- 東京都中央卸売市場築地市場の解体工事中止、および保存活用に関する要望書(2018.11.28)
- 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産推薦に関する見解(2018.09.28)
- 「君が代」不起立・再雇用拒否にかかわる最高裁不当判決に対する抗議声明(2018.09.14)
- 文部科学省による名古屋市立中学校の授業への介入に反対する決議(2018.05.26)
- 公文書の改竄・隠蔽に抗議し、適切な作成・管理・保存・公開のための制度改革を求める決議(2018.05.26)
東京都中央卸売市場築地市場の解体工事中止、および保存活用に関する要望書
東京都知事小池百合子殿
東京都中央卸売市場築地市場は、歴史の宝庫です。それは、東京が江戸と呼ばれた過去から連なる唯一無二の文化遺産として、また未来の世代が新たに発見してゆくであろう知の可能性として、わたしたちの前に立ち現れています。わたしたちは、東京都に対し、築地市場解体工事の即時中止と綿密な学術調査の実施、その成果の公表に応じた保存活用の再検討を強く求めます。
現在の晴海通り勝鬨橋付近から浜離宮に至る臨海地域は、近世には一橋家、白河・桑名松平家の邸宅があり、近代には海軍大学校、軍医学校、経理学校、水交社など、海軍関係の施設が集中していた、特色ある場所です。築地市場は、1935年、同地に、関東大震災によって焼失した日本橋魚河岸を引き継ぐ形で開設されました。同魚河岸は、徳川家康の関東入国に従い、江戸内湾の漁業権を得た摂津国西成郡佃村・大和田村の漁師たちが、御菜魚上納御用を務める傍ら、その残余を本小田原町で売り出したことに起源します。そののち、元和年間(1615~1624)には町奉行の改めを通じて公許され、問屋組合である魚会所も早期に成立、1682年には、本小田原町組・本船町組・本船町横店組・安針町組の問屋仲間も形成されるに至りました。江戸の人口が増加し魚介類の需要が高まるにつれ、同魚河岸市場には、上納を義務づけられた芝~神奈川の御菜八ヶ浦のほか、他の近海漁村からも多くの漁獲物が集まり、問屋の請下として買出人への販売を担う仲買も増えてきました。江戸期においては、彼らの活動は問屋との強い従属関係に制限されていましたが、すでに中央区指定文化財の「魚市場納屋板舟図面」(江戸後期)や『江戸名所図会』(1834年)掲載の長谷川雪旦画「日本橋魚市」には、塩水を張った板舟を往来へ渡し、鮮魚を並べて販売する仲買たちの活躍がみてとれます。前者には、魚介類の流通に関わる日本橋川沿いに、荷の揚げ降ろしに用いられる12個の桟橋、一時貯蔵庫の裏納屋とともに、荷捌き人らが荷揚げを待つ汐待茶屋も確認できます。これらは幕末の混乱を乗り越え、基本的には近代へもそのままの形で引き継がれました。
1923年の関東大震災は、その日本橋魚河岸市場を壊滅させ、築地への移転を余儀なくさせますが、同年、食糧の安定需給と生産者の保護育成を目的に制定された中央卸売市場法は、封建的な既得権益を解体し公平に市場参加者を増やす方針を採り、仲買=仲卸たちの活動に大きな自由を与えることになります。荷下ろしされた各種魚介類を、消費者の需要に合わせて吟味・分類する仲卸たちの知識・技術、彼らが販売した各種小売店、料亭などへの配送を媒介する茶屋の役割など、現代の築地市場の特徴ともいえる幾つかのシステムは、近世・近代の歴史を継承しながら、中央卸売市場法のもとに設営された築地市場で開花してゆくことになるのです。そのなかには、江戸・東京で構築されてきた多様な食文化と、それを支える内湾生態系に適応した漁業の民俗知、広汎な食物供給・流通の体系が凝縮されています。築地移転の契機となった関東大震災、戦時体制下の諸統制、戦後の混乱によって、市場運営に携わる職員、それに連なる業者には少なからぬ人的な、あるいは情報面における断絶がありましたが、魚市場の特徴・システムの多くは江戸期にまで遡及可能で、時代・社会のなかで種々の葛藤を抱えつつ変化・発展してきたといってよいと考えられます。そのひこばえとなった築地市場という空間には、その一点のみにおいても、大きな歴史的意義と学術的価値が認められます。
築地市場の諸建築物については、すでに、文化財保護にかかる研究者らによる国際的NGO団体DOCOMOMO(DocumentationandConservationofbuildings,sitesandneighborhoodsofmodernmovement)日本支部が、以下の点において価値を認め、2017年7月、都に対し、保存活用の可能性について検討するよう要望しています。
1)竣工時には、世界でも最大級かつ最新鋭の市場で、大量の生鮮食料品を迅速に入出荷できるよう、配置計画が工夫されていたこと。
2)昭和戦前期の日本における最大規模の鉄骨造建築という点で技術史的価値が高いだけでなく、カーブしながら続く鉄骨の大架構による稀有の空間構成をつくり出していること、そして卸売人売場の廊下の架構をそのまま見せるデザインとともに、当時の最先端のデザイン手法を示すものでもあること。
3)近隣の勝鬨橋とともに、鉄骨造によるユニークな水辺景観をつくり出していること※1
築地市場のような20世紀の文化遺産については、近年、国際的に再評価が進み、それらを積極的に保存してゆこうとする動きが高まっています。ユネスコ世界文化遺産に関する諮問機関ICOMOS(InternationalCouncilonMonumentsandSites)の20世紀国際学術委員会(ISC20c)も、委員として常時出席する国々に設置されたICOMOS国内委員会20世紀国内学術委員会へ、自国の20世紀遺産を20件選定するよう要請していました。日本イコモス国内委員会はこれに応え、2017年12月に「日本の20世紀遺産20選」を発表しましたが、そのなかには、「隅田川橋梁群と築地市場他を含む復興関連施設群/関東大震災からの復興施設と近代橋梁群による隅田川の景観」が含まれています。当時の報道発表資料によれば、同遺産は「世界文化遺産選定のための評価基準」のうち、以下の2点を満たすものとされています。
ⅳ)人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、建築的又は技術的な集合体の類型、景観に関する顕著な例であること。
ⅵ)顕著な普遍的価値を有する出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または明白な関連があること(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)※2。
これらを歴史学的観点から捉え直すと、さらに幾つかの重要性を浮かび上がらせることができます。1924年、東京市が技師3名を欧米に派遣して最新の市場を調査させたものの、和・洋・中華にわたる日本の食生活は多様な食材を必要とするため、同地に直接適用できるようなモデルは見出せんでした。よって独自に研究を重ねた結果、扇型の枠組みの外側に生鮮食品を搬入する鉄道引込線、船舶のための大小の桟橋を設け、内側へ向けて第一卸売人売場、第二卸売人売場、仲買人売場、買荷保管所・配送場が並設される設計へと辿り着いたのです。これは、冒頭に述べた江戸・東京の食文化・供給システムを参照しつつ、中央卸売市場法の理想とする空間へ具体化したものとして、極めて高い歴史的価値を持っています。また、同市場内には他にも冷蔵庫や製氷工場、付属の商売場や食堂など、種々の施設が存在しますが、なかには時代とともに失われ、あるいは姿を変えていったものも少なくありません。例えば、流通の主役が自動車へと転換してゆくことによって、鉄道引込線は廃線となり、労働力として使用されていた牛馬の繋留所も、駐車場へと再整備されました。現在、中央卸売市場の名物として知られるターレット・トラックは、1965年の導入ですが、これらが縦横無尽に走り回る光景が出現するためには、物品の配置や通路の整備など、微妙な調整作業の繰り返されたことが想像されます。また同じ頃、それまで生鮮食品の容器として一般的だった木箱に替わり、発泡スチロールが用いられることになったのに伴い、その溶融固化処理施設が増設されるに至りました。豊洲移転の理由のひとつとして掲げられる諸施設の老朽化は、それ自体が80年に及ぶ時代・社会の動きに対応した結果であり、その文化財的価値を貶めるものではありません。
さらには、ICOMOSが評価したとおり、築地市場は、関東大震災からの復興計画の一環として建設されるに至った点も重要です。国家の施設としては、同時期、現存する国会議事堂が、植民地から物資を集積することで完成しています。当時の東京市が、世界恐慌から日中戦争へ向かうなかでどのように資材を調達し、この大規模な施設を竣工に漕ぎ着けたのかは、個々の建設部材の詳細を検証しつつ明らかにしてゆく必要があります。
なお、上に述べたような諸施設の変化は、それを実際に活用する市場職員、関連業者たちの、長年にわたる適応の結果として理解すべきです。大卸、仲卸、茶屋の人々が、用意されたインフラをどのように主体的に作り変えつつ、市場を営む実践を展開していったのか。近世に起源する食物供給システムの知識・技術、規制的な商慣行がどのように息づき、一方で新しい時代・社会に適応するよう調整されていったのか。1962年における内湾漁業全面廃止の影響など、未だ充分に明らかにされていないことも多くあります。築地市場は、近年の都市再開発によって類似の建築物が次々に失われるなか、最後に残った歴史情報の一大宝庫といえ、その実態は、綿密な学術調査と多角的な研究を経て、今後未来にわたり一層深く豊かに解明されてゆく性格のものです。よって、築地市場の施設全般を少なくとも一定期間保存し、市場職員や関連業者への聞取も含め各種専門研究者による学術調査へ委ねることに、異論を挟む余地はないように思われます。複数の建築家から改修再生案も公けにされており、老朽化を理由とする移転自体に正当性を見出せません。
ところが東京都は、このような築地市場の貴重さを理解しようとせず、各種専門研究者、学術団体、国際機関の見解や要望、評価をまったく無視し、豊洲移転直後に解体工事期間を設定、東京オリンピックというたった数週間のイベントなどのために、すべてを消し去ろうとしています。震災や戦災を耐え抜いてきた先人たちの営みを踏みにじる、歴史そのものへの暴挙です。都は、すでに掲げたDOCOMOMOの要望にも正式な回答を示しておらず、文化財の保護において社会的責任を負うべき行政機関として、大変遺憾な態度であるといわざるをえません。
移転先である豊洲市場の整備についても、小池百合子氏の都知事就任以降、山積する諸問題をあたかも解決したかのような発表がなされていますが、市場施設のそもそもの設計・工事が当事者を無視したまま進められた結果、積載荷重超過のための地盤沈下、排水設備の機能不全、配送場の設計ミスによるトラックからの積み降ろしの不具合、狭小かつ急勾配の運搬路におけるターレット・トラック移動の困難、動線の混乱による周辺の交通渋滞など、日々新たな問題が噴出している情況です。移転のあり方自体、民主的に議論を尽くして進められたとは、到底考えられません。すでに本年9月6日、日本科学者会議東京支部が小池都知事宛に、「安全性の徹底的な検証なしの豊洲市場への移転の中止を求める」要望書を提出し、第三者による安全性の検証や情報公開などを求めていますが、都はこれに対しても、本年7月に発表した無根拠の「安全宣言」を盾にまったく取り合おうとしていません。上記の築地における調査が、今後豊洲市場の機能を十全なものへ向上させてゆくうえでも不可欠であることは、いうまでもないことです。今回の件にかかる都の措置は、あらゆる点で、論理的に破綻しているのではないでしょうか。
かかる暴挙を黙認したならば、日本はユネスコに関わる文化財行政において国際的信用を失うことになるでしょうし、環境や歴史に関わる研究者は、社会貢献の意味においてその存在価値を厳しく問われることになるでしょう。繰り返しになりますが、わたしたちは、東京都に対し、築地市場解体工事の即時中止と綿密な学術調査の実施、その成果の公表に応じた保存活用の再検討を強く求めます。以上
※1:次のURLにて公開されている(http://www.docomomojapan.com/東京都中央卸売市場築地市場%E3%80%80価値表明書%E3%80%802017年7/)。
※2:次のURLにて公開されている(http://www.japan-icomos.org/pdf/isc20press.pdf)。
2018年11月28日
日本史研究会歴史科学協議会歴史学研究会歴史教育者協議会
築地市場解体の中止を求める研究者の会
百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産推薦に関する見解
2018年9月28日
大阪歴史学会京都民科歴史部会古代学研究会
史学会地方史研究協議会奈良歴史研究会
日本考古学協会日本史研究会日本歴史学協会
文化財保存全国協議会歴史科学協議会
歴史学研究会歴史教育者協議会
私たちは、宮内庁が所管する陵墓のうち、とくに3世紀から7世紀に築かれた古墳について、近代以降、皇室の墳墓として管理や祭祀が行われている一方、国民共有の重要な歴史文化遺産であることから、その保存と公開を求め活動を行ってきました。1970年代以来の40年以上にわたる活動を通じて、宮内庁が実施する整備工事や事前調査の公開が定着することとなりました。また、宮内庁との意見交換を重ね、社会への学術的知見の還元、関係機関への要望などを行ってきました。
このたび2018年1月31日に、日本政府は、5世紀代の百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に推薦しました。今後、専門家団体であるICOMOSの審査が予定され、2018年9月には現地調査が行われるとのことです。百舌鳥・古市古墳群は世界文化遺産にふさわしいものであり、世界的に認知されることは、私たちが求めてきた保存や公開の進展にもつながるものと考えられ、登録に期待を寄せています。また、推薦に尽力された関係機関・関係者に敬意を表したいと思います。その上で、私たちは、下記の2点について課題や問題があると考えます。
まず、陵墓の保存や公開についての課題です。百舌鳥・古市古墳群の主要な構成資産の多くが宮内庁の管理する陵墓であり、基本的に非公開となっています。また、これら陵墓のほとんどは全域を一元的に保存する形になっておらず、宮内庁管理地とその外側に区分されています。私たちは2013年に、宮内庁と文化庁に対し、地元自治体との連携を進め、一体的な保護対策や公開の推進を要望しました。とくに公開性については、陵墓であることとのバランスに配慮しながら、より公開度の高い構成資産となるよう、関係機関における継続的な努力を望みます。
次に構成資産の名称の問題です。例えば、百舌鳥古墳群にある日本で最も大きい前方後円墳について、宮内庁は「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵」としており、世界文化遺産推薦に際しての構成資産名は「仁徳天皇陵古墳」が採用されています。しかし、仁徳天皇とされる倭国王の墳墓とみることへの疑問は早くから指摘されています。学術的に被葬者が確定していないなかで、名称に特定の被葬者名を付すことは誤った理解を導く可能性があるため、学術用語として「大山(もしくは大仙・大仙陵)古墳」が提言され、いまでは教科書等においても「大山古墳」や「大仙古墳」などと「仁徳天皇陵古墳」などを併記することが定着しています。「仁徳天皇陵古墳」という構成資産名は、便宜的なものとされていますが、やはり被葬者が認定されているように理解される危惧を覚えます。
以上、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録への期待を表明するとともに、「人類全体のための世界の遺産」にふさわしいものとするための見解を表明します。
記
1.構成資産の十分な保存・管理を図り、公開を原則とした活用がなされること。
2.構成資産名については、学術的な観点にもとづくものとすること。
「君が代」不起立・再雇用拒否にかかわる最高裁不当判決に対する抗議声明
卒業式などで「君が代」の斉唱時に起立しなかったため、東京都教育委員会(以下、都教委)によって再雇用を拒まれた東京都立高校の元教職員22名が起こした訴訟の第一、第二審判決は、「都教委の判断は、客観的合理性及び社会的相当性を欠き、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用をしたものに当たる」と判断し、都に約5千万円の賠償を命じた。しかし、2018年7月19日の最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)は、不起立は「式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたら」し、「参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」と述べ、都教委の判断が「著しく合理性を欠くものであったということはできない」と結論づけて、第一、第二審判決を破棄し、原告側の請求をすべて棄却した。
2011年にも最高裁は、「君が代」の起立斉唱を命じた職務命令を合憲と判断した。2012年には、職務命令に違反した教職員の懲戒処分に関して、「基本的に懲戒権者の裁量権の範囲内」だが、「減給以上の処分を選択することについては、本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」との基準を示し、行政の行き過ぎに歯止めをかけた。しかし、今回の判決は、従来の判決を覆すものであり、「裁量権」や「生徒等への配慮」を名目にした介入を正当化する内容になっている。そのため教育現場に必要な政治介入を抑止するための歯止めが軽視されており、判決内容として大きく後退している。
1999年の「国旗国歌法」制定以降、本会では、2001年5月に「教育現場での「日の丸」「君が代」強制に反対する声明」を、2011年7月に「大阪府議会における、「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議し、あわせて本条例「違反」教職員の処分基準を定めることに反対する」という声明を、それぞれ出してきた。
「日の丸」・「君が代」に対する考え方や捉え方には多様なものがある。「日の丸」・「君が代」は、かつて日本が行った植民地支配や数々の侵略行為の象徴であり、あるいはそれらを支えてきた近代天皇制の象徴であって、日本国家の戦争責任がいまだ清算されないまま、「日の丸」・「君が代」が教育現場で強制されることは不当であるという考え方も強固に存在する。しかし、政府はこうした考え方を少数派として切り捨て、一面的な見解を押し付ける。はたして、このような状況下で、学習指導要領が重視する「多面的・多角的に考察し公正に判断する力を養う」ことなどできるのだろうか。
「日の丸」・「君が代」・「愛国心」の強制、「領土問題」における政府見解の押し付け、教育委員会による実教出版『高校日本史A』・『高校日本史B』の教科書採択への不法不当な介入、「学び舎」の教科書に対する「政府筋からの問い合わせ」、文部科学省による名古屋市立中学校の授業への介入など、教育現場に対する行政の不当な介入は本来あってはならないものであり、全く容認することができない。
最高裁は、懲戒処分だけでなく不採用に関しても、都教委の行き過ぎに歯止めをかける立場にあるはずだが、都教委の主張をそのまま認め、「裁量権の範囲内」と判決を下したことは大問題である。教職員は思想・良心の自由と職務とを天秤にかけて実践しているが、こうした外部からの過度な介入が増えると教育現場は徐々に萎縮していく。また、教育現場の意向を無視した行政権力による不当な介入により、教育現場の自由や多様性が失われてしまう。教育現場の意向を尊重し、自由かつ民主的な発言・活動の場とするためにも、本会は最高裁不当判決に対して断固抗議する。
2018年9月14日
歴史学研究会
文部科学省による名古屋市立中学校の授業への介入に反対する決議
2018年2月16日に愛知県名古屋市の公立中学校で行われた、前文部科学事務次官前川喜平氏を講師とする公開授業に対し、同年3月、文部科学省(以下、文科省)が、名古屋市教育委員会を通じ、授業内容の詳細な説明及び録音記録の提出を求めていたことが明らかとなった。またその後の報道で、自民党文科部会に所属する2名の衆議院議員が、前川氏を学校に招いた経緯を複数回に渡り文科省に照会していたことも判明した。本会は、今回の文科省及び自民党議員による行為の問題性を強く認識し、ここに抗議の意を表明する。
そもそも文科省が個別の中学校の授業内容について説明や記録の提出を求めるということは、教育行政による教育現場への介入であり、1947年教育基本法第10条(2006年「改正」教育基本法第16条)で禁じられている「不当な支配」にあたることは明らかである。本来であれば、教育基本法の理念にのっとり教育現場に対するあらゆる権力の介入に歯止めをかけるべき文科省が、このような行動をとったことに対し、私たちは困惑と憤りを禁じ得ない。文科省は現在のところ議員による照会の影響を否定しているものの、政治権力におもねり「忖度」を繰り返す昨今の行政のゆがみを象徴した事態といわざるをえない。
ただし今回の問題は、単に一省庁による政権への「忖度」の問題として矮小化されるべきではないだろう。戦前における天皇機関説問題を想起するまでもなく、傲慢な政治家と無自覚な官僚による不用意な行為をきっかけに、徐々に教育・学問の現場が委縮していくことへの危惧を、本会は強く認識するものである。天皇機関説問題も、当時の法律学の常識的見解に対し全くの見識を欠く一貴族院議員の発言に端を発し、やがてその発言が時代状況と異常なまでに共鳴しながら、教育・学問への介入と弾圧を増幅させていったのである。
昨今の状況に鑑みても、特定の中学歴史教科書を採択した学校に対し、政治家が直接問い合わせを行うなど、教育現場に対する露骨な政治介入の度合いは増してきている。しかもそうした政治家に同調し、採択校に大量のはがきを送りつけるなど、教育現場への介入を草の根で支える動きも活発化している。戦前の深い反省に立ち、戦後常に権力による支配・統制に対抗する拠り所となってきたはずの旧教基法第10条(現16条)がないがしろにされるような動きが、いまや確実に加速しつつある。そうした時代的文脈の中で、今回の問題の重大性をとらえるべきである。
もはや教育への政治介入は、一教育現場の授業に圧力をかけるところにまで迫ってきたのである。
文科省は今回の行為の重大性を強く認識し、「不当な支配」に対する防波堤という本来の役割に立ち戻って、教育現場が自由かつ民主的な発言・活動の場となるよう努めることを、本会は強く求める。
2018年5月26日
歴史学研究会総会
公文書の改竄・隠蔽に抗議し、適切な作成・管理・保存・公開のための制度改革を求める決議
今年に入って国の公文書の改竄や隠蔽の事例が次々に明らかになった。3月には森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書から交渉の経緯などが削除されていたことが発覚した。4月には防衛省が「存在しない」としていた自衛隊のイラク派遣と南スーダン派遣の日報が相次いで「発見」され、イラク派遣の日報にいたっては、1年前に「発見」されていたにもかかわらず、防衛大臣に報告されていなかった事実も明るみに出て、文民統制に重大な疑義を生じさせている。
2011年4月に施行された「公文書の管理に関する法律」(公文書管理法)は、その第一条でその目的を「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること」とし、第四条で「行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、(中略)、文書を作成しなければならない。」と定めている。今回の行為は、この法律の趣旨に反し、民主主義の根幹を揺るがす、国民への背信行為であり、これに対して私たちは強く抗議するとともに、調査と責任追求のための第三者機関の設置を含む、徹底した真相究明を要求する。
公文書は国民の財産であるとともに、将来の歴史研究にとっての欠くことのできない貴重な資料でもある。歴史学研究会は、公文書管理法制定に際し、歴史学関係諸団体とともに内閣総理大臣、所管大臣をはじめとする政府関係者に対し陳情書や要望書を提出してきた。具体的に振り返っておけば、政府の「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の最終報告書が提出された際には、2008年11月に「公文書管理法制定についての陳情書」を、国会での審議が本格化した折には、2009年3月に「公文書等の管理に関する法律(公文書管理法)政府案に対する要望書」を、法律制定後の2009年12月には「公文書管理法の施行に関する要望書」を提出してきた。
これらの中で要望した、国立公文書館等の公文書管理を担う機関の政府からの独立性の確保、予算及び人員の拡充、国立公文書館による公文書の一元管理と中間書庫の設置、作成後30年経過したすべての公文書の原則公開と不開示濫用を回避する仕組みの導入、資料の電子化などは、その一部は文書管理法成立時の国会決議に謳われたものの、内閣はその実現化に向けた対応をとってこなかった。とりわけ今回の改竄・隠蔽では、公文書の移管・廃棄に関する権限を「行政機関の長」に委ね、文書の移管後においても「行政機関の長」が公開・非公開に関わることが可能となっている、公文書管理法の重大な問題点が明らかになったといえる。
2018年3月、内閣府公文書管理委員会はガイドライン改正案を公開したが、行政文書の定義の精緻化などに留まる微修正では、現在起こっている問題の本質的な解決とはならず、再発防止もおぼつかない。法の目的と文書の作成義務との関係を再考し、第4条修正を視野に入れた法改正が望まれる。公文書の適切な作成・管理・保存・公開が徹底されるよう、公文書管理法の改正を含め、抜本的な制度改革を政府に求めることを決議する。
2018年5月26日
歴史学研究会総会
公文書の改竄・隠蔽に抗議し、適切な作成・管理・保存・公開のための制度改革を求める決議
今年に入って国の公文書の改竄や隠蔽の事例が次々に明らかになった。3月には森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書から交渉の経緯などが削除されていたことが発覚した。4月には防衛省が「存在しない」としていた自衛隊のイラク派遣と南スーダン派遣の日報が相次いで「発見」され、イラク派遣の日報にいたっては、1年前に「発見」されていたにもかかわらず、防衛大臣に報告されていなかった事実も明るみに出て、文民統制に重大な疑義を生じさせている。
2011年4月に施行された「公文書の管理に関する法律」(公文書管理法)は、その第一条でその目的を「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること」とし、第四条で「行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、(中略)、文書を作成しなければならない。」と定めている。今回の行為は、この法律の趣旨に反し、民主主義の根幹を揺るがす、国民への背信行為であり、これに対して私たちは強く抗議するとともに、調査と責任追求のための第三者機関の設置を含む、徹底した真相究明を要求する。
公文書は国民の財産であるとともに、将来の歴史研究にとっての欠くことのできない貴重な資料でもある。歴史学研究会は、公文書管理法制定に際し、歴史学関係諸団体とともに内閣総理大臣、所管大臣をはじめとする政府関係者に対し陳情書や要望書を提出してきた。具体的に振り返っておけば、政府の「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の最終報告書が提出された際には、2008年11月に「公文書管理法制定についての陳情書」を、国会での審議が本格化した折には、2009年3月に「公文書等の管理に関する法律(公文書管理法)政府案に対する要望書」を、法律制定後の2009年12月には「公文書管理法の施行に関する要望書」を提出してきた。
これらの中で要望した、国立公文書館等の公文書管理を担う機関の政府からの独立性の確保、予算及び人員の拡充、国立公文書館による公文書の一元管理と中間書庫の設置、作成後30年経過したすべての公文書の原則公開と不開示濫用を回避する仕組みの導入、資料の電子化などは、その一部は文書管理法成立時の国会決議に謳われたものの、内閣はその実現化に向けた対応をとってこなかった。とりわけ今回の改竄・隠蔽では、公文書の移管・廃棄に関する権限を「行政機関の長」に委ね、文書の移管後においても「行政機関の長」が公開・非公開に関わることが可能となっている、公文書管理法の重大な問題点が明らかになったといえる。
2018年3月、内閣府公文書管理委員会はガイドライン改正案を公開したが、行政文書の定義の精緻化などに留まる微修正では、現在起こっている問題の本質的な解決とはならず、再発防止もおぼつかない。法の目的と文書の作成義務との関係を再考し、第4条修正を視野に入れた法改正が望まれる。公文書の適切な作成・管理・保存・公開が徹底されるよう、公文書管理法の改正を含め、抜本的な制度改革を政府に求めることを決議する。
2018年5月26日
歴史学研究会総会