戦後70年首相談話に対する声明

 第二次世界大戦の終結から70年にあたる今年、閣議決定を経た首相談話が、8月14日に安倍晋三首相より発表された。そこには、内外の世論を意識して、「侵略」「植民地支配」「反省」などの用語が盛りこまれてはいたが、いずれも過去の首相談話を引用する間接話法や、戦後日本の立場をめぐる説明のなかに登場するのみで、安倍首相自らの言葉としては用いられていない。加えて、「侵略」「植民地支配」の主体があいまいで、日本が起こした侵略戦争であることを明記していないため、談話は、責任の所在、ひいては「反省」をする主体も明らかにしていない。歴史学研究に携わる立場から、私たちは、とりわけ歴史的事実および歴史認識に関わる以下の3点を看過できない。
 第一に、近現代日本の対外関係のとらえ方である。談話は、日本の19世紀を、欧米諸国による植民地化への危機感のなかで近代化を遂げ、独立を守り抜いたとする一方、朝鮮の主権を侵害し、台湾を植民地化した事実を無視している。そのうえで、日露戦争から20世紀を説きおこし、植民地支配のもとにあった「人々を勇気づけ」た、と一面的に評価する。しかし、日露戦争は何よりもまず、満洲など中国東北部と朝鮮半島の支配権をめぐる日本とロシアの戦争であり、おもな戦場もそれらの地域だった。いいかえれば、帝国主義的な野心をもって、戦場となった非当事国の人びとの人権を侵害しながら続けられた戦争である。日露戦争の際、日本は、朝鮮の中立宣言を無視し、ソウルを制圧したうえで、日韓議定書などを強要した。こうした事実に一切触れないことで、植民地支配の責任はそもそも欧米にあると印象づけ、日本固有の責任を希薄化させようとしている。
 第二に、第二次世界大戦に至る歴史的経緯の理解にも問題がある。とりわけ世界恐慌以降、欧米諸国が経済をブロック化したことによって大打撃を受けた日本が、国際的に孤立し、力の行使による「解決」へとむかったと表現し、「国内の政治システム」が「その歯止めたりえなかった」とするのは、日本を受動的・被害者的な位置においた、自己弁護的な歴史把握である。これは、日露戦争の理解と同様、大陸侵略の事実から目をそらし、その主体や責任の所在をあいまいにするものである。
第三に、植民地支配および戦争の被害者に対する、加害者としての主体性・責任意識の欠如が指摘されねばならない。談話は、「慰安婦」問題への直接的な言及を避け、これを女性一般の戦争被害の問題に触れるだけで済ませている。このような表現は、「慰安婦」問題を戦争一般の問題として扱い、日本固有の責任を回避しようとする姿勢にほかならない。また、「国内外に斃れたすべての人々」というひとくくりの表現にすることで、加害と被害の関係をあいまいにし、朝鮮人・中国人などの強制連行、捕虜・一般市民に対する虐殺、引揚げに際しての混乱や悲劇などの具体的な事例についても、一切触れていない。それらは、日本が植民地支配および戦争の責任として引き受け、引き継ぐべき、大きな課題である。談話は、国際社会が期待する日本の戦争責任への真摯な態度を示したとはいえず、歴史学の多くの研究が掘り起こしてきた事実ともほど遠い内容である。
以上の3点が象徴しているように、今回の首相談話の基調は、独善的な歴史認識に貫かれており、安倍首相、ひいては日本政府の不見識を国際社会に示すものである。談話の内容が、小中高校などの教育現場や教育内容へのさらなる干渉の根拠になりかねないとの懸念もある。また談話は、「私たちの子や孫」以下を「あの戦争には何ら関わりのない」世代と位置づけ、謝罪の打ち止めを謳ってもいる。加害の歴史を正視せず、向きあうべき歴史をあいまいにしたまま、被害国・被害者の「寛容」にすがって一方的に謝罪に幕引きをはかろうとするのは、それこそ加害国・加害者の横暴である。
私たちは、戦争を直接知る世代が、ひとり、またひとりと少なくなっていくなか、蓄積された歴史学の研究成果をふまえて、歴史と正面から向きあい続けていくことをあらためて決意する。それとともに、日本政府が、今回の談話で示した歴史認識をただしたうえで、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」を、率先して、誠実に果たしていくことを強く求めるものである。

2015年9月14日
歴史学研究会委員会