2026年度歴史学研究会大会
大会日程
第1日 5月30日(土)
| 総 会 | |
| *総会は会員のみ参加可能です。『歴史学研究会月報』5月号をお持ちください。 | |
| 全体会 「近代」を問い直す | |
| 植民地と「近代」―南アフリカ史研究から― | 堀内 隆行 |
| 「中国の近代」の捉え方 | 小野寺 史郎 |
| 異国船打ち払いの陥穽―18-19世紀転換期日本における権力編成の変容― | 岩﨑 奈緒子 |
第2日 5月31日(日)
| 古代史部会 古代国家形成期の地域支配と社会の変容/受容 | |
| 7世紀以前の地域支配制度と在地首長制論の転回 | 堀川 徹 |
| 国家形成期の地域社会と王権 | 佐藤 雄一 |
| 中世史部会 日本中世における公家社会と家 | |
| 中世前期の摂関家と家領 | 海上 貴彦 |
| 地下官人の存続と中世後期の朝廷 | 森田 大介 |
| 近世史部会 学知から考える幕末政治と朝廷 | |
| 尊王から天皇へ―開国前夜の朝廷をとりまく学知と政治のネットワーク― | 金 炯辰 |
| 維新前夜の出版統制と書物・学校―頼山陽『日本外史』の各版をめぐる諸動向を中心に― | 清水 光明 |
| 近代史部会 人びとの移動における排外経験 | |
| 土地に刻まれた記憶を読む―南洋群島におけるチャモロと沖縄移民の交錯する歴史経験― | 森 亜紀子 |
| 虹はやがて消えるのか?―南アフリカにおける排除と包摂の歴史的展開― | 網中 昭世 |
| コメント | 外村 大 鈴木 茂 |
| 現代史部会 混沌と秩序の都市空間 ―第二次世界大戦前後の日米における商業空間と住民社会の再編― | |
| 路上空間と「生」の論理―戦間期シカゴの事例を中心に― | 髙橋 和雅 |
| 闇市と近現代―せめぎあう建築・都市空間― | 初田 香成 |
| コメント | 祐成 保志 |
| 合同部会 前近代の「共和政」における「合意」形成 | |
| 古代ローマの「共和政」の理論と実践―紀元前1世紀の事例を中心に― | 丸亀 裕司 |
| 15世紀フィレンツェにおけるres publica/repubblica | 三森 のぞみ |
| 近世イングランドの「君主のいる共和国」 | 山根 明大 |
| コメント | 石川 敬史 |
| 特設部会 世界が直面する学問の自由の危機―歴史と現状― | |
| 「学問の自由」の危機とその兆候―19–21世紀のナショナル・アカデミー史から考える― | 隠岐 さや香 |
| ハンガリーの非/新自由主義政治とジェンダー研究・人文社会科学 | 姉川 雄大 |
| 第二次トランプ政権下のアメリカにおける学問の自由の危機とその歴史的背景 | 藤岡 真樹 |
主旨説明文
全体会 「近代」を問い直す
委員会から
「近代」をどのように捉えるかは,近代歴史学において重要な課題の一つであった。「近代」は我々が今日置かれている状況,依拠している体系や制度,共有しているとされる観念や価値の多くが成立した時代とみなされている。資本主義,帝国主義,植民地支配,官僚制国家,民主主義,法治主義,自由・平等の観念,国民国家,人種主義,近代科学,世界システム,西洋中心主義,近代的ジェンダー規範,生= 権力などが,「近代」において生まれ,「近代」を特徴づけていると考えられてきた。
「前近代/近代」という区分がしばしばなされるように,歴史学研究において「近代」は特権的な地位を占め,分析の際の重要な参照点となってきた。とりわけ,植民地化された地域にとって「近代」は歴史上の決定的な区分であり,また,その「近代」は「西洋」の存在と不可分に結びつけられてきた。それは植民地化する主体となった日本についても同様である。
しかし,ここ数年の間に世界で生じていることは,剥き出しの暴力による他国攻撃,力による支配,法治ではなく人治,反科学主義,差別の公認など,近代が問い続けた課題を始めからやり直さなければならないかのような感覚すら覚えさせる。他方で,西洋諸国の凋落は著しく,発展のモデルとしての地位は失われたように見える。歴史学では,かつて西洋「近代」の歴史的発展を標準とみなして,他地域の歴史については西洋「近代」との差異や関係を意識して語られてきたという経緯がある。今日の状況を安易に歴史に反映させることは避けるべきであるが,現在我々が置かれているこのような状況において,歴史学として,「近代」をあらためて問い直すことに意味があるのではないだろうか。
これまで歴史学において「近代」はさまざまに論じられてきた。よく知られているように,戦後日本の歴史学では,マルクス主義の歴史観に基づく発展段階論がある時期まで大きな影響力をもった。そこでの議論では,日本の「近代」が「遅れ」や「歪み」により戦争への道を進んだという反省も広く共有されていた。それは丸山眞男に代表される近代主義と言われる立場とも共通した。これらに対して,どの社会もいずれ近代化を遂げるとする近代化論は,日本の近代化を肯定する立場につながり,戦後歴史学と対立することになった。
その後,民衆史,社会史,世界システム論などさまざまな潮流を経て,1990年代に隆盛したナショナリズム論・国民国家論は,国民や国民国家の構築性を前提として,近代日本もまた,世界各地に存在する国民国家の一例とみなした。そこでは,近代日本の特殊性や遅れよりも普遍性・同時性が強調され,国民国家形成がもたらした諸問題が探究されたが,ナショナリズムに複数の起源があると説いたベネディクト・アンダーソンの議論とは裏腹に,日本の学界では国民国家を西洋モデルと考える傾向が強かったようである。
やはり90年代以降,ポストコロニアリズムやグローバル・ヒストリーは,それぞれ別の仕方でヨーロッパの中心性の批判・相対化を試みたが,非西洋現地社会のエージェンシーや持続性を強調する議論,あるいは植民地支配者側の多様性や脆弱性に目を向ける議論は,ともすれば帝国主義・植民地主義の暴力性を希釈化する恐れを常にはらんでいる。また,グローバル・ヒストリーの考え方では,世界はある時期から同時に新しい時代に移行したという見方も可能であるが,各地域の歴史に焦点を当てる研究との間には認識の違いも存在するように思われる。
ここまできわめて大雑把に教科書的な史学史のおさらいをしてきたが,2026年度の全体会では,昨年度の全体会「時代区分再考」を継承しつつ,各地域の歴史研究において「近代」がどのように捉えられてきたのか,そして,どのように捉えることが可能なのかをあらためて検討してみたい。
全体会では,まず,「近代」の成立において植民地の存在が不可欠であったという認識のもと,第一報告の堀内隆行「植民地と「近代」―南アフリカ史研究から―」が,植民地と「近代」をめぐる議論を考察する。本報告は,近代化論,従属理論・世界システム論,ポストコロニアリズムなどがどのように「近代」を考えてきたかを概観したのち,報告者が専門とする南アフリカ史研究に即して「近代」の問題を検討する。
次に,中国に視点を移して,「中国の近代」がどのように論じられてきたかという問題を考える。この問題は,現在の中国共産党政権に対する評価,あるいは西洋諸国や日本による,武力侵攻を含む中国進出に対する評価と分かち難く結びついている。第二報告の小野寺史郎「「中国の近代」の捉え方」は,戦後を中心に,中国,日本,欧米などの研究者たちの間でどのような「中国の近代」の捉え方が存在し,それがどのように展開したかを論ずる。
最後に,具体的な事例研究を通じて,「近代」の始まりをどのように捉え直すことができるかを検討する。第三報告の岩﨑奈緒子「異国船打ち払いの陥穽―18-19世紀転換期日本における権力編成の変容―」は,世界との共時性を意識しつつ日本の18世紀から19世紀への転換期に焦点を当てる。18世紀末,対ロシア外交において幕府が国法として提示した異国船打ち払いの問題を取り上げ,対ロシアを軸に,武力を以て外国船に対峙することが武士の果たすべきミッションとして構造化する過程を検証し,「近代」への見通しを考察する。
大きなテーマであるため,3報告のみで歴史学における「近代」をめぐる問題を扱い切れるわけではない。当日は世界史的視野での議論の深まりを期待したい。 (研究部)
[参考文献]
岩﨑奈緒子『〈ロシア〉が変えた江戸時代―世界認識の転換と近代の序章―』吉川弘文館,2024年。
小野寺史郎『戦後日本の中国観―アジアと近代をめぐる葛藤―』中央公論新社,2021年。
ブレッケンリッジ,キース『生体認証国家―グローバルな監視政治と南アフリカの近現代―』堀内隆行訳,岩波書店,2017年。
古代史部会 古代国家形成期の地域支配と社会の変容/受容
日本古代史部会運営委員会から
日本古代史部会では,1973年度大会で在地首長制論を議論の基軸に据えて以降,80年代後半からは王権論,90年代には王権論の成果に,王権と密接にかかわる地域社会論を取り入れ,日本における古代国家の成立および展開過程の解明を主要なテーマとして議論を重ねてきた。2004年度大会以降は王権構造と支配秩序の関係を主題として議論を深め,2010年~2012年度大会では,「一国史」からの脱却を目指し,古代日本を東部ユーラシア・東アジア地域に位置づけ,東アジア地域における交流が古代日本の成立・展開に与えた影響を明らかにした。2013年度大会以降,2022年度大会に至るまで,東アジア的な視点は継承しつつも,ふたたび議論を列島内へと戻し,東アジア地域における日本古代の独自的性格を解明すべく,支配秩序・支配構造・儀礼といった多様な観点から議論を重ねてきた。
直近の二大会では摂関期に検討範囲を広げ,古代~中世における国家の変容について議論を進めてきた。2024年度大会の上村正裕報告では摂関期における氏集団の国家支配への関与と変容という視点,2025年度大会の井上正望報告では京内外における秩序の貫徹の差異という視点から,摂関~院政期における天皇・中央貴族たちによる国家運営と支配秩序が議論された。
一方で,国家を運営するためには地域社会の支配が不可欠であるが,近年の大会報告では国家・王権と地域社会との関係性や,天皇・中央貴族以外の動向に関する議論は少なく,これらの点が課題として残された。
そこで古代史部会では,古代国家形成期の王権がいかにして地域社会を支配し,変えていったのか,対する地域社会が何をもって王権側の支配を受け容れたのか,すなわち,王権側が地域社会を変容していく視点だけではなく,支配を受容することで,地域社会のあり方がどう変容したのかという地域社会内部の視点からも検討する。この点で,変容と受容は切り離せない要素と捉える。そこで,2026年度大会の報告テーマを「古代国家形成期の地域支配と社会の変容/受容」とし,堀川徹「7世紀以前の地域支配制度と在地首長制論の転回」と,佐藤雄一「国家形成期の地域社会と王権」の報告を用意した。
具体的には5~7世紀における国家と地域社会の関係性への検討となり,直近二大会から時代が大きく遡るが,国家と地域社会の支配・被支配関係の成立期の議論は,摂関~院政期における国家と地域社会の関係を議論する際にも指針となるはずである。
さて,近年の大会報告のうち,本大会に大きく関わるものを振り返り,成果と課題を確認しておきたい。国家がどのように形成され,律令(制)国家へと展開したかについてはこれまでも長く議論されてきており,そこでは国家・王権と地域社会の関係性が常に問われてきた。
2017年度大会の中大輔報告では,国家・王権と地域社会との交通の問題を取りあげ,大化以前の都鄙間交通の検討から,国家による地域支配構造の形成過程と中央集権化が示された。また,2018年度大会の平石充報告では,5~7世紀を地域社会と王権が本格的に接触した時期と捉え,地域社会の視点から,王権による地域支配制度(人制,部民制,国造制,ミヤケ制)を通じた王権と地域社会の併行的変容の様相が示された。2019年度大会の大川原竜一報告では,国造制を「首長層の人民支配のうえに存立した王権の地域支配制度」と位置づけ,国造を含む各地の首長層の権力とその支配の実態を踏まえた王権による地域支配の様相が示された。
これらの報告では,国家による地域支配構造の形成と展開・変容が,国家・王権と地域社会との関係性から検討され,「国司」や国造を介した地域支配のあり方,地域社会側の実態・視点を踏まえた議論がなされてきた。いずれも在地首長制論では捉えれない地域社会の実態と支配構造の再考を提示したものである。
しかしその一方で,実態論に傾斜するあまり,かえって制度面から古代国家形成期の王権による地域社会の支配や変革の意義を問う議論が不足している。また,支配構造・制度の議論においても王権が地域社会をどう支配していったのかという視点での考察が中心となり,地域社会側の視点から王権の支配を考えることもいまだ十分とは言い難い。まさに「変容」と「受容」への考察が課題として残されているのである。
以上の成果と課題を踏まえ,2026年度大会の両報告の内容を示したい。
堀川報告では,7世紀以前の地域支配について論じる。このテーマは,近年では地域社会の実態解明に力点がおかれてきた側面があるが,堀川報告では制度面の検討に力点を移し,これまでの議論を継承・発展させる。すなわち,制度を通じた地域社会の実態解明ではなく,王権がいかに地域社会を捉え,支配しようとしたのかを検討する。このことは,これまで明らかにされてきた多様な地域社会像を否定するものではない。むしろ地域社会の多様性を前提として,それを王権が制度を用いて画一的な地域社会へと変えていくという,支配空間の形成という側面を捉えることになろう。そしてその検討を通じて,在地首長制論の再定位の可能性についても言及する。
佐藤報告では,5~7世紀における地域社会と王権との関係について,地域の視点から論じる。人制から国造制へ移行するこの時期には,地域社会の様相も変化した。王権は各地の首長を国造として把握・再編成する一方,在地首長は国造への任命を通じて地域内の支配権を保障された。王権による新たな支配制度の展開を,地域側はいかに受け止めたか。そこでは,西国と東国といった地域性のみならず,地域内での偏差も想定される。また,王権との関係の変化は,地域社会構造の変化も促した。以上の視点に立ち,当該時期の東国,そのなかでも地域内部での差異が認められる信濃を中心に,王権による支配秩序の展開と地域社会による受容について検討する。
当日は多くの方々が参加し,活発な議論が展開されることを期待したい。 (里舘翔大)
中世史部会 日本中世における公家社会と家
中世史部会運営委員会から
2026年度の中世史部会大会報告では「日本中世における公家社会と家」を主題として掲げ,日本中世の公家社会を構成する貴族・官人の家の自律的な展開過程を明らかにする。特に,家の存立を支えた経済基盤に注目しながら公家社会の中で家の継承過程を論じることで,中世社会における公家社会の位置づけを探ることを目指す。
日本中世の特徴を捉える方法として,社会の統合的側面,分裂的側面という要素に注目する研究視角がある。社会の統合的側面を重視する代表的な学説が権門体制論であり,分裂的側面を重視する代表的な学説が東国国家論/王朝国家論である。近年の大会報告でも,これらの視点を意識しつつ,両側面から日本中世社会の分析を試みている。
統合的側面に注目した大会報告では,室町・戦国時代史に代表される政治史の研究進展や荘園制研究の成果を総括しつつ,列島内部の偏差にも留意しながら,武家政権による全国支配や荘園制的支配構造の展開,日本中世社会に存在する一定の秩序を明らかにしてきた。
一方,分裂的側面に注目した大会報告では,東国政権,遊女集団や都市民,寺社勢力・僧侶集団といった列島内部に存在する諸社会集団に注目し,長期のタイムスパンで彼らの自律的な展開過程を検討することで,多様な社会集団の存在形態と,彼らにとって日本中世がどのような社会であったかを明らかにし,社会の多様なあり方を描き出してきた。
直近の2025年度の中世史部会では,「日本中世の寺院社会における交流と変容」と題して,僧侶集団の自律的な活動によって生じた日本列島内部の東西交流を明らかにした。三輪眞嗣報告では律僧集団の動向を検討し,鎌倉幕府との関係の中で展開した彼らの自律的な宗教活動で東西交流が生じたことを明らかにした。また,相馬和将報告では,青蓮院門跡と東国の天台宗寺院との関係を分析し,交流の中で生じた東国の宗教秩序の変動を明らかにした。この大会報告は,特定の僧侶集団を主題に据えて自律的な展開を描くという点で社会の分裂的側面に注目するものであったが,彼らの活動によって列島の東西をつなぐという点では,社会の統合的側面のあり方をも射程に入れたものであった。
そのうえで,近年の大会報告を振り返ると,議論における公家社会の不在という課題がある。中世社会を統合的に捉える権門体制論や分裂的に捉える東国国家論/王朝国家論のいずれにおいても,公家社会は重要な存在として位置づけられてきた。しかし,中世史部会では,2010年度の「中世公家社会の構造と変容」を最後に,公家社会を正面から取りあげた大会報告はなく,上部権力への関心は武家権力と寺院勢力に集中していた。
学界全体を見渡せば,2010年代以降にも中世公家社会の研究は大きく進展している。中世前期においては,鎌倉幕府政治史の進展と歩調を合わせた朝幕関係史の展開や,ジェンダー史・家族史の成果を取り入れた王家論の深化により王家・摂関家といった公家社会を構成する家のあり方が明らかになっている。また,中世後期では,室町幕府・戦国大名・統一権力など武家政権の政治史的研究が進み,公武関係の文脈から公家社会に関する研究が進展している。
ただ,これらの研究潮流には一定の課題もある。中世前期では,公家社会内部の構成員の家に関する研究は深化したものの,必ずしも公家社会全体の分析と家論が接続されているわけではない。蓄積された成果を前提として,公家社会を論じ直す必要があろう。他方で,中世後期では,研究が公武関係論を主軸とするため,公家社会自体の自律的展開への分析が不足している。社会を統合的・分裂的に捉えるにせよ,前期・後期ともに,公家社会の自律的展開を明らかにしたうえで,中世社会に位置づける必要がある。
そこで,本大会では公家社会を構成する貴族・官人の家の展開を,その財政基盤に留意しながら解明していく。貴族・官人は,公家社会の中で役を務めることで得られる給付,荘園などの所領,課税など,公家社会内外に経済基盤を有していた。家の存続の前提となり,家に継承される経済基盤を補助線とすることで,「家」をめぐる議論を公家社会,ひいては中世社会全体の中に位置づけることができると考えている。
以上の問題意識を前提に,本大会では海上貴彦「中世前期の摂関家と家領」,森田大介「地下官人の存続と中世後期の朝廷」の2報告を用意した。
海上報告では,中世前期(院政・鎌倉期)の摂関家について,特に家領に着目して考察する。摂関家領というべき所領群がいつ・どのように成立したか,院政期の摂関家による立荘形態,各所領群の相続の様相などを明らかにし,鎌倉期までの展開・帰結を見通す。また摂関家領を王家領や一般貴族領などと比較することで,公家社会全体のなかに位置づける。
森田報告では,室町期~戦国期を中心に,朝廷政務を担った地下官人である局務家・官務家の存続形態を論じる。その際,公家社会を構成する天皇・院,貴族,官人や,室町幕府・室町殿との関係に注目することで,中世後期の朝廷政務や公家社会の自律的
な構造を明らかにし,近世への展開を見通すことを目指す。
これらの両報告が提示する新たな論点や実証的成果を前提として,日本中世における公家社会のあり方を再検討し,広く中世社会の中に位置づけることを目指す。
以上の主旨を理解いただき,当日は活発かつ建設的な議論が行われることを期待する。なお,両報告の内容を理解するにあたっては,以下の文献を参照されたい。 (吉永光貴)
[参考文献]
海上貴彦「古代・中世移行期のなかの藤原頼通」(『日本史研究』746号,2024年)。
同「摂関家はいかなる権力であるか」(有富純也・佐藤雄基編『摂関・院政期研究を読みなおす』思文閣出版,2023年)。
森田大介「「両局兼帯」の成立と中世後期の外記・弁官局」(『ヒストリア』286号,2021年)。
同「中世後期における武家の昇進儀礼と下級廷臣」(『日本歴史』918号,2024年)。
近世史部会 学知から考える幕末政治と朝廷
近世史部会運営委員会から
今年度大会では「学知から考える幕末政治と朝廷」を大会テーマに掲げた。本企画は,朝廷に関わる多種多様な存在と彼らの動向を「学知」に着目しつつ分析することで,近世後期から幕末にかけての政治の動態を一望しようとするものである。なお,本企画における「朝廷」とは,その機構自体はもとより,公家をはじめとしてさまざまなレベルでその運営に関与する人々が存在する場をも指すものとする。また「学知」とは,近世社会に存在した多様な知のなかでも,ある程度体系化された形で流通していた知を指すものとする。
近世後期から幕末期にかけて列島を取り巻く政治や社会の状況が複雑化するなか,幕府や諸藩から村役人層に至るまで,多様な階層の人々が政治主体として登場した。そして,彼らの活動や政治過程については豊富な研究蓄積があり,幕末政治史は,「公議」や「公論」に代表されるように,多様な主体の政治参加のあり方をめぐる対立の過程として捉えられてきた。ここで注目されるのは,幕末政局において存在感を強めていた天皇と朝廷である。
そもそも近世の天皇・朝廷研究は,1970年代に研究が本格化して以来一貫して,天皇や朝廷が近世にも存続し続けた事実をどのように理解するかという問題関心に根ざしていた。具体的には,幕藩制国家における天皇・朝廷の役割にはじまり朝廷機構内部や公武関係など,朝廷に関する多様な論点や事実が実証的な研究によって明らかにされてきた。
とりわけ朝廷に関する以上の研究動向において,幕末に天皇・朝廷が政治的に急浮上した背景や構造的要因をどのように理解すべきか,という問題は重要な論点であり続けている。たとえば,幕府による朝廷統制の変容や,光格天皇の政治路線とその事績の歴史的意義から,近世後期の朝幕関係の変化や幕末の天皇・朝廷の政治的上昇を見通す枠組みが提示されている。近年,これらの枠組みに対し,化政期の朝幕関係や仁孝天皇期の天皇と公家社会に関する研究が進められることによって,見直しが進んでいることは注目されよう。このような成果を踏まえて,天皇や朝廷の政治的浮上を自明のものとして捉えるのではなく,そもそも幕末の政治状況を近世後期から連続的に捉えられるのかということ,それ自体が改めて問われている。いずれにせよ,近世後期から幕末期の政治史について,朝廷を軸にした新たな枠組みを提示することは,なお課題として残されているのである。
このとき学知,なかでもいわゆる尊王論など天皇をめぐる言説や運動は幕末の政治や社会を端的に特徴づけるものとして注目される。これについて近年では,学問や思想の受容者と政治過程との相互関係の分析が進展している。特に,寛政期以降の朱子学の台頭や各地での藩校や私塾の設立が,幕末の政治過程に関わる党派的な政治集団の形成と大きく関わっていたという事実は重要であり,2008年度大会など近年の近世史部会でも学問・知識と政治との関係について議論が重ねられてきた。とはいえ,尊王論の理論的な支柱となった国学や水戸学の思想それ自体の研究蓄積は豊富である一方で,このような思想が全国的に受容される契機となった制度的基盤や人的・思想的なネットワークについて,幕府や朝廷の動向をも射程に入れたアプローチはいまだ少なく,それらの関係性や基盤を構築した政策や制度の分析はほとんど進められてこなかったのである。
しかしながら,幕末の政治過程が尊王論など国家のあり方をめぐる言説と多分に関わっている事実を踏まえるならば,それらが受容される人的・制度的基盤はどのように形成されたのか,また天皇と朝廷をめぐる政治状況がどのようなネットワークによりもたらされたのか,を問うことは,精緻な実証研究が深化する一方で全体像が見失われている幕末の政治過程を俯瞰するためにも必要不可欠な課題だと考える。
以上の問題意識に基づいて,金炯辰・清水光明両氏の報告を用意した。
金炯辰「尊王から天皇へ―開国前夜の朝廷をとりまく学知と政治のネットワーク―」は,いわゆる尊王論など天皇をめぐる〈言説〉の羅列から天皇・朝廷をとりまく〈現実〉の解明へと進んできた歴史学の流れを汲むとともに,〈言説〉と〈現実〉とをより有機的に把握することをめざすものである。〈言説〉と〈現実〉はどのように関わっていくのか。文政年間から長く関白を務め,幕末史のキーパーソンとなる鷹司政通,博士家の末裔として政通に重宝された東坊城聡長,そして水戸学の求心的な存在であり,政通の縁戚でもあった徳川斉昭などに注目しつつ,朝廷内外を結ぶ人的ネットワークと学知の往来がもつ政治史的意義を考えていく。
清水光明「維新前夜の出版統制と書物・学校―頼山陽『日本外史』の各版をめぐる諸動向を中心に―」は,天保改革期の出版統制の緩和を起点として広く公然と出版され,結果的に幕末・明治期のベストセラーとなった頼山陽『日本外史』の各版(川越藩版・「頼氏正本」など)をめぐる諸動向を別系統の史料を組み合わせながら跡づけていく。具体的には,天保改革期の出版統制の緩和,昌平黌によるその運用方針の策定,各版の流通をめぐる競合,川越藩版に対する二条家の抗議と反論,藩校のカリキュラムに組み込まれていく様子などを順次取りあげる。
政治的・社会的に大きく変動した幕末日本において,学知とそれに関わる人的・制度的基盤がどのように政治や社会を規定したのかを明らかにすることは,近世から近代を展望する上でも重要であると考える。活発な議論を期待したい。 (宮脇啓)
[参考文献]
佐竹朋子『近世公家社会と学問』吉川弘文館,2024年。
金炯辰『近世後期の朝廷運営と朝幕関係―関白鷹司政通と学問のネットワーク―』東京大学出版会,2025年。
清水光明「尊王思想と出版統制・編纂事業」『史学雑誌』第129編第10号,2020年。
清水光明「近世日本の出版統制と儒学・仏教」『日本史研究』第715号,2022年。
近世史部会「学知から考える幕末政治と朝廷」報告要旨
近代史部会 人びとの移動における排外経験
近代史部会運営委員会から
今年度の近代史部会は「人びとの移動における排外経験」をテーマとして設定し,比較史的に再検討することを目指す。
グローバル化が進展する一方,外から入ってきた人びとを「他者」と認識し,受け入れるか否かの議論が絶えずおこなわれている。受け入れられない場合,「他者」とされた人びとは排除の対象となるが,その思考や行動はしばしば「排外主義」と規定された。しかし,レイシズムやポピュリズムなど複数の定義と結びつけられたりすることから,この概念は多角的といえた。加えて,近年ではセトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)についても議論されており,「排外主義」の多角性は拡張し続けている。本部会では,この多角性を踏まえながら,移動してきた人びとがどのような経験をしたのか,という問題を設定して彼らによる「排外経験」について検討を試みる。
「排外経験」とは,本拠地から移動してきた人びとが,現地で生活していくなかでの言語的・経済
的・人種的・ジェンダー・セクシュアリティなどの排外的隔たりを経験することである。この隔たりを経験した人びとは,移民だけではなく,労働における一時的な移動,すなわち本拠地に戻ることを前提に移動した人びとも含まれる。また,国家や「内地」,植民地と,移動先に制限はない。
歴史学研究会ではこれまで,2019年度全体会「排外主義の時代における歴史学の課題―「排除」と「共生」を問う―」や,近年の近代史部会においても「移動する人びとの「地域」―帰属意識のゆらぎ―」(2019年度),「再編される差別」(2021年度)と題し,排除および人びとの移動にかんする議論がなされた。なかでも2019年度全体会において貴堂嘉之は,グローバルな人流に着目しながら,自由と不自由が共存した時代である「長い奴隷解放期」として近代を眺めることは世界各地の排外主義を解明するうえでは重要である,と指摘している。「排外主義」の多角性を明らかにするためには,「近代」という特殊性を意識しつつも,それに当てはまり切らない人びとの経験について考慮しなければならない。
本部会では,貴堂の指摘を含むこれまでの議論を踏まえながら,移動してきた人びとが直面した経験およびそれに基づく彼らの内面について,排除「される」あるいは排除「する」という観点から,実証的に明らかにしていくことをねらいとする。
以上の問題意識のもとで,本部会ではそれぞれ2名の報告者およびコメンテーターに報告を依頼した。
森亜紀子は,「土地に刻まれた記憶を読む―南洋群島におけるチャモロと沖縄移民の交錯する歴史経験―」と題し,スペイン,ドイツ,日本,アメリカという複数の支配が折り重なったサイパンとテニアンに着目し,地名・景観・土地利用の変容など「土地に刻まれた記憶」を読み解く。先住民チャモロと,第一次世界大戦後に流入してきた沖縄移民の交錯する歴史経験がいかに形成されたのかについて,インターセクショナリティの観点から明らかにする。
網中昭世は,「虹はやがて消えるのか?―南アフリカにおける排除と包摂の歴史的展開―」と題し,人種隔離政策へ舵を切った1948年前後における,南アフリカへ流入した人びとが経験した排外的政策に着目する。政策が施行される段階において政治経済的要素が共振しながらも,社会の当事者たちが,あるときには統治者の思惑とは異なる方向に向かい,またあるときには当事者自身と統治者双方に影響をおよぼした実態について示す。
上記の2報告に対し,在日朝鮮人の歴史を専門とする外村大と,ブラジルの奴隷制および黒人運動を専門とする鈴木茂からコメントをもらう。
移動してきた人びとへの排除が公然とおこなわれている昨今において,なぜ彼らは排除されるのか,という問題を歴史的観点から実証することは,必要不可欠な作業である。移動してきた人びとによる排外経験は,「近代」であるがゆえの特殊性だけではなく,「近代」と「現代」との接続も示すことが可能である。多くの地域・分野・立場からの積極的な議論を期待したい。 (武石佳那)
[参考文献]
網中昭世『植民地支配と開発―モザンビークと南アフリカ金鉱業―』(山川出版社,2014年)。
貴堂嘉之「下からのグローバル・ヒストリーに向けて―人の移動,人種・階級・ジェンダーの視座から―」(歴史学研究会編『第4次現代歴史学の成果と課題1 新自由主義時代の歴史学』績文堂出版,2017年)。
同「移民の世紀」(木畑洋一ほか編『岩波講座世界歴史16 国民国家と帝国 19世紀』岩波書店,2023年)。
鈴木茂「「人種デモクラシー」への反逆―アブディアス・ド・ナシメントと黒人実験劇場(TEN)―」(真島一郎編『20世紀〈アフリカ〉の個体形成―南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い―』平凡社,2011年)。
鈴木英明編『移動の文明誌―「自由」と「不自由」の狭間で―』(思文閣出版,2025年)。
外村大『在日朝鮮人社会の歴史学的研究―形成・構造・変容―』(緑蔭書房,2004年)。
森亜紀子「〈南洋群島〉という植民地空間の生成―沖縄出身南洋教育世代の経験から考える―」(歴史学研究会編『日本復帰50年 琉球沖縄史の現在地』東京大学出版会,2024年)。
現代史部会 混沌と秩序の都市空間
―第二次世界大戦前後の日米における商業空間と住民社会の再編―
現代史部会運営委員会から
今年度の現代史部会では,「混沌と秩序の都市空間」というテーマを掲げた。本企画は,大恐慌下のアメリカ合衆国と,アジア・太平洋戦争敗戦直後の日本という,既存の政治・経済・社会秩序を大きく揺るがす「危機」に直面した両地域を対象に,都市空間およびコミュニティの変容と秩序形成について比較検討するものである。
現代史部会では,今までも第二次世界大戦後における都市政治と社会運動等の主体との相互関係を検討してきた。たとえば,2009年には,「「豊かな社会」の都市政治にみる参加と対抗」と題し,1960年代の高度成長下で顕在化した経済格差や公害といった諸矛盾に抵抗する都市住民の政治運動について考察した。また,2017年の大会企画「都市の「開発」と戦後政治空間の変容」では,都市における「空間の政治」に焦点をあてた。上述の企画は,都市のインフラ整備や開発・再開発の計画策定と実施が,多様な住民・市民の自治体や国家の政治への参加と対抗をいかに促したのかという問題について,階級/エスニシティ/ジェンダーなどの諸要素を視野に収めつつ考察するものであった。また,これらの大会企画の目的は,戦後復興から新自由主義期のジェントリフィケーションまで,さまざまな時期の都市の政治・経済・社会のあり方を分析することで,現代史に固有の歴史的文脈を考えることでもあった。このような成果を踏まえたうえで,今年度の大会では,以下の点に着目して議論を発展させたい。
第一に,人々の日常生活における消費,生業や娯楽をめぐるさまざまな活動や実践に注目しつつ,かかる活動や実践が都市の政治,行政や秩序形成とどのようにかかわってきたのかという問題について考察したい。すでに述べたように,今までの本部会の大会企画では,都市の政治過程や政策執行に対する諸主体の反応や,その一環として展開された行政との折衝に着目し,都市住民・市民の社会的結合や主体形成について考察してきた。しかし,都市に生きる人々の「政治」への関与や諸制度との交渉は,明確なアジェンダを掲げた運動のみを通じておこなわれるわけではない。昨年度の大会企画「戦後民主主義における制度と参加の諸相」では,日本とソ連における人々の日常生活のなかでの「政治参加」に着目し,第二次世界大戦後の「民主主義」の多様な歴史的実体について検討した。今回は,第二次世界大戦を挟んだ時期の都市に生きた人々の多様な営みを実証的に分析しつつ,政治,行政や法制度と都市住民の日常世界との関係について考えてみたい。
第二に,建築や交通インフラといった都市空間を構成する物理的な要素に注目して,都市史を捉え直してみたい。このような視点からの研究は,地理学,建築学,建築史や都市計画史といった分野で蓄積されてきた。2017年の大会企画は,これら諸分野の研究成果と,現代史部会が積み重ねてきた運動史研究や新自由主義時代研究とを架橋する試みでもあった。今回は,露店や闇市といった商業の場に焦点をあてることで,具体的な場所と空間に着目した視点と分析手法から,近現代社会における都市の形成と変容にあらためて迫ってみたい。
以上の関心にもとづき,今年度の現代史部会は以下の報告とコメントによって構成される。
髙橋和雅氏の報告「路上空間と「生」の論理―戦間期シカゴの事例を中心に―」では,1930年代
の大恐慌期から戦後期のシカゴを事例に,多人種・多民族が集う都市空間の形成と変容について論じられる。本報告では,おもに社会史および生活史の視点から,シカゴ市内の路上マーケットについて考察される。ここで注目されるのは,多様な背景を持つ人々が集う路上マーケットは,購買や消費といった経済活動にとどまらない複数の営みが幾重にも展開する「雑然とした場」であったということである。本報告では,大恐慌という経済的危機のもとで都市に集った人々の多様な生が生み出した「混沌」とした状況と,「場」そのものの通時的文脈の双方の分析を通じて,近現代の都市空間とコミュニティの特質について検討されるだろう。
初田香成氏の報告「闇市と近現代日本―せめぎあう建築・都市空間―」では,日本の闇市につい
て通史的かつ包括的に論じられる。都市行政の整備,植民地支配や総力戦体制など,戦後期以前からの日本の近代/近代化とその矛盾が現れた場として闇市を捉え直すことで,「戦後」の始まりを象徴する存在として理解されてきた闇市のあらたな像が示されるだろう。また,甚大な戦災を被った日本の都市において,社会的弱者の受け皿やセイフティーネットとして闇市が果たした機能について,都市を規定してきた伝統的要素に注目しながら考察される。本報告では,日本の近現代史における闇市の位置づけおよび研究上の意義が示されるとともに,多様な集団により自律的かつ,グレーゾーンあるいは黙認・放任など冗長的な管理がなされてきたかつての都市のあり方と,その変容が明らかにされるだろう。
これらの報告はいずれも戦前期まで遡って都市史を検討するものである。都市空間やコミュニティの実証的な分析を通じて,第二次世界大戦を画期とする近現代史の時期区分を捉え直すことも,今回の企画が意図するところである。両報告に対し,コミュニティや住居・居住といった視点からの社会学研究を専門とする祐成保志氏にコメントをいただくことで,両報告の意義をさらに広い文脈に媒介したい。当日は多様な地域や分野を専攻する方々の積極的な参加をお願いする。 (戸田山祐)
[参考文献]
祐成保志・武田俊輔編『コミュニティの社会学』有斐閣,2023年。
髙橋和雅『カオスの社会史―戦間期シカゴのニアウエストサイド界隈―』彩流社,2021年。
初田香成『増補新装版 都市の戦後―雑踏のなかの都市計画と建築―』東京大学出版会,2024年。
合同部会 前近代の「共和政」における「合意」形成
合同部会運営委員会から
近代民主主義に深刻な機能不全が危惧される現在,その淵源の一つとして「共和政(res publica)」概念を歴史的文脈から再検討することの意義は極めて大きい。我々が今日享受している政治システムの多くは,歴史上の様々な局面で試行錯誤された公共性の構築と維持のプロセスを土台としている。それらがいかなる論理によって支えられ,どのように人々の合意を取りつけてきたのかを検討することは,統治をめぐる人々の思考や実践の軌跡をたどる上で,興味深い視座を提供すると考えられる。
他方で,今日の歴史学において,「共和政」概念はその定義が論者や対象時期によって拡散している。1970年代後半より,近世政治思想史の領域では,アリストテレス的な政治的動物としての人間観を源流としながら,マキァヴェリを起点としてイングランド,さらにアメリカ合衆国建国へ至る,いわゆる「マキァヴェリアン・モーメント」と呼ばれる通時的な観点が大きな議論を呼んだ。この議論において共和政は,有徳の市民が積極的な政治参加を通じ,時間の経過とともに進む腐敗に対抗して共同体を維持するプロセス(シヴィック・ヒューマニズム)として把握された。しかし現在では,各時代の政治的コンテクストをふまえた検証が数多くおこなわれ,地域ごとに固有の広がりを持つ「共和政」概念の多様性が強調されている。
特に2000年代以降の日本においては,中東欧史の視座を起点として,近世的な共和政のあり方が見直されてきた。ここでの論点は,君主が存在する国制であっても,実際の統治は君主と身分制議会や特権団体との継続的な交渉と合意に基づいていたという点にある。特に,君主が国政の最高位にある一方で,実質的な主権が特権層の共同体と分有されている体制は,君主と共和政が共存する「王のいる共和政」として捉え直された。こうした研究の進展により,近世国家は主権に基づく一元的な構造ではなく,多様な慣習や法を持つ地域が緩やかに結びつく複合国家であるという見解が提出されている。このような研究では,統合を維持するために多様な主体間の合意を形成するプロセスこそが政治の要点として注目されており,近世特有の多様な合意形成のあり方が重視されている。
また,時代をさかのぼり共和政期ローマに目を移す。共和政期ローマの政治構造については,コンスル職を輩出した有力家門(ノビリタス)を中心とする寡頭政支配が敷かれていたとみる見解が,長らく主流であった。ローマにおける政治的主体は官職を保持する貴族であり,民衆はクリエンテラ関係を通じて動員される受動的な存在に過ぎないとされていた。
しかし1980年代以降,ノビリタスの実態や民衆との関係性を中心に上述の理解に対する疑義が投げかけられた。これを受けて,近年に至るまで政治家による公開の場での演説やパフォーマンスの意義を指摘する見解が提出されている。このような議論はローマの共和政がもつ寡頭政要素を否定するものではないが,一方で,民衆の政治的影響力を再評価するものであった。その中には,民衆の政治参加を,寡頭政治を支える上でのいわば合意形成として捉える向きもある。
このように,古代史ならびに近世史を見渡したとき,「共和政」概念が指し示すものは多義的であり,一概にひとつの枠組みで理解できるものではない。しかしながら,いずれの議論においても「多数者支配における合意形成のあり方」を問う観点は,重要な位置を占めている。以上の問題意識を出発点として,本年の歴史学研究会合同部会シンポジウムでは,「共和政」がいかなる論理によって支えられ,どのように人々が合意を取りつけてきたのかを主題に据えたい。本シンポジウムでは,古代ローマ史,中近世イタリア史,そして近世イングランド史を専門とする3人の報告者を迎え,それぞれの歴史的コンテクストにおける「共和政」概念や合意形成の諸相を浮き彫りにする。
はじめに,古代ローマ時代の選挙制度や公職者を研究する丸亀裕司が,古代ローマの「共和政(res publica)」を,特に共和政末期における「共和政」言説と民会における合意形成の観点から考察する。つづいて,中近世イタリア都市史を専門とする三森のぞみが,15世紀フィレンツェにおいて共和政体が変容するなか,“res publica/repubblica” の語がどのような含意のもとに用いられたかについて論じる。最後に,近世イングランド政治思想史を専門とする山根明大が,17世紀半ばの内戦期に出版されたパンフレットなどを用いながら,近世イングランドの「君主のいる共和国」について取り上げる。また,以上3名の報告に対して,アメリカ政治思想を専門とする石川敬史にコメントを依頼している。
本テーマは,異なる時代や地域の専門領域が協同する合同部会としての性格を色濃く反映しており,分野の垣根を越えた活発な議論が交わされることは,本大会の理念とも合致するものである。当日は,専門を問わず多くの方々に足を運んでいただき,対話に加わっていただけると幸いである。(中曽根卓樹)
[参考文献]
Millar, F., The Crowd in Rome in the Late Republic, Ann Arbor, 1998.
ポーコック, J. G. A., (奥田敬・森岡邦泰訳)『マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統―』名古屋大学出版会,2008年。
犬塚元「拡散と融解のなかの「家族的類似性」―ポーコック以後の共和主義思想研究1975-2007―」『社会思想史研究』第32号,2008年。
小倉欣一編『近世ヨーロッパの東と西―共和政の理念と現実―』山川出版社,2024年。
中澤達哉編『王のいる共和政―ジャコバン再考―』岩波書店,2022年。
安井萠『共和政ローマの寡頭政治体制―ノビリタス支配の研究―』ミネルヴァ書房,2005年。
特設部会 世界が直面する学問の自由の危機
―歴史と現状―
委員会から
今,世界で学問の自由が危機に瀕している。これは警鐘ではなく,ますます否定し難い現実となっている。学問に対する攻撃は,もはや一党独裁国家や軍事政権だけの問題ではない。現在進行しているのは,いわゆる先進国において学問の自由に対する締めつけが強化されているという事態である。
日本では,2020年10月に日本学術会議の新会員候補6名に対する任命拒否問題が発生し,学術の独立への政府による介入だとして強い抗議の声があがった。歴史学研究会も抗議声明をすぐさま発出したほか,2021年大会の特設部会では「日本学術会議会員任命拒否問題の地平─学問の不自由に抗う─」と題して議論した。この任命拒否問題に対して,政府は説明責任を回避することに終始し,さらには問題を学術会議のあり方にすり換えて,2025年6月に新たな日本学術会議法を成立させるに至った。その新法は,日本学術会議を特殊法人に再編し,その独立性を侵害するものであり,今後の日本における学術の独立性に大きな懸念を投げかけている。
日本における学問の自由への制限は,日本学術会議の任命拒否問題に始まったわけではない。2004年の国立大学の法人化以降の運営費交付金の削減,学長権限強化などの大学経営の「改革」,「選択と集中」,競争的資金への傾斜などは,大学に属する研究者たちが自由に学問に取り組むための基盤を蝕みつつある。さらにごく最近になって,外国人留学生に対する経済的支援を縮小するという政策も始まった。
学問の自由の危機は,日本だけの問題ではない。むしろ世間の注目を集めているのは,第二次トランプ政権下のアメリカ合衆国(以下,アメリカ)における動きであろう。2025年1月に大統領に再び就任したトランプは,大学における「多様性・公平性・包摂性(DEI)」の取り組みと,イスラエルの軍事行動に対する学生の抗議デモとを主要な理由として,ハーヴァード大学やコロンビア大学に圧力をかけ,大学側が従わないと助成金を凍結した。ハーヴァード大学に対しては,同年5月に留学生の受け入れ資格の停止も発表した。
トランプ政権が参考にしているとも言われるのが,ハンガリーのオルバーン政権の手法である。2010年に政権を握ったオルバーンは,大学におけるジェンダー研究プログラムを廃止させたほか,リベラルな学風で知られて国際的な評価の高かった中央ヨーロッパ大学を追放した。社会主義政権崩壊後,「中東欧の優等生」とも呼ばれたハンガリーは,今や「学問の自由の危機」において紛れもない「先進国」である。現在,そうした「先進国」に世界各国が近づきつつあるのかもしれない。移民排斥やパレスチナ問題などで揺れる他のEU 諸国においても,学問の自由は安泰ではない。
こうした現状については,すでにさまざまな著作,論文,記事などが書かれ,またいくつものシンポジウムや講演会が開かれてきた。歴史学研究会の本特設部会では,とりわけ歴史研究の立場から,学問の自由が現在直面している危機を,その歴史的背景とともに考察する。過去の経験に遡ってその起源や来歴を探ることは,現状をよりよく理解し,今後を展望するために必要な作業であろう。
第一報告は,科学史を専門とする隠岐さや香氏による「「学問の自由」の危機とその兆候―19-21世紀のナショナル・アカデミー史から考える―」である。ヨーロッパの科学アカデミーの歴史を研究してきた隠岐氏は,近年では,「学問の自由」概念の確立の問題にも取り組み,また,日本学術会議問題では積極的な発言を行ってきた。本報告では,ヨーロッパから世界各地へ伝播したナショナル・アカデミーの歴史を「学問の自由」との関連で概観し,権威主義体制や戦争がそのあり方に与える影響を長期的なスパンで考察する。
第二報告を担当する姉川雄大氏は,ハンガリーの近現代史を専門とし,ナショナリズムや「近代市民社会」の展開に関わる諸問題を教育や福祉を対象として研究を進めてきた。同時に2010年以来,オルバーン政権と新自由主義の問題を観察してきた姉川氏は,本報告「ハンガリーの非/新自由主義政治とジェンダー研究・人文社会科学」で,2010年代のオルバーン政権による学問・大学,とくに人文社会科学への攻撃について,その経緯とともに背景を論ずる。
第三報告として,アメリカ史・大学史を専門とする藤岡真樹氏が,「第二次トランプ政権下のアメリカにおける学問の自由の危機とその歴史的背景」と題して報告を行う。藤岡氏はとりわけ冷戦期のアメリカの大学における社会科学研究に焦点を当てて研究を展開してきた。本報告でもその専門を活かして,第二次トランプ政権による学問の自由への侵害の歴史的背景を,1940年代から50年代にかけて,いわゆる「赤狩り」の時代のアメリカにおける大学への攻撃を素描することで浮かび上がらせる。それを通じて,現在のアメリカで進行する学問の自由の危機について考察を試みる。
以上の三報告を通じて,現在世界が直面する学問の自由の危機的状況について理解を深め,この問題について参加者とともに議論を行いたい。( 研究部)
[参考文献]
池内了ほか『日本学術会議の使命』岩波書店(岩波ブックレット),2021年。
『現代思想』第53巻第12号(2025年10月)「特集 学問の危機―制度と現場から考える―」。
羽田貴史ほか『危機の中の学問の自由―世界の動向と日本の課題―』岩波書店(岩波ブックレット),2022年。
広田照幸ほか『学問の自由と大学の危機』岩波書店(岩波ブックレット),2016年。
