- 声明 教科書に対する国家統制のさらなる強化に抗議する(2021.12.17)
- 旧東京帝国大学第二工学部木造校舎の解体中止を求める要望書(2021.08.06)
- 大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について(2021.05.14)
- ハラスメントのない学会を目指して(決意表明)(2021.04.23)
- 新たな装いで現れた日本軍「慰安婦」否定論を批判する日本の研究者・アクティビストの緊急声明(2021.03.10)
- 「高輪築堤」の保存を求める要望書(2021.02.26)
声明 教科書に対する国家統制のさらなる強化に抗議する
本年9・10月、文部科学省は、中学校社会科および高等学校地理歴史科・公民科の教科書41点について、教科書発行元7社から出されていた訂正申請を承認した。今般の訂正は、以下に述べる経緯に照らして、教科書に対する国家統制のさらなる強化を示す事態であり、学問の自由や教育の自由の侵犯につながることが強く懸念されることから、ここに抗議の意思を表明する。
(1)
今般の訂正は、教科書会社からの自主的な申請とそれに対する承認という形式をとっており、外形的には従来から行われてきた誤字脱字等の修正と変わらない。しかし、実際には記述内容に関して文部科学省が教科書会社に申請を暗に促し、いわば忖度させて訂正を申請させている。
4月27日、菅義偉内閣(当時)は日本維新の会の馬場伸幸衆議院議員が提出した「従軍慰安婦」等の表現および「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書に対する答弁書を閣議決定した。前者については「「従軍慰安婦」又は「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切」とし、後者については「朝鮮半島から内地に移入した人々の移入の経緯は様々であり、これらの人々について、「強制連行された」若しくは「強制的に連行された」又は「連行された」と一括りに表現することは、適切ではない」とした。
5月12日、萩生田光一文部科学大臣(当時)は衆議院文部科学委員会で「今年度の検定より、教科用図書検定調査審議会で、政府の統一的見解を踏まえた検定を行う」と答弁するとともに、検定済みの教科書についても「発行者による訂正申請などの状況を踏まえた上で適切に対応する」と述べた。
その直後の同18日、文部科学省初等中等教育局教科書課は教科書会社を対象に説明会を開催した。同課は政府の答弁書などについて説明したが、記述内容に関わる説明会は異例である。あわせて6月末までに「(必要に応じ)訂正申請」などと記された「主なスケジュール」も提示された。その際、教科書会社から訂正勧告の可能性を問われた同課は「勧告の可能性はある」と答えたともいう。教科書検定規則14条に基づく訂正勧告は過去に例がない。そのため、いわゆる許認可権を握る文部科学省が、民間の教科書会社に対して勧告を示唆することが、一定の圧力となっていることは否定できない。
今回の閣議決定は一国会議員の質問主意書に対する答弁書であったが、さらに注意すべきは、当該国会議員がかかる質問を行った背景である。2020年12月18日、新しい歴史教科書をつくる会および「慰安婦の真実」国民運動は、萩生田光一大臣に対して申入書「中学校歴史教科書における「従軍慰安婦」記述削除の訂正申請勧告を要望します」を提出した。申入の主旨は、山川出版社が発行する中学校社会科教科書に載る「従軍慰安婦」文言を文部科学省の権限で削除させるべし、というものであった。これに対して、同省教科書課は翌年1月8日に「教科用図書検定基準等に基づき、教科用図書検定調査審議会の学術的・専門的な審議の結果、検定意見は付されなかった」ことから訂正勧告は考えていない旨を回答している。しかし、その後も新しい歴史教科書をつくる会やその支部がいく度となく文部科学省に抗議や申入を行う中で、国会審議で取り上げられるまでになり、上記答弁書が閣議決定されるに至った。その結果、「学術的・専門的な審議の結果、検定意見は付されなかった」としてから僅か数か月で、同課は教科書会社に対して訂正申請を促し、のみならず、訂正勧告の可能性まで示唆することになったのである。
教科書には学術研究の成果が反映されるべきであり、審議も「学術的・専門的」になされるべきである。にもかかわらず、今回の政府見解とは、一部の民間団体の動きに呼応した一国会議員の質問に応じる形で作られた答弁書に過ぎない。
既に2014年の教科用図書検定基準および教科用図書検定審査要項の改定により、政府の統一的見解や確定した判例を盛り込むことが義務付けられた。改定に先立ち本会も「安倍政権による教科用図書検定基準の改悪、教科書の国家統制強化に反対する」と題する声明を発出し、政府見解などを教科書に書かせることが教科書の国家統制強化となることなど、複数の問題点・懸念点を指摘して警鐘を鳴らした。
今回の事態は、そもそも通常の検定とは無関係に、既に検定に合格している教科書に対しても訂正申請を迫る形で記述内容を政府の意に沿うものに変更させることが可能となったことを意味し、教科書に対する国家統制を一層強化する深刻な事態と言わねばならない。検定制度はそれ自体、表現の自由や学問の自由との関係において重大な問題を抱えているが、検定意見書は文部科学省によって全面的に公開されている。それに対して、主に誤字脱字の修正を目的とする訂正申請は文部科学省として内容を公表することはないため、市民社会の目が行き届きにくいところで、内容に関わる重大な変更の強要が生じることになるのである。今後、日々数多なされる閣議決定の内容が訂正申請の誘導や強要という形で随時教科書に反映されることになれば、政府自らが教育現場に無用な混乱を与え、ひいては、教育行政の中立性と継続・安定性を根本から毀損することになりかねない。ましてや、その政治的主張が、学術研究の成果や教育現場の声と乖離したものであったならば、学問の自由や教育の自由に対する重大な侵犯につながると言わざるをえないだろう。
(2)
今回の閣議決定は、いわゆる「従軍慰安婦」や「強制連行」・「強制労働」など、近隣諸国との間で外交問題化している歴史認識にかかわる事項である。その議論は、学術研究の成果や当事者の証言などを踏まえ、事実関係に基づいて冷静かつ客観的になされねばならない。しかし、閣議決定はそうなっておらず、政治的思惑によって史実を歪曲している。
作家の千田夏光がその著書『従軍慰安婦』(1973年)で初めて用いた「従軍慰安婦」という表現の「従軍」という語をめぐっては、「従軍記者」や「従軍作家」など他の用例から当人の自発性を連想させ、強制性を後景化させるのではないかという批判が学界でも存在する。ただし、そこで問題になっているのは、いわば「従軍」の「従」の部分であった。これに対して、今回の閣議決定は「従軍」の「軍」の部分、すなわち軍の組織的責任を隠蔽しようとする意図がうかがわれる。
しかし、当時の日本軍の文書には「軍慰安所」という用語が見え、当時の刊行物にも「軍慰安婦急募」という広告が載るなど、軍が主導していたことは否定しえない。「慰安婦」制度を日本軍が自ら立案・管理し、軍の要請を受けた業者による「慰安婦」の募集・移送がなされ、業者への便宜供与もあったことは、これまでの研究で明らかになっている。また、戦地での暴行や脅迫だけではなく、誘拐や人身売買などの形で強制的な連行があったことも指摘されている。強制性については、連行時に限った問題ではなく、「慰安所」において人身が拘束され、性奴隷状態に置かれていた実態も看過することはできない。
今回の閣議決定は、「軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合にも甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」とした1993年の河野談話を継承するとしているが、明らかに矛盾している。近年は河野談話そのものを破棄しようとする政治的な動きもある。しかし、そもそも軍の関与に触れたに過ぎない河野談話の如何に関わらず、軍の主導性や強制性については上述の通り否定しがたいのである。
また、「強制連行」「強制労働」に関しても、今回の閣議決定は、朝鮮人に対する戦時労働動員について、1939年7月に始まる「募集」方式ならびに1942年2月に始まる「官斡旋」方式を、1944年9月に始まる「一般徴用」方式と峻別した上で、後者に即して国家総動員法および国民徴用令の範疇で捉えているが、これは明らかに史実の恣意的な矮小化である。かかる歴史認識は、2000年代前半に「強制連行」記述の削除を求めた新しい歴史教科書をつくる会や自民党の日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会などが政治的に拡散しようとした歴史認識そのものである。
しかし、「募集」方式や「官斡旋」方式の段階で強制的な労働動員がおこなわれこと、さらに、「一般徴用」方式の段階でも国家総動員法の法的範疇を越えて民族差別に基づき植民地民衆に対する暴力的な動員がおこなわれたことは、これまでの研究で明らかにされている。国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会も1999年に、戦前・戦中の日本による朝鮮人や中国人の労働動員が「強制労働ニ関スル条約」(1932年5月1日に発効、同年11月21日に日本批准)に違反するものであったとの見解を示している。学術研究の成果とともに、こうした国際機関の指摘についても真摯に受け止める必要があるだろう。
今回の訂正申請を通じて、多くの教科書で本文から「強制」という文言が削られることになった。しかし、植民地支配と侵略戦争に起因するこうした重大な人権侵害を再び繰り返さないためにも、加害の歴史と国家の責任から目を反らすようなことがあってはならない。
以上の通り、今般の教科書の訂正申請は、学術研究の成果と乖離した閣議決定に基づき、検定済みの教科書に対して事実上強要されたものであって、到底容認できない。教科書に対する国家統制を一層強化し、ひいては、学問の自由や教育の自由を侵犯する事態として強く抗議する。
2021年12月17 日
歴史学研究会委員会
旧東京帝国大学第二工学部木造校舎の解体中止を求める要望書
令和3年(2021)8 月6 日
文部科学大臣 萩生田 光一 殿
文化庁長官 都倉 俊一 殿
東京大学総長 藤井 輝夫 殿
千葉大学学長 中山 俊憲 殿
千葉県知事 熊谷 俊人 殿
千葉県教育委員会教育長 冨塚 昌子 殿
千葉市長 神谷 俊一 殿
千葉市教育委員会教育長 磯野 和美 殿
歴史学研究会
委員長 若尾 政希(一橋大学教授)
歴史科学協議会
代表理事 藤本 清二郎(和歌山大学名誉教授)
代表理事 近藤 成一(放送大学教授)
同時代史学会
代 表 菊池 信輝(都留文科大学教授)
東京歴史科学研究会
代表委員 大橋 幸泰(早稲田大学教授)
千葉歴史学会
代 表 菅原 憲二(千葉大学名誉教授)
千葉歴史・自然資料救済ネットワーク
共同代表 久留島 浩(国立歴史民俗博物館特任教授)
茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク
代 表 高橋 修 (茨城大学教授)
旧東京帝国大学第二工学部木造校舎の解体中止を求める要望書
千葉県千葉市稲毛区弥生町に現存する旧東京帝国大学第二工学部の木造校舎二棟について、計画されている解体を中止し、学術調査の実施および文化財としての保存・活用を要望します。
東京帝国大学第二工学部は、アジア・太平洋戦争開戦直後の昭和17 年(1942)4 月、時局柄、軍事研究を含む工学技術者養成の要望の高まりを受けて開学しました。周辺には、鉄道第一連隊や陸軍兵器補給厰などのほか、千葉
陸軍戦車学校や千葉陸軍防空学校などがあり、「軍都千葉」における研究・教育機関の一つに位置付けられます。
東京帝国大学第二工学部のキャンパスは、戦後、千葉大学西千葉キャンパスと東京大学生産技術研究所千葉実験所の敷地となりました。戦前期に建てられた建造物の多くは既に失われたため、生産技術研究所跡地に現存する木造校舎二棟は「軍都千葉」を象徴する大変貴重な歴史的建造物です。さらに、伝統的な大工技術を駆使している点や、戦前期の建築様式(モダニズムの影響)や機械式換気設備を備えたドラフト・チャンバーなど、建築学や科学技術史の観点からも貴重な建造物として評価されています。
また、「軍都千葉」に関わる歴史的建造物や戦争遺跡は、陸軍鉄道第一連隊材料廠(県指定有形文化財、千葉経済大学キャンパス内)や陸軍鉄道第二大隊表門(国登録有形文化財、千葉工業大学キャンパス内)など僅かしか現存しておらず、その意味でも木造校舎二棟は戦争と地域社会の歴史を今に伝える貴重な文化遺産といえます。
このように木造校舎二棟は、千葉という地域の記録と記憶を、さらには日本近代における科学技術の進展や戦争の経験を未来に伝えていく上で、大変貴重な歴史的建造物であるにもかかわらず、これまで学術的な調査が十分に行われていません。現在、東京大学では、木造校舎二棟を解体し、千葉大学と一部の土地を交換した上で、敷地を開発業者へ売却することなどを検討していると報道されています。仮に解体がなされれば、貴重な歴史的遺産が失われてしまうことを意味します。歴史学や建築学をはじめとする多様な学問的見地から、木造校舎二棟の歴史的意義についてあらためて検討を行うとともに、文化財として適切に保存・活用していく必要があると考えます。
以上のことから、旧東京帝国大学第二工学部木造校舎二棟について、以下のことを要望いたします。
要望事項
1、木造校舎二棟の解体を中止すること。
2、関係機関や学協会と連携して、総合的な学術調査を実施すること。
3、専門家や地域住民らの意見も踏まえ、文化財として保存・活用の方策を検討すること。
以上
大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について
島根県知事 丸山達也様
島根県教育委員会教育長 新田英夫様
出雲市長長 岡秀人様
出雲市教育委員会教育長 杉谷学様
島根史学会会長 竹永三男
島根考古学会会長 松本岩雄
戦後史会議・松江世話人代表 若槻真治
私たちは、アジア・太平洋戦争末期に海軍航空基地として建設された、島根県出雲市斐川町出西・直江・荘原地区を中心とした広い地域に存在する大社基地及びそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)の学術調査と保存、ならびに文化財指定を要望します。
大社基地遺跡群は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地として、その遺構を良好に残す島根県最大規模の、また全国的にも稀有の戦争遺跡です。
アジア・太平洋戦争の末期には、戦況の悪化とともに、首都圏、大都市圏、九州南岸などに点在していた陸海軍の航空基地は次々と空襲を受けました。そこで、本土決戦に備えて航空機を温存しようとした軍部は、空襲による被害が比較的少ないと考えられた日本海側に航空基地を移転しようとしました。そして、1945年(昭和20)3月から6月にかけて、120m×1700mの主滑走路(そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)と、30m×600mの応急離陸路等を持つ海軍航空基地が、国民学校生までをも動員して急遽建設されることになりました。こうして建設された大社基地は、当時、西日本最大の爆撃・雷撃の拠点でした。
大社基地遺跡群には、現在でも主滑走路のおよそ半分が当時のままの状態で残されているほか、その周辺には、東西およそ6キロメートル、南北およそ6キロメートルの範囲で、配備された爆撃機「銀河」の掩体、爆弾や魚雷を格納した地下壕、兵舎跡、対空機銃陣地跡、基地設営隊本部が置かれた旧出西国民学校校舎などが残されています。国立公文書館アジア歴史資料センターでは、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など、関連する多くの文献資料が確認できるという点でも、貴重な遺跡です。
以上のように、大社基地遺跡群は、海軍航空基地としての規模が大きいこと、主滑走路と附属施設が建設当時の原状をよく残していること、関連する文献資料が豊富なことなどから、戦争遺跡として全国的にも稀な、貴重な文化財であると考えます。このことは県内でも夙に注目されており、島根県教育庁文化財課編『島根県の近代化遺産 島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(平成14年3月、島根県教育委員会)にも「陸上自衛隊出西訓練場(海軍大社基地関連施設群)」として掲載されています。
このことに加え、大社基地遺跡群は、貴重な平和学習の場として、これまでも、また現在も学校教育・社会教育で活用されています。特に主滑走路は、子供たちが戦争の実態や当時の雰囲気を実感する上で格好の教材として活用されています。
このように大社基地遺跡群は、戦争遺跡として島根県を代表する貴重な文化財であるにもかかわらず、これまで開発に伴う発掘調査が行われた以外には公的な学術調査は行われておらず、調査・研究は、もっぱら民間研究者による個別的な努力に委ねられてきました。そのため各種の遺構の正確な分布調査は十分にはなされておらず、学術的研究もなお不十分な状態にあります。
現在、大社基地遺跡群の中の主滑走路の大部分は民間に売却されることになり、落札者が確定したと報じられています。このことも、学術的調査と研究が不十分であったこと、その必要性を文化財保護行政当局に働きかけなかったことによるものとして、私たち研究団体としても、深く反省すべきことと考えております。
以上のことから、私たちは、大社基地遺跡群について、以下のことを要望します。
要望事項
1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。
2.大社基地遺跡群を県指定史跡に指定して保存すること。
3.貴重な戦争遺跡として保存管理計画を策定し、今後の整備と活用について検討すること。
以上
〔学会賛同署名〕
上記の「大社基地遺跡群の学術調査、文化財指定と保存に関する要望について」の趣旨を確認し、賛同します。
2021年5月14日 歴史学研究会委員長 若尾政希
ハラスメントのない学会を目指して(決意表明)
歴史学研究会委員会は、2019年度大会において特設部会「歴史学における男女共同参画」を開催しました。この中で、小沢弘明委員長(当時)により本会活動における男性中心の構造、ジェンダーギャップやジェンダーバイアスの存在が検討の俎上にのせられました。翌年度には、委員会内に若手研究者問題ワーキンググループを立ち上げ、2020年度大会特設部会「「生きづらさ」の歴史を問うⅡ―若手研究者問題について考える―」を企画し、実態把握の試みとして、大学院生や若手非正規研究者によって支えられている本会の各時代別・地域別部会の運営委員を対象とした匿名のアンケートを実施しました。その結果、若手研究者が厳しい環境の中で研究活動や学会活動に取り組んでいる様子が改めて確認されるとともに、部会活動の場においてハラスメントを生み出すような構造が現に存在している実状も見えてきました。
委員会では会の足元で起きているこうした事態が、歴史学界の持続可能性を損ないかねない深刻な問題であると認識し、強い反省のもと、学問空間におけるハラスメントの根絶やジェンダー平等の実現に向けた取り組みが急務であるとの認識に至りました。これまでも人文社会科学系学協会における男女共同参画推進連絡会(GEAHSS)や日本歴史学協会若手研究者問題特別委員会の活動に参加し、昨年は7月15日付で日歴協が発出した「歴史学関係学会ハラスメント防止宣言」にも賛同するなど、女性研究者や若手研究者を取り巻く問題に取り組んできました。
しかし、それが不十分であったことを率直に認めざるをえません。このたび、ハラスメント防止の取り組みをより具体的なものとするため、ガイドラインの策定や運用体制の構築に着手することを表明します。
既に大学などの研究教育機関では、ガイドラインの策定や相談窓口の設置、研修会の実施などが当たり前になっています。また、他国ないし他分野においては、学会としてガイドラインや倫理規定を定めることも一般的になりつつあります。こうした状況に鑑みれば、日本の歴史学系学協会における取り組みが遅れていることは明らかです。ガイドラインや規定の策定にあたっては、会員の地位にかかわる事柄であることから、慎重な制度設計や運用が求められます。今後、他学会の取り組みに学び、また、関係団体の協力なども仰ぎながら、作業を進めていきます。
また、インターネットの普及を背景に、ソーシャルメディア上でのハラスメントやヘイトスピーチも、国内外で社会問題となっています。特定の民族や人種への差別や偏見は、時として歴史修正主義と結び付き、社会の分断を深刻にしています。研究者をめぐっても、他人の研究成果に対する批評や評価が、ソーシャルメディア上で発信されるケースがしばしば見受けられますが、そこには時として揶揄や冷笑が含まれ、ハラスメントの要因となることが懸念されます。本会は昨年9月に刊行した会誌『歴史学研究』1000号で、「進むデジタル化と問われる歴史学」と題する特集を組み、ソーシャルメディアの問題も取り上げました。今後はインターネット空間における研究者による発信や議論のあり方についても、改めて学界全体で考えていく必要があると考えています。
ハラスメントや差別が生まれる背景には、他者、とりわけ社会的弱者や少数者への想像力の欠如があります。しかし、戦後における歴史学の歩みを振り返る時、社会的弱者や少数者への眼差しこそが、豊かな学問的成果を生み出し、新たな歴史像を切り開いてきたと考えます。そして、歴史像のたゆまぬ更新こそが、複雑化する現代社会に必要な学知をもたらすとの確信の上に立ちます。
本会は戦後の再建に際して制定した綱領に「われわれは、国家的な、民族的な、そのほかすべての古い偏見をうち破り、民主主義的な・世界史的な立場を主張する」と明記しました。今、この一文を改めて胸に刻み、学問的立場から、ハラスメントの根絶やダイバーシティの推進に向けた取り組みに一層邁進することを誓います。
2021年4月23日
歴史学研究会委員会
2020年12月、ハーバード大学ロースクール教授のジョン・マーク・ラムザイヤー氏が書いた論文「太平洋戦争における性行為契約」が、国際的な学術誌『インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス』(IRLE)のオンライン版に掲載されました。2021年1月31日に、『産経新聞』がこの論文を「「慰安婦=性奴隷」説否定」との見出しで大きくとりあげたことをきっかけに、ラムザイヤー氏とその主張が日本、韓国そして世界で一挙に注目を集めることになりました。
タイトルとは異なり、この論文は太平洋戦争より前に日本や朝鮮で展開されていた公娼制度に多くの紙幅を割いています。実質的な人身売買だった芸娼妓契約について、ゲーム理論を単純に当てはめ、金額や期間などの条件で、業者と芸娼妓の二者間の思惑が合致した結果であるかのように解釈しています。ラムザイヤー氏は、この解釈をそのまま日本軍「慰安婦」制度に応用しました。戦場のリスクを反映して金額や期間が変わった程度で、基本的には同じように朝鮮人「慰安婦」と業者のあいだで合意された契約関係として理解できると主張したのです。しかも、その議論とワンセットのものとして、朝鮮内の募集業者が女性をだましたことはあっても、政府や軍には問題がなかったと、日本の国家責任を否認する主張も展開しました。
つまり、この論文は、「慰安婦」を公娼と同一視したうえで、公娼は人身売買されていたのではなく、業者と利害合致のうえで契約を結んだことにして、「慰安婦」被害と日本の責任をなかったことにしようとしているのです。
私たちは、この論文が専門家の査読をすり抜けて学術誌に掲載されたことに、驚きを禁じ得ません。おそらく日本近代史の専門家によるチェックを受けていなかったのだと思われますが、先行研究が無視されているだけでなく、多くの日本語文献が参照されているわりに、その扱いが恣意的であるうえに、肝心の箇所では根拠が提示されずに主張だけが展開されているという問題があります。以下、主要な問題点を3つに分けて指摘します。
①まず日本軍「慰安婦」制度は公娼制度と深く関係してはいますが、同じではありません。公娼制度とは異なり、慰安所は日本軍が自ら指示・命令して設置・管理し、「慰安婦」も日本軍が直接、または指示・命令して徴募しました。娼妓や芸妓・酌婦だった女性たちが「慰安婦」にさせられた事例は、主に日本人の場合に一部見られたものの、多くの女性は、公娼制度とは関係なく、契約書もないままに、詐欺や暴力や人身売買で「慰安婦」にさせられたことが、膨大な研究から明らかになっています。にもかかわらず、ラムザイヤー氏は日本軍の主体的な関与を示す数々の史料の存在を無視しました。
何よりも氏は、自らの論点にとって必要不可欠であるはずの業者と朝鮮人「慰安婦」の契約書を1点も示していません。こうした根拠不在の主張だけでなく、随所で史料のなかから自説に都合のよい部分のみを使用しています。たとえば、この論文(6頁)で用いられている米戦時情報局の文書(1944年)には、703人の朝鮮人「慰安婦」が、どのような仕事をさせられるかも知らされずに数百円で誘拐ないし人身売買によりビルマに連れて行かれたことを示す記述がありますが、氏はこれを全く無視しています。
②近代日本の公娼制度の理解にも大きな問題があります。公娼制度下での芸娼妓契約が、実態としては人身売買であり、廃業の自由もなかったことは、既に多数の先行研究と史料で示されています。しかしラムザイヤー氏は、ここでも文献の恣意的使用によって、あるいは根拠も示さずに、娼妓やからゆきさんを自由な契約主体のように論じています。たとえば、この論文(4頁)では『サンダカン八番娼館』を参照し、「おサキさん」が兄によって業者に売られたことについて、業者はだまそうとしていなかったとか、彼女が10歳でも仕事の内容は理解していたなどと主張しています。しかしラムザイヤー氏は、彼女が親方に「嘘つき!」と抗議したことなど、同書に氏の主張をくつがえす内容が記されていることを無視しています。
③この論文は、そもそも女性の人権という観点や、女性たちを束縛していた家父長制の権力という観点が欠落しています。女性たちの居住、外出、廃業の自由や、性行為を拒否する自由などが欠如していたという意味で、日本軍「慰安婦」制度は、そして公娼制度も性奴隷制だったという研究蓄積がありますが、そのことが無視されています。法と経済の重なる領域を扱う学術誌の論文であるにもかかわらず、当時の国内法(刑法)、国際法(人道に対する罪、奴隷条約、ハーグ陸戦条約、強制労働条約、女性・児童売買禁止条約等)に違反する行為について真摯な検討が加えられた形跡もありません。
以上の理由から、私たちはラムザイヤー氏のこの論文に学術的価値を認めることができません。
それだけではなく、私たちはこの論文の波及効果にも深刻な懸念をもっています。日本の国家責任を全て免除したうえで、末端の業者と当事者女性の二者関係だけで説明しているからこそ、この論文は、一研究者の著述であることをこえて、日本の加害責任を否定したいと欲している人々に歓迎されました。「慰安婦は公娼だった」「慰安婦は自発的な売春婦」「慰安婦は高収入」「慰安婦は性奴隷ではない」……。これらは、1990年代後半から現在まで、日本や韓国などの「慰安婦」被害否定論者たちによって繰り返し主張されてきた言説です。今回、米国の著名大学の日本通の学者が、同様の主張を英字誌に出したことで、その権威を利用して否定論が新たな装いで再び勢いづくことになりました。それとともに、この論文の主張に対する批判を「反日」などと言って攻撃するなど、「嫌韓」や排外主義に根ざした動きが日本社会で再活発化しています。私たちは、このことを深く憂慮しています。
以上を踏まえ、私たちはまずIRLEに対し、この論文をしかるべき査読体制によって再審査したうえで、掲載を撤回するよう求めます。また、日本で再び広められてしまった否定論に対して、私たちは事実と歴史的正義にもとづき対抗していきます。今回の否定論は、日本、韓国、北米など、国境をこえて展開しています。であればこそ私たちは、新たな装いで現れた日本軍「慰安婦」否定論に、国境と言語をこえた連帯によって対処していきたいと考えています。
2021年3月10日
Fight for Justice(日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会)
歴史学研究会
歴史科学協議会
歴史教育者協議会
「高輪築堤」の保存を求める要望書
関係機関各位
東京都港区における東日本旅客鉄道会社(以下JR東日本)の「品川開発プロジェクト」にともなう発掘調査によって、1872年(明治5)に開業した日本最初の鉄道の遺構である「高輪築堤」が発見されたという情報は、全国的に大きなインパクトをもって伝えられました。
遺構の保存等については、発見時に所在地にあたる港区教育委員会がその重要性に基づき、事業者であるJR東日本に対して現状保存を要請したと伺っております。その後、有識者と関係者による「調査保存等検討委員会」が立ち上がり、保存をめぐり様々な議論が交わされているとも聞き及んでおります。それに並行して、産業遺産学会、日本考古学協会(埋蔵文化財保護対策委員会)が遺構の保存を求める要望書を提出し、別途、鉄道史学会・都市史学会・首都圏形成史研究会・地方史研究協議会・交通史学会も連名で、遺構の保存や公開を求める要望書を提出するという状況となっています。このような諸学会の動向からも、「高輪築堤」の保存を願う声は日増しに広がってきていることがわかります。
わが国の歴史学系学会の連合組織である日本歴史学協会は、諸学会のこうした要望を全面的に支持することを表明するとともに、新たに、賛同学会と連名で「高輪築堤」の保存を求める要望書を出すことにしました。
まず、「高輪築堤」の歴史的評価については、日本の近代化を牽引した創業期の鉄道の姿を目の当たりにすることができる貴重な遺構であること、産業史・鉄道史・交通史などの分野に留まらず、日本近代史を象徴する、重要な歴史遺産であるということに異論はないものと思われます。工学・技術史的な側面では、イギリス人技師の指導による西洋の鉄道建築の技術に、日本で受け継がれてきた手法が融合した、ハイブリットな構造物であるという特徴が認められます。とくに、第7橋梁部と周辺の水路跡については、その希少性に加えて、保存状況の良好さも評価されており、遺構全体の中でも重要な部分に位置づけられています。このような学術的価値の高さという点から判断すると、「高輪築堤」の現状保存を確実に行い、すみやかに国史跡の指定にむけた対応を取る必要があります。
「高輪築堤」に対する注目は非常に高く、遺構の行く末や、保存の対応の方向性次第によっては、大きな反響が巻き起こることも予想されます。わたしたちは、「高輪築堤」遺構の保存・活用と地域開発との共存が、関係当事者間での協議や調整によって解決され、現実となることを願い、以下の点を要望いたします。
(1)開発プロジェクトの事業主体であるJR東日本に対しては、国有財産を日本国有鉄道から継承した事業者としての立場から、「高輪築堤」遺構が国民共有の重要な財産であることを十分に認識すること
(2)「高輪築堤」が、場所性と高く結びついた文化財である「史跡」としての価値が十分認められる点を考慮し、移設保存の方針を改め現地保存すること
(3)国史跡の指定に向け、国・都・港区などの関係者との協議や調整などの対応を図ること
なお、「高輪築堤」は、1996年(平成8)に国史跡に追加指定された新橋横浜間鉄道の遺構である「旧新橋停車場跡」の延長線上にあり、新橋停車場と価値を同じくする貴重な遺構です。そのため、今後は「旧新橋停車場跡」とあわせた保存・活用を行う必要が生じることが想定されます。「旧新橋停車場跡」の国史跡への追加手続きに際しては、所有者であるJR東日本がその文化財的価値を認め、必要な手続きに入り、国史跡に追加指定されています。JR東日本は 「高輪築堤」に関しても、「旧新橋停車場跡」と同様の判断と保護措置を取るよう強く要望します。
もちろん、期限の定まった開発事業を進めていく中での緊急対応となれば、苦慮する場面も多々あるものと推察いたします。その中での、遺構の保存を前提とする、設計変更も含めた開発事業の見直しという判断は、後年、文化財の保存・活用と開発を両立させた事例として大きく評価されるものになるのではないかと考えます。英断を求めます。
すでに、本年2月16日には、萩生田光一文部科学大臣が現地を視察し、「高輪築堤」を「明治期の近代化を体感できる素晴らしい文化遺産」であると述べ、都市開発の現状に一定の理解を示しながらも、遺構の現地保存との両立を前提とする、国史跡指定の方向性と国の支援に言及しています。この大臣発言は、非常に重要であり、国による「高輪築堤」遺構に対する方針の提示と今後の対応策を示したものと理解いたします。
万一、交渉が途切れ、歴史上重要な「高輪築堤」が取り除かれるというような事態を招けば、文化財保護行政上の大きな失点にもなりかねません。関連する文部科学省・国土交通省・文化庁、東京都、港区に対しては、「高輪築堤」が有している文化財(史跡)としての本質的価値の高さと、保存の必要性、保護の緊急性という視点から、国史跡の指定にむけて、事業者への助言・調整などを継続的かつ積極的に進めていくことを要望いたします。
2021年2月26日
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