『新しい歴史教科書』が教育の場に持ち込まれることに反対する緊急アピール

 本年4月3日、「新しい歴史教科書」(代表執筆者・西尾幹二氏、扶桑社発行)が、文部科学省の教科用図書検定に合格しました。それをうけ、現在、全国の市区町村教育委員会において教科書採択の作業が進められています。137箇所の検定意見が付されたことによって、いくらかの修正がほどこされたとはいえ、この教科書の問題性が解消されたわけでは決してありません。

 第一に指摘しなければならないのは、検定とその後の自主修正を経たのちもなお、基本的な史実に関する誤認や、歴史学のこれまでの研究成果を踏まえない記述が数多く残されている点です。韓国政府から再修正要求があった任那に関する記述はその典型ですが、そのほかにも政治史、経済史、民衆史の全般にわたって、初歩的な誤り、不正確な記述、とうの昔に否定された学説に依拠した記述などが目立ちます。代表的な箇所を書き出しておきましたので、別紙をご参照ください。歴史学の研究者としては、思想性や歴史観を云々する以前に、この教科書は、はたして真剣に歴史学を学んだうえで執筆されたものであるのか、という疑問をいだかざるをえません。
第二には、中国・朝鮮に対する蔑視を指摘しなければなりません。文化に関する箇所では、中国・朝鮮や西洋への対抗意識をむき出しに、日本文化の「古さ」や「優秀性」を強調する記述が繰り返され、また近代化の過程における日本の「成功」を賞賛する記述がみられます。その一方で、19世紀の欧米諸国のアジア進出について述べた箇所では、「朝鮮では危機意識がうすく(中略)指導者層も国際情勢の急変に気がつかなかった」とか、「中国は(中略)欧米列強の武力脅威を十分に認識できていなかった。中国の服属国であった朝鮮も同様であった」などと、中国や朝鮮が欧米や日本によって植民地化、ないし半植民地化されていった原因は、中国や朝鮮側にあったかのような記述をしています。とりわけ朝鮮に対する蔑視は覆いがたく、新羅以来の歴代王朝が中国に「服属」していたことが、繰り返し述べられています。これらは、いたずらに中国・朝鮮に対する差別意識をあおるものです。
第三は、近代における日本とアジア諸国の関係についての記述の問題です。この教科書の近現代史の叙述は、大日本帝国が唱えたスローガンを延々と紹介したり、アメリカ合衆国やロシアの脅威を強調したりすることによって、日本のアジア侵略の歩みを正当化する論調で貫かれています。また、日露戦争で「近代国家として生まれてまもない有色人種の国日本が、当時、世界最大の陸軍大国だった白人帝国ロシアに勝ったことは、世界中の抑圧された民族に、独立への限りない希望を与えた」と、日露戦争における日本の勝利が世界の民族解放運動を前進せしめたかのような記述をしています。そこには、その後の日本が、「世界中の抑圧された民族」の期待を裏切ったことに対する自省的態度や、植民地支配を受けた人々の苦しみを真摯に受け止めて、これからの日本と諸外国のとの共生をめざそうという姿勢を見いだすことはできません。

 このように「新しい歴史教科書」は多くの問題点をかかえていますが、さらに教科書採択に向けて「新しい歴史教科書をつくる会」(代表・西尾幹二氏)が教育委員会などへの働きかけを強める中で、採択手続きにかかわる新たな問題点も浮上してきています。従来、教師らの調査機関が教科書の内容を比較する資料を作成し、この資料をもとに市区町村教育委員会が教科書を選ぶという手続きが踏まれていました。これによって、教科書採択に現場の教師の意思がある程度は反映されてきました。教師が、教室で実際に教育に携わる存在である以上、教科書採択にかかわるのは当然のことです。ところが現在、全国各地で教育の専門家である教師を排除する形への手続きの変更が相次いでいます。これは、「新しい歴史教科書をつくる会」が主張してきた内容にそったものですが、特定の教科書の編集主体の要求にあわせて教科書採択の制度を変更するなどいうことはあってはならないことだと考えます。

 私たちは、今日の学校教育における歴史の叙述は、諸国民、諸民族の共生をめざすものであるべきで、自国中心的な世界像を描くことや、他国を誹謗することは許されないと思います。「新しい歴史教科書」が教育の場にもちこまれることによって、共生の未来を築くために必要な、生徒の歴史認識や国際認識の形成が阻害されることを憂慮するものです。そして何よりも、初歩的な誤りの多いこの教科書が使用されることによって、教育内容の質の低下を招くことをおそれています。よって、ここに私たちは「新しい歴史教科書」が採択されることに強く反対します。

2001(平成13)年6月20日
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