東京都中央卸売市場築地市場の解体工事中止、および保存活用に関する要望書

東京都知事 小池百合子 殿

 東京都中央卸売市場築地市場は、歴史の宝庫です。それは、東京が江戸と呼ばれた過去から連なる唯一無二の文化遺産として、また未来の世代が新たに発見してゆくであろう知の可能性として、わたしたちの前に立ち現れています。わたしたちは、東京都に対し、築地市場解体工事の即時中止と綿密な学術調査の実施、その成果の公表に応じた保存活用の再検討を強く求めます。

 現在の晴海通り勝鬨橋付近から浜離宮に至る臨海地域は、近世には一橋家、白河・桑名松平家の邸宅があり、近代には海軍大学校、軍医学校、経理学校、水交社など、海軍関係の施設が集中していた、特色ある場所です。築地市場は、1935 年、同地に、関東大震災によって焼失した日本橋魚河岸を引き継ぐ形で開設されました。同魚河岸は、徳川家康の関東入国に従い、江戸内湾の漁業権を得た摂津国西成郡佃村・大和田村の漁師たちが、御菜魚上納御用を務める傍ら、その残余を本小田原町で売り出したことに起源します。そののち、元和年間(1615~1624)には町奉行の改めを通じて公許され、問屋組合である魚会所も早期に成立、1682 年には、本小田原町組・本船町組・本船町横店組・安針町組の問屋仲間も形成されるに至りました。江戸の人口が増加し魚介類の需要が高まるにつれ、同魚河岸市場には、上納を義務づけられた芝~神奈川の御菜八ヶ浦のほか、他の近海漁村からも多くの漁獲物が集まり、問屋の請下として買出人への販売を担う仲買も増えてきました。江戸期においては、彼らの活動は問屋との強い従属関係に制限されていましたが、すでに中央区指定文化財の「魚市場納屋板舟図面」(江戸後期)や『江戸名所図会』(1834 年)掲載の長谷川雪旦画「日本橋魚市」には、塩水を張った板舟を往来へ渡し、鮮魚を並べて販売する仲買たちの活躍がみてとれます。前者には、魚介類の流通に関わる日本橋川沿いに、荷の揚げ降ろしに用いられる12 個の桟橋、一時貯蔵庫の裏納屋とともに、荷捌き人らが荷揚げを待つ汐待茶屋も確認できます。これらは幕末の混乱を乗り越え、基本的には近代へもそのままの形で引き継がれました。
 1923 年の関東大震災は、その日本橋魚河岸市場を壊滅させ、築地への移転を余儀なくさせますが、同年、食糧の安定需給と生産者の保護育成を目的に制定された中央卸売市場法は、封建的な既得権益を解体し公平に市場参加者を増やす方針を採り、仲買=仲卸たちの活動に大きな自由を与えることになります。荷下ろしされた各種魚介類を、消費者の需要に合わせて吟味・分類する仲卸たちの知識・技術、彼らが販売した各種小売店、料亭などへの配送を媒介する茶屋の役割など、現代の築地市場の特徴ともいえる幾つかのシステムは、近世・近代の歴史を継承しながら、中央卸売市場法のもとに設営された築地市場で開花してゆくことになるのです。そのなかには、江戸・東京で構築されてきた多様な食文化と、それを支える内湾生態系に適応した漁業の民俗知、広汎な食物供給・流通の体系が凝縮されています。築地移転の契機となった関東大震災、戦時体制下の諸統制、戦後の混乱によって、市場運営に携わる職員、それに連なる業者には少なからぬ人的な、あるいは情報面における断絶がありましたが、魚市場の特徴・システムの多くは江戸期にまで遡及可能で、時代・社会のなかで種々の葛藤を抱えつつ変化・発展してきたといってよいと考えられます。そのひこばえとなった築地市場という空間には、その一点のみにおいても、大きな歴史的意義と学術的価値が認められます。

 築地市場の諸建築物については、すでに、文化財保護にかかる研究者らによる国際的NGO 団体DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of modern movement)日本支部が、以下の点において価値を認め、2017 年7 月、都に対し、保存活用の可能性について検討するよう要望しています。
  1)竣工時には、世界でも最大級かつ最新鋭の市場で、大量の生鮮食料品を迅速に入出荷できるよう、配置計画が工夫されていたこと。
  2)昭和戦前期の日本における最大規模の鉄骨造建築という点で技術史的価値が高いだけでなく、カーブしながら続く鉄骨の大架構による稀有の空間構成をつくり出していること、そして卸売人売場の廊下の架構をそのまま見せるデザインとともに、当時の最先端のデザイン手法を示すものでもあること。
  3)近隣の勝鬨橋とともに、鉄骨造によるユニークな水辺景観をつくり出していること※1

 築地市場のような20 世紀の文化遺産については、近年、国際的に再評価が進み、それらを積極的に保存してゆこうとする動きが高まっています。ユネスコ世界文化遺産に関する諮問機関ICOMOS(InternationalCouncil on Monuments and Sites)の20 世紀国際学術委員会(ISC20c)も、委員として常時出席する国々に設置されたICOMOS 国内委員会20 世紀国内学術委員会へ、自国の20 世紀遺産を20 件選定するよう要請していました。日本イコモス国内委員会はこれに応え、2017 年12 月に「日本の20 世紀遺産20 選」を発表しましたが、そのなかには、「隅田川橋梁群と築地市場他を含む復興関連施設群/関東大震災からの復興施設と近代橋梁群による隅田川の景観」が含まれています。当時の報道発表資料によれば、同遺産は「世界文化遺産選定のための評価基準」のうち、以下の2 点を満たすものとされています。
  ⅳ)人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、建築的又は技術的な集合体の類型、景観に関する顕著な例であること。
  ⅵ)顕著な普遍的価値を有する出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または明白な関連があること(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)※2。

 これらを歴史学的観点から捉え直すと、さらに幾つかの重要性を浮かび上がらせることができます。1924 年、東京市が技師3名を欧米に派遣して最新の市場を調査させたものの、和・洋・中華にわたる日本の食生活は多様な食材を必要とするため、同地に直接適用できるようなモデルは見出せんでした。よって独自に研究を重ねた結果、扇型の枠組みの外側に生鮮食品を搬入する鉄道引込線、船舶のための大小の桟橋を設け、内側へ向けて第一卸売人売場、第二卸売人売場、仲買人売場、買荷保管所・配送場が並設される設計へと辿り着いたのです。これは、冒頭に述べた江戸・東京の食文化・供給システムを参照しつつ、中央卸売市場法の理想とする空間へ具体化したものとして、極めて高い歴史的価値を持っています。また、同市場内には他にも冷蔵庫や製氷工場、付属の商売場や食堂など、種々の施設が存在しますが、なかには時代とともに失われ、あるいは姿を変えていったものも少なくありません。例えば、流通の主役が自動車へと転換してゆくことによって、鉄道引込線は廃線となり、労働力として使用されていた牛馬の繋留所も、駐車場へと再整備されました。現在、中央卸売市場の名物として知られるターレット・トラックは、1965年の導入ですが、これらが縦横無尽に走り回る光景が出現するためには、物品の配置や通路の整備など、微妙な調整作業の繰り返されたことが想像されます。また同じ頃、それまで生鮮食品の容器として一般的だった木箱に替わり、発泡スチロールが用いられることになったのに伴い、その溶融固化処理施設が増設されるに至りました。豊洲移転の理由のひとつとして掲げられる諸施設の老朽化は、それ自体が80 年に及ぶ時代・社会の動きに対応した結果であり、その文化財的価値を貶めるものではありません。
 さらには、ICOMOS が評価したとおり、築地市場は、関東大震災からの復興計画の一環として建設されるに至った点も重要です。国家の施設としては、同時期、現存する国会議事堂が、植民地から物資を集積することで完成しています。当時の東京市が、世界恐慌から日中戦争へ向かうなかでどのように資材を調達し、この大規模な施設を竣工に漕ぎ着けたのかは、個々の建設部材の詳細を検証しつつ明らかにしてゆく必要があります。

 なお、上に述べたような諸施設の変化は、それを実際に活用する市場職員、関連業者たちの、長年にわたる適応の結果として理解すべきです。大卸、仲卸、茶屋の人々が、用意されたインフラをどのように主体的に作り変えつつ、市場を営む実践を展開していったのか。近世に起源する食物供給システムの知識・技術、規制的な商慣行がどのように息づき、一方で新しい時代・社会に適応するよう調整されていったのか。1962 年における内湾漁業全面廃止の影響など、未だ充分に明らかにされていないことも多くあります。築地市場は、近年の都市再開発によって類似の建築物が次々に失われるなか、最後に残った歴史情報の一大宝庫といえ、その実態は、綿密な学術調査と多角的な研究を経て、今後未来にわたり一層深く豊かに解明されてゆく性格のものです。よって、築地市場の施設全般を少なくとも一定期間保存し、市場職員や関連業者への聞取も含め各種専門研究者による学術調査へ委ねることに、異論を挟む余地はないように思われます。複数の建築家から改修再生案も公けにされており、老朽化を理由とする移転自体に正当性を見出せません。
 ところが東京都は、このような築地市場の貴重さを理解しようとせず、各種専門研究者、学術団体、国際機関の見解や要望、評価をまったく無視し、豊洲移転直後に解体工事期間を設定、東京オリンピックというたった数週間のイベントなどのために、すべてを消し去ろうとしています。震災や戦災を耐え抜いてきた先人たちの営みを踏みにじる、歴史そのものへの暴挙です。都は、すでに掲げたDOCOMOMO の要望にも正式な回答を示しておらず、文化財の保護において社会的責任を負うべき行政機関として、大変遺憾な態度であるといわざるをえません。
 移転先である豊洲市場の整備についても、小池百合子氏の都知事就任以降、山積する諸問題をあたかも解決したかのような発表がなされていますが、市場施設のそもそもの設計・工事が当事者を無視したまま進められた結果、積載荷重超過のための地盤沈下、排水設備の機能不全、配送場の設計ミスによるトラックからの積み降ろしの不具合、狭小かつ急勾配の運搬路におけるターレット・トラック移動の困難、動線の混乱による周辺の交通渋滞など、日々新たな問題が噴出している情況です。移転のあり方自体、民主的に議論を尽くして進められたとは、到底考えられません。すでに本年9 月6 日、日本科学者会議東京支部が小池都知事宛に、「安全性の徹底的な検証なしの豊洲市場への移転の中止を求める」要望書を提出し、第三者による安全性の検証や情報公開などを求めていますが、都はこれに対しても、本年7 月に発表した無根拠の「安全宣言」を盾にまったく取り合おうとしていません。上記の築地における調査が、今後豊洲市場の機能を十全なものへ向上させてゆくうえでも不可欠であることは、いうまでもないことです。今回の件にかかる都の措置は、あらゆる点で、論理的に破綻しているのではないでしょうか。

 かかる暴挙を黙認したならば、日本はユネスコに関わる文化財行政において国際的信用を失うことになるでしょうし、環境や歴史に関わる研究者は、社会貢献の意味においてその存在価値を厳しく問われることになるでしょう。繰り返しになりますが、わたしたちは、東京都に対し、築地市場解体工事の即時中止と綿密な学術調査の実施、その成果の公表に応じた保存活用の再検討を強く求めます。                   以上

※1 :次のURL にて公開されている(http://www.docomomojapan.com/ 東京都中央卸売市場築地市場%E3%80%80 価値表明書%E3%80%802017 年7/)。
※2 :次のURL にて公開されている(http://www.japan-icomos.org/pdf/isc20press.pdf)。

2018 年11月28日

日本史研究会 歴史科学協議会 歴史学研究会 歴史教育者協議会
築地市場解体の中止を求める研究者の会