2019年度歴史学研究会大会

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第1日 5月25日(土)    

全体会 13:00~17:30
全体会 排外主義の時代における歴史学の課題-「排除」と「共生」を問う-
主旨説明文
日本近代史の「不在」を問う
 -朝鮮植民地(征服/防衛)戦争から見た官民の「暴徒膺懲」経験-………………………愼蒼宇
移民国家アメリカの歴史再考-「ヘイト」の時代に歴史学ができること-……………………貴堂嘉之
日本中世村落の「排除」と「共生」………………………………………………………………似鳥雄一
  コメント:稲垣 春樹

第2日 5月26日(日) 9:30~17:30(特設部会12:00~13:30)
古代史部会 古代国家における支配構造の形成と展開   
主旨説明文
中国古代における逃亡の歴史的意義…………………………………………………………福島大我
日本古代国家形成期の地域支配と国造……………………………………………………大川原竜一
古代国家の外交儀礼…………………………………………………………………………浜田久美子

中世史部会 中世における地域の構造・運動と権力 
主旨説明文
中世後期地域社会における「村」と領主・「郡」…………………………………………………若林陵一
中世後期における地域社会の結合 ― 惣・一揆・国 ―………………………………………川端泰幸
 コメント:田村 憲美・稲葉 継陽

近世史部会 政治交渉ルートからみる近世中後期の幕藩関係
主旨説明文
幕藩間交渉における非制度的関係の位置づけ………………………………………………荒木裕行
家斉期の幕藩関係-毛利家の家格上昇運動を素材として-………………………………山本英貴

近代史部会 移動する人びとの「地域」-帰属意識のゆらぎ-
主旨説明文
明治初年の北海道移住と在地社会-胆振国有珠郡を中心に-…………………………檜皮瑞樹 
ターミナル島日本人海民のトランスローカリズム、人種・エスニック化、差異化……………今野裕子
第二次世界大戦期の東中欧におけるセーケイ人の移動と地域の形成……………………山本明代
   コメント:南川 文里・蘭 信三

現代史部会 平和運動を歴史化する-冷戦史の解釈枠組みを越えて-
主旨説明文
反戦平和運動における抵抗と文化/抵抗の文化-神戸港から見た世界-………………黒川伊織
20世紀ドイツの平和主義と平和運動-その連続と断絶-………………………………… 竹本真希子
コメント:油井 大三郎・米谷 匡史

合同部会 「主権国家」再考 Part2-翻訳される主権-
主旨説明文
近世イタリア諸国の「主権」を脱構築する-神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国-……………皆川卓
近代東アジアの「主権」を再検討する-藩属と中国-………………………………………岡本隆司
   コメント:近藤 和彦・大河原 知樹

特設部会 歴史学における男女共同参画 
主旨説明文
歴史学研究会における男女共同参画…………………………………………歴史学研究会委員会
GEAHSS(ギース)の設立と歴史学研究の質…………………………………………井野瀬久美惠
歴史叙述としての博物館展示とジェンダー…………………………………… 横山百合子・三上喜孝

主旨説明文

全体会 排外主義の時代における歴史学の課題-「排除」と「共生」を問う-

委員会から
 いま世界各地で排外主義が猛威を振るっている。一般市民による過激な反移民・反外国人感情の表出とともに,ポピュリスト政党の躍進や極右政権の成立が国際社会に大きな影響を与えている。グローバリズムの進展にともなうヒト・モノ・カネの大規模な移動・流通は,資本主義の論理のもとに世界を構造化し,「新帝国主義」とも称される不均衡の拡大や国際紛争の頻発を顕在化させた。このような状況のもとで,国家による労働力としての人の選別が当然のように行われ,マイノリティ・移民・難民を国家の負担や潜在的脅威とみなして排斥する動向が各地で噴出している。
 排外主義にもとづくヘイトスピーチ・ヘイトクライムは,標的となるマイノリティへの直接的・間接的な暴力であるばかりか,偏見の拡散により差別意識を強化し,ジェノサイドや戦争の原因として機能する危険性を持つ。そのため,現代では人種差別・民族差別の撤廃が国際的な共通規範とされ,ヘイトスピーチ規制のありかたが各国で検討されてきた。日本においても排外主義運動の台頭が社会問題として認知され,2016年には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する法律」(ヘイトスピーチ対策法)が制定された。しかしこの法律は理念法であり,罰則規定もないため,ヘイトスピーチは継続している。また日本の排外主義の特徴は,東アジア冷戦体制下における植民地責任の未精算という文脈のもとで,在日外国人への制度的差別や歴史修正主義の問題と結びついていることにある。この問題を考えるためには,世界的動向と各地域の固有の文脈をともに見すえることが必要といえよう。
 現代における排外主義の台頭に対しては,法学・政治学・社会学の分野において現状分析が試みられている(樋口直人『日本型排外主義』名古屋大学出版会,2014年,前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』三一書房,2015年,宮島喬ほか編『ヨーロッパ・デモクラシー』岩波書店,2018年,庄司克宏『欧州ポピュリズム』筑摩書房〔新書〕,2018年,樽本英樹編著『排外主義の国際比較』ミネルヴァ書房,2018年など)。しかしこうした社会科学の蓄積に比べて,歴史学研究者による分析は十分に行われていない。現代の排外主義は,どのような状況のもと,何を資源に形成されたのか。それはどの程度新しい現象なのか。排外主義の全体像をよりよく理解するために,長期的な視野に立ち,他者への排除が発生する過程について分析する必要があるだろう。
 歴史学は,排外主義を歴史的に考察するための方法と材料をすでに有している。歴史学研究会大会全体会では,「いま植民地支配を問う」(2010年),「変容する地域秩序と境域」(2013年),「人の移動と性をめぐる権力」(2016年),「境界領域をめぐる不条理」(2017年)などにおいて,グローバルな人の移動にともなう排除の問題を検討してきた。また個別事例の検討を通じて,いつ,誰が,なぜ排斥の対象となったのかをあきらかにする研究も数多く存在している。たとえば近世・近代の日本,ヨーロッパ,中東などにおける宗教的秩序の研究では,中央政府や在地領主などの政治権力による宗教統制に対し,民衆のさまざまな適応・反発が相互作用するなかで,地域社会における複数宗派の排除と共生の歴史が展開してきたことがあきらかになっている(『歴史学研究』「特集 異なる宗教・宗派が織りなす社会Ⅰ-Ⅲ」2005年11,12月,2006年1月,「小特集 宗派化とキリシタン禁制」2016年2月)。また移民史研究においては,国民国家を超えた帝国や海域世界のつながりを背景とする人の移動についての研究が進展し,政治権力・ホスト集団による同化・統合・排除の働きかけや,それに対する移民の生存戦略について,移民の出身地や受入地における前近代の慣習・制度なども踏まえた分析が蓄積されている(『歴史評論』「特集 移民と近代社会」2002年5月,日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』岩波書店,2018年)。これらの研究は,マイノリティの排除が発生した特定の時代的・地域的背景に着目すること,そして排除と共生の境界が多様なアクターによる相互作用のなかで変動していく過程を検討することの必要性を示しており,現代の排外主義を理解するうえでも重要な視点を提供している。この意味において「共生」は結論ではなく,問いの出発点である。不平等な共生が差別を生み出すことも含めて考察する必要があるだろう。
 以上のような問題意識に立って,今回の全体会では,朝鮮近現代史から愼蒼宇氏「日本近代史の「不在」を問う―朝鮮植民地(征服/防衛)戦争から見た官民の「暴徒膺懲」経験―」,アメリカ近現代史から貴堂嘉之氏「移民国家アメリカの歴史再考―「ヘイト」の時代に歴史学ができること―」,日本中世史から似鳥雄一氏「日本中世村落の「排除」と「共生」」の3報告を用意した。愼氏には,現在も続く朝鮮人差別・迫害の源流でありながら,これまで不可視化・不在化されてきた「植民地戦争」の視点から日本の近代をとらえ,東学農民戦争・義兵戦争・三一独立運動・シベリア戦争(間島虐殺)・関東大震災の朝鮮人虐殺・満州抗日戦争と引き続いた官民一体の経験を検証していただく。貴堂氏には,従来の移民国家アメリカ像に隠された「移民を排斥し,移民集団を序列化し,人種化してきた排除プロセス」(『移民国家アメリカの歴史』2018年)に着目して,アメリカという国民国家の形成と排外主義の関係について長期的視野に立って議論していただく。似鳥氏には,内部に重層的な身分秩序を抱えつつ対外的には強固に結束していたようにみえる日本中世の惣村の検討を通じて,紛争や戦乱などの歴史的条件が共同体内部の排除と共生のあり方に与えた影響について議論していただく。惣村という小規模な地域における権力秩序の中から生み出される排除に着目する似鳥報告との比較によって,「帝国と植民地戦争」(愼報告)ならびに「グローバリゼーションと国民国家」(貴堂報告)という歴史的文脈において生み出される排外主義の特徴が浮き彫りになるだろう。全体の議論を振り返り,その到達点と課題を整理するために,コメンテーターとして研究部からイギリス近代史の稲垣春樹が登壇する。
 以上の構成により,排外主義の問題を中世から現代にいたる長期の歴史的視野において分析し,現代の排外主義がもつ普遍性と特殊性を検討するための枠組みを提示したい。自らの専門とする地域と時代に軸足を置きつつ,現代の排外主義の問題を考える機会となることを願っている。(研究部)

[参考文献]
愼蒼宇『植民地朝鮮の警察と民衆世界1894-1919―「近代」と「伝統」をめぐる政治文化―』有志舎,2008年。
貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』岩波書店〔新書〕,2018年。
似鳥雄一『中世の荘園経営と惣村』吉川弘文館,2018年。
歴史学研究会編『第4次現代歴史学の成果と課題1 新自由主義時代の歴史学』績文堂出版,2017年。

古代史部会  古代国家における支配構造の形成と展開

アジア前近代史部会・日本古代史部会運営委員会から
 2019年度の古代史部会では,前年度にひきつづきアジア前近代史・日本古代史部会で共同のテーマを設け,古代に通底する問題の追究を目指す。以下,各部会のこれまでの議論と課題を整理しておく。
 アジア前近代史部会では,中国古代における国家の成立とその権力構造の特質の解明を課題に設定し,大会・例会を開催して研究を続けてきた。2004~2006年度,2008年度,2012年度の大会報告は,皇帝家産・国際関係・自然条件・社会階層・系譜などを視点として,いずれも国家の権力構造に関する従来の認識への再検討,および新たな視点の提出を試みたものである。
 ただ,国家の特質をめぐる研究においては,在地社会(郷里社会)内部に存在する諸関係の実態の解明がより重要であるとする1985年度・1999年度の飯尾秀幸報告,1998年度の小嶋茂稔報告の提言に応える議論は,依然として深まったとは言い難い。しかし近年,中国で相次ぐ簡牘の発見によって,この課題への追究の糸口が見出された。それは簡牘(とりわけ法律関連文書)の記述を読み直すことによって,在地社会に存在する諸関係の実態に迫るといった研究方法が可能となったからである。当部会では,これを共通認識として,国家と社会との接点を可能なかぎり解明することを一つの目標に掲げて活動を継続している。昨年2018年度の椎名一雄報告は,簡牘史料『二年律令』にみえる「庶人」の新解釈を土台に身分社会の構造を追究し,国家身分としての「庶人」の設定が在地社会からの要請でもあったと理解することで国家と社会との新たな接点を見出したものである。
 日本古代史部会では1973年度大会以来,在地首長制論を主たる検討課題とし,80年代後半からは王権論,90年代には地域論といった視点を取り入れることで,古代国家の成立・展開について検討を重ねてきた。これらの議論をふまえ,1997~2003年度大会では,国家・王権・地域の双方向的関係を分析することで,古代社会像の解明を試みた。以上の議論を通じて,重層的かつ多様な古代社会の実態が明らかとなったが,同時に,国家や王権が社会・人民をいかにして支配したのかという,根本的な問いに立ち返る必要性が改めて認識された。これを受け,2004~09年度大会では「秩序」の形成・展開を議論の主軸にすえて,支配秩序の構造・実態を,国家・王権と社会・人民との相互関係から解明した。さらに2010~12年度大会では,東部ユーラシア・東アジア地域における「外交・交流」が,日本の古代国家・王権の秩序形成に与えた影響を明らかにした。
 以上をふまえつつ,2013~18年度大会では日本古代国家の歴史的独自性を解明するために,分析対象を列島内へ戻し,日本古代国家による秩序・支配の形成とその変質について議論を重ねてきた。昨年度大会では,平石充氏が「カバネ共有同族」などを題材として,王権と地域社会の構造を双方向的に理解する姿勢を打ち出した。また毛利憲一氏は,6~7世紀を「完成された国家機構」と評価し,令制下の調庸制の歴史的な前身・前提を論じた。
 2013年度大会以降,古代国家およびその支配構造の形成について,中央と地域社会との結びつきからの解明を試みてきたが,国家による支配の形成に焦点を置く一方で,地域における社会編成や秩序形成については,必ずしも十分な検討がなされてこなかった。昨年度の平石・毛利報告によって,ある程度その実像が明らかになったとはいえ,引き続き国家と地域社会の相互関係について,多面的な検討がなされるべきと考える。それとともに,国家の支配構造が形成・展開していく中で,いかに独自の秩序が形作られていったのか,対外関係との連関を視野に,改めて議論がなされる必要があるのではないだろうか。
 以上のような両部会における議論と課題から,「古代国家における支配構造の形成と展開」という共同テーマを設け,アジア前近代史部会から福島大我氏「中国古代における逃亡の歴史的意義」,日本古代史部会から大川原竜一氏「日本古代国家形成期の地域支配と国造」・浜田久美子氏「古代国家の外交儀礼」の報告を用意した。
 福島報告は,簡牘に含まれる秦・前漢初期の法律文書を主な分析対象とする。律文にみえるさまざまな逃亡・蔵匿行為に関する規定,ならびに裁判関連文書からうかがえる逃亡者たちの生活状況などを明らかにし,在地社会との関係,また逃亡後の人的結合関係などを検討する。そのうえで,それら諸関係と国家との関係や,当該期の国家意志について考察し,古代国家の特質の一つを明らかにすることを目的としている。
 大川原報告では,日本の古代国家形成期における地域支配の展開について,国造を通じて検討する。国造制は部民制やミヤケ制とならんで大化改新以前の王権による地域支配の根幹をなしていたとみなされている。国造を含む首長層が,国評制および国郡制という全国的規模での地域行政機構が構築される過程でどのように位置づけられていったのか,またそれらの権力や支配はどのような形で古代国家のなかに組みこまれたのかを考察し,古代における支配構造の展開を明らかにする。
 浜田報告では,国家の支配理念と外交の実態とが複雑に表出される外交儀礼を分析の対象とする。令制以前の朝鮮諸国との関係を通じて形成された外交儀礼が,中国的な思想・制度を受容し,東アジア情勢の変化の中でどのように展開していくのかを検討し,古代国家の支配構造の変遷を論じる。
 以上の3報告により,古代国家における支配構造の形成および展開過程の解明を試みる。大会当日には多くの方々が参加され,活発な議論となることを期待したい。 (多田麻希子・上村正裕)

中世史部会 中世における地域の構造・運動と権力

中世史部会運営委員会から
 中世史部会が1990年代以来取り組んできた問題に「地域社会論」がある。地域社会論とは,中世の社会集団が有した「自力」とそれが自律的に形作る社会秩序を究明することで,既存の国家の枠組を相対化することを目指したものであり,1995年に当部会の主催したシンポジウム「日本中世の地域社会」がその理論的出発点と言える(「小特集:シンポジウム 日本中世の地域社会」『歴史学研究』674号,1995年8月)。以来当部会は,この視角を批判的に継承することで中世における秩序形成の内実を多角的な観点から描いており,2010年代においても大枠その影響を受ける形で「国家権力と地域のあり方」や「国家と社会を関係づける様々な秩序」といった問題を設定してきた。「中世における宗教と社会」の題目を掲げた昨年度大会でも,従来接合の不充分であった在地寺社研究と中央顕密寺社・禅林研究を架橋することで,政治史的観点からなる寺社研究の知見を活かしつつ,地域社会論の影響下で展開した宗教史研究の成果を批判的に発展させることが出来たと考える。
 しかし,課題も残る。近年の大会を振り返るに,「地域」ないし「社会」の語を趣旨に掲げた年度にあっても,直接の検討対象は,守護・大名・国人に代表される領主権力とされる場合が多く,支配理念や秩序,権威といった論点が社会の大多数を占める民衆との関係が必ずしも明確でないままに論じられる傾向も存在した点は否めない。この反省を踏まえて,本年度は,国家と社会の関係を考察するという課題を継承しつつも,民衆の存在により光を当て,中世において彼らの営みが有した歴史的意味とは何であったのかという問題を再考したい。その際,近年は論じられることの少なくなった,村落や単位所領を超える「地域」の存在に再び視座を置き,それと国家・権力がどのような関係を結んだのかという古くて新しい問題に改めて取り組む。留意するのは下記の課題である。
 まず,「日々の生産・生活を営む上で,また,災害・紛争などの危機から自らの存立基盤を守る上で,特定の社会集団を構成する人々が一定の地理的空間内で形成する,法的・政治的・経済的・文化的な活動領域」と差し当たり規定される「地域社会」と,既存の社会編成原理をいかに関連づけ評価するかという課題が存在する。前述の地域社会論は,国郡制に代表される「制度的領域」とは異なる,村々が形作る自生的な地域の達成を評価した点に特色がある。しかしこれに対しては,幕府・守護を核とする権力構造の役割を看過しているという批判がこれまで提起されており,昨今も「上からの」社会統合・地域編成の側面を重視する立場からの反論は根強い。とは言え,総じて今日では,在地の社会構造と制度的枠組はいかに重なり合い,または隔たりを有したのか,そのあり方は中世を通じて民衆と権力の関係をいかに変質させたのかとの問いが充分深められていない。周知の通り研究史では,在地と国家を結ぶ上で「国」「郡」の枠組が担った役割を再評価する動きがあり,また,近年では中世後期における荘園制の体制的存続を重視する研究が盛んであるが,かかる潮流との対話も含め,権力と地域の関係性が持つ構造とその変容に関しては,議論をさらに進める必要がある。
 第二に,中世後・末期の地域諸階層による運動をいかに評価するかという課題があげられる。この点に関しては,戦後の人民闘争史観や領主制論に基づく研究以来重厚な成果の蓄積があるが,80年代以後の研究では,村連合や荘家の一揆を始めとする諸運動が地域における自力の達成と考えられており,また,戦国期の畿内近国を特色づける地域権力である惣国一揆には,地域社会の対外的危機に際して領主と百姓が日常の階級矛盾を止揚して築いた連合としての評価が与えられるに至っている。この理解が,地域社会論の視角を支える役割を担ってきたと言えよう。しかし最近では,かかる一揆権力を「上からの」地域編成の観点から評価することの必要性が提起されているほか,「惣国」形成における民衆の主体的関与に疑問を呈する議論も現れており,その歴史的評価は困難を極めているのが現状である。今後,議論を進展させる上では,如上の地域連合を取り巻く政治的状況を丹念に明らかにするのみならず,その背景に存在する日常の領主・百姓間関係や諸階層の連合の実相を,村・郷・荘など種々の結合に即して探ることで,一揆権力の形成と地域の動向との連関を総体的に評価する必要がある。
 以上の課題意識に基づき,本年度は,若林陵一氏「中世後期地域社会における「村」と領主・「郡」」と川端泰幸氏「中世後期における地域社会の結合―惣・一揆・国―」の2報告を用意した。若林報告は,中世後期の近江国・加賀国を素材に,多様な「村」々が形作る地域社会の成り立ちを明らかにしつつ,それが「郡」などの枠組や上部権力といかなる関係を取り結んでいたのか,守護や本願寺勢力,一向一揆の動向も組み込んで論じる。川端報告は,中世後期・戦国期の民衆と権力の関係について,民衆の結合体であるとともに法人格でもあった「惣」と,その運動である一揆,そしてそれらを基礎に成立した「惣国」を基に論じつつ,そのあり方は中世・近世移行期に向かっていかなる変質を蒙ったかという問題も展望し,もって中世後期の運動が有した歴史的意味を解明する。以上を通じ,構造と運動の両面から中世の地域社会と国家・権力の関係を問うのが,本大会の狙いである。対象は中世後期が中心となるが,中世前期および近世との比較も意識したい。そのため,田村憲美氏と稲葉継陽氏にコメントを依頼した。
 下記の参考文献をご参照いただき,大会当日は,活発な議論が展開されることを期待する。(水林純)

[参考文献]
若林陵一「中世後期近江国蒲生下郡・上郡・〈境界地域〉と佐々木六角氏」『東北文化研究所紀要』45,2013年。
同「摂津氏領加賀国倉月荘における領有状況の錯綜と在地社会」『地方史研究』335,2008年10月。
同「惣村の社会と荘園村落」荘園・村落史研究会編『中世村落と地域社会』高志書院,2016年。
川端泰幸『日本中世の地域社会と一揆』法藏館,2008年。
同「中世後期における村落構造の変質」荘園・村落史研究会編『中世村落と地域社会』高志書院,2016年。
同「紀伊国の郷」大山喬平・三枝暁子編『古代中世の地域社会』思文閣出版,2018年。

近世史部会 政治交渉ルートからみる近世中後期の幕藩関係

近世史部会運営委員会から
 当部会では今年度,「政治交渉ルートからみる近世中後期の幕藩関係」というテーマで大会を企画した。本企画は,公的な表の交渉ルートと非公式な内々の交渉ルートの実態を検討することで,複眼的で重層的な幕藩関係像を描くものである。幕府と藩の政治機構は,特定の能力を有する「人」に頼る体制から固定的で役割分担のなされた「職」によって運用される体制へと移行していく。そこで確立した老中以下幕府役人と藩の役人による,表立った正式な交渉が表の交渉であり,その他の私的な関係性に基づく交渉はすべて内証(内々)の交渉であった。このような幕藩間における政治交渉ルートが持っていた公式・非公式の様相に留意しつつ,近世中後期における幕藩関係像を読み解くのが,本企画の目的である。
 1970年代以降,天皇や幕府機構などの権威・権力構造を含み込んだ幕藩制国家論の構築を目指し,議論が続けられてきた。その成果は特に朝廷史・対外関係史研究に影響を与え,東アジア・世界規模の視点で考える近世国家論へと昇華している。一方,こうした国家論では幕藩権力の具体像を照射できないとの指摘もなされ,老中や家老など政治機構の研究も進められた。
 幕藩権力構造の実態解明とともに,幕藩関係についても研究が進められてきた。戦後歴史学において当初,中央集権的で強圧的な幕府が藩を従属させていたとみなされていたが,藩研究の進展により,藩の自立的側面も注目されるようになった。江戸幕府初期については,諸大名は将軍の親族大名や側近の旗本など,内々のルートを通じて将軍の意向や幕府の政策意図を探り,藩政を確立していったことが明らかにされている。
 幕藩間の意思疎通の担い手としては,豊臣期から近世初頭において天下人の意向を諸大名へ伝えた取次(出頭人)がいる。取次は天下人との個人的な恩愛関係によって存立しており,やがて将軍の専制的側面を支える存在として側用人や御側御用取次などに形を変え制度化していった。一方,戦国期以前より,大名の側から取次ぎを求めて中央政権へ接近していく動きもあった。この慣習は江戸幕府においても御用頼などと呼ばれ存続した。
 機構・制度に基づく合理的・形式的な官僚制的側面の一方で,その枠に収まらない,私縁や血縁,主従関係などが混在して成り立っていたのが近世社会であった。政治機構である幕府や藩の中核には将軍や大名の家(「御家」)があり,公私がわかちがたく存在していた。
 幕府・将軍家と藩・大名家は,多様な交渉ルートで繋がっていた。藩・大名家は,幕府に対する正式な表の交渉ルートの一方で,将軍親族・側近などを介した内願行為,御用頼の老中・奥右筆・旗本ら,出入りの坊主衆・玄関番,制度化された老中対客のほか,婚姻関係を契機として結びついた女性中心の奥向や,通路や縁家,留守居組合や本分家関係といった大名家どうしの繋がりなど,多様な内々の交渉ルートを使い分けていた。表に出てこない内々の交渉は,形式化されたとされる表の交渉とともに幕藩関係を支えたが,財政問題とも絡み,代替わりや改革期に規制や取り締まりの対象となることもあった。
 しかし近世中後期は前期と比べ,政治交渉の視点から幕藩関係を検討する作業は,多様な交渉ルートやそれを担った存在の整理も含め,十分にはなされていない。当該期はさまざまな矛盾の噴出とそれへの対応を迫られた時代であり,近世における幕藩関係の全体像を捉えるためにも考察は不可欠である。なかでも11代将軍家斉の時代は,将軍親族の増加などに伴い,恣意的な家格上昇が頻発した家格の混乱期とされており,内々の交渉ルートが多用された時代でもある。家斉期を含めた近世中後期を検討することで,私的関係性と官僚制的側面の混在する幕藩関係のあり方を見出すことが可能となるのではないか。
 以上の問題意識を踏まえ,荒木裕行・山本英貴両氏の報告を用意した。
 荒木裕行「幕藩間交渉における非制度的関係の位置づけ」では,御用頼規制および老中対客など御用頼と類似的性格を持つ関係を取り上げる。御用頼は幕藩関係を円滑なものとするための重要な役割を果たしていたことが解明されてきた。一方で近世中後期,数回にわたって規制が実施されたのも事実である。規制が繰り返された目的や意味から,御用頼を幕府・藩がどのように捉えていたのか検討する。また,藩と幕府役人との間をつなぐ関係には御用頼以外にもさまざまなものがあった。それらの関係を分析することによって,御用頼が幕藩間においてどのような位置づけであったのかを明らかにする。
 山本英貴「家斉期の幕藩関係―毛利家の家格上昇運動を素材として―」では,家斉期に毛利家の行った家格上昇運動について取り上げる。萩の毛利本家は,文化期に長府・徳山の両分家の展開した同運動に対して反対・非協力的な立場であった。それが文政期,萩毛利家は家斉息女を迎えて将軍縁家となり,家格上昇運動を開始する。そして,従来否定的であった両分家および家来吉川家の同運動を支援し,天保期には各家の家格上昇を実現させる。以上の分析から,文化より天保に至る幕府と大名家,および大名家における本家と分家との関係の変遷を考察し,当該期に大名家の家格が混乱した背景を明らかにする。
 幕藩関係の検討は,権力構造のみならず近世社会全体を考えるうえでも重要である。多様な分野からの発言に期待したい。(林大樹)

[参考文献]
荒木裕行『近世中後期の藩と幕府』(東京大学出版会,2017年)。
山本英貴「江戸幕府の政務処理と幕藩関係―家斉期の行列道具を素材として―」(『史学雑誌』126-6,2017年6月)。

近代史部会 移動する人びとの「地域」―帰属意識のゆらぎ―

近代史部会運営委員会から
 今年度の近代史部会は「移動する人びとの「地域」―帰属意識のゆらぎ―」というテーマを設定する。ここで言う「地域」とは,移動する人びとが持ち込む帰属意識の拠りどころのことであり,固定的なものというよりは,社会的・経済的・政治的状況や移動の繰り返しによって形成・伸縮したものとして設定したい。この視点に立脚し,移動する人びとの生活の中で生じた,帰属意識のゆらぎの諸相を検討することが本企画の目指すところである。
 歴史学研究会大会でも,近代史部会では2013年度企画「移動をめぐる主体と「他者」―排除と連帯のはざまで―」,全体会でも2016年度企画「人の移動と性をめぐる権力」と,人の移動はたびたびテーマとして取り上げられてきた。また,近年の近代史部会では,2016年度には「科学と文化」,2017年度には「実践」,そして2018年度には「労働と社会関係」を取り上げながら,人びとの生きる生活世界への接近が試みられた。
 近代は移民の時代とも称されるが,従来の人の移動研究では往々にして移動する人びとを例外的な逸脱者ないし管理される対象と捉え,特に権力との関係では受動的な存在として描いてきた。しかしながら,彼/彼女らは移動先での日常生活のなかで異質な人びとと遭遇し相互に影響を与え,力関係を築きつつ出自やナショナリティ,人種・エスニシティなどの帰属意識を能動的に再定義したのではないか。そのありようを見つめることで,人の移動研究で扱ってきた議論が深化できるものと考える。
 本企画が「地域」という枠組みを中心に据えるのは,移動元の社会と移動する人びとの関係を総体としてとらえつつ,移動先の社会における彼/彼女らの生活の実態に,拠点形成も視野に入れてその現場から接近するためである。移動先では彼/彼女らは集団的な帰属意識を構築するが,そこで参照したのがかつて帰属した「地域」であった。この「地域」は「故郷の家族」というミクロの水準もあれば,集団の規模拡大に伴い「国」というマクロの水準に解釈されることもある。ここでは移動先への一方向の移動ではなく移動元との往復を含みつつ,多様な関係を結んだことにも注目しながら検討していきたい。
 そこで,次の3点から「地域」の可変性と重層性に着目したい。第1に,「地域」が権力により定義される場合である。権力は特定の人びとの人種・エスニシティやナショナリティを定義・分断して移民政策を行うことがある。このとき「地域」は操作可能な可変性を持ち,定義のたび重なる変更が帰属意識の重層性を帯びる。第2に,集団自らが「地域」を定義することも想定される。権力による定義は集団の帰属意識に影響を与えるが,それは必ずしも貫徹されるものではない。権力間の取り決めや戦争によって移動元の「地域」が分断された場合でも,その帰属意識が移動先において維持される可能性がある。第3に,「地域」の定義が移動先の状況によって変化する場合である。権力や移動元との関係がどうであれ,移動先の集団は他集団との接触や軋轢などにより「地域」の定義を変更し,帰属意識を再編させることがある。
 以上の問題意識から,本企画では以下の3名に報告を依頼した。
 檜皮瑞樹氏には「明治初年の北海道移住と在地社会―胆振国有珠郡を中心に―」と題してご報告いただく。北海道胆振地方東部(有珠郡・室蘭郡・幌別郡)の先住のアイヌ民族と和人,明治維新以後の新規開拓移住者としての仙台藩家臣団(亘理伊達家・石川家・片倉家)との関係を対象に,三者による地域形成がいかに模索されたかについて議論を展開する。領主権力としての武士移住団の地域社会との関係の結び方,武士移住団内部の再編成,身分集団の解体とアイデンティティの再構築において動員された「故郷」意識のありよう,といった点が論点となるだろう。
 今野裕子氏には「ターミナル島日本人海民のトランスローカリズム,人種・エスニック化,差異化」と題してご報告いただく。研究史上周縁的に扱われることの多かった海を生業の場とする移民,特に20世紀前半に和歌山県南部からアメリカ合衆国カリフォルニア州ターミナル島に移動し,日本人漁村を築き上げた「海民」の歴史に焦点を当て,国家よりも狭い地域同士の結びつきが共同体形成に及ぼした影響と,ホスト社会での労働や排斥運動などの経験がもたらした人種化やエスニック化の過程について,出移民から日系人収容までの歴史を概観しつつ明らかにする。
 山本明代氏には「第二次世界大戦期の東中欧におけるセーケイ人の移動と地域の形成」と題してご報告いただく。第二次世界大戦期の東中欧におけるセーケイ人の数度にわたる入植と難民化の事例を対象に,帝国主義的な植民活動と土地を国民化するという国民国家の作用との関係性を論じる。移動を繰り返すセーケイ人自身の移動元と移動先との関係の結び方から,彼/彼女らの帰属意識のゆくえが問われることになるだろう。
 この3報告に対して,人種・エスニシティ,多文化主義の問題群を歴史社会学の立場から研究している南川文里氏と,特に日本帝国内の人口移動を社会学の視点で研究している蘭信三氏にコメントをいただく。人の移動研究は歴史学や社会学のみならず多様な研究分野にわたっているが,本企画が設定した「地域」という視角のもと,分野横断的な検討の場となることを期待したい。(宗像俊輔・栁啓明)

[参考文献]
今野裕子「和歌山県太地とカリフォルニア州ターミナル島をつなぐ同郷ネットワーク」米山裕・河野典史編著『日本人の国際移動と太平洋世界―日系移民の近現代史―』(文理閣,2015年)。
檜皮瑞樹『仁政イデオロギーとアイヌ統治』(有志舎,2014年)。
山本明代,パプ・ノンベルト編『移動がつくる東中欧・バルカン史』(刀水書房,2017年)。

現代史部会 平和運動を歴史化する―冷戦史の解釈枠組みを越えて―

現代史部会運営委員会から
 ベルリンの壁崩壊や東欧諸国での一連の体制転換,そして米ソ間での緊張緩和に伴い,少なくともヨーロッパでは冷戦が終結したとされてから今年で30年が経過する。しかしながら,この数年間,欧米においても冷戦期の対立が姿を変えつつも再来したかと思わせる状況が生まれている。また,東アジアをはじめとする世界のさまざまな地域では,1990年代以降も,冷戦によって形成された構造が,国際関係のみならず各国の内政をも現在まで規定し続けている。このような現状を歴史的に考えるには,あらためて冷戦期という時代の特質を,その前後の時期との連続と断絶の複雑な相に留意したうえで検討することが求められよう。現代史部会では,2018年度大会企画「冷戦体制形成期の知の制度化と国民編制」において,冷戦下での半恒久的な総力戦体制の構築と国民編制を,知の制度化や政策への動員の観点から考察した。昨年からの議論を踏まえつつ,今回は20世紀中葉から後半にかけて展開された多様な平和運動について,かならずしも冷戦期に限定されない長期的な視座から検討し,現代史を規定する画期としての冷戦期の位置づけを再考したい。
 冷戦下で高まったグローバルな核戦争の脅威と,世界各地で「代理戦争」という形をとって実際に発生したさまざまな武力紛争が,国境や体制の枠を超えて反戦・平和を希求する動きを引き起こしたのは確かである。しかしながら,第二次世界大戦後の世界で興った諸運動を,すべて冷戦という国際政治上の要因やイデオロギー対立の面だけで説明することはできない。同時に,冷戦期を長期的な視野のなかにおさめた場合,第二次世界大戦以前にも展開されていた反戦・平和運動と,戦後の運動とのあいだに,いかなる連続や断絶があったのか,新たな理解が求められよう。本企画ではこのような関心を念頭に,個々の運動の担い手となったさまざまな個人・団体の思想的系譜や組織的背景に焦点を当て,平和運動の展開を貫戦史的視点から検証する。冷戦構造にはかならずしも回収されえない運動の諸相の実証的分析は,現代史における冷戦のインパクトを捉え返すことにもつながるであろう。
 本企画は,現代史における社会・政治運動と主体形成の関係について,平和運動という視点から再検討を試みるものでもある。すでに当部会では関連する主題として,「「豊かな社会」の都市政治にみる参加と対抗」(2009年),「「開発の時代」における主体形成」(2012年),「対抗運動の可能性」(2013年)を掲げ,1950年代から60年代における政治・社会運動における諸主体の対抗と折衝のあり方,そしてそれが主体をどのように変えたのか,といった問題について検討を重ねてきた。今回は,国家による軍事・外交政策と対峙した経験が,平和運動の担い手となったさまざまなアクターの主体形成にいかなる影響を及ぼしたのか,また運動の形態や展開に対しどのように作用していったのか,という問いを設定し,具体的な事例に即した分析をおこなう。これは,「軍事・社会空間の形成と変容」(2016年)で試みた,軍事化される社会における政治交渉・対抗運動の歴史についての考察をさらに深めることにもつながるであろう。
 以上の関心にもとづき,今年度の当部会は以下の報告とコメントによって構成される。
 まず黒川伊織氏の報告「反戦平和運動における抵抗と文化/抵抗の文化―神戸港から見た世界―」では,神戸を中心とした地域における朝鮮戦争期からヴェトナム戦争期にかけての反戦運動について,戦間期の社会・労働運動との人的・組織的なつながりを視野に収めつつ論じられる。運動の長期的な展開や,港町神戸の多様な人口構成を背景とした運動のグローバルな連関に注目することで,冷戦下の日本における「保守」対「革新」の二分法では捉えきれない反戦・平和運動の側面が示されよう。
 次いで竹本真希子氏の報告「20世紀ドイツの平和主義と平和運動―その連続と断絶―」では,ヴァイマル共和国期から冷戦期のドイツの事例が対象となる。第一次世界大戦後と第二次世界大戦後という,20世紀の二つの戦後期は,新たな大規模戦争の危機をはらんだ緊張の時代でもあった。ここで,二度の大戦に敗北したドイツにおいて「平和」とはどのような意味を持っていたのか。また,この概念をめぐる言説や活動はいかに変化してきたのか。運動の人的・組織的な系譜から,国内・国際政治との相互関係までを見据えた多重的な分析を通じて,20世紀の平和運動の中長期的な動態が明らかにされるであろう。
 さらに,近代日本思想史の分野から米谷匡史氏,アメリカ史・国際関係史の分野からは油井大三郎氏のお二人からコメントをいただき,両報告をより広い文脈に媒介していきたい。これらの議論を重ねあわせることによって,現代史における平和運動の意義について再考するとともに,両大戦間期から冷戦期までをつなぐ歴史叙述を可能にする視座が提示されよう。当日は活発な議論とすべく,多地域・多分野からの積極的な参加をお願いする。(戸田山祐)

[参考文献] 
竹本真希子「1980年代初頭の反核平和運動―『ユーロシマ』の危機に抗して―」若尾祐司・本田宏編『反核から脱原発へ―ドイツとヨーロッパ諸国の選択―』昭和堂,2012年。
同『ドイツの平和主義と平和運動―ヴァイマル共和国期から1980年代まで―』法律文化社,2017年。
黒川伊織「朝鮮戦争・ベトナム戦争と文化/政治―戦後神戸の運動経験に即して―」『同時代史研究』7号,同時代史学会,2014年。
同「いやがらせの思想―「ベトナムに平和を!」神戸行動委員会の経験―」『大原社会問題研究所雑誌』697号,法政大学大原社会問題研究所,2016年11月。

合同部会  「主権国家」再考Part2―翻訳される主権―

合同部会運営委員会から
 主権国家の伝統的理解,すなわち,国家は一定の領域において管轄権を確立し,他のいかなる公権力もその管轄する領域には介入できない,という把握は,今日でもなお国内・国際政治の前提であり続けている。確かに,1970-90年代のアーネスト・ゲルナー,ベネディクト・アンダーソン,エリック・ホブズボームら構築主義者による主権国家第二期の近代国民国家に対する批判は,現代歴史学に転換を促すほど強力であった。しかし,興味深いことに,そうした近代国民国家批判は,一部の例外を除き,主権国家第一期の近世絶対主義国家に対する批判にまで発展することはなかった。
 政治思想史学においても,ジャン・ボダンやトマス・ホッブズの国家思想に代表される,中世キリスト教統合体崩壊後の絶対主義的な主権国家のイメージが長らく維持されてきた。そうした主権国家はさらに,グロティウスとウェストファリア条約を経て国際化への道を歩むとされる。つまり,主権国家間で,一定の規則を定めて戦争と交渉を繰り返す世界秩序「主権国家体制」が国際法上成立した,との理解が定着することになったのである。
 このようななか,近年の近世ヨーロッパを対象とした歴史研究では,従来と異なる文脈で主権国家を再検討する試みが徐々に成果をあげ始めている。絶対主義的な主権国家第一期像とその国際関係像は,まず(1)1975年にヘルムート・G・ケーニヒスバーガの複合国家論によって,(2)1992年にはジョン・H・エリオットの複合王政論によって,(3)1998年にはハラルド・グスタフソンの礫岩国家論によって立て続けに批判されることになった。ここには1979年の二宮宏之の社団的編成論も付け加えねばならない。いずれも一元的でない対内主権の重層性を実証したが,(2)(3)はさらに対外主権の可塑性,すなわち礫岩的主権国家の存在を論証する研究となり,従来の主権国家像は大いに変容した。いずれも,ヨーロッパ近世を,一人の君主支配のもとにさまざまな属性をもった複数の国家や地域からなる集塊的国家が形成された時代として位置づけ直したのである。そして,この礫岩的主権国家の形成の大前提となったのは,君主による排他的な支配ではなく,「王と政治的共同体の支配」とも呼ばれる近世の重層的な統治のあり方であった。
 さて,本シンポジウムは,昨年の合同部会シンポジウム「「主権国家」再考」の問題意識を引き継ぎ,「「主権国家」再考Part2―翻訳される主権―」をタイトルに掲げた。昨年は,ヨーロッパ近世史の文脈から近世国家の多様性を詳らかにすることによって,従来の主権国家論の相対化を図った。これに対して本シンポジウムは,検討の対象を空間的にも時間的にも拡張し,19世紀アジアにおける主権概念の拡大と変容にかかわる問題を視野に入れている。その際,目下,相対化されつつある近世ヨーロッパの主権概念と近代アジアに拡大された主権概念との相応を「翻訳」という観点から考え,その複眼をもって,主権を改めて捉え直すことを目的とする。これによって,いずれ現実のものとなる主権国家第二期の国民国家が世界的に拡大したことの根拠とそれが孕む問題性の双方を見極めることが可能になるであろうし,国民国家のみならず帝国の形成と拡大の過程をも再定位することが期待されるのである。
 このような問題意識のもと,本シンポジウムは以下の2報告を用意した。皆川卓報告「近世イタリア諸国の「主権」を脱構築する―神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国―」は,ラテン語のmaiestasがイタリア語に翻訳される際の可塑性に言及し,そもそもヨーロッパにおいてすら主権が不定型であったことを論じる。近代歴史学において,15世紀以降のイタリア諸国は,ウェストファリア体制を先取りする主権国家群と考えられてきた。しかし実際の近世イタリアは,機能的にもアイデンティティ的にも主権国家並存状態ではなかったことが,神聖ローマ皇帝との主従関係を受容した諸国を中心に,明らかになりつつある。皆川報告ではそうした諸国の一つジェノヴァ共和国を例として,「主権」の概念がどのように変容してきたかを検討する。
 岡本隆司報告「近代東アジアの「主権」を再検討する―藩属と中国―」は,主権概念のアジアでの翻訳とその受容を検証する。現代の東アジアには主権国家が併存している。しかし150年前は必ずしもそうではなかった。では,「主権」概念はいかにして,東アジアに根づいたのか。各国はどのように自らを主権国家へと再編していったのか。岡本報告では,「藩属」などの漢語概念とその翻訳の変遷を中心に,中国・朝鮮が「主権」という近代的な概念を獲得する過程を明らかにする。その作業は歴史の考察のみならず,現代東アジアの主権国家群の特徴を展望することにもなるだろう。
 以上の2報告に対し,ブリテン史およびオスマン史研究のコメンテーターが各専門の地域と時代から両報告を架橋することで,「翻訳される主権」の議論をいっそう深化させる。以上の営為は,主権国家第二期の国民国家の世界的拡大を,西欧中心主義はもちろんのこと,グローバルヒストリーや構築主義とも異なる視点から検証するための布石となるだけでなく,方法論的にも認識論的にも現代歴史学の新たな地平を拓くことに繋がるはずである。(中澤達哉)

[参考文献]
皆川卓「イタリアが外国に支配されるとき―近世の「帝国イタリア」とその変容―」服部良久編『コミュニケーションから読む中近世ヨーロッパ史―紛争と秩序のタペストリー―』(ミネルヴァ書房,2015年)。
岡本隆司編『宗主権の世界史―東西アジアの近代と翻訳概念―』(名古屋大学出版会,2014年)。
岡本隆司『中国の誕生―東アジアの近代外交と国家形成―』(名古屋大学出版会,2016年)。

特設部会  歴史学における男女共同参画

委員会から
 歴史学historyという学問は,そもそも,男性のみを対象とした彼の物語his+storyを示しているだけではないのか,という批判がある。逆に,女性の視点から見た歴史を,herstoryという概念で考えてみようという動きは,まず1970年代の米国であらわれた。herstoryという単語は,現在ではほとんどの英語の辞書に採録されて定着している。その1970年代以来,歴史学におけるジェンダーやセクシュアリティの視点は,認識論の上でもおおいに深化してきていると言ってよい。本会が出版している『現代歴史学の成果と課題』を長期にわたってひもといてみれば,ジェンダーやセクシュアリティの視点にもとづく研究が,時代を経てどのように深化してきたかをみてとることができよう。
 ひるがえって,歴史学という学問に取り組み,その成果を生産している主体がつどっている学協会はどうだろうか。歴史学の研究・教育・実践を担っている学協会それ自体は,十分な自己検証を進めてきたと言えるだろうか。問題を個々の研究者の営みととらえ,研究者の努力に委ねるだけで,歴史学のコミュニティとしてこの主題にどう向き合うか,という視点は比較的弱かったのではないだろうか。
 現在,ジェンダーやセクシュアリティの視点は,いったい歴史学自体をどのように変えようとしているのか。本年度の特設部会は,「歴史学における男女共同参画」をテーマに掲げ,自己言及的に歴史学という学問とその共同体の検証作業を進めたい。ここでは,以下の3本の報告と討論を予定している。
 第一の報告は,「歴史学研究会における男女共同参画」というものである。1932年に創立された歴史学研究会は,長年にわたり男性中心の学会であった。歴史学研究会ではいつ女性の委員が生まれたのか,女性委員の割合は歴史的にどう変化してきたのか,執筆者や報告者の割合はどうか,といった定量的な分析に加えて,男女共同参画という観点から本会の活動の質的な分析に至りたい。大学等の機関を対象とした分析は,近年IR: Institutional Researchという概念で表現されるが,この報告はいわば「歴史学研究会のIR」の一端を示す意味をもっている。80数年にわたる本会の歴史の検証と改善の方向を示す報告は,委員会自身が準備する予定である。
 第二の報告は,「GEAHSS(ギース)の設立と歴史学研究の質」をテーマに,日本学術会議等で活動してこられた井野瀬久美惠氏(イギリス史)にお願いする。ギースは,人文社会科学系学協会における男女共同参画推進連絡会」Gender Equality Association for Humanities and Social Sciencesの略称で,2017年5月に発足した新しい会である。自然科学系の分野では,すでに2002年に男女共同参画学協会連絡会を発足させていたが,これまで人文社会科学系学協会の取組みは比較的遅れていた。この新たな会が設立されたことを通じて,人文社会科学の相互交流がどのように進んでいくのか,また,男女共同参画が歴史学という学問の質そのものをどのように豊かにしていくのか,その展望についてお話しいただくことにしたい。
 第三の報告は,「歴史叙述としての博物館展示とジェンダー」と題し,横山百合子氏(日本近世史)と三上喜孝氏(日本古代史)にお願いする。横山氏は,自ら,幕末維新期の都市社会とジェンダーを研究テーマとされているだけでなく,国立歴史民俗博物館において展示叙述に直接たずさわっている。また,両氏は歴博基盤共同研究「日本列島社会の歴史とジェンダー」を組織されている。その観点から,現在,ジェンダー視点が歴史学や展示叙述をふくむ歴史叙述自体をどのように変える可能性を持つのか,を具体的に論じていただく。部会参加者は,展示叙述という具体例を知識として知るだけでなく,自己の歴史学との比較検証を試みていただきたい。
 以上の3報告を通じて,歴史学自体を対象として,男女共同参画やジェンダー・セクシュアリティの視点を検証してみることが,本特設部会の目的である。討論では,歴史的検証はもちろんのことながら,今後,歴史学研究会や歴史学という学問分野自体が,どのように男女共同参画を実現していくのか,その提言についても議論いただければ幸いである。(小沢弘明)

[参考文献]
井野瀬久美惠「ジェンダー研究が切り拓く地平―大学改革,エクセレンス,無意識の偏見―」『ジェンダー研究』20号(2018年2月)。
井野瀬久美惠「軍事化とジェンダー―Brexitと「帝国だった過去」の狭間で―(特集 植民地戦争におけるセクシュアリティとジェンダー―帝国だった過去を問い直す―)」『女性とジェンダーの歴史』5号(2018年)。
横山百合子「第一八回 歴史学入門講座 女性史とジェンダー史のおもしろさ―近世社会史研究の立場から―」『宮城歴史科学研究』78(2017年7月)。