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総合部会例会
「デジタル史料とパブリック・ヒストリー ― 1641年アイルランド反乱被害者による証言録取書(1641 Depositions)」

日時:2021年6月19日(土) 15時00分~18時00分
報告:ジェーン・オーマイヤ Jane Ohlmeyer(ダブリン大学トリニティ・カレッジ Trinity College Dublin, The University of Dublin)
コメント:勝田俊輔、吉澤誠一郎、後藤真
通訳・運営協力: 槙野翔、正木慶介、八谷舞
参加形式:ZOOMウェビナー
*次のGoogleフォームから、6月16日(水)までに参加登録ください。
https://forms.gle/ytH51B1GU7u1vdkx8
参加費:無料
*どなたでもご参加いただけます。
問い合わせ先: rekiken.sougoubukai@gmail.com
開催主旨
近年、インターネットの発展により、歴史研究においてデジタル化された史料(以下、デジタル史料と略す)の持つ可能性が注目を集めている。分野によっては必須の基本史料となっており、今日まで多くの研究者に利用されてき
しかし、インターネット上のデジタル史料は、歴史研究者など特定の専門性を持つ人々だけが利用可能なわけではない。アクセス環境さえ整えば、専門性や職業に限定されず、国家の枠組みすらも飛び超えて、地球上の誰もが利用可能である。また、論文執筆や学会発表など、従来の歴史研究から想起されるものだけでなく、さまざまな実践に用いることができる。その意味で、同じく近年注目されているパブリック・ヒストリーとも強い関連性を持っている。デジタル史料とパブリック・ヒストリーの関係を問うことは、今後の歴史学のありかたを考えるうえで、きわめて興味深く、重要なテーマだということができる。
そこで歴史学研究会委員会では、史料データベース1641 Depositionsの企画を主導したジェーン・オーマイヤ氏(ダブリン大学トリニティ・カレッジ)からお話しをうかがうことにした。本データベースは、1641年にアイルランド・アルスター地方で発生したカトリック反乱に関する主要史料―反乱被害者による証言録取書、約8000件―を文字起こしし、史料画像とともにデジタル化して、無料で公開したものである(https://1641.tcd.ie/)。このプロジェクトは原史料の所蔵元であるアイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリン大学と、イギリスのアバディーン大学、ケンブリッジ大学の二国間共同プロジェクトとして両国の研究助成を受け、言語学者や地理学者、コンピュータ科学者と協働しつつ学際的に進展した。
1641年アイルランド反乱は、日中関係における「南京大虐殺/南京事件」を彷彿とさせる論争的事件であり、同地のカトリックによるプロテスタントの「大虐殺」であったとする歴史解釈が、現在に至るまでアイルランド/イギリス間の歴史認識問題の主要なテーマの一つとなってきた。その意味で、北アイルランド問題の平和解決にむけた歴史家からの提言としても、意義深いプロジェクトである。実際に、2010年の公開時には両国の政府高官の列席のもとで記念行事が催され、2014年には北アイルランドの学校教育課程に取り入れられたほか、2018年時点での登録利用者は11か国、計2万3千人を超えるなど、大きな成果を挙げてきた。公開10年を過ぎて、現在では非営利ベースでのプラットフォームの維持・更新の問題など、さまざまな課題が浮上している。このプロジェクトについて知ることは、デジタル史料とパブリック・ヒストリーの関係を考えるうえで大きな意味があるといえるだろう。
オーマイヤ氏からは1641 Depositionsの実践と意義、プロジェクトの現状と今後の課題について報告をいただく。コメンテーターには、まず勝田俊輔氏を迎え、同プロジェクトがアイルランド史において持つ意味について御紹介いただく。続いて、吉澤誠一郎氏には中国近現代史、後藤真氏には歴史情報学の立場から、それぞれ中国/日本との比較を交えてコメントをいただく。
今回の研究会はZoomを用いたオンライン形式で、日本とアイルランドをつないで行う。海を越えた研究会は、総合部会例会としては初めての試みとなる。研究分野や立場を超えて、ぜひ多くの方々に御参加いただきたい。オーマイヤ氏の報告は英語で行われるが、字幕等を通じた通訳を予定している。
<参考文献>
ジェーン・オーマイヤー(佐々木武訳)「思想の言葉――近代初期アイルランド研究の現在の方向と将来の課題」(『思想』1063号〔アイルランド問題〕(2012))
ジェーン・オーマイヤ(後藤はる美訳)「1641年――新しいコンテクストとパブリックな視角」(『東洋大学人間科学総合研究所紀要』第22号別冊(2019))
※なお、本例会はJSPS科研費18KK0333との共催です。
2020年
総合部会例会「スポーツの歴史学−現在と未来−」はZoomを使ってのオンライン開催になりました(会員限定)。
2020年4月11日(土)に開催予定となっておりました総合部会例会「スポーツの歴史学−現在と未来−」は 新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、2020年7月19日(日)13時〜に延期することに 致しておりましたが、このたび、Zoomを使ってのオンライン開催になりました(歴史学研究会会員限定)。 昨今の事態にかかわるやむなき対応として、なにとぞご了解くださいますようによろしくお願い致します。
*歴史学研究会会員の参加方法は、『歴史学研究月報』や会員MLをご参照ください。
*会員の申し込み方法
参加については事前登録制を設けています。登録情報に基づき、Zoomの招待をいたします。次のGoogleフォームから参加登録ください。
https://forms.gle/q7FA3bjPEPZyKb1T7
総合部会例会「スポーツの歴史学-現在と未来-」
日時:2020年7月19日(日)13時〜16時30分 (ズームでの開催。会員限定)
報告:坂上康博「三つの東京オリンピック
―1940・1964をふり返り、2020を考える―」
高嶋 航「外地からみる「日本」のスポーツ」
コメント:小原 淳
*報告タイトルは変更される可能性があります。
開催主旨
いよいよ、「東京2020オリンピック・パラリンピック」開幕の年を迎えた。東京都知事によって「東京2020オリンピック・パラリンピック」の招致が表明されたのは、東日本大震災発生から四ヶ月後の2011年7月のことである。その後9月に設立された招致委員会は、当初、震災からの復興のシンボルとしてのオリンピックの開催をめざしていた。しかし、福島第一原発の事故が収束しないまま、2013年9月、開催決定へと至り、その後も「復興」を謳いながらの開催準備が進んでいる。その準備過程において、新国立競技場のデザイン案をめぐる紛糾や、エンブレムの確定をめぐる問題、「コンパクトなオリンピック」というコンセプトに見合わず膨張する経費など、次々に問題が浮上しており、開催まで一年を切った段階での、マラソン競技の開催地変更も記憶に新しい。こうした問題の背景には、グローバル化する資本主義の展開を受け、スポーツを通じたナショナリズムの昂揚や商業的利益をめざす国家の思惑がある。
近代オリンピックの歴史は、1896年のアテネ大会に始まる。その発案者クーベルタンは、スポーツによる道徳的・倫理的人間の形成を国際的に展開するためのスポーツ競技会として、オリンピックを位置付け、国家の枠組みに拠らない、人間そのものを志向した普遍性のもとで、第一回オリンピック大会を実現させた。ただし、開催地ギリシャは、オリンピックを通じた文明化・近代化を目論んでいたといい、近代オリンピックはその始まりからナショナリズムと深く結びついていたことが指摘されている(村田奈々子「近代オリンピックの始まり」『学問としてのオリンピック』山川出版社、2016年)。また、競技スポーツと同じ身体運動ながら、それとやや性格を異にするジャンル、すなわち中・東部ヨーロッパで盛んであった集団的な体操運動についても、国民意識の涵養や身体の国民的規範化と結びつくことにより、当該地域のナショナリズムと密接な関係にあったことが指摘されている(福田宏『身体の国民化』北海道大学出版会、2006年、小原淳『フォルクと帝国創設』彩流社、2011年)。
このように、近代におけるオリンピックやスポーツ、体操運動の成立と発展は、国民形成および国家統合における理念/実践としてのナショナリズムの展開と密接不可分のものであった。さらには、19世紀末にインド出身のクリケット選手がイングランド代表として活躍した例(石井昌幸「フィールドのオリエンタリズム」『近代ヨーロッパの探究⑧スポーツ』ミネルヴァ書房、2002年所収)や、1930年代のオリンピックに朝鮮半島出身者が日本代表として出場した例に代表されるように、植民地帝国(あるいは「国民帝国」)の支配体制とも深い関わりをもつに至ったのである。
これに対し、現代におけるスポーツとナショナリズムの関係性には、グローバル化の進展に対応した新たな側面を見出しうる。ごく最近の例では、昨年のラグビー世界選手権において他国籍ながら日本代表として戦う選手への「感謝」表明や、彼らのふるまいの「日本人らしさ」への共感などが、メディアにおいて殊更に取り上げられた。ここでは、グローバル化を背景とした多様性・複合性とナショナルな価値のフレームによる包摂・同化が互いに補完し合うという、いわばグローバリズムとナショナリズムの相即性が典型的に生じているように見える。加えて、ドーピング問題や選手の国籍変更に象徴されるメダル獲得競争の激化など、近代スポーツ競技に固有の問題もいっそう深刻化しつつある。
その一方、近代から現代に至るスポーツの普及の過程において、スポーツがときに労働運動や女性解放の基盤となったり、障害者の自立や社会参加を促す役割を果たしてきたりしたことにも留意する必要がある。ナショナリズムへの包摂とは別のかたちで、多様な人々の存在と活動がスポーツの歴史を形作ってきたことを忘れてはならないだろう。スポーツ史や近現代史・文化史の研究者らによって近年出版された『スポーツの世界史』(一色出版、2018年)は、競技者や観客など様々な主体に目をむけながら世界各地のスポーツの歴史をひもとくとともに、スポーツを通じた、政治・社会・教育・ジェンダー・メディアや植民地主義をめぐる歴史を描くなど、スポーツ史の新たな可能性を提示している。
そこで今回は、『スポーツの世界史』の編者である、坂上康博氏と高嶋航氏を迎え、スポーツをめぐる歴史学の現状について認識を共有するとともに、スポーツおよびスポーツ史の未来を展望することにしたい。具体的には、坂上氏に「三つの東京オリンピック―1940・1964をふり返り、2020を考える」と題する報告を、また高嶋氏には「外地からみる「日本」のスポーツ」と題する報告をしていただく。その後、近代ドイツのトゥルネン運動について考察してきた小原淳氏にコメントをいただく。東京オリンピックの開催を前に、ただ沸き返って開催を喜ぶのではなく、いったん立ち止まって、オリンピックを含むスポーツの歴史を振り返り、背後にひそむ問題や見落としがちな歴史、新たに論点とすべき問題について、歴史学研究者ばかりでなく市民の方々とともに考える機会になれば幸いである。スポーツおよびスポーツの歴史学の未来を切り拓くための、活発な議論を期待したい。