市における救貧活動を,アメリカ革命後の市民再編と市場革命の進行に着目しながら検討していただき,「生きづらさ」を生む社会変動の動態について明らかにしていただく。両報告によって,現代の「生きづらさ」がどのような歴史的経緯によって成立したものであるのか,近世近代移行期にさかのぼって検証していくことをめざしたい。そしてこれら2報告から得られた知見を,より長期的かつ広い視野のもとで捉え直し議論するため,コメンテーターとして日本近世史から大橋幸泰氏に,また社会学から定松文氏にご登壇いただく。
 現代の「生きづらさ」が,新自由主義と密接不可分の関係にあることは明らかであるが,こうした関係は歴史的に形成されてきたものである。また「生きづらさ」の歴史を問うことは,それぞれの時代の個人と社会の関係,あるいはそれぞれの時代の社会構造の矛盾を問うことにつながる。前近代史研究者を含む多くの歴史研究者によって,活発な議論が展開されることを願っている。(研究部)

古代史部会 古代律令国家の「制度」と「支配体系」の展開

 古代史部会運営委員会から
 これまで日本古代史部会では,1973年度大会において在地首長制論を議論の基軸として以来,80年代後半からは王権論,90年代には地域社会論といった視点を議論に取り入れ,古代国家の成立・展開について検討を重ねてきた。1997年度大会からは国家・王権・地域社会の実態と相方向関係とを総体的に考察し,古代国家の成立と展開について理解を深めてきた。
 しかし,古代社会の多様な実態が明らかになった一方で,国家や王権が社会・人民をいかにして支配したのかという根本的な問いに立ち返る必要性が改めて認識された。
 この点を受け,2004~2009年度大会では,「秩序」の形成・展開を議論の主軸に据えて,支配秩序の構造・実態を,国家・王権と社会・人民との相互関係から解明してきた。
 2010~2012年度大会では,東部ユーラシア・東アジア地域における「外交・交流」が日本の古代国家・王権の秩序形成に与えた影響を明らかにした。
 2013年度大会以降,再び列島内の議論へと戻し,日本古代の独自的解明が目指され,日本の古代国家の支配秩序・支配論理・支配構造がどのように形成され,展開していったのかを議論してきた。特に,2017~2019年度大会では,古代国家形成期の「支配構造」と「形成」・「展開」を議論した。
 2017年度大会の中大輔報告では,国司制と都鄙間交通を軸に据え,古代国家形成期における「支配構造」の形成過程をより具体的に明らかにした。北村安裕報告では,律令制土地支配の根幹をなす「田」の検討から,土地支配体制の形成過程が論じられた。
 2018年度大会の平石充報告では,地域社会側の視点に立ち,5~7世紀の間に地域社会がどのように変化したのかを検討し,王権と地方との接触が社会変容を促す具体像が提示された。毛利憲一報告では,6~7世紀を「完成された国家機構」と評価し,令制下の調庸制の歴史的な前身が論じられた。
 2019年度大会では,大川原竜一報告と浜田久美子報告により,古代国家が「形成」され,その後,どのように「展開」していったのかが検討された。
 大川原報告では,2017・2018年度大会の報告を踏まえ,国造を含む首長層の検討から,日本古代国家形成期における地域支配の展開について論じ,国評制および国郡制という全国的規模での地域行政機構が構築される過程で,首長層がどのように位置づけられたのか,またそれらの権力や支配はどのような形で古代国家のなかに組み込まれたのかを明らかにした。
 浜田報告では,外交儀礼の成立過程から,外交儀礼の変遷のみならず,国家の支配構造の変遷も検討された。外交儀礼が国内儀礼へと転じ,その変質に古代国家の支配者層の国際意識が反映されているとし,特に9~10世紀を重視した報告であった。
 以上のように,近年の当部会では5~7世紀における日本古代国家の重層性・多様性を検討するものであり,とりわけ,2017・2018年度大会では,中央-地域社会との結びつきから「支配構造」の「形成」を考えるものであった。2019度大会では,より多面的に対外関係の視点からも,「支配構造」が「形成」・「展開」していくなかで,いかに独自の秩序が形成されてきたのかを考えてきた。
 しかし,一方では体系的な法典である律令が完成する8世紀以降に,いかにして「支配体系」(支配秩序・論理・構造を踏まえた支配システム)を展開していったのか,というつながりを論じ切られなかった。国家が形成された後,その支配をいかにして保ち,展開していったのかを改めて深く議論する必要があるのではないだろうか。
 これらの課題を受けて,2020年度大会では,体系的な法典である律令を導入した日本古代国家が,いかにして「支配体系」を展開していったのかについて,「制度」という視点,とりわけ日唐令の比較という法制面を軸にして明らかにしたい。
 律令の規定が実態を直接示しているわけではないが,近年の日唐令の比較研究の進展により,日本は唐令をそのまま継受したのではなく,令制以前の制度を取り入れ,アレンジした点もあることが指摘されている。支配に必要な手段として,日本古代国家が律令を導入したことを物語っている。
 以上のような議論と課題から,本年度大会では2017年度~2019年度の大会報告を踏まえ,「古代律令国家の「制度」と「支配体系」の展開」というテーマを設定し,交通の視点から河野保博氏「古代の人の移動と制度」,財政の視点から神戸航介氏「唐賦役令継受の歴史的意義」の報告を用意した。
 河野報告では,国家支配をささえた交通制度の検討を馬を中心とした,動物の飼養・管理,交通制度について規定する厩牧令を中心として,その継受のありようを検討する。また,公的な交通施設を利用し得ない人々の移動についても,唐代の交通実態などを分析しながら考察していく。古代の多様な交流は具体的な「人・モノ・情報」の移動から検討されるべきであるが,その交流を支えるのは人の移動である。古代の人々がどのように移動し得たのか,その仕組みを明らかにし,国家支配または地域社会をつなぐ交通の機能を議論する。
 神戸報告では,租税・力役の収取を規定した賦役令を分析の対象とし,日本における唐賦役令継受の特徴とその意義について検討する。2006年に北宋天聖令が公刊されてから14年を経て,天聖令を用いた唐令の復原と比較研究の方法論はかなり洗練されてきた。このような現在の研究状況を踏まえ,賦役令という篇目全体の逐条的研究の成果を総合し,継受のあり方を明らかにする。その上で,古代国家が唐律令を「体系的に」継受したことの歴史的意義がいかなるものだったのかを議論する。
 2020年度大会は,日本古代史部会単独の開催となる。当日は多くの方々が参加され,活発な討議が展開されることを期待したい(里舘翔大)

中世史部会 日本中世における権力と東国

 中世史部会運営委員会から
 中世史部会では,昨年度の大会報告において,日本中世の村落・地域と領主権力とがどのような関係を結んだのか,という問題意識のもと,若林陵一報告では,中世後期村落の成立過程や領主権力・地域社会と村落との関係を解明した。また,川端泰幸報告では,従来地域と権力とを接合する中心素材とされてきた惣国一揆論の再検討をおこなった。そして,両報告とそれを補完する田村憲美・稲葉継陽両氏によるコメントを通じて,当部会ワーキンググループが取り組んだ地域社会論(「「地域社会論」の視座と方法」『歴史学研究』674号,1995年8月)の昇華を試み,今後の日本中世史研究の方向性を考える上での新たな視座を提供できたと考えられる。
 このような村落・地域に立脚したアプローチを試みた一方で,2010年代の大会を特徴づける1つの大きな流れは,〈日本中世の権力と社会との関係の解明〉を基調とした国家論・権力論的なアプローチであった。すなわち,「非常時対応と危機管理」(12年度)・「地域権力の支配構造」(13年度)・「権力と秩序形成」(14年度)・「法秩序と国制」(15年度)・「権威と秩序」(17年度)といったテーマのもとで,統合プロセス・メカニズムに関する成果が蓄積された。このような方向性は,日本中世の多元性を強調する分裂的な契機よりも,国家・権力への統合的な契機を重視する近年の研究潮流(桜井英治「中世史への招待」『岩波講座日本歴史』第6巻中世1,岩波書店,2013年)を如実に反映しているといえよう。
 以上のような,国家・社会の統合を軸として2010年代大会で蓄積されてきた成果を踏まえ,改めて想起したいのが,中世社会の特色を的確に整理した石井進の指摘である(『中世のかたち』中央公論新社,2002年)。このなかで,石井は〈政治権力の分散化〉をあげ,単一の国家・権力へと収斂されていく統合的な契機からは見落とされがちな権力の多元性を重視する視点を打ち出している。そして,この〈政治権力の分散化〉を構成する要素の1つとして,京・鎌倉関係を中心とする中央と東国との関係が析出されるのであり,その意味でも踏襲すべき指摘であると考えられる。
 そこで,今年度大会では,統合的な契機を重視する2010年代大会の国家論・権力論的な視角を批判的に継承しつつ,改めて〈政治権力の分散化〉や社会の分化を問うために,中央と相対する東国における権力の問題を取り上げたい。この問題を解く鍵となるのは,東国政権とも評価される鎌倉幕府と鎌倉府である。
 周知の通り,治承・寿永の内乱の過程で産み落とされた鎌倉幕府は,本質的には東国における軍事政権であったとされる。その後,源頼朝と朝廷との交渉により軍事権門へと転化し,承久の乱や蒙古襲来を契機として全国政権化する,という道筋が示されている。このような鎌倉幕府の国家的位置づけ・性格をめぐっては,権門体制論と東国国家論,さらに公方論とで評価が分かれ,現在もなお重要な論点である。そこで,従来の鎌倉期国家論にとらわれない新たな鎌倉時代史像を描出するため,後に全国政権化する鎌倉幕府が,東国から始動した政権固有の地域的特性をいかに残存させたのか,朝廷や諸権門との有機的な連関や社会の側からの要請・期待を視野に入れながら検討すべきと考える。
 また,鎌倉幕府の滅亡後,そのさまざまな伝統を継承しつつ,南北朝内乱やその後の諸内乱の克服をとおして権力を確立させた鎌倉府は,鎌倉公方足利氏を頂点とする東国独自の支配秩序を形成したとされる。しかし,支配構造の矛盾による東国社会の動揺は,鎌倉府を崩壊させ,中央に先んじて東国を戦国時代に導いた。室町幕府から相対的に自立した鎌倉府権力やそれをとりまく東国社会構造については,現在にいたるまで精緻な研究成果が蓄積され,中央の室町幕府とは異なる政治社会空間を有していたことが解明されている。このことは,2000年代以降に飛躍的な進展をとげた室町時代史研究の成果も受けながら,鎌倉府の東国政権としての国家的性格・位置づけについて総体的に再検討する素地となり得るものである。
 以上の問題意識から,今年度大会は「日本中世における権力と東国」というテーマのもと,佐藤雄基「鎌倉幕府の《裁判》と中世国家・社会」,植田真平「東国社会と鎌倉府権力の展開」の2報告を用意した。
 佐藤報告では,鎌倉幕府の文書史・制度史・政治史からみた紛争解決方法の構築と制度化,その動向を規定する社会の実態や変容に着目し,朝廷・諸権門・列島社会と鎌倉幕府との相互関係について検討する。また,植田報告では,近年とみに深化した東国史・鎌倉府研究の成果を踏まえて,東国政権である鎌倉府の成立・展開を,中世後期における列島社会の地域的な分化や中央との関係と関連させて論究する。そして,両報告による検討を踏まえ,東国・東国政権から日本中世における〈政治権力の分散化〉や社会の分化の再考を目指したい。
 以上の趣旨をご理解いただき,当日は活発的かつ建設的な議論がおこなわれることを期待する。なお,両報告の内容を理解するにあたっては,以下の文献を参照されたい。(工藤祐一)

[参考文献]
佐藤雄基『日本中世初期の文書と訴訟』山川出版社,2012年。
同「中世の法と裁判」(『岩波講座日本歴史』第7巻中世2,岩波書店,2014年)。
同「文書史からみた鎌倉幕府と北条氏」(『日本史研究』667号,2018年3月)。
植田真平『鎌倉府の支配と権力』校倉書房,2018年。
同「安房国長狭郡柴原子郷と鎌倉府」(海老澤衷編『よみがえる荘園―景観に刻まれた中世の記憶―』勉誠出版,2019年)。

近世史部会 近世後期の幕藩権力と豪農・村役人

 近世史部会運営委員会から
 本企画は,国内外の状況をうけ,社会構造が変容していく近世後期の地域社会を対象に,近年の研究成果から被支配者層の自立性が強調される支配-被支配の関係を改めて問い直そう,というものである。
 2019年度大会では,政治交渉を視点とし,近世中後期に注目することで,私的関係性と官僚制的側面の混在する幕藩関係の具体像を精緻に検討した。一方で,幾つかの課題も残された。特に,近世の国家と社会を総体的に考えるうえで,地域社会における支配-被支配の関係は欠かすことの出来ない課題である。
 1980年代以降,幕領組合村における惣代庄屋制や非領国における国訴・郡中議定といった広域的な村落結合を取り上げて,その自治的な性格に注目した地域運営論が提示された。一方,1990年代に入ると当該地域の社会構造分析を重視した社会的権力論が提唱される。こうした動向に対し,本部会では,1999年から2001年にかけて地域社会論をテーマに据え,生産関係,都市-農村関係,階層構造,役威といった諸要素に着目することで,自治的にみえる地域運営体制が,地域社会の経済的・身分的諸関係に規定されていた面などを明らかにしてきた。そして,地域社会論から近世史の全体像に迫り,研究の分散状況を打破し,議論の総合化を目指す必要性が提起された。
 2000年代以降においては,幕領や御三卿領を対象に惣代庄屋・取締役による地域運営体制を検討した研究や,社会的権力論をベースとして地域社会構造を精緻に分析した研究も進められている。近年では,藩領国を対象とした地域社会論も議論されるようになり,領主から権限を委ねられた中間支配機構が,地域の行財政運営を主導し,高度な自治が展開していたとされる。このように,近世後期までに幕領・非領国のみならず,藩領においても地域社会が成熟し,自立的な地域運営体制が展開したことが議論されている。しかし,支配-被支配間の協調・安定的な関係に注目する一方,地域社会論のなかに支配や権力の問題が十分に組み込めていない点は,依然として課題であるといえよう。
 以上の先行研究を踏まえ,本企画では次の2点を課題とする。1つは,支配-被支配関係の具体像についてである。地域の運営や指導を担う豪農・村役人は,支配の一翼を担う一方,近世身分制社会においては被支配者である。しかし近年,身分制的な枠組みは軽視され,自立性が強調される傾向にある。豪農・村役人らの身分や権威を保障したのは,幕藩権力であり,一見協調的に見える地域社会のありようも,その内部には,地域住民間の主導権をめぐる駆け引きや,支配-被支配者間のせめぎあいなどがある。幕末維新期に向かう近世社会の矛盾と緊張の深化を見るためにも,諸主体の私的利害の対立や,諸階層間の矛盾に留意しなければならない。幕藩権力による支配を前提としたうえで,支配者-豪農・村役人-その他の被支配者,の関係を改めて検討することで,協調性にのみ包摂されない関係を可視化し,近世後期の地域社会の特質を明らかにできるのではないか。
 いま1つは,領域の特性や地域的な課題と,地域の運営や指導を担う豪農・村役人層の存在形態との連関である。幕領,藩領国あるいは幕領と私領の交錯する非領国地域など,幕藩権力のあり方は一様ではなく,それらに規定された豪農・村役人層の存在形態も多様である。また,近世後期にむけて,経済構造の変化や治安の悪化,風俗の取り締まりなど,地域的な課題も顕在化する。さらに,豪農や村役人に目をむければ,中世以来の由緒を持ち政治的・経済的な影響力を持つ旧土豪層や,18世紀後半以降経済力を背景に台頭してきた層など,その形態はさまざまである。精緻な個別研究が積み重ねられる一方で,議論の総合化は依然大きな課題として残されている。その第一歩としては,各地域の特性を分析・明示したうえで,各地域の実態を比較検討していく必要があるだろう。以上の問題意識を踏まえ,萬代悠・児玉憲治の両報告を用意した。
 萬代悠「畿内豪農の「家」経営と政治的役割」では,近世日本の「家」制度と村請制,近世畿内の非農業部門の成長という視点から,和泉国岸和田藩領の豪農要家を取り巻く制度,権力,経済,社会の特質を把握し,要家家長と諸主体のせめぎあいを検討する。そして,諸主体から不断に真価を問われた豪農家長の試行錯誤により,近世後期の支配と社会の安定が一定程度支えられていたことを明らかにする。これは,豪農の政治的役割を重視する点で研究史の流れを汲む。しかし本報告においては,一見,献身的に職務に励んだように見える豪農家長であっても,その勤勉性は,諸主体からの監視と牽制がもたらす緊張状態から引き起こされたことを強調する。
 児玉憲治「関東の組合村と地域秩序―近世後期の「地域的公共圏」?―」は,18~19世紀の関東において,治安・風俗の問題への対処としてつくられた組合村の動向を,幕府権力と地域社会の関係性を軸に論じる。関東の村々は,18世紀から組合をつくって犯罪者の捕縛や費用負担の方法を取り決めていたが,文政10年(1827),幕府の文政改革により改革組合村(寄場組合)に編成される。改革以前/以後の組合村は,権力との関係においてどのように評価され得るのか,近世後期の時代相を意識しつつ検討する。
 地域社会は,支配-被支配関係のなかで常に権力の存在を無視できず,協調と対立を繰り返しながら存立してきた。一見安定しているようにみえる現代社会においても,権力への感性は鈍らせるべきではない。活発な議論を期待したい。(篠﨑佑太)

[参考文献]
萬代悠『近世畿内の豪農経営と藩政』(塙書房,2019年)。
児玉憲治「近世後期における関東取締行政の展開―化政・天保期を中心に―」(『関東近世史研究』80,2017年7月)。

近代史部会 「科学」を問いなおす―福祉・衛生の実践の場から―

 近代史部会運営委員会から
 今年度の近代史部会は,「「科学」を問いなおす—福祉・衛生の実践の場から—」をテーマとして設定する。これは,近代以降の知として成立した「科学」がはらむ問題性を,具体的な歴史事象を通して問い直すことを意図してのことである。近年の近代史研究では,「科学」や技術と植民地支配・戦争との関係性の問い直しや,「科学」の成立と社会における問題の「発見」について,言語や認識といった観点から分析が試みられている。一方,3・11後の時代状況の中では「科学」への疑念が生じており,人文・社会科学の領域では,研究成果の社会に対する還元のありかたが問われている。これら「科学」への疑義を受け止めつつ,今後の知のありようを考えるために,「科学」が歴史的な実践の場においてどのように作用してきたのかを探ることとしたい。
 これまでの近代史部会でも,「科学」に注目した議論は行われてきた。近年の議論として,2012年度「3・11後の歴史的地平—科学・技術,国家,社会—」や,2016年度「大戦間期における社会意識の変容—人びとにとっての科学と文化—」があげられる。前者では,「科学・技術と国家や社会との関係の根深さ」の解明のため,特に国家権力と科学・技術(者)との関係性について議論が行われた。また,後者では「人びとがなぜ現代的な生活を求め,あるいは受け入れたのかという意識転換の回路」に着目し,科学と文化が人々の意識に与えた影響が議論された。
 こうした議論からは,国家権力に向き合う「科学」の姿や,「科学」の影響を受けつつ,状況の変化に自発的な対応を示した人々の姿が明らかになってきた。その一方で,実践の場において活動した人々については,比較的目が向けられてこなかったように思われる。「科学」による問題解決を図ろうとした実践者は,「科学」とは異なるあり方を示す知や,それを有する人々と向き合う必要があった。こうした,「科学」とは異質な知との関係性が存在した実践の場に注目することは,「科学」のありかたが歴史的に構築された過程を考え,そこに潜んでいた問題性を明らかにするために必要であると考える。今回はそうした実践の場として,近代以降の社会変化の中で発見され,「科学」も働きかけを行った福祉・衛生の問題に注目する。
 近代における福祉・衛生問題としては,心身に障害を持った人々の保護の問題があげられる。そうした障害者は,ドイツでは「クリュッペル(Krüppel)」と呼ばれ,ながらく慈善の対象とだけみなされてきた。しかし,19世紀末にはプロテスタントをはじめとする聖職者と彼らの率いる慈善・社会事業組織によって,キリスト教的訓育や職業訓練などの保護事業が展開されるようになる。また20世紀に入ると,医学や心理学など新興の知を身に着けた整形外科医や教育者が,障害の除去によるクリュッペルの経済的自立の実現を目的として,治療や「特殊教育」を実践するようになる。こうした異なる主体による保護事業は,相互補完的な関係性を構築する一方,時には矛盾に満ちた実践のありようを示すこととなった。その中で,「科学」は障害者保護のありかたをどのように変容させ,また,キリスト教に代表される伝統的な知とはいかなる関係性を有したのか。中野智世氏から,「近代ドイツの障害者保護—慈善と科学のあいだで—」と題して報告していただく。
 他方で,近代以降の福祉・衛生問題としては,「科学」による病の発見も注目される。特にハンセン病などの伝染病に関して,「科学」は病原菌の発見といった形で新たな知見をもたらした。その一方で,「科学」の知見は治療法の確立にまでは至らず,隔離という対処法に「科学」的根拠を与えた側面もあった。また,仏教やキリスト教などの宗教者らは,療養所を公立に先行して組織し精神的ケアを中心とする保護事業を行う中で,医や「科学」の論理に接近することとなる。そして,異なる病への向き合い方を有した実践の担い手の間でなされた,福祉をめぐる議論では,宗教的な救済論理と「科学」的な論理が互いに絡み合いつつ意見が戦わされる中で,すり合わせも試みられた。さらに,療養者もまた「科学」とそれ以外の知の両方と,複雑な関係を有することとなる。こうした,近代日本の病をめぐる「科学」の論理をまとった医者・宗教者と患者・療養者の関係性について,石居人也氏から「「いきる」ための知・実践における「科学」—近代日本の「癩」をめぐって—」と題して報告していただく。
 二つの報告に共通するのは,福祉・衛生の施策を「科学」だけでなく,宗教者や教育者,社会事業者といったさまざまな主体の,相互関係の中で形作られるものとみなす点である。この点については,ヨーロッパ福祉史において盛んに議論されている,「福祉の複合体」史の考え方が参照に値する。福祉を,多様な要素や主体の関係性によって構成される複合体とみなすとき,「科学」はその構成要素の一つとして位置づけられる。それは同時に,「科学」が他の構成要素や,福祉の需要側と供給側の双方と,そして時には他の「科学」とも関係を有したことを意味する。二つの報告を通じて,日独の事例を比較検討することは,多様なファクターとの関係性が「科学」のありかたに与えた影響と,そこに潜む問題性を明らかにすることに繋がると考える。
 そうした「科学」が向き合う要素としては,宗教以外にも民族や階級,ジェンダーなどをあげることができる。これら,各地域で歴史的に構築された要素を幅広く扱うためには,福祉・衛生の問題以外の視点からも考察することが必要であると考える。また,多様な要素との関係性とともに,国家体制をはじめとする権力関係も考慮する必要もあるだろう。こうした点から,イギリス教育社会史を「複合体」史の観点から論じられている三時眞貴子氏と,科学史を植民地支配との関係から論じられている愼蒼健氏からコメントしていただく。当日の討論においては,近代以降の知の在り方について,多様な視点を総合するような議論を期待したい。(渡井誠一郎)

[参考文献]
中野智世「社会事業と肢体不自由児」山下麻衣編著『歴史のなかの障害者』法政大学出版局,2014年。
石居人也「明治末期における「隔離医療」と地域社会」松尾正人編『近代日本の形成と地域社会』岩田書院,2006年。

現代史部会 冷戦下のジェンダーと「解放」の問題
 ―社会政策・社会運動の交叉地点から―

 現代史部会運営委員会から
 今日,女性を取り巻く社会状況は依然として厳しい。世界経済フォーラムや国連開発計画,国際労働機関が発表したジェンダーの平等に関する諸報告によれば,女性の社会進出は(いくぶんの改善を示しながらも)いまだ「後れて」いる。昨年度の歴研大会特設部会が示したように,それは私たちの足もとの課題でもある。しかも,近年のMeToo運動の拡がりは,女性の社会「進出」が進んでいるはずの社会でも,多くの暴力やジェンダーバイアスに晒され続けている女性の存在を浮かび上がらせた。女性の解放にはなお多くの困難がある。
 ただし,ここでいう「解放」には二面性がある。社会の諸問題に対して声をあげ,参加者が主体化に向けて自らを「解放」する契機の一つを社会運動とするなら,「解放」のもとに立ち上がる主体は,社会政策の名において国家の想定する「国民」や「家族」像に重ねられる可能性もある。そして二つの主体化は,状況によって協調もすれば,鋭い矛盾や緊張関係におかれる場合もある。担い手や目的も交叉し入れ替わる。運動における「解放」と主体化への強い希求は,社会編成の力学のなかで,国家による生への介入を積極的に受け入れ,新自由主義的な規範を内面化した身体形成への道も開いていく。主体化と「解放」が国家や資本の動力へと接続してしまう困難は,心と体の管理が深化し,労働市場参入能力の有無が私たちを分断する現代の切実な問題であると言えよう。
 もちろん,このような輻輳した状況は今に始まったものではない。すでに冷戦下では,女性の地位と権利の向上が後進性からの「解放」と捉えられ,体制の枠を越えてその価値が評価されつつ,体制の正当化のために競わされさえした。ではそこで何が起こり,何が始まり,何がいまにつながるのか。本年度は,上記のような課題を意識しつつ,冷戦下におけるジェンダーと「解放」の関係を,社会政策と社会運動の交わる地点から再検討してみたい。
 豊田真穂氏の「誰のための避妊法か―占領下日本で合法化された避妊・中絶とアメリカ―」では,GHQ占領下で部分的に実現した避妊や中絶の合法化に,米国の科学者や活動家,ロックフェラー財団などがいかに関与したかが検討される。性と生殖に関する権利と深く関わる政策過程において,いかなるアクター間の折衝やせめぎあいが見られたのか。また家族計画という“実験”で得られた「専門知」を,米国の財団や研究機関はいかに流用したのか。避妊,特に中絶が世界に先駆けて合法化された戦後日本に対するアメリカのまなざしと対日援助の検討から,戦後日本の人口政策の新たな一面とともに,女性の解放をめぐるグローバルな連関と緊張の一端が明らかにされよう。
 チェルシー・センディ・シーダー氏の「戦後社会・学生運動・労働運動と知識生産のジェンダー分析」は,1960年代の学生運動や労働運動をジェンダーという視点から改めて分析する。「女性」の役割があぶり出す大学や職場の男性中心主義的側面を確認し,エリート層の知識生産を批判的に吟味する同報告はまた,学生運動からウーマン・リブへの発展,労働運動と主婦による運動の同時代的関係など,1960年代後半の女性と運動をとりまく複合的な構造にも光をあてるものとなろう。英語圏で歴史研究のトレーニングを受けたシーダー氏の報告により,「日本史」を相対化する議論の発展も期待される。
 両報告に対して,ジェンダーと教育政策の観点からメキシコ,中米を中心に研究してきた松久玲子氏から,またインドネシアを中心にイスラーム女子教育史を専門とする服部美奈氏からそれぞれコメントをいただき,比較史的視野へとさらに議論を拡げていきたい。
 当部会がジェンダーを初めて主題としたのは,2004年度大会「ジェンダーの視点から見た1960年代社会」であった。その後も,2005年度「複合的視角から見た戦後日本社会」,2009年度「「豊かな社会」の都市政治にみる参加と対抗」,2012年度「「開発の時代」における主体形成」などでも重要な要素として取り上げてきたが,そこでの具体的な検討対象は運動の担い手が多かった。これに対して,2018年度の「冷戦体制形成期の知の制度化と国民編制」で設定した,冷戦期の「国民」の編制に果たした学知の役割という検討課題には,相対的にジェンダーや運動といった要素が少なかった。今年度の企画では,このような流れのうえで,議論の総合と新たな発展をめざしたい。
 なお今回,はからずも登壇者がすべて女性となった。むろん,これをもってジェンダー不平等の改善だ,と言うつもりはない。登壇者すべてが男性という企画は疑問視せず,女性の場合のみことさらそれに言及すれば,それ自体,ジェンダーバイアスの拘束を物語るだろう。またジェンダー関連の報告は女性研究者の担当といった無意識の前提が本企画によって補強されるのも不本意である。「解放」と主体化の困難は,女性だけの課題ではなく,男性も含めたこの社会が構成するジェンダー秩序そのものの問題である。それらを自覚した上で,本企画の試みが人間の「解放」に関するより深い理解と実践に貢献できることを願っている。(上地聡子)

[参考文献]
豊田真穂「占領下の「人口政策」―優生保護法の中絶条項を中心に―」比較家族史学会監修/小島宏・廣嶋清志編『人口政策の比較史〈家族研究の最前線4〉』日本経済評論社,2019年。
Chelsea Szendi Schieder. “Left Out: Writing Women Back into Japan’s 1968,” In Tamara Chaplin and Jadwiga E. Pieper Mooney(eds.), The Global 1960s: Convention, Contest and Counterculture, 140-158. London and New York: Routledge, 2017.
松久玲子『メキシコ近代公教育におけるジェンダー・ポリティクス』行路社,2012年。
服部美奈『ムスリマを育てる―インドネシアの女子教育―』山川出版社,2015年。

合同部会 「主権国家」再考Part3―帝国論の再定位―

 合同部会運営委員会から
 20世紀末までに,ヨーロッパ近世の主権国家像は大いに更新された。1975年のH・ケーニヒスバーガによる複合国家論がその嚆矢となり,92年にJ・エリオットの複合王政論,98年にはH・グスタフソンの礫岩国家論が続いた。79年の二宮宏之の社団的編成論もこの潮流に付け加えねばならない。これらの一連の研究を通じて,君主のもと税制・軍制・官僚制によって中央集権化を進め,対内的に排他的な管轄権を有し,対外的には自律性を保持した主権国家群が成立したとする,従来の絶対主義的な近世国家のイメージは,ほぼ相対化されたといえよう。こうした新たな研究は,ヨーロッパ近世を,一人の君主支配のもとにさまざまな属性をもった複数の地域からなる「集塊的国家」が形成された時代として把握し直した。君主による排他的な支配ではなく,「王と政治的共同体の支配」とも呼ばれる近世の重層的な統治の実態に着目したのである。
 ここで近年の歴史研究者にとって新たな関心の対象になったのが,近代の帝国の捉え直しである。君主が複数の国家や地域の合従連衡のうえに緩やかに君臨していたとする近世国家像が提示されたのであれば,当然ながら,旧来の近世認識を前提に近代の諸帝国を検証してきた近代史研究も相応に変容せざるを得ないのではないか。かつてのレーニンやJ・A・ホブスンの帝国主義論もさることながら,2000年代にブーム化したA・ネグリとM・ハートのソフトなネットワーク帝国論も,主権国家批判から発せられている重厚な問いに応答していないというのが現状である。ならば,近世国家史研究の枠組みから,従来の近代帝国史や帝国論を捉え返してみてはどうだろうか。
 以上の理由から,本シンポジウムは,「「主権国家」再考Part3―帝国論の再定位―」をタイトルに掲げた。これは,2018年度の「「主権国家」再考」と2019年度の「「主権国家」再考Part2―翻訳される主権―」の問題意識を深めるものである。一昨年は,ヨーロッパ近世史の文脈から近世国家の多様性を詳らかにすることによって,従来の主権国家像の相対化を図った。これに対して昨年は,検討の対象を空間的にも時間的にも拡張し,19世紀アジアにおける主権概念の拡大と変容にかかわる問題を視野に入れた。その際,目下,相対化されつつある近世ヨーロッパの主権概念と近代アジアに拡大された主権概念との相応を「翻訳」という観点から考え,その複眼をもって,主権を改めて捉え直すことを目的とした。この2年間の研究を通じて,いずれ現実のものとなる主権国家第二期の近代帝国が世界的に拡大したことの根拠とそれが孕む問題性を見極めつつ,従来の帝国像を近世史の成果を踏まえて再検討し,帝国論を再定位することの必要性が確認されたのである。
 さて,本シンポジウムにおいて近世複合国家を起点に近代帝国を再考する際の分析軸となるのが,「近世的集塊の整序」という視点である。これはあくまで「整序」であり,集権化による「解消」ではない。たとえば,ハプスブルク帝国において集塊の整序を促したのは,18~19世紀に同国が経験した,①君主制の正統性の危機と,それに伴う,②政治的安定性の喪失,③官僚やエリートの競合,に代表される政治変動であった。本シンポジウムでは,帝国論の再定位に際しての検討対象を,近世・近代帝国を構成する地域の変容や組替の現場にあった地方官吏や支配組織の動態に定めている。というのも,上記①②を踏まえつつ,③の官吏の動態を参照軸に,近世から近代にかけての帝国統治の複数の実態を比較することが可能になると考えるからである。そして,この問題を究明するための最適な素材が,帝国構成部分の変容や組替が行政上可視化されやすい陸続きの大陸帝国,すなわち,ロシア帝国と大清帝国であると考える。
 このような問題意識のもと,本シンポジウムは以下の2報告を用意した。杉山清彦報告「複合国家としての大清帝国―マンジュ(満洲)による集塊とその変容―」は,近世ユーラシア東方の大国・清を取り上げ,中国王朝「清朝」としてではなく,それをもその一面とする,ユーラシア世界の「大清帝国」と捉えて,その複合的性格と統合のあり方について論じる。マンジュ人の皇帝が中国漢人社会とモンゴル=チベット仏教世界とを束ねるという構造の提示は,近世・近代の帝国論の再考と交叉するはずである。
 一方,青島陽子報告「ロシア帝国―陸の巨大帝国と「不可分の国家」像―」は,近代ロシアが多元的な社会を抱えつつも,帝政期の国法学者や官吏たちが「不可分の国家」という自己像を維持し続けたことに着目する。構造化されない,パーツに分割しえない,多元性に基づく国家の在り方を,現代ロシア史学の帝国論,帝政期の国法学,帝国西部諸県の事例研究を組み合わせながら,近代から近世への架橋を試みる。
 以上の2報告に対し,ブリテン史と日本近代史のコメンテータ(稲垣春樹氏,松方冬子氏)が専門の地域と時代から両報告を架橋することで,帝国論の再定位に関する議論を深化させる。以上の営為は,将来的には,主権国家第二期における帝国の世界的拡大だけでなく帝国と国民国家の相互浸潤をも,西洋中心主義や従属論と異なる近世国家史研究の視点から検証していくための布石となるであろう。方法論的にも認識論的にも現代歴史学の新たな地平を拓くことに繋がるはずである。(中澤達哉)

[参考文献]
杉山清彦『大清帝国の形成と八旗制』(名古屋大学出版会,2015年)。
青島陽子「ロシア帝国の「宗派工学」にみる帝国統治のパラダイム」池田嘉郎・草野佳矢子編『国制史は躍動する』(刀水書房,2015年)121-157頁。

特設部会 「生きづらさ」の歴史を問うⅡ
 ―若手研究者問題について考える―

 委員会から
 今年度の特設部会は,全体会「『生きづらさ』の歴史を問う」と連動させ,歴史学研究者自身の抱える「生きづらさ」について,若手研究者問題を中心に検討する。若手研究者問題とは,研究者になるための専門的教育を受けながら,不安定な雇用形態・研究環境・生活状況のもとにおかれている若手研究者が多数いる状態をさしている。これはすべての学術分野に共通して生じており,学界全体の将来的な基盤の掘り崩しにつながる問題である。若手研究者が学会活動の支え手となっている場合も多く,歴史学関係のさまざまな学会においても会員数の減少による活動の継続への危機感が高まりつつあり,諸学会の連携による課題解決が急務となっている(浅田進史・崎山直樹「歴史学と若手研究者問題」歴史学研究会編『第4次 現代歴史学の成果と課題』第3巻,績文堂出版,2017年)。
 若手研究者問題が発生した直接の契機は,1991年,大学審議会による提言をふまえ文部科学省によって打ち出された「大学設置基準等の改正」―いわゆる大学院重点化政策―にある。これは,世界をリードするような研究の推進,および,すぐれた研究者や高度な専門能力を持つ職業人を養成するための大学院の充実・強化を目的とする政策であり,その推進によって,1980年代に7万人ほどであった大学院生の数は,2000年代に入って26万人を突破するほど激増した。しかし,大学院生の確保をめぐる大学間の競争の激化と格差,さらには大学院生間の就職をめぐる競争と格差を生み,結果として多くの「高学歴ワーキングプア」を生み出すこととなった(水月昭道『高学歴ワーキングプア―「フリーター生産工場」としての大学院―』光文社〔新書〕,2007年)。「高学歴ワーキングプア」の存在が明るみになる時代と,「生きづらさ」を強いる社会の姿が明確になる時代はともに2000年代後半という点で一致している。すなわち「高学歴ワーキングプア」もまた,新自由主義に強く規定されて出現したものであった。
 大学院重点化政策が始まって約20年,「高学歴ワーキングプア」という言葉が生まれて約10年たつ現在,この問題をめぐる状況はより多様化・深刻化している。2004年度以降,法人化した国立大学への運営費交付金が恒常的に削減される一方,科学研究費補助金や21世紀COEをはじめとする競争的資金の割合が増加すると,競争的資金による若手研究者の有期雇用が増加し,減少する事務・技術職員の肩代わりをも担うようになった。その結果,プロジェクトリーダーとのパトロン・クライアント関係のもと,プロジェクトにそった研究成果や,多くの雑用をこなしながらの研究成果の発信が求められる若手研究者,将来への不安を抱え,人生設計もままならないまま,研究拠点をわたり歩かざるを得ない若手研究者が多く出現することとなった(浅田進史「歴史学のアクチュアリティと向き合う」歴史学研究会編『歴史学のアクチュアリティ』東京大学出版会,2013年)。このように不安定な雇用形態・研究環境の問題が解決されずに長期化するなか,「若手研究者」の実態は重層化・複雑化を続けている。世代としては20代から50代まで,立場としても大学院生・非常勤講師・ポストドクター(以下,ポスドク)・大学や研究機関の所属がない者などの広がりを見せ,いちようには語りえない様相を呈するようになっている。
 また,近年では問題の深刻化を象徴するものとして若手研究者の「自死」があいついで報道された。「自死」に至る経緯は本人にしかわかりえないことではあるが,報道ではその背景として博士課程取得退学や非常勤講師の雇止めによる経済的困窮,あるいはポスドクの任期満了後に安定した職業につけない状況や結婚生活との葛藤などが語られ,若手研究者の「生きづらさ」を考える上で無視できないことがらとなっている。
 こうした状況のなか,歴史学の関係学会でも問題解決のための取り組みが模索されてきた。『歴史学研究』2011年2月号には若手研究者問題に関する時評が掲載され,2010年7月現在の問題状況とそれに至る政策の変遷が整理されるとともに,当事者の声を届けるための実態調査や情報共有の必要性が提言された(崎山直樹「崩壊する大学と若手研究者問題」『歴史学研究』876号)。また2012年には,大学院生・ポスドク・非常勤講師・常勤大学教員ら若手有志による「西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ」(以下,西洋史若手WG)が発足し,ウェブ・アンケート調査が実施され,大きな反響を呼んだ(有効回答者数191名)。その後,西洋史若手WGの要請を受け,2013年,日本歴史学協会(以下,日歴協)が「若手研究者問題検討委員会」(2018年より「若手研究者問題特別委員会」)の設置へと動き,2015年から2016年にかけ歴史学研究者へのウェブ・アンケート調査を行っている。その結果については,2017年,「「若手研究者問題」解決に向けた歴史学関係者の研究・生活・ジェンダーに関するウェブ・アンケート調査中間報告書」としてまとめられ,日歴協のHPに掲載されている(https://drive.google.com/file/d/0B8fllPqZQC2xSlowZFRrS
3dUYWs/view 2020年2月5日アクセス確認)。また歴史学研究会委員会においても,2017年度に会務部に「若手研究者問題担当」を設置し,若手研究者問題の抜本的見直しをはかるとともに,2019年度には会務部・研究部を中心に「若手研究者問題ワーキンググループ」を立ち上げるに至っている。
 そこで今回の特設部会では,上記若手研究者問題ワーキンググループによる問題提起を行ったのち,日歴協の若手研究者問題特別委員会より「ウェブ・アンケート調査からみえる若手研究者問題」と題する報告をいただき,若手研究者問題の実態に迫ることにする。その際,「研究職に就けない/就きにくい」という問題は,「女性にとっては古くから存在した問題」であり,非正規雇用問題が男性の非正規雇用の増大によって初めてアクチュアルな問題となったという藤野裕子氏の指摘や(「歴史学をめぐる承認-隔離-忘却―ジェンダー史を事例として―」前掲『歴史学のアクチュアリティ』),本アンケート結果に見える男女間格差やハラスメントの存在に留意したい。また,本アンケート調査の質問項目「歴史関係の諸学会への要望」には多くの声が寄せられており,学会に対し切実かつ重要な問題提起がなされている。学会としてどのように若手研究者問題と向き合うべきか,ともに考える機会としたい。さまざまな世代・立場の方々の来場をお待ちしている。(研究部)