2025年度歴史学研究会大会
大会日程
第1日 5月24日(土)
総 会 | 9:30~11:30 |
*総会は会員のみ参加可能です。『歴史学研究会月報』5月号をお持ちください。 | |
全体会 時代区分再考 | |
7世紀における国家形成論 | 仁藤 敦史 |
長い20世紀のはじまり ―ロシアと中東における帝国、人道、抵抗― | 長縄 宣博 |
ジェンダー史からみた中国史の時代区分 | 佐々木 愛 |
第2日 5月25日(日)
古代史部会 古代国家における空間的支配秩序の形成と変容 | |
秦漢時代の地域移動と国家支配 | 荘 卓燐 |
古代・中世移行期における天皇と空間 | 井上 正望 |
中世史部会 日本中世の寺院社会における交流と変容 | |
中世における律僧集団の展開・変容と東国仏教 | 三輪 眞嗣 |
中世後期における門跡寺院と東国の寺院・僧侶 | 相馬 和将 |
近世史部会 地域資産をめぐる領主権力と地域社会 | |
近世後期の「利殖財政」と地域資産の形成 | 酒井 一輔 |
19世紀の藩領社会・中間層と藩権力 ―加賀藩の地域的入用と備荒貯蓄― | 上田 長生 |
近代史部会 近代における不満の発露 ―女性の声から考える― | |
“婦選は鍵なり” ― 1920年代から30年代日本における女性参政権獲得運動とその射程― | 井上 直子 |
女性ファシスト機関誌にみる婦選獲得の向こう岸 | 山手 昌樹 |
コメント | 佐藤 千登勢 石川 照子 |
現代史部会 戦後民主主義における制度と参加の諸相 ―「東西」を越えた再検討― | |
ソヴィエト・デモクラシー ―「もう一つの民主主義」における政治と日常― | 松戸 清裕 |
戦後日本農村における生活改善のポリティクス | 岩島 史 |
コメント | 石田 憲 |
合同部会 都市における隔離と境界 | |
境界に立つ剣闘士 | 阿部 衛 |
排除する市民たちと排除される市民たち ―中近世スイス都市を事例として― | 神谷 貴子 |
キリスト教化する都市グラナダ ―モリスコ文化の禁止と差異の可視化― | 押尾 高志 |
特設部会 歴史資料の危機にどう立ち向かうか | |
令和6年能登半島地震といしかわ史料ネット | 本多 俊彦 |
ドイツ語圏における災害と史資料保全 | 井上 周平 |
シリア内戦下における歴史資料の被災と国際援助 | 安倍 雅史 |
主旨説明文
全体会 時代区分再考
委員会から
歴史学研究会は,「アジア前近代史部会」「日本近世史部会」などのように,地域と時代を分け,部会活動を行っている。当会に限らず,歴史学は地域と時代をある程度分割し,研究することが基本となっていよう。そのような意味において,地域区分と時代区分は,常に歴史学研究者にとって重要なテーマの一つと言る。そこで本年度の全体会は,時代区分をあらためて論じてみたい。
昨年度の全体会では,歴史のマスターナラティヴをキーワードに,個別史と全体史との往還に取り組んだ。その成果はいくつかあると自負しているが,唯一の「大きな物語」だけに還元せず,新たなマスターナラティヴを提示することの可能性を模索し得たことも,大きな成果と考えている。このような提示が可能ならば,これまでと異なる時代区分もまた,可能であろう。
当会の歴史を振り返ると,明示的に時代区分を扱った大会は1956年度「時代区分上の理論的諸問題」にまで遡る。とはいえ,その後当会が時代区分にまったく関心がなかったと言えば,そうではない。当会編集の『現代歴史学の成果と課題』において,時代区分に関して大なり小なり論じられてきた。最近では,岸本美緒氏が2002年に刊行された第3次の『歴史学における方法的転回』において「時代区分論の現在」を,そして2017年に刊行された第4次の『世界史像の再構成』では「地域論・時代区分論の展開」と題する論考を寄稿している。そこでは,「国境を越える」視座が示された上で,東アジアにおける「時代区分」について,ある時点における新たな秩序形成を議論している。このように21世紀の歴史学研究会も時代区分の重要性を認識していたものの,やや軽視されていたことは否めない。各部会が毎年のように新たな研究成果を陸続と生み出してきたことは間違いないものの,さらなる斬新な研究を生み出すためにも,地域区分や時代区分を各研究者が常に頭の片隅に置きつつ再考する必要があるのではないか。
考えてみれば,1956年の大会では,当時の「大きな物語」であった唯物史観的な観点から時代を切り分けたと言えるが,その後の日本の歴史学界は経済史だけではなく,さまざまな分野での研究が進展した。昨今驚異的な発展を遂げている宗教史・ジェンダー史・環境史研究など多様な視点から「時代区分」を捉え直すことも可能であろう。
他方,2010年代から20年代にかけて,少しずつではあるが時代区分に関する貴重な研究成果が公表されている。東洋史では渡邉義浩氏が編集した『中国史の時代区分の現在』(汲古書院,2015年)があり,西洋史では2020年に,『思想』1149号において「時代区分論」の特集が組まれている。また,2018年から刊行が始まった『歴史の転換期』シリーズ11巻(山川出版社)が2023年に完結しており,その11巻の序章を抽出し,編者の座談会が収録された『世界の転換期を知る11章』も2024年に出版された。このように,東洋史・西洋史では新たな時代区分を作り出す機運が高まっていると言えよう。一方,日本史分野では全体的な時代区分を論じる研究は近年生まれていないように思われるが,たとえば近世史では最近,清水光明氏が近世を中心に時代区分に関する論考を公表しており,古代史では国家成立の時期について常に議論され続けている。
このような近年の研究も踏まえ,本年度の大会では,既存の時代区分論にも目配りしつつ,新たな時代区分を提唱する意義を提示してみたい。
仁藤敦史氏は,日本古代の王宮や都市に関する研究からスタートし,その後王権論から地方社会,日朝関係史研究までオールラウンドに活躍する研究者である。卑弥呼の時代から平安中期までを守備範囲としており,良質な研究を多くこれまで世に問うてきた。日本古代史研究において画期・転換期を論じる研究者が多い中で,仁藤氏は近年まで時代区分に関する論考は発表していなかったが,このたび満を持して古代国家の画期に関する報告「7世紀における国家形成論」を行っていただく。
長縄宣博氏は,ロシアのムスリム社会に軸足を置いて,近代のロシア帝国ムスリム統治をグローバルな視点から研究してきた。2024年に『思想』1200号に「長い二〇世紀の終焉」を発表し,1870年代に始まる帝国主義が駆動するグローバル化が2020年代に遂に終焉したことをもって「長い20世紀」が終わりを迎えたと論じた。今回の全体会では,ロシアのムスリム社会への眼差しを手掛かりに,ロシアと中東を一続きの空間として捉え,長い20世紀の最初の半世紀にそこで生じた地殻変動が今日のグローバルな危機にどのように作用しているのかを考察する報告「長い20世紀のはじまり―ロシアと中東における帝国,人道,抵抗―」をしていただく予定である。
佐々木愛氏からは「ジェンダー史からみた中国史の時代区分」を得る。佐々木氏は,朱子学を中心とした中国思想史の研究者で,宋代を中心にその前後にも目配りをされている。近年ではジェンダー研究の立場から,「父子同気」などのキーワードを用いて滋賀秀三の大著『中国家族法の原理』が論じる「漢から清まで,家族法の原理や父系性は一貫している」という考え方に再考を促している。その成果をもとに今回の報告ではジェンダー史の観点から,中国史の新しい時代区分を模索していただく。ジェンダーの立場からの時代区分論は,姫岡とし子氏がヨーロッパ近代の時代区分を論じているが,それ以外は寡聞にして知らない。佐々木報告が今後の中国史研究に新たな風を吹かせるものになるだろう。
以上3報告のみで,新たな時代区分が即刻生まれると考えているわけではないし,また,これまでの時代区分をすべて放棄しようというわけではない。しかしこの全体会を承けて,新たな時代区分が議論されるような,その端緒となれば幸いである。
(研究部)
[参考文献]
清水光明「時代区分論」上野大輔ほか編『日本近世史入門』勉誠社,2024年
姫岡とし子「ジェンダーの視点からみたヨーロッパ近代の時代区分」『思想』1149,2020年
古代史部会 古代国家における空間的支配秩序の形成と変容
アジア前近代史部会・日本古代史部会運営委員会から
2025年度の古代史部会では,アジア前近代史・日本古代史部会で共同のテーマを設け,アジアに通底する問題意識の追求を目指す。以下,各部会のこれまでの議論と課題を整理しておく。
アジア前近代史部会では,中国古代国家の支配構造の特質を解明すべく,大会・例会を開催し議論を重ねてきた。1950年度大会の西嶋定生報告は,生産力の構造的格差により下位にいた集団が支配者集団へと再編成されることを本質的条件と定義したうえで,古代国家の形成と展開を独自の視点から提示した。以後,大会や部会活動において,古代国家の権力構造,ならびにその形成と展開の特質をめぐる追求を蓄積し,新たな認識の可能性を探ってきた。
ただし,古代国家の分析には制度のみならず在地社会(郷里社会)の構造や諸関係の解明が重要であるとする,1985年度・1999年度の飯尾秀幸報告,1998年度の小嶋茂稔報告における提言を踏まえた議論の深化については,史料上の制約もあり,困難な状況にあった。しかし,21世紀に入って増加した簡牘の発見・公表によって,語句やその位置づけなどで解釈が定まらないといった問題を抱えながらも,この課題への追究の糸口が見出された。
近年における在地社会に注目した成果としては,「庶人」の国家的身分が在地社会から希求されたものであったとする新たな視点を提示した2018年度の椎名一雄報告,在地社会に居住する人々とその内外に存在する「亡人」(逃亡者)との間に築かれたさまざまな人的結合関係に注目した2019年度の福島大我報告,「分異」に関する史料の知見を基に家族の居住形態や在地社会内の諸関係の具体像を描き出すことを試みた2024年度の多田麻希子報告があげられよう。いずれも,新たに発見された簡牘史料を主たる対象とし,身分や人的結合関係に関する具体的な分析を進めたものであった。これらの成果により,従来解明が困難だった在地社会の構造や内部諸関係の理解が進展した。ただし,その在地社会に対して,古代国家の支配がいかなる形で浸透したのかという点では,さらなる検討が必要とされている。
日本古代史部会では,1973年度大会で在地首長制論を議論の基軸に据えて以降,80年代後半からは王権論の視点を,90年代には地域社会論の視点をそれぞれ取り入れ,それまでの王権論の成果を踏まえつつ,王権と密接にかかわる地域社会の動向へと視野を広げることで,日本における古代国家の成立および展開過程の解明に向け議論を重ねてきた。2004年度大会以降はさらに王権構造と支配秩序の関係を主題とし,さまざまなテーマ設定のもとに議論を深めてきた。
そして,昨年2024年度大会では,前年度(2023年度)大会で報告者を擁立できなかったことをうけ,必ずしもこれまでの大会の継承に捉われない新たな議論の構築を試みた。上村正裕報告による,摂関期における氏(ウジ)集団と国家支配構造の検討である。
過去の古代史部会大会報告においても平安時代に関する検討はおこなわれてきたが,近年は特に多く(2019年度大会浜田久美子報告,2021年度大会遠藤みどり報告・志村佳名子報告,2022年度大会佐々田悠報告),成果が着実に蓄積されてきた。他方でこれらの報告は9世紀および古代・中世移行期を主たる時代とし,かつ議論の対象を地方支配や政務・儀礼に絞ったため,続く摂関期の国家支配構造の検討が次なる課題であった。
そこで,2024年大会では,氏集団が「支配構造」「支配秩序」とどのように関わっていたか,それが古代という時間軸のなかでどのように変容したものであったか,という問題関心のもと「古代国家の変容と氏族秩序」を大会テーマに設定した。このうち氏族秩序に関しては,「家」的秩序だけでなく「氏的な枠組みの存在」も併存していたことが指摘されるなど,貴重な成果が得られた一方,氏族秩序を強調し利用する支配層の意識を検討する必要性も明確になった。これは2025年度大会に託された課題である。
さらに上村報告では,摂関期とは,中世的なすがたとは異なるものの「中世社会の前段階」であるとの見解が示された。2016年度大会では今正秀報告が,摂関期を古代とも中世とも異なる独自の国政と評価したが,上村報告は,摂関期についてさらに踏み込んだ評価を示したといえよう。上記のような日本古代史部会のこれまでの議論の積み重ねを踏まえるならば,対象とする時代を再び先にすすめ,古代・中世移行期における天皇や国家を本格的に検討することが必要な時期がきているのではないだろうか。
以上のような両部会における議論と課題から,「古代国家における空間的支配秩序の形成と変容」という共同テーマを設け,アジア前近代史部会から莊卓燐氏「秦漢時代の地域移動と国家支配」,日本古代史部会から井上正望氏「古代・中世移行期における天皇と空間」の報告を用意した。
莊報告は,古代中国における地方官吏の移動実態の検討を通じて,亭という施設が国家支配においてどのような機能を果たしていたのかを解明することを目的とするものである。同時に,広大な領域に散在する個別の郷里が国家秩序にいかに再編成されるかを追究し,中央権力は在地社会にどの程度浸透していたのか,郷里内部より見た国家権力の受容の様相についても明らかにすることを目指す。
井上報告では,平安京を主対象とし,都城の「内」と「外」という空間的区分認識について検討する。井上満郎が指摘するように,白河院が政治的影響力を持つためには,院が京内にいることが重要であったことが知られる。ではなぜ京内にいると政治的影響力を発揮できるのか。逆に京外に拠点を置いた権力者についてはいかに考えればよいのか。そもそもこのような空間的区分認識はなぜ生じたのか。このような空間的観点から,都城の主たる天皇を頂点とする秩序の変質を明らかにする。
以上の2報告により,古代国家における支配構造の形成および展開過程の解明を試みる。大会当日には多くの方々が参加され,活発な議論となることを期待したい。
(杉浦仁誼・原田華乃)
中世史部会 日本中世の寺院社会における交流と変容
中世史部会運営委員会から
2025年度の中世史部会大会報告では「日本中世の寺院社会における交流と変容」を主題に掲げ,僧侶の自律的活動を基本的動因とした東西仏教界の関係変化を明らかにすることを目指す。この主題を設定した意図を明確にするために,関連する近年の大会について説明したい。
第一に,2018年度大会は「中世における宗教と社会」と題し,宗教に関する地域社会論的観点と政治史・国家史的観点の結合を目指した。芳澤元報告は,中世後期の仏教諸宗と在俗信徒の観点から社会と宗教の接点を検討し,近藤祐介報告は,室町期~中近世移行期における門跡の変容を,地方在住僧および地域社会との関係形成から描出した。
特筆すべきは,これらの事象は僧侶の自律的な活動の帰結である点である。社会諸集団の自律的活動が社会変容の原動力になるという視角は,中世史部会の大会報告におけるひとつの基調である。近年では,地域社会論に取り組んだ2019年度大会の「村」の役割,荘園と村落を扱った2021年度大会の「住民」や「自治」の問題,権力と都市の関係を考察した2022年度大会の都市民などが該当する。一瞥して重要性が窺えるように,今後も重視すべき観点である。
第二に,前年度の2024年度大会は「日本中世における権力と宗教」と題し,権力と宗教の関係解明に取り組んだ。小池勝也報告は,鎌倉顕密寺院を題材に,鎌倉府との関係から主に南北朝~戦国期の変容過程を追跡し,顕密仏教界の東西分化や鎌倉顕密寺院衰退の経緯を明らかにした。髙鳥廉報告は,足利将軍家所縁の五山派禅宗寺院の種別や構成を示し,その政治的機能や将軍家出身僧の役割を解明した。権力と宗教という問題設定は中世史部会では初の試みであり,寺院社会を権力との関係から考えるひとつの材料を提供できたと考える。また京と鎌倉の双方の寺院社会を扱った点も重要である。東国政権をテーマに鎌倉幕府と鎌倉府を論じた2020年度大会は,社会の統合的/分裂的側面の双方に注意する必要性を強調したが,この視角は寺院社会を論じる際にも有効だといえる。
以上の成果の一方で,課題も浮上した。一点目は,律の位置づけの明確化である。大会報告で律が特集されたことはなく,従前の成果にどう位置づけられるか明確でない。二点目は,中近世移行期の門跡の再検討である。先述の近藤報告はこの課題に先鞭をつけたが,山伏編成を軸とした聖護院門跡の動向分析が中心であり,ここで得られた成果がほかの寺社勢力一般に敷衍可能かは定かでない。三点目は,宗教政策論の視点では把捉しきれない寺院社会の様相の検討である。政策論的な観点では見落とされる存在の追跡により,仏教界の実相がより明瞭になり,ひいては権力と宗教の関係解明も進むだろう。
これらの課題を踏まえ,今年度大会では,律院や中世後期の顕密寺院を素材に,僧侶の自律的な側面も重視しつつ,東西仏教界の関係を巡る諸問題を検討する。
当該分野の研究動向を参照すると,まず律僧については,鎌倉期に顕密仏教の改革派として登場し強い存在感を示したことは周知に属す。また中央に生起した律僧集団が東国へ進出した事実もよく知られる。これらを勘案すれば,社会と宗教の関係を論じる際に律僧の存在は見逃せない。
しかし,従来の宗教政策論で律がクローズアップされる機会は少なかった。図らずも前年度大会が示したように,宗教政策論の視点では捉え切れない自律的側面の大きさが一因と考えられる。同じ「禅律僧」の範疇に属す禅は,14世紀以降の台頭の結果,顕密と並んで卓越的な存在となったという指摘があるが,これに比して律を宗教史上に定位する動きは乏しい。加えて律僧はもっぱら西大寺流の律僧が得宗権力との親近性から注目されてきたという研究史上の経緯もあり,律の東国での展開を総体的に扱った議論は少ない。
他方で中世後期における顕密寺院の研究は長足の進歩を遂げ,中世後期を一概に顕密体制の解体期と捉える研究段階にはない。しかし,古代以来全国的な教線を有し,近世には天台宗を象徴する日光山や寛永寺と密接な関係にある延暦寺については,意外にも戦国期以降の研究は手薄である。特に青蓮院門跡は先述の聖護院門跡と同様に,東国の天台寺院と本末関係を築いたことが知られる。青蓮院と東国の関係を明瞭にすることは,東西を横断する寺院社会の実態解明に繋がるだろう。
以上の問題意識を前提に,本大会では三輪眞嗣「中世における律僧集団の展開・変容と東国仏教」,相馬和将「中世後期における門跡寺院と東国の寺院・僧侶」の2報告を用意した。
三輪報告では,律僧集団の東国への進出過程を通観し,教学や祈禱の観点から東国仏教における律の位相を明らかにする。また鎌倉幕府滅亡後の律僧・律院の存在形態にも考察を及ぼすことで,律僧集団の動向に関する俯瞰的な見取り図の提示を目指す。
相馬報告では,室町期以降の青蓮院門跡の動向を跡づけたうえで,東国における談義所などの天台寺院の存立基盤や本寺との関係を明らかにする。次いでこれらの前提のうえに,青蓮院門跡と地方天台寺院の間で本末関係が構築される過程を明らかにすることで,近世天台宗の秩序形成まで展望することを目指す。
以上の趣旨をご理解いただき,当日は活発的かつ建設的な議論が行われることを期待する。なお,両報告の内容を理解するにあたっては,以下の文献を参照されたい。
(野村航平)
[参考文献]
三輪眞嗣「和泉国久米田寺の律僧集団についての予備的考察」(『金沢文庫研究』344,2020年)
同「鎌倉中後期の律院における律僧と学侶―東大寺と久米田寺に注目して―」(『佛教史学研究』66-1,2024年)
相馬和将「足利義満子女の寺院入室事例の再検討」(『史学研究集録』43,2019年)
同「中世後期の猶子入室と門主・家門・室町殿」(『史学雑誌』130-9,2021年)
近世史部会 地域資産をめぐる領主権力と地域社会
近世史部会運営委員から
本企画は,地域社会の存立や運営の経済的基盤となる財源(地域財源),なかでも地域資産に着目し,近世中後期から近代移行期にかけての地域資産をめぐる領主権力と地域社会の関係を描くものである。
1980年代以降の近世地域社会論では,幕領組合村や非領国地域で展開された訴願の基底にあった広域的村連合に注目が集まった。脆弱な支配体制のもとで,対等な相互関係の政治的中間層がそれらを「自律的」「民主的」に運営していたことが明らかになった。1990年代に入ると,中小藩領を中心に,地域内部の社会構造を検討する重要性が提起された。これにより,地域社会における権力構造に注意が払われるとともに,中間層内部にも階層性があり,民主的な合議体制のように見えてもそこには縦の身分階層的秩序が優越していたことを考慮する必要性が説かれた。2010年代以降には,熊本藩を代表とする巨大な藩領国を対象に,中間層には地域の行財政を主導する自治性がみられたことから,彼らの公共的機能が評価されるに至っている。
以上の動向を踏まえ,当部会では,2020年度大会「近世後期の幕藩権力と豪農・村役人」において,被支配者層の自立性が強調される支配―被支配関係を問い直すことを試みた。しかし,ⓐ地域的入用や地域資産を含む地域財源をめぐる両者のせめぎ合いと協調,ⓑ領域の特性(地域性)の比較検討,という点で課題を残すこととなった。
ⓐについて,幕領組合村研究においては,下から構成された「地域自治」を裏付けるものとして,郡中・組合村・村という各行政レベルで重層的な入用構造が構築されていたことが重視されてきた。近年の藩領国研究においては,地域的入用のみならず地域資産を含めた高度な地域財源が形成され,かかる地域財源を被支配者層が自律的に管理・運営していたこと,これによって被支配者層による高度な「地域自治」が展開されていったことが指摘された。しかし,高度な地域財源の形成が藩権力による行財政改革を契機としたものであったことを踏まえるなら,自律的・自治的にも見える被支配者層の地域運営財源の管理・運営に対して領主権力がいかに関与したのか/しなかったのか,という点を無視することはできない。また,地域資産は,明治維新後においても一定程度,地域社会に残り続けた一方で,その帰属をめぐって官民対立が生じたことが明らかとなっている。近代以降に官民対立が生じる要因や背景を考察するためにも,地域資産形成期である近世後期の領主権力と地域社会の関係から検討することは重要であろう。
ⓑについて,ⓐとも関連して,以下のような課題が浮かび上がる。まず,高度な行財政的力量を有するようになったと指摘される幕領では,地域資産はいかなる形で形成・展開したのか。そして,長期継続性・一円性・広大な所領がある藩領であれば一般的に高度な地域財源の形成が可能であったのか,可能でなければなぜ成立しなかったのかといった点である。そこで,今大会においては,地域資産の形成過程と管理・運営のあり方を,地域性を考慮しながら比較検討していく。具体的には,領主支配の長期継続性と一円性,広大な所領がある加賀藩と,そうではない幕領・非領国地域の双方を取り上げて,この問題に迫りたい。その際にはそれぞれの地域の特性を指摘するだけではなく,地域社会の運営のあり方を分岐させた条件・要因を探ることを目指す。
また,地域資産をめぐる近代への移行過程についても展望したい。1980年代の地域社会論では,近世中後期の地域社会の成熟を通して,近代への移行過程を展望した点に特徴があった。しかし,その後の研究展開をみると,議論や分析の力点に違いもみられるようになった。たとえば,地域の行財政運営を担う中間層をめぐっては,その内部において近世社会特有の身分制的序列関係が働いていたことが強調され,近代への展望は見出されにくくなった。一方,近年では,領主から多くの権限を委ねられた中間層が高度な「地域自治」を展開させ,彼らの官僚化が近代の萌芽となったことが指摘されている。このような見解の相違がありながらも,近代への移行過程を重要な論点の一つとして地域社会論は議論を蓄積してきた。地域社会論の視座から地域資産に着目する今大会においても,近代への展望を見据えて議論していきたい。
以上の問題意識に基づいて,酒井一輔・上田長生両氏の報告を用意した。
酒井一輔「近世後期の「利殖財政」と地域資産の形成」では,寛政期以降に本格化した幕府公金貸付政策と奇特者褒賞政策との関係に着目しながら,主に幕府・幕領を対象として,近世後期に地域資産が各地で広範に形成されていった経緯や背景を検討する。地域資産の広範な形成とは,救貧やインフラ整備など公共的事業の財源を,税賦課や借財ではなく基金やその利殖運用益から調達しようとする,近世後期以降の領主財政の動向を色濃く反映するものでもあった。地域資産の広範な形成に資する領主側の動向と領民側の役割を明らかにし,近世近代移行期における地域資産とその形成の意義を考える。
上田長生「19世紀の藩領社会・中間層と藩権力―加賀藩の地域的入用と備荒貯蓄―」では,加賀藩領の地域的入用とその改革,及び備荒貯蓄の展開を検討する。加賀藩の地域的入用は,近世前期に藩が設けた用水等の整備費である郡打銀と,村・組・郡で重層的に賦課された万雑の二つから成った。かかる地域的入用をめぐって中間層・藩権力それぞれが主導した改革を検討し,支配―被支配関係を分析する。一方,地域的入用のあり方にも規定されつつ,天保飢饉と藩政改革を経て,地域資産たる仕法銀の運用と藩主導の備荒貯穀も始まった。それらが救恤や藩用の財源となり,維新後に備荒貯蓄として引き継がれる過程の検討を通じて,藩主導で形成された地域資産の特質を解明する。
地域社会の成り立ちや人々の生存を支えた地域資産は,地域と時代を問わず重要なものであったと考えられる。活発な議論を期待したい。
(黒滝香奈)
[参考文献]
酒井一輔「近代移行期における共有財産の再編と地域統合―近世的遺産の所有権と分割・維持問題―」(『社会経済史学』第84巻2号,2018年)
上田長生「十村御用留論―近世中後期の越中国砺波郡十村の地域支配・運営―」(加賀藩研究ネットワーク編『加賀藩政治史研究と史料』岩田書院,2020年)
近代史部会 近代における不満の発露―女性の声から考える―
近代史部会運営委員から
福島第一原発事故やコロナ禍,能登半島地震などに顕著なように,近年,社会のしわ寄せが被災者や社会的弱者を筆頭とする,人びとに向かっている。一方,それによって発生した/もしくはそれ以前から続いてきた人びとの多様な経験が,「違和感」や「生きづらさ」として社会に発信され,可視化されるようにもなってきた。なかでも#metoo 運動以降,女性の「違和感」や「生きづらさ」は日本社会でもひときわ発信され注目されている。「個人的なことは政治的なこと」(“The personal is political”)という言葉が,第二派フェミニズム以降,フェミニズム運動のスローガンであり続けていることを踏まえれば,女性のそれにこそ注目が集るのもまた必然と言えるかもしれない。
しかし,これを不満の蓄積と発露と捉えれば,現代に特有の現象と言えないことにも気づかされる。そもそも「近代」の震源地のひとつであるフランス革命も,人びとの不満の発露という面を持つ。そしてそれは,社会的影響力の大小はあれど近代以前,以後を通して全世界で見られたものでもある。日本でも,近世では各地の一揆,近代では新政反対一揆や米騒動など,枚挙に暇がない。
さて,歴史学において,これらを主体性の発露と捉え,分析してきたのは運動史の分野であった。とくに近年の民衆運動史では,人民闘争史への反省のもと,等身大の民衆の姿や,彼ら/彼女らと支配構造との関係の具体的なありようについて,議論が続いている。そこでは社会を「発展」させるばかりではない多様な運動や,権力者と民衆だけでなく民衆内部,とりわけジェンダーに基づく亀裂にも注目が集まりつつある。
1990年代に日本の歴史学界に紹介されたジェンダー史は,ポストモダニズムの思潮のもと,人びとを絡め捕る社会的・文化的な性認識の時代的特徴や変容について明らかにしてきた。かたや主体としての女性たちの,実際の生のありようについては,その成果を取り入れつつも,女性史・民衆史として生活や労働など多様な観点からの研究蓄積がある。本年度はおもに後者,すなわち人びとを抑圧する権力関係のひとつとしてジェンダー構造を位置づける立場をとる。
当部会では,2021年「再編される差別」22年「帝国支配と植民地社会」23年「社会変動と人びと」24年「第一次世界大戦を経た世界」と,2021年以降,支配構造や社会と人びとのありようについて,両者の相互性や地域ごとの共通性・固有性に着目することで予定調和的でないかたちで問おうとしてきた。それは,えてして「近代化」「国民化」「規範化」される主体として予定調和的に描かれがちな近代の人びとの実態をどう捉えられるか,という,「下から」歴史を考える試行であったともいえよう。
昨年度は「第一次世界大戦を経た世界」をテーマに掲げ,この未曾有の大戦の経験が人びとの「帰属意識」にもたらした影響を捉えようとした。その結果,人びとが「帰属意識」を認知する過程では包摂だけでなく政治的・社会的な亀裂・排除を伴うことが明らかにされ,その分析要素の一つとしてジェンダーやセクシャリティに関心が集中したことは成果であった。
しかし,戦争協力の「見返り」としての女性参政権の「付与」という認識自体が女性自身による運動の軽視である,と粟屋利江氏がコメントしたように,社会構造分析に偏らず,女性をはじめとする主体の分析も必要だという指摘や,地域によっては「帰属意識」という問題設定自体が馴染まないという指摘も寄せられた。これらに応えるためには,前提となる枠組みを設けず,人びとのありようをその主体性と構造的影響との双方から分析する必要があろう。
よって本年度は,社会的な亀裂・排除による不満はどう発露し,そこからどのような時代的傾向や特徴が読みとれるのか,またその不満は社会でどう扱われ,どう回収された/されなかったのか,と問題を設定した。具体的には,「近代における不満の発露―女性の声から考える―」と題し,第一次世界大戦後の時代における女性たちの不満の声に焦点を当て,そこから当時の社会を逆照射することを試みる。
以上の問題意識から,本年度は以下の2名に報告を依頼した。
山手昌樹氏には,「女性ファシスト機関誌にみる婦選獲得の向こう岸」と題して,1925年の地方参政権獲得後,イタリアの婦選運動家たちが進行する国家の独裁化に何を感じ,何を求めていったのかを検討していただく。
井上直子氏には,「“婦選は鍵なり” ―1920年代から30年代日本における女性参政権獲得運動とその射程―」と題して,日本の女性参政権運動の担い手たちが,手段としての参政権獲得のその先に何を見据えていたのかを検討していただく。
これら報告に対し,アメリカにおける女性史・ジェンダー史を専門とする佐藤千登勢氏と,中国における女性史・ジェンダー史を専門とする石川照子氏にコメントをいただく。
近代社会において女性が声をあげることは多大な困難を伴うものであり,社会状況や政治状況に左右される不安定なものでもあった。たとえば帝国と植民地との社会や権力のあり方の差異を考えれば,おのずと各地域における女性の声にもさまざまな差異が想定できよう。よって,これらを安易に一般化せず,その普遍性と特殊性を,背景たる支配構造の影響や重層的な社会のありようも含めて比較し検討する作業が必要不可欠である。近代史部会の特徴ともいえる,多様な時期・地域からの活発な議論がここに活かされることを期待したい。
(高橋郁臣)
[参考文献]
石川照子「近現代中国におけるキリスト教と女性―鄧裕志の生涯を事例として―」『中国21』28,2007年
井上直子「交錯する「公民」の境界―一九三〇年前後における「婦人公民権」問題をめぐって―」『ヒストリア』272,2019年
大門正克『歴史への問い/現在への問い』校倉書房,2008年
菊川麻里「性差から歴史を語る―イタリアにおける女性史と〈ジェンダー〉―」姫岡とし子ほか『ジェンダー(近代ヨーロッパの探求11)』ミネルヴァ書房,2008年
佐藤千登勢「戦争と女性労働」山口みどりほか編『論点・ジェンダー史学』ミネルヴァ書房,2023年
須田努『イコンの崩壊まで』青木書店,2008年
竹村和子『フェミニズム(思考のフロンティア)』岩波書店,2000年
山手昌樹「ファシスト党と女性―女性ファッシ研究序説―」『紀尾井史学』25,2005年
現代史部会 戦後民主主義における制度と参加の諸相―「東西」を越えた再検討―
現代史部会運営委員から
今年度の現代史部会では,総力戦後/冷戦下の社会建設という課題を受けて,戦後民主主義がいかなる形で生みだされたのか,そこで形成された制度と参加の関係を,体制の別を越えて捉え直してみたい。
1989年の冷戦終結とそれに続く東欧諸国・ソ連の社会主義体制崩壊の当時は,西欧や北米の自由民主主義体制こそ政治の到達点(「歴史の終わり」)と喧伝された。だが30年余りを経た今日,その観測はまったく色褪せている。ロシアや東欧における強権的政権の台頭はもとより,自由民主主義の総本山とされてきた西欧諸国や米国におけるポピュリズムと権威主義の浸透は,制度的劣化という評言では済まない深刻な事態だ。
このように民主主義が世界的な機能不全を来しているいま,歴史研究にできることは,民主主義の歴史的実態の多様な姿を明らかにし,今日に至る径路の意味を再検討することだろう。その際,私たちが議論の対象としている民主主義の制度や運動が,多くの場合,第二次世界大戦後の・戦・後民主主義であることに注意を促したい。壮絶な総力戦を経過し,かつ東西冷戦という新たな世界情勢のもとでは,国家は体制の別を越えて,広く国民に働きかけ,彼ら彼女らの参加と同意を促した。この総力戦後/冷戦下という二重の戦争の刻印のもとで営まれた民主主義は,実際のところ,どのような民主主義であったのか。そして,それは今日の私たちと,どのような関係にあるのか。この点を,広く戦後世界の各地の事例に即して,あらためて国家と民衆世界の接点で検証すること。それは,民主主義の権威主義化の大波を前にして,「昔はよかった」とノスタルジアへ逃げ込んだり,非欧米社会に別の可能性を仮託したりすることなく,戦後民主主義の正確な決算票を描き出すためには,不可欠の作業だろう。
近年,現代史部会では,「冷戦体制形成期の知の制度化と国民編制」(2018年),「冷戦下のジェンダーと「解放」の問題」(2020年),「冷戦下の越境する連帯」(2022年)などの企画を通して,ジェンダーと主体形成の関係や,人権や解放の理念をめぐる実態の再検討を焦点として,既成の冷戦体制像の相対化を試みてきた。上記の成果を踏まえつつ,今年度の現代史部会では,東西両体制の成立が世界の分断を深めていく1950~60年代における戦後民主主義の体制構築と民衆との関係を,ソ連と日本を例に問うていきたい。資本制下の自由民主主義に対して,一方は社会主義体制,他方はファシズムが急速に編制替えされた体制である以上,この選択は端から冒険と映るかも知れない。しかし,第二次世界大戦で甚大な被害を受けた各国いずれにおいても,復興と体制の安定化が喫緊の課題であったことは論を俟たない。東西冷戦の勃発によって政治体制には大きな違いが生じたものの,統合や秩序をめぐる課題と対応には共通性も少なくなかったのではないか。
より具体的には,「東西」の体制の別を越えた戦後社会における民衆の政治・社会参加の実相と,それを可能にした制度構築について探ってみたい。その際,戦後の主要な課題であった経済成長や都市・農村間の格差是正を推進するために,従来は政治や経済の領域から排除されていた人びとがいかに包摂されたのか,その過程に着目したい。政治体制と民衆世界の間の「対話」を可能にした法制度の構築と運用,新たに包摂された人びとに積極的な参加を促す諸契機などが,重要な意味を持つだろう。そこから,制度との交渉を通じて人びとが作りあげた「日常生活」における「自由」や「民主主義」が有した,それぞれの場での意味の違いを論じる可能性が開けるのではないか。共通性の下の差異を捉え直すことで,当時の西側が掲げた「自由(主義)」と「民主主義」の関係は,不可分でも到達点でもないことが鮮明になろう。
以上の関心にもとづき,今年度の現代史部会は,以下の2報告とコメントによって構成される。
まず,松戸清裕氏の報告「ソヴィエト・デモクラシー―「もう一つの民主主義」における政治と日常―」は,第二次世界大戦後のソ連社会,とりわけ1950~60年代における「民主主義」の意味を,政府と住民の間で成立していたさまざまな「対話」の諸相から問い直す。一党制のソヴィエト体制と「民主主義」という言葉の組み合わせは,いかにして可能となったのか。当該期における同国の憲法・法制度,政策実施をめぐる議論,さらには住民側の苦情訴えの史料を通して,「もう一つの民主主義」の姿について議論してゆく。
岩島史氏の報告「戦後日本農村における生活改善のポリティクス」では,1950~60年代の政府の農村政策と,それに呼応して生活改善普及事業に参加していく女性たちとの関係を通じて,日本の戦後民主主義をジェンダーの観点から検証する。農地改革や女性参政権の獲得を経ても残る農村の「封建性」は,戦後農政,女性たち,いずれにとっても克服すべき課題であった。両者の接点で生まれた農村女性政策によって,「婦人」「主婦」「母」が,地域の「生活」「労働」「文化」の担い手となることの意味を,多角的に掘り下げる。
以上の2報告を受けて,旧ファシズム諸国における新憲法の制定過程や,日伊の戦後社会を主導した知識人の比較史的研究を進めてこられた石田憲氏からコメントをいただき,両報告の意義をさらに広い文脈に媒介させていきたい。
冷戦終結後に世界を席巻した自由民主主義体制と新自由主義経済のあり方は,今日,新たな権威主義の到来とも呼ばれる不安定な様相のなかで,根本的な再検討を迫られている。その作業は,冷戦終結以前に作られたさまざまな戦後民主主義の成立から変容に至るサイクルを,より長期の歴史的射程のなかで再審することと同時になされることで,いっそう効果を増すのではないか。戦後80年にあたって,あえてこの主題で部会を企画する所以である。当日の討議には,ぜひ多地域・多分野を専攻する方々からの積極的な参加をお願いしたい。
(戸邉秀明・森下嘉之)
[参考文献]
松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー―非自由主義的民主主義下の「自由」な日常―』岩波書店,2024年
松戸清裕『ソ連という実験―国家が管理する民主主義は可能か―』筑摩書房,2017年
岩島史『つくられる〈農村女性〉―戦後日本の農村女性政策とエンパワーメントの物語―』有志舎,2020年
石田憲『戦争を越える民主主義―日本・イタリアにおける運動と熟議のデモクラシー―』有志舎,2024年
合同部会 都市における隔離と境界
合同部会運営委員から
「不法」移民への権力側の対応,さらにその姿勢に対するさまざまな議論は21世紀の現在,諸メディアで日々話題となっている。しかし,マイノリティ集団と個々人の移動,そして移住先で彼らが現地の共同体(ホスト・コミュニティ)とどのような関係を構築したかは,国内外で近年に盛んに議論が行われるようになったにとどまらず,歴史の中で繰り返し問われてきたテーマでもある。
そして,さまざまな出自の人々で構成され,しばしば彼らの邂逅の場としての役割を果たすこととなった代表的な場が都市であった。都市に新たに来訪し,史料上「よそ者」とされたマイノリティ上の違いの出身や区分の基準は,言語や宗教,外見や慣行や遠方出身であるのにとどまらず,近隣の農村部出身であることもあった。完全な移住や複数世代にわたる居住,越冬,さらに短期的な一時滞在まで「よそ者」の居住にもさまざまな形態差が見られたが,「よそ者」たちと現地の共同体との間で構築された関係は常に円滑でも,安定的なものでもなかった。
市門や市壁のような可視的な境界に加え,社会生活における不可視の境界の双方が都市と周辺の後背地だけでなく,都市を活動の場とするこれら諸共同体を隔てていたことはよく知られている。だが,都市の共同体,もしくは共同体としての都市が歴史の中でその輪郭を再定義する過程において,都市空間内外における「よそ者」の存在,あるいはそこへの新たな「よそ者」の流入が線引きそのものに影響を与えた可能性にも注意を払う必要があるだろう。旧来の定義で現地の共同体の一員とされてきた集団が新たな線引きで排除された場合,法,社会,そして宗教,ジェンダーといった諸基準の中で,どれが新たな都市共同体を統合するものとして立ち現れることになったのだろうか。そして,再定義された共同体秩序の再編の動機として,「よそ者」出身地とのネットワークを含む都市と外部諸勢力,あるいは都市内部の関係のどのような変化をそこに認めることができるだろうか。
同時に,同一の都市という場の中での諸「よそ者」マイノリティ集団間の関係,さらにはマイノリティ集団内部での不協和音の可能性も見逃すべきではない。同郷出身者共同体として現地の「他者」に対して団結する場合でも,長期滞在者と新参者の間での利害や関心の不一致は時に見られ,隔離の対象となった現地共同体側と歩調を合わせる者も存在したかもしれない。現地共同体側の対応とあわせ,この「よそ者」集団,さらには集団内部の構成要素としての個々人の体験にも焦点をあてることで,上からと下からの双方の視点から,都市に展開した境界を重層的に考察することが可能となるはずである。
このような視点から歴史的な「境界」の生成と再編としての都市を見ることは,今日の人の移動に伴う差別などの軋轢への知見を深めるものであると同時に,「よそ者」集団がしばしば担った経済,交易ネットワークの結節地点としての都市と,共同体としての都市,という前近代都市史の二本柱の研究動向を架橋する手がかりにもなるかもしれない。
以上のような問題意識を出発点として,本年の歴史学研究会合同部会シンポジウムは「都市における隔離と境界」をテーマに掲げ,主としてユーラシア西部の古典古代から近世までを対象とする3本の報告を準備している。
まず,古代については,阿部衛氏の「境界に立つ剣闘士」が,ローマ帝国の諸都市で活動した剣闘士の社会的機能について考察を行い,ローマの社会秩序の外側にいた人々が剣闘士としての活動を通じてローマ社会に組み込まれていく様相を描き出す。
次いで,神谷貴子氏の「排除する市民たちと排除される市民たち―中近世スイス都市を事例として―」では,中世末期から近世初頭にかけての都市フリブールの市民を考察対象とし,都市における多元的な排除の実態とそのメカニズムの複雑さを俎上にあげる。
第3報告として登壇をお願いしているのは押尾高志氏であり,氏は「キリスト教化する都市グラナダ―モリスコ文化の禁止と差異の可視化―」で16世紀グラナダの産絹産業とモリスコ(キリスト教へ改宗した元ムスリム)との関わりに着目し,彼らに対する社会経済的な包摂と排除について取り扱う。
本テーマは異なった時代,地域を対象とする複数部会で運営を行うフォーラムとしての合同部会そのものの性格とも重なるものであり,当日は専門を問わず多くの方々がシンポジウムに足を運んでいただけると幸いである。
(合同部会大会企画委員会)
[参考文献]
地中海文化を語る会編『ギリシア・ローマ世界における他者』(彩流社,2003年).
弘末雅士編『越境者の世界史―奴隷,移住者,混血者―』(春風社,2013年).
イルジーグラー,F., A. ラソック/藤代幸一訳『中世のアウトサイダー』(白水社,1992年).
ゲメレク,B./早坂真理訳『憐れみと縛り首』(平凡社,1993年).
コーエン,R./小巻靖子訳『移民の世界史』(東京書籍,2020年).
ハーファーカンプ,A./大貫俊夫・江川由布子・北嶋裕編訳『中世共同体論』(柏書房,2018年).
特設部会 歴史資料の危機にどう立ち向かうか
委員会から
歴史資料は,歴史を学び,研究しようとする人々にとってなくてはならないものである。そのため歴史資料の保全は,我々が最も注意を払うべきことであり,それらが危機的な状況に陥る事態を絶対に避けなければならない。しかしながら,さまざまな原因で歴史資料が危機的な状況に陥る場合があることもまた事実であり,それは洋の東西を問わない。
過去の特設部会において,資料保全について論じてきた。2012年度「災害の「いま」を生きることと歴史を学ぶこと」,2014年度「資料保全から歴史研究へ」,2018年度「3.11からの歴史学」などにおいて,災害と歴史資料保全についてシンポジウムを行った。これらの成果も踏まえつつ,2025年度は歴史資料が危機的状況に陥った場合,我々はどう立ち向かうべきなのか,考えてみたい。
たとえば自然災害である。1995年1月の阪神・淡路大震災から,今年はちょうど30年の節目にあたる。震災の直後,神戸で歴史資料ネットワーク(史料ネット)が結成され,自然災害で被害を受けた資料を保存する活動が本格的に始まった。その後も残念なことに,日本列島各地で地震や水害などの自然災害が頻発している。それに対して被災した資料保存や地域の歴史文化継承のために各地で資料ネットが作られ,その活動は全国に広まった。各地の資料ネットは,今後も歴史資料の危機に対して,その保全などへの貢献が期待される。
近年も大災害が生じている。2024年1月1日,元旦の祝賀ムードに水を差すように,能登半島においてマグニチュード7.6の地震が発生した。この地震により,石川県の輪島市と羽咋郡志賀町では最大震度7を観測したほか,石川県・富山県・新潟県・福井県の各地で震度5以上を観測した。「令和6年能登半島地震」と名付けられたこの地震は,甚大な被害をもたらした。また,震災により多くの文化財が被害を受けた。石川県輪島市の上時国家住宅(国重文)が倒壊したことをはじめ,400件以上の指定文化財に被害が及んだ。未指定の文化財で言えば,その数は知れない。そのような中で,いしかわ歴史資料保全ネットワーク(いしかわ史料ネット)が同年3月に発足し,歴史資料の保全・継承・活用を進める活動を行っている。
とはいえ,歴史資料の喪失をもたらすのは,言うまでもないことながら自然災害だけではない。海外に目を転じてみると,人為的な事故であったり,戦争・紛争であったり,歴史資料が大規模に失われてしまう危機がいくつもあることがわかる。
2009年3月3日,ドイツのケルン市の歴史文書館が突然崩壊し,所蔵史料に甚大な被害が及んだ。その原因は,近隣の地下鉄工事であった可能性が高い。1971年に新築されたこの文書館は,自然に庫内の環境を一定に保ち,収蔵庫を守ることのできる構造で,ヨーロッパ各国の文書館に大きな影響を与えた。しかしその後,行政・市民の無関心もあって,建物自体に適切な保守作業がなされておらず,それが崩壊の遠因ともされている。ただし倒壊後は多くのボランティアが駆けつけ,彼らは水損史料も含めて資料のレスキューにあたった。また,そのような修復と同時に,デジタル化の構想もあったという。
中東に目を向けよう。2003年3月,米軍のイラク侵攻の混乱のなか,バグダードをはじめイラク各地の博物館,図書館,文書館が略奪や放火の被害に遭った。その後イラクが内戦状態になると,過激派組織「イスラム国」が現れ,その勢力は2011年に内戦が始まったシリアにも及んだ。そのイスラム国は,イラクとシリアでニムルドやパルミラなどの古代遺跡の数々を破壊した。シリア内戦では,アレッポの城塞,市場,モスクなど多くの歴史的建造物が損壊され,博物館や図書館も略奪や破壊の対象となった。さらに,2023年10月のハマスの奇襲をきっかけに始まったイスラエルのガザへの報復攻撃は,深刻な人的被害と同時に図書館や文書館の破壊をともなった。このように,中東では,長年の紛争が犠牲者や難民を多く生み出すとともに,歴史資料にもまた取り返しのつかない甚大な被害が生じている。
このような歴史資料の危機的状況について,部会では以下の報告を用意した。
まず石川県を中心とした北陸地域の被害状況や史料ネットの活動について,いしかわ史料ネットの代表を務める本多俊彦氏に「令和6年能登半島地震といしかわ史料ネット」と題する報告をしていただく。ケルン市歴史文書館の倒壊とその後については,ドイツ中近世史がご専門の井上周平氏に「ドイツ語圏における災害と史資料保全」と題する報告をお願いしている。シリアについて,安倍雅史氏に「シリア内戦下における歴史資料の被災と国際援助」として報告していただく。シリアでの発掘の経験を持つ安倍氏には考古学的な観点から,いわゆる文書史料だけではなく,遺物の状況も含め論じてもらう。
自然災害による被害の日本,事故による被害のドイツ,戦争・紛争による被害のシリア。原因も地域も異なるが,歴史資料が危機的状況に陥ってしまったことは共通している。このような資料をいかに救っていくか。さらにはレスキュー後にいかに保存・活用し,職業歴史家ではない人たちにどう利用してもらうのか。デジタルアーカイブの活用についてなど,論点は多い。3報告から,共通点や相違点を見出し,日本・欧州・中東と比較していくなかで日本の史料レスキュー活動を再検討することにもつながるだろう。活発な議論を期待する。
(研究部)
[参考文献]
「いしかわ史料ネット」ホームページ(https://sites.google.com/view/ishikawashiryonet/ 最終閲覧2025年3月7日)
平松英人・井上周平「ケルン市歴史文書館の倒壊とその後」『歴史評論』714,2009年
安倍雅史「シリア紛争下における文化遺産の被災状況」『世界遺産パルミラ 破壊の現場から』雄山閣,2017年