2024年度歴史学研究会大会

大会日程

第1日 5月25日(土)

総 会9:30~11:30
17号館本多記念国際会議場
*総会は会員のみ参加可能です。
全体会 個別史と全体史の往還
 ―マスターナラティヴを編みなおすためにー
13:00~17:30
17号館本多記念国際会議場
地域史,グローバルヒストリー,そしてマスターナラティヴ
 ―西ジャワ社会の中心と周縁―
太田 淳
日本産淡水魚消費論
 ―全体史に向けた試み―
橋本 道範
貨幣とともに歩む歴史
 ―交換史観の試み―
柿沼 陽平
コメント井野瀬 久美惠

第2日 5月26日(日)

古代史部会Ⅰ 古代における在地社会と家族11:20~17:20
17310教室
「分異」からみた経済単位としての家族
 ―商鞅変法再考―
多田 麻希子
コメント義江 明子
髙橋 亮介
古代史部会Ⅱ 古代国家の変容と氏族秩序9:30~17:30
17311教室
平安貴族社会と氏
 ―氏寺・氏社を中心に―
上村 正裕
コメント大隅 清陽
遠藤 基郎
中世史部会 日本中世における権力と宗教9:30~17:30
17411教室
中世東国武家政権と鎌倉顕密寺院小池 勝也
足利将軍家所縁の五山派禅宗寺院にみる政治秩序髙鳥 廉
近世史部会 幕末維新期における社会変容と都市9:30~17:30
17512教室
幕末維新期の兵庫・神戸港域の「政治都市化」とその意義髙久 智広
幕末「開港」と近世貿易都市長崎の変容吉岡 誠也
近代史部会 第一次世界大戦を経た世界10:00~17:00
17409教室
第一次世界大戦後ハンガリーの人種主義とジェンダー姉川 雄大
カナダにおける選挙法改正と第一次世界大戦
 ―ジェンダー・人種・ナショナリズム―
津田 博司
コメント粟屋 利江
現代史部会 「地球社会」時代としての1970年代
  冷戦後半期への新たな視点
13:00~17:30
17410教室
「地球社会」黎明期を日米関係から再考する長 史隆
「ヘルシンキ宣言」と東ドイツ指導部
 ―1970年代の国際政治と「人権の国際化」―
清水 聡
コメント福田 宏
合同部会 古代・中世の「自治」とコミュニケーション13:00~17:30
17511
教室
ローマ帝政前期における都市の政務官・参事会・民会
 -自治の諸相-
新保 良明
中世南仏村落における住民自治
 ―エリートと民衆の関係に注目して―
向井 伸哉
コメント皆川 卓
特設部会 パブリックヒストリーをめぐる探究・対話・協働
 ー葛飾区立石における歴史実践ー
10:00~15:00
17510教室

主旨説明文

全体会 個別史と全体史の往還
―マスターナラティヴを編みなおすために―

委員会から
 本年度全体会は,歴史のマスターナラティヴをキーワードに,個別史と全体史との往還に取り組んでみたい。
 マスターナラティヴとは,歴史を叙述し説明するときの型である。唯一の「大きな物語」でなくとも,人は歴史を語らずにはいられない。いかなる世界や自分が,どこから来て,どこへ向かうのか。その方向を決める要因,そこでの主体,そしてその変化の過程はどのようなものか。これらいくつかの型を用いて,人はいつも来し方行く末を語るのであり,歴史研究者もまた例外ではない。
 歴史研究者は,このマスターナラティヴのありように自覚的であり,批判と編みなおしを重ねてきた。戦後歴史学は,いわゆる皇国史観に代表される教条的な叙述に対する科学的実証史の挑戦として始まった(詳細は当会編『「戦前歴史学」のアリーナ』を参照されたい)。1950年代に進んだのは,その科学の名の下で前提視された法則性や主体の再考であった。そして70年代以降の社会史の隆盛は,「大きな物語」を問い直し,民衆,人種的マイノリティ,性的マイノリティといったアクターを可視化した。ときに細分化を懸念されながらも,二宮宏之らが明言したように,社会史や文化史が全体史への志向をもったことは想起すべきである。従来的な近代化論への回帰を懸念されつつも,グローバルヒストリーの潮流にも国民国家史を超えた全体史の模索をみとめることができよう。また,当会編『第4次 現代歴史学の成果と課題』(績文堂出版,2017年)が「新自由主義時代の歴史学」を掲げたのは,社会主義圏が崩壊し,新自由主義が経済のみならず政策から思想にまで浸透する状況下での歴史学の全容をつかもうとしたからであった。
 しかしなお,歴史研究者一人ひとりがマスターナラティヴについて十分に取り組んできたのかには疑問がある。研究者が精緻な批判を図る一方で,人びとは歴史のあらましを物語る。小川幸司の言をひけば,「歴史とは,歴史学者や歴史教育者だけが探究するものではなく,様々な人々が日常生活の中で参照し,それをもとに行動する」ものである。この日常的な歴史実践の広さと切実さに,研究者はどこまで寄り添えているだろうか。「大きな物語」への安易な回帰を警戒するあまり,研究者は慎重にすぎたのではなかろうか。結果として,近代化論の物語はその命脈を保ち,旧来的な国民の物語,強権の信奉,男性性への執着,あるいはポストトゥルース的な情念が影響力を増している。
 折しも,総合の機運は高まりつつあり,いくつかの新たな論点が彫刻されてきた。『岩波講座 世界歴史』(岩波書店,2021年~)が刊行中であり,『歴史の転換期』シリーズ(山川出版社)が完結を迎えた。ジェームズ・C・スコット(立木勝訳)『反穀物の人類史』(みすず書房,2019年)が諸巻で引用され,文明史の大枠について再考する実証研究が生まれつつある。地域,時期,そして主体の面でも,西洋近代を目的論的に描かないグローバルヒストリーが深化をつづけている。人新世という見立てとともに,人をその一環に含む相関的な環境史が地歩を築きつつある。併走するのは,リズムの異なる重層的世界の歴史研究である。
 こうした状況を,唯一の「大きな物語」に還元され得ない,個別史と全体史との往還の試みだと,さしあたり言っておこう。本年度の全体会は,三氏の報告とコメンテーターを交えたフロアとの討議でこの状況へと介入し,マスターナラティヴの編みなおしへと踏み出したい。
 太田淳は,近世近代移行期のジャワを描いた著書『近世東南アジア世界の変容』(名古屋大学出版会,2014年)などで,グローバルヒストリーに多くを学びつつ複数・多層的なアクターがせめぎあうローカルな個別史との接合を試みてきた。今回の報告では,「地域史,グローバルヒストリー,そしてマスターナラティヴ―西ジャワ社会の中心と周縁―」と題して,グローバルヒストリーの批判的な更新への論点を提示する。
 橋本道範からは報告「日本産淡水魚消費論―全体史に向けた試み―」を得る。橋本は,著書『日本中世の環境と村落』(思文閣出版,2015年)などで琵琶湖周辺地域における生業を糸口に環境と人間との関係史を研究してきた。今回の報告では,生産を中心に組み立てられてきた歴史叙述に対して,生態,生業,権力との連鎖・相関のなかにある消費の歴史を手がかりに,マスターナラティヴへの試論が期待される。
 柿沼陽平報告「貨幣とともに歩む歴史―交換史観の試み―」は,中国古代の裁判文書を日常史の史料として読み解くところから論点を提示する。柿沼は,貨幣史の蓄積のうえで,著書『古代中国の24時間』(中央公論新社,2021年)で衣食住から性愛にいたる日常史へと大胆に歩みを進めてきた。当日の報告では,中国古代の人間同士のつながりとしがらみから説きおこして,「交換」に着眼した史的変化のつかまえ方が論じられることであろう。
 以上三報告を承けて,井野瀬久美惠がコメンテーターを務める。文化史の視点を利かせてイギリス帝国をめぐるナラティヴを編みなおしてきた井野瀬の知見から論点を得たい。
 もとより大きなテーマではあるが,マスターナラティヴ編みなおしへの胎動はすでに始まっている。当日はフロアからの発言とともに,おおいに議論を深めたい。 (研究部)

古代史部会Ⅰ 古代における在地社会と家族

 アジア前近代史部会運営委員会から
 本大会は,日本古代史部会運営委員会の要請により分科会形式となった。隣接会場(教室)で開催される両分科会への多くの方々の参席をお願いしたい。
 当部会では,古代国家における権力構造の特質を把握し,国家と社会との関係性について解明することを一貫して追究してきた。1975年大会の太田幸男報告「商鞅変法の再検討」以降,春秋戦国・秦前漢期における国家の支配構造や,国家成立の歴史的過程,さらには後漢・魏晋南北朝から隋唐期における古代社会の変容とその特質などの究明を,様々な視座のもとで展開してきた。そこでは,官僚制・国家的身分制・税制といった制度史の側面からの考究のうえに,集落構造・農業経営・土地所有・分業・家族・社会的身分・地域社会論などに至るまで多くの成果を得ることができた。しかし,史料的制約から,古代の在地社会,特にその社会の内部構造とそこに存在した様々な関係の具体的な在り方を全体的に解明するには至らず,課題は残されていた。
 限られた史料状況のなかで,1975年に湖北省雲夢県から秦の法律文書を含む睡虎地秦簡が出土してほどなく公刊され,新たな知見をもたらした。その後1983~84年に同省江陵県から出土した漢律を含む張家山漢簡は,長らく全容が明らかではなかったが,21世紀に入って公刊された。これと前後して,さらに膨大な簡牘史料が,現在に至るまで陸続と出現・公刊されている。これらの簡牘史料によって,それまで困難であった秦漢時代における在地社会の構造と人的結合関係などをより詳細に考察することが可能となり,この点を課題とすることが当部会の活動方針の一つとなっている。
 当部会では,大会報告においても,いちはやく睡虎地秦簡をもちいた1978年の堀敏一報告「中国の律令制と農民支配」,1979年の重近啓樹報告「秦漢の国家と農民」,1984年の岡田功報告「戦国秦漢時代の約と律令について」,1985年の飯尾秀幸報告「中国古代における国家と共同体」以来,如上の問題意識を維持し継続して活動してきた。その後,相次ぎ出現した新史料をもちいた近年の成果として,2018年の椎名一雄報告,2019年の福島大我報告があげられる。椎名報告「「庶人」が結ぶ中国古代の社会と国家」では,簡牘史料にみえる「庶人」という語の新解釈によって,それを秦漢期の身分制度のなかに位置づけ,国家身分としての「庶人」の設定が,当該期の在地社会からの要請でもあったことを提起した。福島報告「中国古代における逃亡の歴史的意義」では,秦・前漢初期の簡牘史料に含まれる法律文書に多見する「亡人」(逃亡者)に着目して,郷里社会に居住する人々とその内外に存在した「亡人」との間に様々な人的結合関係が築かれていたことを見出し,このような関係性を前提とした当該期の国家の性格について議論した。これら二報告は,新出の簡牘史料を主たる研究対象として身分や人的結合関係についての具体的な分析を試みたものであり,これまで考察が困難であった在地社会の構造とその内部の諸関係の解明を目指したものであった。この成果は,古代における国家支配の特質を解明するために,中国古代史研究から提起した重要な論点であり,日本古代史部会との共催で行なわれた大会古代史部会の場においても,戦後より今日に至るまで蓄積された歴研における古代国家をめぐる議論を報告者・来場者とともに深化させることができた。
 以上の成果を踏まえ,本大会では「古代における在地社会と家族」というテーマのもと,多田麻希子氏「「分異」からみた経済単位としての家族―商鞅変法再考―」の報告を用意した。本報告では,近年公刊された『嶽麓書院藏秦簡』にみえる「分異」に関する史料の知見を中心に,「商鞅の変法」の新たな解釈を試みる。そのうえで,多田氏が提示している経済単位としての「同居」という議論を踏まえて,当該期における家族の居住形態や,在地社会における諸関係の具体的な在り方を考察する。これは,共同体を基盤とする専制国家権力を描き出そうとした1975年の太田報告「商鞅変法の再検討」を批判的に継承したものである。また,春秋戦国期における鉄器と牛耕の普及により氏族共同体が分解して単婚小家族が析出されたという,多くの中国古代史研究者が支持する「定説」に対しても再検討を迫るものとなる。
 この報告に際しては,髙橋亮介氏(古代ローマ史)と義江明子氏(日本古代史)からのコメントを用意し,集落・家族などをめぐって,世界史的な視座のもとで意見を交わしたいと考えている。周知のように,歴研では綱領において「世界史的な立場」を掲げ,戦後より石母田正・西嶋定生両氏などによって,いかに各地域の古代国家・社会を世界史の中に位置づけて普遍的な議論を展開するか格闘が続けられてきた。本大会においてもその驥尾に付し,中国・ローマ・日本の古代史における研究状況や史料状況を踏まえ,社会における血縁的結合関係の意味や機能,国家によるその把握について,理解の深化を図る。
 大会への検討を重ねる中,元委員長である小沢弘明氏の「歴史学研究会の「世界史的な立場」」(『歴史学研究』1043号,2023年12月)を得た。氏は,大会編成,そして歴研の在り方について問題を指摘し,「歴研のことを深刻に考え」ることを呼びかけている。氏の述べる如く「世界史」は「日本史」の「対になる概念」ではない。また,当然ながら「外国史」の研究が即ち「世界史」となるわけでもない。分科会形式の本大会でも,当部会は自らの研究対象を「世界史」のなかに位置づける「努力」を継続したいと考える。幸いにして,今回の報告に対して複数の他地域の研究者によるコメントをお願いできた。この当部会の姿勢も,日東西の三分法を踏襲しかねないという自省はあるが,曲がりなりにも我々は一国史を克服して,各地域の独自性を踏まえながら,共通の討議の場をもちたいと希望している。当日の活発な議論を期待したい。(福島大我)

古代史部会Ⅱ 古代国家の変容と氏族秩序

 日本古代史部会運営委員会から
 これまで日本古代史部会では,1973年度大会で在地首長制論を議論の基軸に据えて以降,80年代後半からは王権論,90年代にはそれまでの王権論の成果を踏まえつつ,王権と密接にかかわる,地域社会の動向に視野を向けるために地域社会論を取り入れ,日本における古代国家の成立および展開過程の解明を主要なテーマとして議論を重ねてきた。それらの路線を継承しつつ,2004年度大会以降は,王権構造と支配秩序の関係を主題として議論を深めてきた。2010年~2012年度大会では,それまでの議論の主たる関心が日本列島内に限られていたことへの反省から,「一国史」からの脱却を目指し,古代日本を東部ユーラシア・東アジア地域に位置づけ,東アジア地域における交流が古代日本の成立・展開に与えた影響を明らかにした。2013年度大会以降は,2022年度大会に至るまで,東アジア的な視点は継承しつつも,再び議論を列島内へと戻し,東アジア地域における日本古代の独自的性格を解明すべく,支配秩序・支配構造・儀礼といった多様な観点から議論を重ねてきている。
 しかし,2023年度大会では,日本古代史部会が大会報告者を擁立できなかった。この事態を重く受け止めた日本古代史部会運営委員会では,これまでの議論の継承は必要と考えつつも,新たなテーマを設定する機会でもあると判断し,2024年度大会に向けたテーマの選定を進めていった。
 近年の大会報告を振り返れば,平安時代に関する研究成果が蓄積されてきたことが指摘できる。たとえば,2019年度大会では浜田久美子報告が外交儀礼の観点から,2021年度大会では遠藤みどり報告が天皇の譲位儀の成立過程の観点から,志村佳名子報告が太政官政務儀礼の視点から,2022年度大会では佐々田悠報告が古代中世移行期における地方支配体制の変容を祭祀の視点から考察し,多くの成果を得ることができた。
 それらは,政務や儀礼,地方支配といった制度的な検討を主たる対象とした貴重な成果である。しかし,平安時代とはいえ,9世紀および古代中世移行期を主たる時代対象としていたため,摂関期に関する言及がそれほどなされていなかった点が課題として残された。
 これまでの日本古代史部会の大会報告で,摂関期に関する報告を振り返ると,たとえば2002年度大会では神谷正昌報告が王権論の立場から摂関期を分析し,2016年度大会では今正秀報告により摂関期が古代・中世とも異なる独自の国制であったことを示した。
 国家の形成過程において制度の整備は非常に重要な事項であり,これまでの日本古代史部会の大会報告では,上記のように独自の研究成果を蓄積してきた。それに加えて,近年の日本古代史部会が「支配構造」や「支配秩序」を問題としているのであれば,人びと,特に古代国家を実質的に支配する官人層がどのように「支配構造」に取り込まれたかが問題になるだろう。また,日本古代においては「氏(ウヂ・ウジ)」という集団が重要であることは言を俟たないが,そのような氏集団が「支配構造」,「支配秩序」とどのように関わっていたのかという点も,議論すべき課題として浮上してくるだろう。
 氏に関しては,2013年度の長谷部将司報告,2014年度の中村友一報告で議論されてきた。長谷部報告では,日本古代の秩序形成の特質として氏族社会の向心力と天皇の求心力を分析し,これまでの議論を相対化し,秩序形成と展開を立体的に解明した。中村報告では,日本古代における国家形成を,近年の秩序形成の議論と絡ませて分析し,部制・国造制・屯倉制によって6世紀に古代国家の形成を見出すことができた。氏に関する研究成果も示してきているが,やはり7~9世紀初頭における氏の検討が主たる関心とされており,平安期以降の検討が課題として残る。
 以上の論点を踏まえ,日本古代史部会では2024年度大会報告のテーマを「古代国家の変容と氏族秩序」とし,摂関期・氏(ウヂ)・秩序という論点に焦点を絞り,上村正裕「平安貴族社会と氏―氏寺・氏社を中心に―」の報告を用意した。また,大会当日は大隅清陽氏,遠藤基郎氏からコメントをいただく予定である。
 上村報告では,摂関期における氏を題材として,当時の王権・国家および貴族社会の秩序を解明する。特に中心に据えるのは,興福寺・春日社などの寺社と藤原氏の関係性である。興福寺・春日社が藤原氏の氏寺・氏社であることは論を俟たないが,国家の官寺・官社でもあった。そのような二重性を有する両寺社において,藤原氏による「閉鎖性」が強調されていることが,当時の古記録などから判明する。加えて,源氏にも同様の観念を見いだすことができ,氏族的な枠組みがみられる。本報告では,従来「家」秩序の論理に論が集中しがちだった当該期に,藤原氏などの公卿層を中心とした上層部において氏族秩序が強調される意味,それに対する国家側の意識について考える。
 なお,2024年度大会古代史部会はアジア前近代史部会主催となる古代史部会Ⅰ,日本古代史部会主催となる古代史部会Ⅱからなる分科会形式での開催となる。両分科会のタイムテーブルは,古代史部会参加者がどちらの分科会にも参加できるように配慮している。当日は多くの方々が分科会Ⅰ・Ⅱそれぞれに参加し,活発な議論が展開されることを期待したい。(森田大貴)

中世史部会 日本中世における権力と宗教

 中世史部会運営委員会から
 2024年度の中世史部会大会報告では,「日本中世における権力と宗教」をテーマとして,南北朝・室町期武家権力の寺院との関係形成や,その戦国期にかけての変容過程の解明を通して,中世後期の権力と宗教の関係について見通しを得ることを目標とする。まず武家権力と宗教の関係を取り上げる意図を明確にするため,近年の大会テーマとの関連について説明したい。
 中世史部会では,2010年代以降,室町幕府の地方支配や幕府を中心とする儀礼秩序について,「地域権力の支配構造」(13年度),「権力と秩序形成」(14年度),「権威と秩序」(17年度)といったテーマを設定し,検討を行ってきた。また昨年度の「日本中世における支配体制と秩序」でも,幕府の地方支配の形成とその時期的変遷が明らかにされている。これらの議論によって,幕府が地方との間で構築した支配・秩序の様相が詳細に整理され,室町幕府の地方統制の枠組みについての研究は,一定の成果を得たと考えている。
 このように近年の大会報告では,室町幕府の守護・国人支配が検討されてきた一方で,宗教との関係についてはあまり注目されていない。しかし幕府が武士だけでなく,公家や寺社に対する支配を展開することで,その権力を確立したことは周知の事実である。実際に幕府と宗教の関係を問う視角からはすでに多くの研究が重ねられているが,過去の大会テーマを振り返るとき,中世史部会では主題として論じられてこなかったことに気づかされる。
 もちろん従来の大会報告でも,宗教は重要な論点として意識されてきた。たとえば榎原雅治報告(92年度),苅米一志・鍛代敏雄両報告(06年度),坂本亮太報告(11年度)では,地域社会・村落における寺社・宗教者の役割が問われている。また18年度の「中世における宗教と社会」は,門跡寺院の修験者編成と在俗宗教を事例として,中世後期の宗教と社会の関係の実態を論じ,中世後期の宗教が単純な衰退期にあったのではなく,社会と新たな関係を構築したことを明らかにしている。ただしこれまでの大会報告では,主に地域・社会との関係が重視されたため,権力との関係について十分に論じられてきたとはいえない。しかし近年の研究の大幅な進展を踏まえれば,大会テーマとして武家権力と宗教の関係に取り組む時期が来ていると考える。
 そこで現在の武家権力と宗教をめぐる研究状況に目を向けると,室町幕府と畿内顕密寺院の関係を論じる研究が大きく発展したことが注目される。とりわけ幕府による門跡寺院の武家祈禱への編成や南都北嶺に対する統制が検討されるとともに,寺院側が積極的に幕府権力を迎え入れた側面も意識されており,幕府による一方的支配という視角からでは説明できない双方向的な関係性が明確となっている。
 その一方で残された論点もある。第一には,東国における武家権力と宗教の関係があげられる。鎌倉期には幕府によって東国に顕密・禅が受容され,都鄙交流も盛んに行われた。そうしたあり方は南北朝期にも継承されるが,室町期になると幕府・鎌倉府の分立に伴い,東国は京都と宗教的に切り離されたと考えられてきた。近年では顕密僧の東西交流の実態は明らかになったものの,鎌倉府の宗教との向き合い方には,依然として不明確な部分が多い。
 第二には,五山派禅宗の位置づけの問題がある。近年の室町幕府の宗教政策研究は,幕府が顕密と禅の双方を重視したことを踏まえつつも,主に顕密寺院を素材として検討されており,五山派禅宗についてはあまり議論がなされていない。そのため禅宗独自の性格に留意しながら,幕府の宗教政策を問い直す必要がある。特に幕府と五山派禅宗の関係を考える上では,五山官寺だけでなく,足利将軍家菩提所や単立香火所のような将軍家所縁寺院の機能を適切に評価することが求められる。
 以上の問題意識を前提に,本大会では小池勝也「中世東国武家政権と鎌倉顕密寺院」,髙鳥廉「足利将軍家所縁の五山派禅宗寺院にみる政治秩序」の2報告を用意した。
 小池報告は,鎌倉幕府のもとで形成された鶴岡八幡宮寺を中心とする自律的な鎌倉顕密寺院秩序について検討した上で,南北朝・室町期の鎌倉顕密寺院が,鎌倉府といかなる関係を構築し,東国においてどのように展開したのかを論じ,戦国期の衰退までを見通す。その上で中世宗教史における鎌倉顕密寺院の位置づけを明らかにすることを目標とする。
 髙鳥報告は,足利将軍家所縁の五山派禅宗寺院の種類と構成を示し,その形成過程を論じる。そして将軍家所縁寺院への認定によって得られる恩恵や,禅宗寺院における将軍家出身僧の位置づけ,所縁寺院の持つ多様な政治的機能の検討を通して,室町幕府が所縁寺院の整備によって構築した政治秩序を明らかにする。
 本大会は,両報告が提示する新たな論点や実証的成果を前提として,中世後期における武家権力と宗教の関係の全体像を把握することを目指す。以上の趣旨をご理解いただき,当日は活発的かつ建設的な議論が行われることを期待する。なお両報告の内容を理解するにあたっては,以下の文献を参照されたい。(林遼)

[参考文献]
小池勝也「室町期鶴岡八幡宮寺における別当と供僧」(『史学雑誌』124-10,2015年10月)
同「中世東国寺社別当職をめぐる僧俗の都鄙関係」(『歴史学研究』980,2019年2月)
同「鎌倉府政権下における鎌倉三カ寺の盛衰」(菊地大樹・近藤祐介編『寺社と社会の接点』高志書院,2021年)
髙鳥廉「等持寺住持職の歴史的展開」(『足利将軍家の政治秩序と寺院』吉川弘文館,2022年,初出2019年)
同「嵯峨香厳院住持小考」(『古文書研究』94,2022年12月)
同「等持院住持職の特質と展開」(『年報中世史研究』48,2023年)

近世史部会 幕末維新期における社会変容と都市

 近世史部会運営委員会から
 当部会では今年度,「幕末維新期における社会変容と都市」を大会テーマに掲げた。本企画では,幕末維新期の都市を対象として,国内の支配体制・対外関係ともに大きく変容する社会の中で,その変容に面した都市が,旧来の社会を継承,あるいは解体しながら新しい体制を築いていく過程から,当該期の社会変容を捉え直すことを目指す。
 近年の幕末維新史研究においては,近世史側の動向として,18世紀末にその起点がおかれる。ロシアの南下に代表される対外関係の変化,大政委任論や尊王思想の高まりなどの思想的変化を背景にした朝幕関係の変容,飢饉など生存の危機に端を発する民衆運動の高揚といった,幕末維新期の社会変容をもたらす諸要素が,18世紀末から表舞台に登場し始めることが要因である。一方近代史の側ではペリー来航から書き起こされるように,開国を契機とした国内の制度矛盾の表面化による近世的社会秩序の崩壊を,近代の起点とする。そこで本企画では,18世紀末に始まる社会変容が,開国によって「危機」(あるいは「好機」)をもたらし,近世社会を解体へと導いた開国前後の時期を中心とする。当該期における国内外の政治交渉と衝突の結果,地域社会の近世的秩序がいかなる変容を遂げ,近代社会の礎となるのかを検討することで,改めて近世社会を見つめ直す契機になるのではないか。
 当部会では,前年度大会において「危機」に面した領主層の政治理念の表出と,政策の実行過程を通して近世後期の社会変動の再考を目指した。ただし「危機」とする事態の位相の捉え方に課題を残すこととなった。その成果と課題を踏まえ,本企画では近世社会を大きく揺るがした開国期を中心として,幕末維新期の社会変容を検討する。
 さらに開国という事態に直面した都市,中でも対外政策の重要局面を担わざるを得なくなった開港場を擁する都市を基軸とし,そこに立ちあらわれる制度矛盾とその要因や,諸集団の動向からみえる「危機」の多面性を解明することを通して,近世社会の様相を見出すことを企図している。
 なぜ都市をテーマとするのか。近世を「都市の時代」と評する都市史研究においては,都市空間の分析や,社会集団,身分集団を通した都市の社会= 空間構造の把握と,都市類型の比較による包括的な検討が積み重ねられ,一定の到達点を見たといえる。しかし,近世社会全体を揺るがすような,大きな政治的「危機」が訪れた際に,人的流動性が高く,かつ政治的・経済的に連関する都市,中でも幕府直轄都市において,統治体制の変容や諸集団間の相剋にどう対応するのか,という視点もまた「都市の時代」を考える上で重要である。
 幕末維新期においては,京・大坂の政治都市化が指摘され,経済的発展の一方で窮民が増加するなど,都市内部では不満が増大していた。また開港場の設置により,周辺地域をも組み込んだ都市支配・運営体制の急速な変化が求められるなど,当該期の支配や社会の変容に左右された幕府直轄都市への注目は重要である。特に開国によって多大な影響を受けた港湾部の都市では,喫緊の課題に対する政局の対応と旧来の支配体制との間で,摩擦や矛盾があらわになっていた。その「危機」的状況に際した幕府機構のみならず,都市支配層や都市住民といった諸階層の対応に着目することは,幕末維新期の社会変容を広く見据える上で必要な視点である。
 他方で「危機」の多面性を見逃してはならない。開国による政治体制の動揺は,確かに幕府にとっては「危機」であったが,それを「好機」ととらえる人びともまた存在した。開国という未曽有の事態に向き合う多様なステークホルダーの動向を通して,「危機」をより多面的にとらえることが可能となるだろう。その点においても,開国期に大きく体制を変容させる都市は,恰好の素材であると考える。
 開国によって引き起こされた「危機」を契機とした都市の支配体制の変容と,近世的秩序の限界から,近世社会のあり様を逆照射してみたい。
 以上の問題意識に基づいて,髙久智広・吉岡誠也両氏の報告を用意した。
 髙久智広「幕末維新期の兵庫・神戸港域の「政治都市化」とその意義」。幕末維新期に,畿内の諸都市は政治都市化していくと言われるが,その内実は各都市の性格・機能によって異なり,決して一様ではない。幕末維新期に畿内における幕府の軍事・外交政策の拠点に位置づけられる兵庫・神戸港域は,台場や海軍操練所が建設され,将軍上洛時には上洛艦隊の駐留港,第二次長州戦争時には幕府軍の出撃・物資輸送基地として機能し,さらに「開港場」としての整備が進められていった。その過程で,当該地域には富や材,技術,情報が集積し,それらを巡って幕藩領主層から労働力販売層まで様々な思惑を持つ主体が各々関係し合いながら集散し,時代を動かす動力源となった。本報告では,その関係性に着目しつつ当該地域の特質の解明を目指したい。
 吉岡誠也「幕末「開港」と近世貿易都市長崎の変容」では,幕府の対外政策に強く規定されて存立していた長崎が「開港」により直面した危機とそれへの長崎奉行・幕府の対応を取り上げる。会所貿易の利潤を財源として幕府から都市運営費を保障されていた長崎は,自由貿易の開始により都市存立の前提を否定され,長崎奉行は新たな財源創出のための政策を打ち出し都市の「再建」を模索していた。一方で,外国商人に雇用される日雇,対外的危機や対立が深まる幕藩関係を背景に出入りする諸藩士・浪士
をめぐる治安対策の必要にも迫られていた。このような課題に対する奉行・幕府の対応の分析を通じて,都市長崎の変容と統治体制の限界を明らかにし,明治初年の都市政策への影響を見通したい。
 危機的状況に面した都市のあり様を検討することは,都市への人口集中が問題視される現代においても示唆的であると考える。幅広い議論を期待したい。(伊藤静香)

[参考文献]
髙久智広「幕末期の幕府の艦船運用と兵庫津」(『日本史研究』603,2012年11月)。
髙久智広「幕末維新期の海防・開港をめぐる幕府政策と地域社会」(『民衆史研究』97,2019年5月)。
吉岡誠也『幕末対外関係と長崎』(吉川弘文館,2018年)。

近代史部会 第一次世界大戦を経た世界

 近代史部会運営委員会から
 今年度の近代史部会は「第一次世界大戦を経た世界」をテーマに掲げ,第一次世界大戦という未曾有の経験を経た世界を比較史的に再検討することを目指す。
 2014年に第一次世界大戦100周年を謳って多くの研究書や研究成果が発表されてから早10年が経過し,第一次世界大戦研究そのものはひと段落ついた節が見受けられる。だが現在進行形でウクライナ・ロシア戦争やハマースとイスラエルとの間の軍事衝突など,世界で戦争の惨禍が繰り返される中,今ふたたびこの大戦争を別の角度から捉え直し,戦争がさまざまな帰属意識に与える影響を再考することの意義は大きいと考えられる。
 第一次世界大戦という戦争は,特にヨーロッパにおいて近代から現代への転換点であったと広く目されている。この理解に大きな影響を与えたイギリスの歴史家エリック・ホブズボームは,著書『20世紀の歴史』においてみずからの提唱する「短い20世紀」の始まりを1914年の第一次世界大戦の勃発におき,同時に第一次世界大戦勃発から第二次世界大戦終結までの31年間を「破滅の時代」として,「短い20世紀」の最初の3分の1にあてている(ホブズボーム『20世紀の歴史 上』42-43頁)。
 しかし裏を返せば,第一次世界大戦はさまざまな変化を世界に齎した一方で,多くの場合それは第二次世界大戦との関連で語られてきた側面を有する。上記のような時期区分の下,第一次世界大戦の影響を大きく評価するホブズボームでさえも第一次世界大戦後の国際秩序についてはその不安定さを強調し,平和が続くことは予期されず次の戦争があたかも前提であるかのように語っているのである(同上書94-98頁)。
 こうした見方はとりわけ,第一次世界大戦後の世界を第二次世界大戦の勃発を前提とした,いわゆる「戦間期」として捉える向きに繋がっていると考えられる。このように「戦間期」と括られることの多い第一次世界大戦後の世界を,第一次世界大戦という未曾有の大戦が齎した影響そのものに着目して,その遺産を捉え直すということが本企画の目的の1つである。
 上記の問題意識を踏まえた上で,2名の報告者及びコメンテーター1名に登壇をお願いした。
 姉川雄大は「第一次世界大戦後ハンガリーの人種主義とジェンダー」として,第一次世界大戦後のハンガリーにおける政治・社会を人種主義・性差別主義のあり方から整理する形で報告する。第一次世界大戦後の東欧における権威主義体制の抱える問題を,その後進性ではなくヨーロッパの同時代的問題が共有された状況として捉える近年の研究動向を踏まえ,ハンガリーにおける「人種福祉国家」の側面を,第一次世界大戦期の「銃後の社会」と接続する形で論じる。
 津田博司は「カナダにおける選挙法改正と第一次世界大戦―ジェンダー・人種・ナショナリズム―」として,第一次世界大戦時のカナダにおける戦時選挙法などの事例を手がかりとして,女性参政権拡大,人種による選挙権の制限,フランス系ナショナリズムの先鋭化といったカナダ国内の文脈から,大戦の経験と選挙法改正がカナダにもたらした変容を検証する。
 上記の報告に対して,インドにおける独立運動・ジェンダー史について研究している粟屋利江にコメンテーターとして報告いただく。
 本部会では,2022年度大会においては「帝国支配と植民地社会」をテーマとして植民地社会で生活する現地住民の社会動態を,2023年度大会においては「社会変動と人びと」をテーマとして騒擾・革命・戦争などの短期的変動局面における差別意識や社会的結合関係のあり方を論じるなど,社会構造が主体としての人びとに与えた影響について継続的に議論してきた。
 第一次世界大戦によって生まれた変化はさまざまなものがあるが,民族自決権が国際的な基本原理として認められたことなどを背景として,国際社会の構成単位が国民国家へと移行したことはその中でも大きなものの1つと考えられる。多民族帝国の崩壊と新興国民国家の誕生という点のみならず,大戦を経ることによって既存国民国家においても統合力が高められた(木村『第一次世界大戦』210-211頁)。
 付言すれば,第一次世界大戦はその総力戦体制確立の結果,戦争における「前線」のみならず「銃後」を誕生させ,直接戦争に従軍した兵士のみならず,「武器を持たない兵士」としての民間人も戦争体験を有するようになっていった(鍋谷編『第一次世界大戦と民間人』6-7頁)。
 しかしながら,ベネディクト・アンダーソンが著書『想像の共同体』の中で主張するところのナショナリズムは,「モジュール」化されることによって画一的な議論に回収されてしまう危険性がある(アンダーソン『想像の共同体』22頁)。第一次世界大戦の結果として表出してきたさまざまな帰属意識は非常に多様な要素―国境線・言語・人種・ジェンダー・宗教など―と結びつく形で発生したことが想定されるが,こうした帰属意識がそれぞれの地域でどの要素と結びつき,いかなる形で表出したのか,本企画は第一次世界大戦の主戦場であったヨーロッパのみならず,欧米の植民地乃至は従属地域であった周縁地域を含む広域的な視点から,比較史的に検討してみたい。多地域・多分野からの積極的な議論を期待したい。(舟木隆之)

[参考文献]
粟屋利江「第一次世界大戦後から独立までの社会・文化」長崎暢子編『世界歴史大系 南アジア4 近代・現代』(山川出版社,2019年)177-200頁
ベネディクト・アンダーソン 白石隆・白石さや訳『定本 想像の共同体』(書籍工房早山,2007年)
木村靖二『第一次世界大戦』(筑摩書房,2014年)
津田博司「第一次・第二次世界大戦期のカナダにおける徴兵制論争」『史林』97(1)2014年1月,109-132頁
鍋谷郁太郎「序論―「総力戦」と民間人」同編『第一次世界大戦と民間人』(錦正社,2022年)3-13頁
姉川雄大「第七章 「境界地域」の創出と暴力の独占」前掲鍋谷編著,204-239頁
エリック・ホブズボーム 大井由紀訳『20世紀の歴史 両極端の時代 上』(筑摩書房,2018年)
エリック・ホブズボーム 大井由紀訳『20世紀の歴史 両極端の時代 下』(筑摩書房,2018年)

現代史部会 「地球社会」時代としての1970年代
―冷戦後半期への新たな視点―

 現代史部会運営委員会から
 今年度の現代史部会では,「「地球社会」時代としての1970年代」というテーマを掲げた。本企画は,現代史の画期としての1970年代を,国際関係の変化と世界的な価値観・規範の変容との連関に焦点をあてて捉えることを目指すものである。
 1970年代は戦後世界の国際政治・経済秩序が大きく揺らいだ時期であった。この時期にソ連を中心とする社会主義諸国は,その後の体制崩壊につながる経済的行き詰まりに陥りつつあった。また,同時期の国際関係の多極化は,米国にとっては自国が第二次世界大戦後に維持してきた覇権の衰微を意味していた。後の時代の視点からも,当時の認識においても,とりわけ米国で1970年代は「衰退」ないし「危機」の10年として捉えられてきたことは否定できない。
 他方,今日では,1970年代を現在との連続性に注目して捉える傾向も強いのではないか。たしかに,1970年代には西側諸国のあいだで経済的な相互依存が強まり,1990年代以降のグローバル経済につながる制度の構築が進むと同時に,環境問題や資源・エネルギー問題といった地球規模の諸課題への関心が世界的に高まり,経済成長至上主義への疑念やエコロジー思想が興隆した。また,2022年大会での本部会の企画「冷戦下の越境する連帯」で考察したように,人権を理念的基盤とした多様かつ越境的な運動実践が叢生するとともに,人権の保障が国際政治の重要な課題として位置づけられるようになったのもこの時期である。1970年代は,「地球」を一つの単位として捉え,さまざまな課題を国境横断的に解決すべきものとみなす認識が,各国の外交政策および国内政治に影響を及ぼしはじめた時期であった。
 しかしながら,今日との連続性のみに注目し,1970年代を単に現在の起点として捉えるのであれば,この時期に対する歴史的理解は狭められてしまうだろう。高度経済成長と西側世界における米国の圧倒的な影響力によって特徴づけられる1960年代までの時期と,グローバル新自由主義期とのあいだに位置する1970年代という時期に,既存の政治・経済・社会秩序のなにが変わり,なにが受け継がれたのかを,具体的な事例に則して問い直すことが,現代史研究が担うべき課題ではないか。
 近年,現代史部会は,「対抗運動の可能性」(2013年),「都市の「開発」と戦後政治空間の変容」(2017年),「社会運動と環境・民主主義」(2023年)などの大会企画を通じて,1970年代以降の時期を歴史化する試みを続けてきた。これらは,第二次世界大戦後の高度成長下で成立した「豊かな社会」の変容に注目し,今日の世界の政治・経済秩序の起源を問い直すとともに,冷戦期から新自由主義の時代への移行期にあたる1970年代から90年代に固有の歴史的文脈を明らかにすることを目指す企画であった。今回はこのような成果を踏まえつつ,国際関係の多極化や,人権および環境問題といった今日で言うところのグローバル・イシューの前景化が,東西両陣営に属する国々の外交と内政に及ぼした影響に焦点をあてる。
 今年度の当部会は以下の報告とコメントによって構成される。まず,長史隆氏の報告「「地球社会」黎明期を日米関係から再考する」は,1970年代の日米関係の展開を,経済・社会・文化の諸側面におけるグローバル化の始まりという文脈に位置づけて考察する。自国の覇権が動揺し,多国間の相互依存関係を無視できなくなった米国の外交政策担当者は,いかに日本を含めた西側諸国との関係を再編していったのか。一方,この時期に日本側ではどのように対米関係,さらには世界との関係を構想していたのか。また,外交政策の変化と連動した価値観・規範の変容も本報告では検討されるだろう。
 清水聡氏の報告「「ヘルシンキ宣言」と東ドイツ指導部―1970年代の国際政治と「人権の国際化」―」では,1970年代のヨーロッパでの「人権の国際化」が,東ドイツの国内政治と社会運動にもたらした影響について論じられる。とくに「ヘルシンキ宣言」(1975年)に代表されるように,ヨーロッパで確立に向けて動き始めた国際的な人権保障の枠組みが,いかに東ドイツの支配体制に影響を及ぼしたのか。また東ドイツにおける「人権の国内化」の模索にはどのような困難が伴ったのか。複数の事例が取りあげられつつ,報告がなされる。それにより,1970年代に台頭した新たな価値観・規範が東ドイツの国家・社会に与えたインパクトについて本報告で明らかにされるだろう。
 また,中・東欧史研究を専門とする福田宏氏からコメントをいただき,両報告をより広い文脈に媒介したい。対象とする地域を異にする議論を重ねあわせることによって,現代史の転換期としての1970年代をグローバルな視座から再考するとともに,価値観・規範や社会・文化的イシューを視野に含めた国際関係史および冷戦期政治史研究の新たな可能性を探求する機会としたい。当日は活発な議論となるように多地域,多分野からの積極的な参加をお願いする。(戸田山祐)

[参考文献]
長史隆『「地球社会」時代の日米関係―「友好的競争」から「同盟」へ 1970-1980年―』(有志舎,2022年)。
清水聡「「人権の国際化」と東ドイツ―ヘルシンキ宣言がホーネッカー政権に与えた影響―」益田実,齋藤嘉臣,三宅康之編著『デタントから新冷戦へ―グローバル化する世界と揺らぐ国際秩序―』(法律文化社,2022年),231-254頁。
福田宏「東欧のロック音楽と民主主義」木畑洋一,中野聡編『岩波講座 世界歴史 23巻』(岩波書店,2023年),171-190頁。

合同部会 古代・中世の「自治」とコミュニケーション

 合同部会運営委員会から
 古代ギリシア・ローマ世界や中世ヨーロッパにおける「自治」の研究はすでに長い歴史を持っているものの,新たな史資料の発見や研究手法の多様化・精緻化に伴って,依然として着実な進歩を遂げている。
 中でも古代ギリシアの評議会や,古代ローマおよび中世ヨーロッパの都市参事会,およびそれに類する自律的団体組織の研究は,都市における「自治」がどのような形で行われていたのかを構造的に説明することを可能にしてきた。そして同様の研究は,農村などのより小規模な自治体に関しても積み重ねられている。
 そうした研究の中で,特に重要なテーマの1つが,自治体におけるエリートと民衆とはそれぞれどのような存在であり,両者はどのような関係性にあったのかという問題であろう。
 ここで言うエリートとは,選挙などで選ばれて特別な地位で「自治」を担う者たち,具体的には都市参事会員,あるいは(古代ローマではその存在が充分に確認されていないものの)村参事会員などの人びとを指す。彼らがどのような家系から輩出されたのか,そしてその輩出は1代限りのものであったのか,それとも複数世代にわたって続いたのかという点の分析は,当該自治体の社会構成や社会的流動性を考察するための貴重な材料を提供してくれる。また,たとえば古代ローマについて言えば,上記のエリートたちは庇護関係や恵与行為の担い手となっており,それらがどのような形で,どの程度,そしてどれ程の期間にわたって行われたのかを探ることによって,「自治」が長期間にわたって継続的に行われることを可能にした,社会的な基盤についての理解も深めることができるだろう。
 もう一方で,民衆も都市や村の「自治」において,一定の役割を果たしていたと考えられる。だが,彼らが集会やそれに準ずる集まりで発した意見は,自治体の政治方針に大きな影響を与え得たのだろうか。それとも彼らは基本的に上述の都市参事会や村参事会の意見に従っており,その構成員の選出などを担ったに過ぎなかったのだろうか。そうしたエリートと民衆の相互作用を,一種のコミュニケーションとして把握することができるとするならば,前近代世界におけるミクロな自治体(都市/村落)をフィールドに両者のコミュニケーションの実像を探る試みは,(古代ギリシアのポリスで見られたような)直接民主政と(近現代ヨーロッパの諸都市で見られるような)間接民主政の間に位置づく,ニュアンスに富んだ民主政の歴史的バリエーションを明らかにすることにつながる。そしてその研究は,民主主義(およびその崩壊)の歴史的な諸相を辿り,今日我々が生きる社会のあり方を問い直すことを可能にするという意味で,時代を超越した重要性を有すると言えるのではないだろうか。
 以上のような問題関心を踏まえて,合同部会では古代と中世をそれぞれ専門にしている2名の報告者と,コメンテーター1名に登壇を依頼した。
 まず,新保良明の「ローマ帝政前期における都市の政務官・参事会・民会―自治の諸相―」は,従来説が2世紀以降に都市が没落に向かい,自治が破綻したと主張する際の根拠としてきた,エリートによる参事会入会の忌避や恵与行為の忌避といった点を再検討し,そうした忌避は史料的な裏づけを欠いており,従って2世紀における劇的な変化の存在は実証され得ないことを論じる。また,ローマ帝国の西部で民会や民衆が自治のために果たした役割について,帝国東部の状況とも対比しながら検討する。
 次に,向井伸哉の「中世南仏村落における住民自治―エリートと民衆の関係に注目して―」は,中世後期南仏ベジエ地方のいくつかの村落を事例として取りあげ,エリートによる寡頭政の維持強化と民衆による監視と異議申し立ての活性化という2つの相互補完的な現象を跡づけつつ,村落におけるエリートの特徴と類型,民衆による統治参加の可能性と限界を明らかにする。
 これら2報告に対して,近世ドイツの国制史および政治理論史が専門の皆川卓にコメントをお願いしている。
 以上の報告とコメントを通じて,本大会では古代と中世,それぞれの時代における「自治」をめぐる政治・経済・社会状況を整理し,各時代の特質を描出しつつ,それらを総合することによって2つの時代に通底する「自治」のあり方についても考えてみたい。(逸見祐太)

[参考文献]
M. Bourin, Villages médiévaux en Bas-Languedoc(Xe-XIVe siècle), vol. 2 : La démocratie au village (XIIIe-XIVe siècle)(Paris: LʼHarmattan,1987).
P. Garnsey, Cities, Peasants and Food in Classical Antiquity(Cambridge: Cambridge University Press, 2009).
K. Lomas, T. Cornell (eds.), ‘Bread and Circuses’(London/New York: Routledge, 2003).
S. Mrozek, Les distributions d’argent et de nourriture dans les villes italiennes du Haut-Empire romain
(Bruxelles: Latomus, 1987).
P. Veyne, Le pain et le cirque (Paris: Seuil, 1976).
P. ヴェーヌ(著),鎌田博夫(訳)『パンと競技場』(法政大学出版会,1998年)。
斎藤絅子『西欧中世慣習法文書の研究』(九州大学出版会,1992年)。
高山博,亀長洋子(編)『中世ヨーロッパの政治的結合体』(東京大学出版会,2022年)。
長谷川博隆(編)『古典古代とパトロネジ』(名古屋大学出版会,1992年)。
花田洋一郎『フランス中世都市制度と都市住民』(九州大学出版会,2002年)。
M・モラ,Ph・ヴォルフ(著),瀬原義生(訳)『ヨーロッパ中世末期の民衆運動』(ミネルヴァ書房,1996年)。

特設部会 パブリックヒストリーをめぐる探究・対話・協働
―葛飾区立石における歴史実践―

 委員会から
 特設部会では,総合部会企画「パブリック・ヒストリーの実験と実践―立石の物語を聴く,読む,紡ぐ―」(以下,立石企画)の成果報告を中心として,パブリックヒストリーの実験と実践の諸相について討議する。2024年1月,立石企画は東京都葛飾区立石周辺地域の歴史に焦点をあて,地域社会に息づく多様な「語り」に耳を傾け,それらを撚り合わせることで,関係するさまざまな人びととともに,新しい歴史の「語り」を紡ぎだすことを目的として開始された。現在,立石の街並みは進行中の市街地再開発事業とともに,劇的な変化に直面している。このような転換期にあたって過去を振り返り,歴史を語ることは,立石という町で何を生み出し,何を変えることにつながるのだろうか。特設部会では,立石企画に参加した若手研究者とともに,歴史的探究を通じて新たな未来を切り拓く可能性について議論する。
 古代から交通の要衝にあった立石では,近代には大規模治水事業や鉄道網敷設等が進められた。アジア太平洋戦争後,立石は中心市街地に形成された闇市の時代を経て,高度経済成長期には京成立石駅周辺の商店街が発展した。20世紀後半,立石は他地域からの人口流入とともに,東京東部の「下町」として成長した。しかし,立石はいま急激な変化に直面している。駅周辺の市街地再開発事業が進められるなかで,2023年9月,北口再開発地区の住民・商店主は立ち退きをすることになり,広大な区画が白いフェンスによって覆われたのである。
 長い時間をかけて築かれた街並みが急変するなかで,その街並みに根ざした歴史も忘却の淵に沈もうとしている。これに対して,立石企画は移り変わっていく街の歴史を多角的な視点から「再発見」し,地域社会をめぐる新しい歴史の「語り」を築き上げることを試みてきた。参加者は実際に地域を歩き,複数回の現地調査をもとに対話と討議を重ね,報告会を通じてこれらの成果を広く共有してきた。本企画は,歴史研究者や地域住民をはじめとする多様な人びとの協働に焦点をあてつつ,地域の歴史をあらためて考え,地域の未来を問い直してきた。
 立石企画は,新しい歴史の「語り」を構築するために,三つの視点から地域史にアプローチしている。まず,従来の地域史における支配的な物語から逸脱し,「大文字」の歴史叙述からこぼれ落ちてしまうような,人びとの生きた経験が織りなす小さな物語に注目する(「小文字」の歴史)。また,地域社会の周縁を生きたさまざまな集団の記録を掘り起こすことで,こうした周縁の視座から地域の歴史を描き直す(周縁の視座)。そして,地域の過去について調査することで,翻って街の現在の様相を問い直し,さらに地域社会の未来を展望するような歴史叙述の可能性を追究する(未来に開かれた歴史)。本企画はこれらの視点から出発して,地域社会の過去・現在・未来をつなぐ「語り」を紡ぐことで,歴史実践の新たな可能性を模索してきた。
 大会当日の特設部会では,立石周辺地域におけるこうした歴史実践について検討することで,パブリックヒストリーの理論と実践に新たな光を当てる。近年,日本においてパブリックヒストリーという言葉は急速に人口に膾炙しつつある。歴史学研究会編『第4次 現代歴史学の成果と課題(3)―歴史実践の現在―』(2017年)や,菅豊・北條勝貴編『パブリック・ヒストリー入門』(2021年)をはじめとして,大学・研究所などでの狭義の学術研究を超えて,「社会」に接続された歴史学のあり方を模索する動きが加速している。しかし,歴史学を「社会」に接続することで,何が明らかになるのだろうか。社会の「なか」で歴史について考え,語ることは何を生み出すのだろうか。特設部会では,パブリックヒストリーを単なる啓蒙の道具としてではなく,過去の事象にアプローチする探究のひとつの形式として捉えることで,歴史研究の方法論をめぐる新たな地平を展望する。
 特設部会では,立石周辺地域に関わる人びとによる歴史の「語り」について考究する。現地調査を通じて浮かび上がるのは,日常生活から切断された専門家の関心に基づく「歴史的な過去」ではなく,現在を生きる人びとの実践的関心に根ざした「実用的な過去」(ホワイト[2014 = 2017年])である。こうして人びとの経験を通じて紡ぎ出された複数の「語り」を撚り合わせるとき,そこで焦点を結ぶのはどのような歴史像だろうか。また,従来の歴史学の常識とは矛盾するような「語り」に直面するとき,歴史研究者はそこから何を汲み取ることができるのだろうか。本企画は,パブリックヒストリー分野における「若手」研究者の支援・育成をひとつの眼目としており,専門とする地域・時代・分野を問わず,多様な参加者が町に息づくさまざまな「語り」に耳を傾けてきた。特設部会では,歴史学の次世代を担う研究者たちとともに,「語り」をめぐる歴史実践の可能性について議論する。(研究部)

[参考文献]
菅豊・北條勝貴編『パブリック・ヒストリー入門』(勉誠出版,2021年)。
ヘイドン・ホワイト(上村忠男監訳)『実用的な過去』(岩波書店,2017年)。
歴史学研究会編『第4次 現代歴史学の成果と課題(3)』(績文堂出版,2017年)。

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