2023年度歴史学研究会大会

大会日程

第1日 5月27日(土)

総 会 (9:30〜11:30)兼松講堂
*総会は会員のみ参加可能です。
全体会 現在につながる過去/つながらない過去 (13:30〜17:30)兼松講堂
日本中世都市の法慣習と伝承
 ―能にみる「大法」を中心に―
高谷 知佳
イギリス革命と瀆神那須 敬
コメント辻 明日香
平山 昇

第2日 5月28日(日) 9:30~17:30

中世史部会 日本中世における支配体制と秩序兼松講堂
室町幕府支配体制の形成と展開堀川 康史
戦国・織豊期における室町礼法の展開と終焉水野 嶺
近世史部会 近世後期の社会変動― 「危機」 への意識と対応から―2201教室
仙台藩の危機対応をめぐる政治理念と政治過程
 ―天保期を事例に―
佐藤 大介
報徳仕法における復興理念の展開と変容
 ―近世後期の政治・社会論理の再編―
早田 旅人
近代史部会 社会変動と人びと1201教室
アレッポの長い19世紀
 ―宗派紛争をめぐる多層構造的理解―
黒木 英充
ポグロム
 ―帝政末期のロシア・ユダヤ人に降りかかった厄災―
中谷 昌弘
コメント藤野 裕子
中野 耕太郎
現代史部会 社会運動と環境・民主主義
 ― 新自由主義時代の民衆像を求めて―(13:00〜17:30)
1101教室
脱原発運動における民主主義の主体像
 ―チェルノブイリ原発事故後の女性の活動を中心に―
安藤 丈将
チプコー(森林保護)運動50年石坂 晋哉
コメント中田 潤
荒木田 岳
合同部会 モノからみた都市空間(13:00〜17:30)2301教室
古代都市ローマにおけるトラヤヌス記念柱の意義
 ―機能、場所、浮彫りについて―
坂田 道生
モニュメントの継承と中世コンスタンティヌポリスの都市空間太記 祐一
近世イスタンブルにみるモノと祝祭
 ―布地の役割を中心に―
奥 美穂子
コメント高澤 紀恵
特設部会 歴史学と社会をつなぐ
         ―ワークショップからクラウドファンディングまで―(12:15〜14:15)
1202教室
人文学で何ができるか、そのなかで歴史学は
 ―NPO法人国立人文研究所の試みから考える―
石居 人也
歴史研究者と社会をつなぐ
―学術系クラウドファンディングの取り組み―
阿部 麻衣子
コメント山本 浩司

※以前ホームページに掲載したものから修正がありました。お詫びして訂正いたします。(2023年5月22日)

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主旨説明文

全体会 現在につながる過去/つながらない過去

委員会から
 歴史研究においては、過去に問いかけをする主体としての歴史家の問題意識が重要視されてきた。最近新しい翻訳が刊行されたE.H.カー『歴史とは何か」(近藤和彦訳、岩波書店、2022年)が、歴史とは「現在と過去のあいだの終わりのない対話」であると説いていた言葉も、これまで多くの場合には、現在の立場からの問いかけの肝要さを指摘する意図で引用されてきたと言って良いだろう(それがカーの本意を十全に捉えたものであったか否かは、別の問題である)。
 過去を現在につなげて認識することは、歴史学の関心のありかたとして基本的なものである。それは、歴史学の必要性を説明する時まず挙げられているのが「現在は過去の遺産の上にある」という側面である点に、よく示されている(南塚信吾・小谷汪之・木畑洋一編『歴史はなぜ必要なのか一「脱歴史時代」へのメッセージー』岩波書店、2022年)。このようにして歴史学の重要性を訴えるのは説得力があると言えるだろう。
 高等学校では2022年度より「歴史総合」の教育が始まっている。この科目は現在の「私たち」が過去のことがらに向き合って思考を深めるということを強く念頭に置いている。すなわち、「近代化」「大衆化」「グローバル化」といった過去に生じた歴史的変化と「私たち」との関わりを認識し、そのような歴史的理解を踏まえて未来を展望することができる能力を育てようとしていると理解できる。この考え方は、主権者である国民が主体となって将来の道を切り拓いていくにあたって歴史的な観点が欠かせないことを主張するものであり、尊重に値する。
 以上のように、現在と過去とのつながりを強調し、そうすることで歴史への関心を意義づけるような指摘は、極めて大きな妥当性を持つと考えられる。
 しかし、歴史研究や歴史教育の意義は、それにとどまらないかもしれない。すなわち、「現在につながらない過去」への関心もまた多くの人々カヾ抱いているものである。過去の人々は、21世紀に生きる我々とは異なる価値観や生活様式を持っていた。それは古代や中世という遠い昔のことだけでなく、第三帝国時期のドイツやプロレタリア文化大革命時期の中国というような20世紀の歴史について考える場合にもあてはまる。
 もちろん、古今東西あらゆる歴史的事象は、そこに現代的意味を読み取ることはできる。また、研究者は、21世紀に生きる現代人としての立場から過去について探究している。その意味で、現代的関心にもとづいて歴史学研究が進められてきたし、今後も同様であることは、いうまでもない。また、ナチ支配下のドイツも文化大革命期の中国も、その前後の時代と切り離して論じることは不適切であろう。
 しかし、だからといって、何にでも現代的意味を読み取ろうとするのは、過去の人々の営みに誠実に向き合うこととは言えない。また、歴史学が対象とするのは、わかりやすく現代に関わらせて理解できるようなことがらに限定すべきではない。とくに前近代史については、過度に「私たち」の視点から解釈していくことの危険性が大きいかもしれない。
 しかし、それならば、現在の起源を解明しようとするのとは異なる関心から過去を認識することの意味は何なのかという疑問も生じる。このような疑問について深く考えてみることを、この全体会のテーマとしてみたい。
 このことは、学説史的に言えば、1980年代頃に隆盛をみせた「社会史」研究の視点の意義を再検討することにもつながるかもしれない。1990年代以降は「社会史」が強調される場面が減ったかもしれないのは、それなりの理由があったとしても(桜井英治・清水克行「中世史の魅力と可能性」「図書」784号、2014年6月)、今日改めて「日本人のアイデンティティを揺るがすような、近代とか国家とか自明視してきたものを覆すのが中世史」(同前)という心意気を再評価することはできるだろう。
 今のところ、おおむね次のような見通しを持っている。「現在につながらない過去」を探究することからは、人類社会の試行錯誤に対する認識を深め、様々な可能性や危険性を含めた発見(再発見)を行い、「私たち」が将来を構想するための示唆を得ることができる。また、現在につながらなかった別の途を見いだすこともまた意義ある試みかもしれない。
 そう考えていくと、「現在につながらない過去」という表現は必ずしも正確ではなく、現在に性急につなげず、一呼吸置いて人類の経験を省察するために過去に向き合うという能動性が重要だというべきかもしれない。「つながる/つながらない」というよりも「つなげる/つなげない」というほうが的確だとすれば、やはり現今の視点からの意識的・主体的な姿勢が問われることになる。
 以上のような問題意識のもとに、次の内容の報告と討論を行いたい。多様な分野からの御参加を期待している。
 高谷知佳氏の「日本中世都市の法慣習と伝承」は、かつての「社会史」研究が多くの法慣習を見出してきた謡曲を改めて題材とし、都鄙にわたるさまざまな物語において「大法」と呼ばれたものを、それらの物語が生まれた室町期京都における「大法」のあり方とあわせて検討する。
 那須敬氏の「イギリス革命と潰神」は、宗教の統治権をめぐって議会と教会とが牽制しあった17世紀イギリスにおいて、異端や冒瀆の問題が聖俗権力に対してもった意味を検討し、近世イギリス史の「近さ」と「遠さ」について考える。
 また、コメンテータとしては、中世エジプト史の辻明日香氏および日本近代史の平山昇氏から話題提供していただき、議論を拡げていくことにしたい。
(研究部)

中世史部会 日本中世における支配体制と秩序

中世史部会運営委員会から
 2023年度の中世史部会大会報告では、日本中世社会における中央権力と周辺地域との相互作用を重視しながら、双方のあいだで取り結ばれる多様な回路に基づいた支配体制・秩序の様態およびその歴史的展開過程について、一定の見通しを得ることを目指す。
 歴史上のあらゆる権力にとって、本拠地(中央)を保持しながらも周辺地域を統御することは、常に主たる政策課題のひとつとしてあり続けた。そして、相互の関係を形成・維持するためには、その実行にあたる組織・制度・政策・人脈や、両者が共有する価値観が必要となる以上、中央・地方関係の究明は、その時代の権力・秩序の特質を浮かびあがらせることにも繫がる。
 ここで、2000年代から2010年代までの中世史部会大会報告に視点を移したとき、いわゆる室町幕府ー守護体制論への批判的応答を含みながら、支配や秩序をめぐる中央権力と地域社会との関係にかんする議論が、ひとつの重要な潮流をなしてきたことに気づかされる。これらの議論を通じて、多様な地域権力•社会が、中央政権の求心的な構造に統合される過程や、中央政権が設計・再設計する秩序に包摂された意義などが論じられた。他方で、2021年度大会においては「荘園」「惣村」などの語義が再検討され、在地にかんする議論の精緻化が進んだ。2022年度大会では、諸社会集団による多様な生業の歴史的展開を規定し、その空間的特質をも方向づける要因となった生活・経営拠点の問題を、京都・奈良などの都市を素材に見つめなおし、権力による社会の統合的側面が強調される傾向にあった近年の研究動向を相対化する試みがなされた。両大会報告によって、荘園・村落・都市等の理解が大幅に更新され、再検討の必要性が提起されるに至ったことは、支配や秩序の問題を考える際にも少なからぬ影響があると思われる。
 とはいえ、こうした成果を概観したとき、残された/浮かび上がった論点も少なくない。ひとつは時期的な段階差の問題である。中世後期(南北朝・室町期)の支配体制や秩序を考える際には、前提として中世前期の有様や、戦国期以降の展開を視野におさめなければ、当該期固有の特徴は見いだせない。前者は、「奇妙な断絶」と評された南北朝期をどう評価するかということにかかわり(山家浩樹「木下報告批判」「歴史学研究」926、2014年12月)、後者も、ある体制や秩序の議論において「解体論」が欠如しているという2017年度大会報告での問題提起に繫がる。
 もうひとつは、地域的偏差の問題である。中世後期の中央権力が、守護にかぎらず多様な地域権力を包摂したことは、これまで多くの論者が指摘するところだが、地域ごとの位置づけについては、いまだ議論の余地が残されている。中央・地方関係の変容に着目した際に、中世後期の支配体制・秩序は結局どのように評価することカヾ可能なのか。各地域の個別性を重視しつつも、その全体像を示す必要があると考える。
 最後に、今年度大会では、2014年度大会の木下聡報告が示した、幕府の秩序編成は支配体制的な秩序と儀礼的秩序の相互補完によって成立したとする見方が重要となる。すなわち、官途・家格などの秩序から支配体制としての幕府ー守護体制の枠組みが読み替えられ、相対化されたことで、中世の総体的な秩序を考える際には、支配体制と礼的秩序とを連関させて論理化する必要性が示された。中世史部会では、その後も2017年度大会によって儀礼的・血統的な権威・秩序が扱われ、幕府の支配体制とのかかわりが検討された。ただし、支配体制的秩序と礼的な秩序とは、相互補完的に作用したとはいえ、必ずしも等質だったわけではなく、時期によって双方のあらわれ方には濃淡がある。その程度の度合いを十分に見極めて、総体的な体制・秩序の有様を論じる必要があると考える。
 以上の問題意識を前提に、今年度大会は「日本中世における支配体制と秩序」というテーマを設定し、堀川康史「室町幕府支配体制の形成と展開」、水野嶺「戦国・織豊期における室町礼法の展開と終焉」の2報告を用意した。
堀川報告では、鎌倉後期から室町期を視野に入れて、室町幕府支配体制・秩序の形成過程を論じる。鎌倉幕府の支配体制を検討時期に含めることで、南北朝・室町期の幕府支配と鎌倉幕府支配との共通点・相違点を浮かび上がらせるとともに、全国政権という枠組みでは捉えきれない幕府による新たな支配体制・秩序を把握することを目指す。
水野報告では、戦国期から織豊期にかけて、体系的な礼法に基づく将軍を中心とする秩序体系の整備と崩壊を論じる。栄典授与に伴う都鄙双方の動静から、各栄典の意義を考察するとともに、足利将軍家を頂点とする秩序の崩壊過程において、生きながらえようとした幕府による支配体制・秩序の再編成を見通す。
時期ごとによる幕府自体の性格の相違を前提として、支配体制と礼的秩序それぞれが主題となるが、双方ともに秩序や支配体制の問題がかかわらないということではない。これらの両報告が提示する新たな論点や実証的成果を前提として、日本中世における支配体制と秩序の編成・再編成を、中央と地方の相互作用を意識しながら、動態的に解明することを目指す。以上の趣旨をご理解いただき、当日は活発かつ建設的な議論がおこなわれることを期待する。なお、両報告の内容を理解するにあたっては、以下の文献を参照されたい。 (相馬和将)
[参考文献]
堀川康史「南北朝期室町幕府の地域支配と有力国人層」(『史学雑誌』123-10、2014年10月)。
同「中世後期における出雲朝山氏の動向とその役割」(『日本歴史』823、2016年12月)。
同「今川了俊の探題解任と九州情勢」(『史学雑誌』125-12、2016年12月)。
水野嶺『戦国末期の足利将軍権力』(吉川弘文館、2020年)。

近世史部会 近世後期の社会変動―「危機」への意識と対応から―

近世史部会運営委員会から
 当部会では今年度、「近世後期の社会変動一「危機」への意識と対応から一」をテーマに掲げた。本企画では、近世後期を対象に、国内外で起こる様々な事象による社会の変動のなかで、地域社会において見出された課題とそれへの対応、および人びとの意識・言説との関わりから、転換期の時代像を再考することを目指している。
 これまでの日本近世史研究において、近世後期は幕藩制国家が体制的危機を迎えた時代=「危機の時代」として位置づけられており、為政者側はしばしば「内憂外患」という枠組みで認識される様々な課題への対応を迫られたことカヾ指摘されてきた。国内政治においては、飢饉・自然災害に端を発する騷動・打ち毀しの発生への危惧から、領主層は「仁政」理念のもとに農村復興や民衆教化策を展開した。そのほか、たび重なる異国船の接近に対処すべく海防体制の構築を推進したことで、財政や民衆支配への影響が懸念された。また、地域社会の成熟を念頭において、豪農層と地域社会との関係、あるいは中間支配機構の公共性を見据えた議論が展開されてきた。
 上記の研究史理解に関連して、当部会では、2020年度大会において支配者―豪農・村役人―その他被支配者の関係と近世後期の地域運営の特質を検討すべく、豪農・村役人の存在形態について、地域性を意識した議論を行った。また、2022年度大会においては、近世後期の武士の「家」を対象に、「御家」の維持をめぐる領主、および家臣団の動向を検討した。しかし、以上の2大会の企画では、各地域の様相を基にした時代像の考察、武士身分の内部構造を踏まえた領民との関与のあり方への注目、近世後期に特有の課題の明確化といった点が検討課題として残された。
 以上を踏まえて、本企画では近世後期の地域社会の変動に注目し、当時の地域社会において生じた課題と、それに対して人びとが行った対応とを分析することを通じて、当該期の時代像を示すことを目標とする。「危機の時代」と称される近世後期だが、飢饉や自然災害、あるいは対外問題に直面した際に、誰にとって何が危機となり得たのか、どのように克服されることが理想であったのかは必ずしも一様ではない。また、「内爰外患」という言葉についても、地域における認識の枠組みがすべてこの言葉に収斂するとは限らない。当該期の人びとがそれぞれの課題をどのように捉えて対応し、どのような利害・主張の一致、あるいは相克がみられたのかという視点から、近世の身分・社会構造を踏まえて時代の特徴や共通する問題を考察する余地が残されていると考える。近世後期の時代像を内在的に明らかにすることで、続く幕末維新期の変動の特徴を改めて見通すことができるのではないだろうか。
 また、加えて想起される視点として、近世後期の人びとの意識や言説への注目がある。思想史の領域では武士や豪農の学問・思想について、著作・情報ネットワークの分析をはじめとする研究が儒学・国学などとも関わらせつつ進められているほか、政治思想史の領域では近世後期の政治文化と近代「公論」形成との連関が分析されている。日本近世史研究においても「仁政イデオロギー」が社会の共通認識となっていったことが指摘され、近世の政治・社会体制を成り立たせた概念として提示されている。より奥行きを持った時代像を描き出すためには、著作などのテキスト分析にとどまらず、地域社会のありようから近世後期の人びとの意識・言説の様相を検討することが有効といえる。そして意識・言説が具体的な課題への対応に影響を与え、ひるがえって実際の対応が意識・言説を形成し変化させる相互関係を考察することで、近世後期の社会の動向や人びとの立場を規定し得た要素を明らかにする必要がある。
 以上の問題意識に基づいて、佐藤大介・早田旅人両氏の報告を用意した。
 佐藤大介「仙台藩の危機対応をめぐる政治理念と政治過程―天保期を事例に―」では、陸奥国などに62万石を領有した仙台藩の、天保期における危機対応をめぐる政治過程を検討する。仙台藩領では天保4年(1833)夏以降、相次ぐ天変地異からの社会的混乱により生命の危機に瀕する人びとの救済が最重要の政治課題となった。一方で、藩政や藩主のあり方をめぐる議論が活発化するきっかけともなり、その後の政治過程を左右していた。藩主や官僚ら、仙台藩で「公」を担った人びとの危機対応を通じた模索を、それぞれが依拠した政治理念も含めて明らかにし、政治理念と現実政治との相互関係について考える。
 早田旅人「報徳仕法における復興論理の展開と変容―世後期の政治・社会理念の再編―」では、近世後期に領主財政や村・家の復興に取り組んだ二宮尊徳・報徳仕法を対象に、人びとの復興に向けた実践と意識・論理を検討する。報徳仕法が実践された近世後期、領主の財政難や村落荒廃が社会的な危機と認識され、その復興が身分を越えた課題となり、二宮尊徳も復興に向けた実践のなかで国家・社会や人間のあるべき姿を説いた。また、飢饉や打ち毀し、対外的危機など「内憂外患」の課題も加わるなかで、報徳仕法関係者はかかる社会変動に対応した復興の論理と主体の形成を迫られることになる。その対応と論理から当該期における仁政や武威、助合、天道と人道、富国安民と富国強兵といった政治・社会理念の再編の様態について明らかにし、その特質を考える。
 転換期の時代像を改めて検討することは、自然環境の変化や複雑化する国際情勢のなかでますます流動化する現代社会を生き抜く上でも大いに示唆的であると考える。活発な議論を期待したい。
(小林優里)
[参考文献]
佐藤大介編著『18〜19世紀仙台藩の災害と社会 別所万右衛門記録』(東北大学東北アジア研究センター叢書38、2010年)。
佐藤大介「天保七年の伊達騒動一飢饉下の仙台藩主・伊達斉邦と重臣・「世論」一」(平川新編『江戸時代の政治と地域社会」第一巻 藩政と幕末政局、清文堂出版、2015年)。
早田旅人『報徳仕法と近世社会」(東京堂出版、2014年)。
早田旅人「二宮尊徳における「仁政」と「助合」一領主と富者の再分配論一」(『人民の歴史学」233号、2022年10月)。

近代史 社会変動と人びと

近代史部会運営委員会から
 今年度の近代史部会では、「社会変動と人びと」として、騒擾、革命、戦争等、社会変動下における人びとについて、差別意識や社会的結合関係の在り方などに着目しながら、比較史的に議論することを目指す。
現代は、トランプ現象を象徴としたポスト・トウルースの流れやポピュリズムの台頭、新型コロナウイルス感染症によるパンデミック、さらにはロシアによるウクライナ侵攻といった、急激な社会変動の渦中にある。このような中にあって、人びとが必ずしも手を取り合えてきたばかりではないことを、多くの人が実感していることであろう。経済的混乱に対応できる者とそうではない者との間でさらなる格差が広がるとともに、そうした情勢は、情報の取捨選択という面においても露わになり、世界中で深刻な対立や分断を生じさせている。
 ところで、社会変動という分析概念は、もっぱら歴史社会学において近代化過程など、社会構造の変化を問う概念として用いられてきた。中長期的な視点であるといえるが、本部会では短期的な変動局面を追いつつ、そのなかでの人びとの在り方を考えていきたい。それは、個々の事件を丹念に分析するとともに、そこで表出してきた問題を起点にして、事件の以後に与えた影響も含めて歴史過程に即して検討していくことが重要であると考えるためである。
 もっともこうした視角は歴史学においてっとに重視されてきた。とりわけ民衆史において、藤野裕子は近代日本の都市暴動に着目する意義を「史料が残りにくい人びとを中心にして歴史を叙述」することに見出している(藤野『都市と暴動の民衆史』3頁)。また、近世における民衆暴力の研究に取り組む須田努は、「百姓一揆・騷動という非日常的なできごと」を分析することの意義を「社会矛盾の様相や、幕末社会の社会状況を理解するため」と述べている(須田『幕末社会』245-246頁)。当部会では、民衆に限定することはなく、政府機関や各社会集団の動向も検討対象に含まれるものと考える。その際、日常では表出しきらない差別意識や暴力行為といった点を重視したい。
 また、上に掲げた現代社会における諸問題に迫るためにも、社会変動の下におかれた人びとがとった行動の背景にある心性や社会的結合のあり方にも着目したい。二宮宏之は、人びとの日常生活のなかで釀成される「こころのありよう」や、社会的結合関係として「きずな」(連帯)と「しがらみ」(強制、内部矛盾)に着目してきた。この二宮の議論を参照しつつ、社会変動下の人びとの心性を問うとともに、そこにおいて表出してくる、差別や対立を伴う「連帯」についても重視して検討したい。そしてそこから、時代も対象も異なる各社会変動の人びとの在り方を比較検討することが本部会のねらいである。
 上記のような問題意識の下で、それぞれ2名の報告者、コメンテーターにご報告いただく。
 黒木英充氏は、「アレッポの長い19世紀一派紛争をめぐる多層構造的理解一」として、今なお影を落とす宗派問題について、それが顕在化した1850年の騒乱に焦点を当てて報告する。アレッポをはじめシリアを取り巻く情勢が変動する中で、人びとの集団帰属に関する意識の変化が、時間軸を異にする諸要素の多層的。複合的組み合わせの結果として現れた過程を分析するとともに、人びとが外部勢力と相互的関係を構築するなかで、予期せざる宗派紛争の契機と結果を招くという点で、現在につながる問題として論じる。
 中谷昌弘氏は、「ポグロムー帝政末期のロシア・ユダヤ人に降りかかった厄災一」として、19世紀末から20世紀初頭のロシアにおける、ユダヤ人に対する集団暴力事件=ポグロムについて、特に1881年に発生したポグロムに焦点を当てて報告する。事件の展開過程を、その被害状況に加えて、暴力をふるう側の人びとの心性や社会的結合関係の在り方についても検討し、以降も続くポグロムについても展望するQ
上記の報告に対して、近代アメリカの人種暴動について研究されている中野耕太郎氏と、近代日本の民衆暴動について研究されている藤野裕子氏にご報告いただく。
今年は関東大震災における朝鲜人虐殺事件から100年を迎える。社会変動下における人びとの在り方を問う意義は今なお重大なものであるといえよう。
多分野からの闊達な討論を期待したい。
(宮崎智武)
[参考文献]
黒木英充「オスマン帝国におけるギリシア・カトリックのミッレト成立一重層的環境における摩擦と受容一」深沢克己編『ユーラシア諸宗教の関係史論一他者の受容、他者の排除一』(勉誠出版、2010年)。
同「変容する「アラブ社会」」林佳世子・吉澤誠一郎編『岩波講座世界歴史第17巻 近代アジアの動態』(岩波書店、2022年)。
須田努『幕末社会』(岩波書店、2022年)。
中谷昌弘「ユダヤ植民協会『移民情報局年次活動報告書』(1908-09年)にみる帝政ロシアのユダヤ移民」「新潟大学言語文化研究j21号、2016年。
同「ロシア・ユダヤ人の国内移住および国外移民とポグロムー1981年を中心に一」『社会経済史学」83(3)、2017年11月。
中野耕太郎「20世紀国民秩序と人種の暴カー1919年シカゴ人種暴動の検討一」『歴史科学』200号、2010年4月。
二宮宏之「戦後歴史学と社会史」「歴史学研究」729号、1999年10月。
藤野裕子『都市と暴動の民衆史』(有志舎、2015年)。同『民衆暴力—揆・暴動・虐殺の日本近代一』
(中央公論新社、2020年)。

現代史部会 社会運動と環境・民主主義―新自由主義時代の民衆像を求めて―

現代史部会運営委員会から
 近代民衆史研究者のひろたまさきは、かって2000年代に.「民衆が消えてしまった」と語った。国民化や文明化の動態を精緻に描けば描くほど、歴史の主体たる民衆の姿が叙述から消えていく。それは「現代の民衆存在の無力感を反映している」のではないか(以上、ひろた『近代日本を語る』吉川弘文館、2001年、14-16頁)。この問いに、では現代史研究はどう応答すべきだろうか。
 確かに私たちの日常は、自己点検や自己啓発を不断に求められる一方で、いかなる結果も自己賣任という.私事化と市場化が極限まで進む新自由主義の時代に生きている。統計上の社会意識などとは異なる.主体的かつ集合的な存在としての民衆は、ますます見出しにくくなっている。
 もちろん、反駁も難しくはない。コロナ禍のなかでも、世界中でBLMの声があがった。日本でさえ、「3.11」以降、原発、安保法制から「国葬」まで、人々が路上で抗議の声をあげる光景は続いている。だが、現代は同時にヘイトスピーチのデモが日常化した時代でもあり、単一の民衆像では括れない。
複雑さを増すこの時代に、なおも抗う主体としての民衆を、その行動や選択の意味を、どのように描けるか。今年度の現代史部会では、すでに半世紀近く経過した新自由主義の時代の前半期における.環境や開発をめぐる社会運動史の検討を通じて、この課題に迫る。
 この間、現代史部会では「「豊かな社会」の都市政治にみる参加と対抗」(2009年)以来、2010年代にかけて、冷戦体制下の社会運動の検討を進めてきた。さらに近年では、「冷戦下のジェンダーと「解放」の問題」(2020年)、「冷戦下の越境する連帯」(2022年)という主題のもとで、参加と対抗の間の矛盾、政策と運動との輻鬱的な関係などに眼を凝らしてきた。そうした成果をふまえつつ、今年度は次のような点に留意して、新自由主義時代の分析に踏み込みたい。
 第一は、世界的な構造としての新自由主義時代ゆえに生じる共通性と差異、連関への着目である。労働組合運動などの階級的社会運動とは異なり、環境問題や開発政策への対応は問題の発生地ごとに孤立しがちだ。しかしこの時代には成長至上主義への疑問やエコロジー思想が世界的に興隆し、運動間の連携・交流や、知の流用も飛躍的に進んだ。異なる歴史的文脈にありながら生じる同時代性を、資源や機会といった運動論的な要素に還元して比較するのではなく、時代の構造的な文脈のなかに位置づけたい。
 第二に、新自由主義の時代を適切に分節化するためにも、社会運動の変化は重要な手がかりになるだろう。冷戦期にも匹敵する長い時間を一律に論じては、社会の動態に即した時代像の提起からは遠のいてしまう。グローバル化の社会変容と、それによる情動まで含めた民衆意識の変容は、社会連動にも大きな変化を生んだ。冷戦期と新自由主義時代の潮目である1980-90年代には、現在の運動の「常識」とは異なる.いかなる条件や可能性があり得たのか。その内実を探り、当時の固有の意義を探りたい。
 第三に、環境問題への対応は、権力への抵抗にとどまらず、自分たちの暮らし方、さらには世代を越えた賁任や正義といった論点を運動の側にも迫り、自己統治(自治)や民主主義のための新たな課題が開示された。運動の担い手は、そのような課題をいかに有機的に結びつけ、発信し、運動のスタイルや認識を変えて.新たな連動主体の創出につなげたのか。他方、運動を制御しようとする国家や企業力ヾ、連動が作りだした論理をすぐに商業化し、あるいは行政に取り込む動きが現れるのも、この時代の特徴だとすれば、運動はいかに抗えたのだろうか。
 以上の関心にもとづき、今年度の現代史部会は以下の報告とコメントによって構成される。
 まず安藤丈将氏の報告「脱原発運動における民主主義の主体像ーチェルノブイリ原発事故後の女性の活動を中心に一」では、日本における脱原発連動が対象化される。1986年に旧ソ連で起きた事故後、日本でも、その影響や原発の安全性を懸念する活動が、女性を中心に広がった。報告では、食品の放射能測定など、政策や法律の変更に直接影響を及ぼすものとは異なる地域活動に焦点を当てる。女性たちの活動の遺産とそれを可能にした当時の条件について論じながら、そこから読み取られる現代世界の民主主義をめぐる主体像が検討される。
 次いで石坂晋哉氏の報告「チプコー(森林保護)運動50年」では、インド北部で1973年に始まったチプコー(森林保護)連動とその後の展開に焦点が当てられる。まず当時、この運動が地元社会にどのような変化をもたらしたかを明らかにしたうえで、その後半世紀にわたり、この運動をめぐる語りがどのように変遷してきたか、また運動のなかで育った活動家たちが、その後どのような課題に直面し、取り組んできたかが分析される。
さらに、緑の党を始めとするドイツ現代政治・社会運動を研究される中田潤氏、原発災害に向き合いながら近代日本の地方行政史を研究されてきた荒木田岳氏のお二人からコメントをいただき、両報告をより広い文脈に媒介していきたい。これらの議論を重ねあわせることで、現代史における民衆像を捉え直し、社会運動や歴史実践と民主主義との関係について再考する機会としたい。当日は活発な議論とすべく、多地域・多分野からの積極的な参加をお願いする。 (戸邉秀明)
[参考文献]
安藤丈将『脱原発の運動史ーチェルノブイリ、福島、そしてこれから一』岩波書店、2019年。
石坂晋哉『現代インドの環境思想と環境運動——ガーンディー主義と<つながりの政治>一昭』和堂、2011年。
中溝和弥・石坂晋哉「民主政治と社会運動一制度と運動のダイナミズムー」、田辺明生ほか編『現代インド1 多様性社会の挑戦』東京大学出版会、2015年、305-332頁。
中田潤『ドイツ緑の党の現代史―1970年代から再統一まで価値保守主義・左派オルタナティブと協同主義的市民社会―』吉田書店、2023年刊行予定。
荒木田岳『村の日本近代史」筑摩書房<ちくま新書>、2020年。

合同部会 モノからみた都市空間

合同部会運営委員会から
 歴史研究への着目点や方法の多様化が唱えられて久しい。歴史学研究会合同部会では、この多様化の動向を把握し現時点での成果と課題を共有したいと考え、2023年度は物質論的転回(materialturn)とあらわされる実体としての物質、モノに関わる歴史的事象の解釈について、物質と都市空間の関係に焦点をあてて、現時点での研究の到達点を明らかにしたい。
 私たちヒトの周囲に存在するモノに注目した研究は、ブローデルの『物質文明・経済・資本主義15-18世紀(3巻)』をはじめ、これまで特に国内では物質と人間の関係や取引に注目するグローバルヒストリー研究の延長線上で展開されてきた。しかし、20世紀末以降、歴史・象徴人類学や考古学との学際的交流や言語論的転回以降の物質性(materiality)への回帰、さらには博物館など開かれたパブリック・ヒストリーの実践において展示、実践の対象としての物質に新たな角度から光があたるようになっている。
 製造と流通に人の手が加わる中で、モノは自然界の単なる物質であるというに留まらず、文化をはじめとする諸要素により規定された価値観や行為、さらに人々の欲望と複雑な形で結びつくことになる。「物質文化(materialculture)」という用語は、実体としてのモノと、諸種属性を付与する文化が両輪の関係となっていることを示す。さらに、そこを出発点として、モノから考察する歴史研究は、物質それ自体、あるいは関係や取引の歴史的展開だけでなく、政治、都市、ジェンダー、担い手の主体性といった諸要因がダイナミツクに作用する事象の積極的な解釈を可能とし、古代から、中世、近世、近現代に至るまで多岐にわたる時期をカバーする。
 それらの諸要素の中で、本年の大会報告ではとくに都市空間に焦点を据えることとする。歴史的にみて、都市は人々が集住して暮らす居住の場である、というだけでなく、政治的、経済的、宗教的三機能の少なくともどれかを兼ね備えることが多い。そして、後背地までを含めた人やモノの移動の結節点である一方、空間の水平、垂直方向それぞれへの展開が市壁のような物質的な形で外部と区切られることもしばしばである。さらに、モノが都市空間内に配置されるコンテクストについて言うならば、広場や倉庫といった場に加え、文字や口頭所作、あるいは儀礼などが併用されることで、モノのメッセージ性をさらに強める工夫がされる事例も存在する。このように、外部とのつながり、隔たりという一見したところ相反する両条件により特徴づけられるものの、時にそれ以上に詳細な定義が流動的でもある歴史上の都市とその中でモノが果たした役割について、類型化を目指すのではなく、まずそれぞれの都市の特定の時代の具体的側面に光を当て、その綜合として何が言えるのかをシンポジウム全体として考えてみることとしたい。
上述した問題意識を踏まえ、シンポジウムでは古代から近世に至る時期のユーラシア西部の都市をそれぞれ対象とする3人の報告者とコメンテータに登壇を依頼した。
 まず、古代ローマ時代の都市を研究する坂田道生氏の「古代都市ローマにおけるトラヤヌス記念柱の意義―機能、場所、浮彫りについて―」は、後113年に建設されたトラヤヌス記念柱の機能、場所、浮彫りについて、文献史料と考古史料のかかわり、都市空間および最観と記念碑の関係性、そして、図像表現の意味の観点からそれぞれ検討を行い、古代都市ローマにおけるトラヤヌス記念柱の意義を総合的に考えるものである。
 次いで、中世については、ビザンツ帝国史を専門とする太記裕一氏の「モニュメントの継承と中世コンスタンティヌポリスの都市空間」が、5から6世紀に遡る歴史建造物を今なお多く残すイスタンプルの中世期、ビザンツ帝国の首都コンスタンティヌポリス(英語などではコンスタンティノーブル)であった時代について、こうしたモニュメントが人々にとってどのような存在であったのか、特に9から10世紀に注目し、文献史料と具体的な物質の両面から考察を行う。
 西アジア・イスラーム地域からは、奥美穂子氏による「近世イスタンブルにみるモノと祝祭―布地の役割を中心に―」が、16世紀末にオスマン帝国の帝都イスタンブルで行われた王子の割礼祭を事例とし、祝祭をめぐるモノの持つ意味を当時の社会に位置づけて考察する。
 これら3報告に対して、近世フランスの都市史を専門とする高澤紀恵氏にコメントをお願いしている。
 物質と都市空間に注目することで、政治や社会秩序といったこれまでも歴史研究が探求してきた課題を物質との関りから明らかにしながら、これまでのモノの広がりや関係といった点から研究蓄積が進んだモノの歴史研究に、新たな地平の広がりを示すことができると考え、この企画を進めたい。
[参考文献]
桃木至朗責任編集『ものがつなぐ世界史』(ミネルヴァ書房、2021年)。
F、ブローデル/村上光彦・山本淳一訳『物質文明・経済・資本主義15-18世紀(全3巻)』(みすず書房、1985-99年)。
加藤友康責任編集『歴史学事典14 ものとわざ』(弘文堂、2006年)。
K. Harvey(ed.)、History and Material Culture: A Student's Guideto Alternative Sources、2nded.(London:Routledge、2018).
C. Richardson、T. Hamling&D. Gaimster(eds.)、The Routledge Handbook of Material Culturein Early Modern Europe(London:Routledge、2017).

特設部会 歴史学と社会をつなぐ―ワークショップからクラウドファンディングまで―

委員会から
 特設部会では、「歴史学と社会をつなぐ」と題して、歴史研究者が大学・研究機関を超えた社会とつながろうとする試みに注目したい。第一には、講座やワークショップの開催実践について考えてみたい。こうした場は、歴史研究者がその知見を社会に還元し、その研究に関心を寄せるファンをつくる機会である。講演者やファシリテーターとしてさまざまな研究者の働き場を増やす道でもある。第二に、ファンを増やすことに加えて、資金面でも応援を得るノウハウを共有したい。具体的には、研究テーマの魅力を共有してファン・応援者を募るクラウドファンディングの試みである。いずれも煎じ詰めれば、社会のなかに歴史研究者の働き場をいかにつくるのかを問うことになる。
 歴史研究の営みは、そもそも広く社会と密接に関わっている。最も大きな役割を果たしてきた歴史教育に加えて、最近ではパブリック・ヒストリーという方法で、歴史学と公衆との多様な接点が模索されている。また、こうした近年の動向をまつまでもな<(地域での歴史学習会をはじめとして、多年の積み重ねがあるとも言える。アカデミズムの成果を社会に還元しつつ、市民の関心による問いかけをアカデミズムに投げかける回路として、各地の市民講座などが果たしてきた役割は見逃せない。歴史学の意義や魅力が、現実社会との双方向性的な影響関係によって支えられていることは、ほぼ異論ないところと思われる。
 歴史学研究会としても、いくつかの論点を提示することで、歴史研究と社会との結びつきという課題に接近してきた。2016年5月の大会特設部会では「歴史研究の成果を社会にどう伝えるのか―「社会的要請」と歴史学―」と題して、歴史学が社会のなかでどのように活用されているのかを議論した。そして、その趣旨を発展させる形で、歴史学研究会編「歴史を社会に活かす一楽しむ・学ぶ・伝える・観る一」(東京大学出版会、2017年)を刊行している。2021年6月に開催した総合部会例会「デジタル史料とパブリック・ヒストリ 1641年アイルランド反乱被害者による証言録取書(1641Depo-sitions)—」では、歴史における記録と記憶の問題が、史料のオンライン公開によってどのような変容を蒙るかについて考えてみた。また、2022年5月の大会における特設部会では「デジタルネットワーク社会と歴史学の可能性」と題して、インターネットを活用した史料公開や情報共有、意見交換などが歴史学に与える影響と可能性について議論した。
ただし他方で、「学問研究は、それ自体の価値をもつべきだ」というアカデミズムの理念がある。アカデミズムのなかでは、「社会的ニーズ」に応じた学問というよりも、研究者グループの問題意識の重要性が強調されてきた。場合によっては、研究者がみずからを市民と自己規定することで、「社会的ニーズ」そのものを研究者の問題意識と同一視してしまうようなこともあったかもしれない。
 このことに留意すると、歴史研究者と社会とのっながりについては真剣に考えるべき多くの論点が含まれていることがわかる。そして、そのような原則的な論点だけではなく、具体的な国際環境・社会情勢の変化に伴い、歴史研究者と社会とのつながりのありかたにも新たな問いかけがなされるべきであると考えることもできるだろう。そこには、研究資金の獲得という実践的な側面への着目も欠かせない。
 そこで今年度の特設部会は、歴史学研究会が過去に積み重ねてきた議論を踏まえつつ、また近年の新しい状況を念頭に置きながら、社会のなかにファンを増やして、歴史研究者と社会をつなぐ試みに注目したい。
第一報告者は、国立人文研究所(通称Kuni-labo)の連営に携わる石居人也氏である。同研究所は、人文知を市民に還元するとともに、それを介して若手研究者が資金を獲得する道をつけるべく発足した団体である。「人文学で何ができるか、そのなかで歴史学は―NPO法人国立人文研究所の試みから考える―」と題して、お話しいただく。
 第二報告は、研究者によるクラウドファンディングを支援するアカデミスト株式会社の阿部麻衣子氏による報告「歴史研究者と社会をつなぐ一学術系クラウドファンディングの取り組み一」である。同社の取り組みは、若手をふくむ研究者がひろく民間にその研究の意義を知らしめ、サポートを喚起し、資金的援助を得るとともに研究プロジェクトへの関心をもった仲間をつくるのを援助するものと思われる。
討論には、歴史家ワークショップの代表を現在つとめている山本浩司氏にコメンテーターとして加わっていただく。歴史学と社会をつなぐ試みについて、アイデアと情報とを交換する場としたい。ぜひ多くの方々のご参加をお願いしたい。(研究部)