2021年度歴史学研究会大会

2021年度歴史学研究会大会(オンライン大会)のプログラム

*参加申し込みなどは こちらから
*主旨説明文はこのページの下方に掲載しています。

5月22日 総 会(会員に限ります)9:30~12:00

5月22日 合同部会 「主権国家」再考 Part4-国民国家の再点検-
(13:00~17:00)
(13:10~13:50)ネイションの自然権から歴史的権利へ……………篠原琢
 -フランチシェク・パラツキーのハプスブルク帝国国制論-
(13:50~14:30)カリフなき世界の共和国
 -オスマン法からトルコ法へ―-…………………………………藤波伸嘉
 コメント:(14:40~:50)中澤達哉・(14:50~15:00)小田原琳・
      (15:00~:10)石川敬史

5月23日 中世史部会 日本中世の荘園と村落 
 報告動画公開5月22日 15:00~5月23日12:00*予定)           
(討論13:00~14:00)中世荘園の成立・変容と村落………………朝比奈新
(討論14:15~15:15)中世荘園制の終焉と村落の自治……………似鳥雄一

5月23日 近代史部会 再編される差別
(9:45~17:00)
(10:00~10:55)アメリカ再建期の市民運動…………………………山中美潮
  -路面電車・人種・ジェンダ-
(11:10~12:05)人口に対する統治と「包摂/排除」をめぐる政治…関口寛
  -日本近代の社会問題とマイノリティー-
(13:00~13:55)戦間期日本の炭鉱業における朝鮮人鉱夫の役割と待遇……佐川享平
 コメント:(14:10~14:35)宋連玉・(14:35~15:00)兼子歩

5月29日 全体会  戦争・身体・国家
(13:00~17:00)
(13:10~14:00)トランスナショナル・フィランスロピーと救うべき子ども
 -セーブ・ザ・チルドレンの初期史から-………………………金澤周作
(14:05~14:55)忘却を伴う統合/継承を伴う包摂…………………安岡健一
  コメント:(15:05~15:25)池田嘉郎

5月29日 特設部会 日本学術会議会員任命拒否問題の地平
 -学問の不自由に抗う-
(9:30~12:00)
(9:40~10:10)学問の自由と効率性の間で…………………………………………宇山智彦
 -科学者代表機関の役割の歴史と現在-
(10:15~10:45)「学問の自由」と平和・民主主義・ジェンダーの課題……………栗田禎子
(10:50~11:20)近代日本の学問弾圧史と学術会議任命拒否問題……………………古川隆久

5月30日 古代史部会 日本古代の支配構造と儀礼 
(9:30~16:30)
(9:40~11:10)譲国儀の成立…………………………………………………………遠藤みどり
(11:20~12:50)太政官政務儀礼の形成と展開………………………………………志村佳名子

5月30日 近世史部会 近世の宗教と政治・社会
(10:00~18:00)
(10:15~11:45)近世前期の宗派紛争と政教関係………………………………………上野大輔
(12:50~14:20)近世後期名古屋の宗教動向と如来教……………………………………石原和
 ―宗派越境的研究の試み―

5月30日 現代史部会 冷戦体制形成期における「移動の自由」
 -管理・統治の技法と主体の相互作用-
(13:00~17:30)
(13:15~14:00)人の移動の国際政治-東アジア冷戦体制の形成と日本華僑-……鶴園裕基
(14:10~14:55)〈別の戦後日本〉としての琉球列島…………………………………土井智義
 -非琉球人管理制度の成立過程を通して考える-
 コメント:(15:05~15:25)四方俊祐・(15:25~15:45)江口布由子

*参加費:一般1000円 学生(博士課程まで)無料


全体会 戦争・身体・国家


 委員会から
戦争・身体・国家
 委員会から
 新型コロナウイルス感染症の拡大(いわゆる「コロナ禍」)は,世界中の人々を不安に陥れた。それは,人間の「生」が脅かされ,「コロナ後」を見通せないことによる不安であるといえよう。
 「コロナ禍」という「非常時」はしばしば「戦争(戦時)」と形容され,社会的な統制を正当化する方向で機能した。ヨーロッパにおける都市封鎖(ロックダウン)しかり,日本における「自粛要請」しかりである。新型コロナウィルスは人類共通の克服対象であることは言うまでもない。しかし,そのレトリックには,実体としての戦時の記憶を動員し,「国民」一丸となって「非常時」に対応すべきという「国民」統合への欲求がはたらいているようにもみえる。
 ヨーロッパにおける都市封鎖は,人々の移動の自由を制限するものであり,これに反した者は厳しい処罰の対象となった。しかし,マスク着用の圧力に対する人々の強力な抵抗にもみられるように,個人の身体の自由が上から厳しく規制される一方で,規制に対する人々の「自由」の権利主張もみられた。一方,日本政府の「自粛要請」は都市封鎖ほどの強制力は持たなかったが,人々の相互監視や同調圧力(「自粛警察」)を生み,その方針に従わない者=逸脱者を差別するなど,政府と社会が一体となって個人の身体の自由への介入をもたらした。経済回復をうたい大々的に展開された「GoToキャンペーン」も個人の消費活動,移動の自由を制限こそしないが,経済の循環を理由に人々を動員しようとするものであった。しかし,結果として,これら政府の施策はコロナウイルスの感染状況の推移に左右され,消費活動,移動の自由と「自粛」との間で人々は右往左往することとなった。
 このように「国民」統合への欲求の反面,国家と「国民」との間の対立・緊張,分裂,混乱が存在するといった事態は,何も「コロナ禍」に始まったものではない。根底にある福祉の弱体化や格差の拡大といった,新自由主義やグローバル資本主義のもたらした矛盾は,相次ぐ自然災害や原子力発電所の事故のような人災が起こるたびに繰り返し表面化してきたものである。「コロナ禍」はこのような矛盾を世界規模で顕在化させ,人々の生存をいかに保証するかという問題をより先鋭化させたといえる。
 委員会では,「コロナ禍」の現状における国家と社会・個人との関係性とそこに潜む諸問題を歴史的に考える一助として,人々の生命の危機と生存の保証という問題の歴史性に着目してきた。より具体的には,とりわけ,戦争あるいは「非常時」から「その後」に向けて,国家と国民/市民社会がどのように関係づけられてきたかを過去の事例から紐解くことで,「コロナ禍」にみる個と社会/国家の問題を相対化する視座をみいだしたい。それが「戦争・身体・国家」というテーマを掲げるゆえんである。本テーマでは,以下の三つの側面に注目したい。
 第一に,「非常時」において,個人の生命の危機という問題に対し,誰が誰をどのように救済/保護しようとしたのか。また「日常」への復帰の過程で,個々人に対する経済的・感情的・生活的なケアはいかに行われ,あるいは行われなかったのかという点である。ここで留意しなければならないのは,社会政策の主体が国家から任意団体/公益団体にいたるまで多様であったという点である。
 第二に,一方でこのような救済/保護の対象者は選別されたという点である。そこには,言い換えれば,「包摂」と「排除」の論理が交錯している。「何を優先して守るべきか」という権力の問題やその構造を作り出した身体観に留意することが重要であろう。
 第三に,第一・第二の論点を前提にしつつ,救済/保護する側とされる側,あるいは救済/保護される(べき)側とその周囲との関係性を双方向的にとらえたとき,その関係性は単純な「包摂」と「排除」の構造に収まりきらないという点である。いままさに「包摂」と「排除」の構造を支える国民国家の枠組みを超えた「共感」や「理解」が求められている。その可能性を開く思考を歴史のなかに探ることも重要だと考える。
 以上を踏まえ,今回は2名の方に報告をお願いした。
 金澤周作「トランスナショナル・フィランスロピーと救うべき子ども─セーブ・ザ・チルドレンの初期史から─」は,第一次世界大戦期から戦後における国際NGOセーブ・ザ・チルドレンの初期史に注目し,この時期に「子ども」はどのように発見され,また,どのようにして国家の枠組みを超えて救済の対象となっていくのか,また,ナショナルな枠組みとの対抗のなかでどのような反応が起こったのかについて注目する。
 安岡健一「忘却を伴う統合/継承を伴う包摂」は,アジア・太平洋戦争前・中期の海外日本人移民の「引揚」に注目し,「引揚者」の生活の喪失という経験が社会政策を通して不可視化(忘却)されていく一方,地域社会における,経験の継承という意味での共生の試み(包摂)が行われていることを,大阪を事例にして明らかにする。
 さらに,この2報告に対して,池田嘉郎氏(ロシア近現代史)にコメントをお願いする。
 以上の2報告とコメントから,異なる地域・時代の分析を通じて,「国家」や「公」領域の多様なあり方と,それらの身体への介入の契機としての「非常時」の問題を検討したい。それは,いま世界的に危機状況に置かれている人々の「生」を救うヒントを得ることにつながると信じるのである。
(研究部)

古代史部会 日本古代の支配構造と儀礼


 古代史部会運営委員会から
 これまで日本古代史部会では,1973年度大会において在地首長制論を議論の基軸として以来,80年代後半からは王権論,90年代には地域社会論といった視点を議論に取り入れ,古代国家の成立・展開について検討を重ねてきた。また1997年度大会からは国家・王権・地域社会の相互関係を考察することで,古代社会像の解明を試みている。これらの路線を批判的に継承しつつ,2004~2009年度大会からは国家・王権・地域社会の三者間の関係性を析出し,支配秩序の構造・実態を議論した。さらに2010~2012年度大会では,継続して支配秩序に焦点を当てながらも,「一国史」からの脱却を目指し,東部ユーラシア・東アジア地域における外交・交流が,列島内における支配秩序の形成に与えた影響を解明している。2013年度大会以降は再び議論を列島内へと戻し,日本古代の独自的性格を解明するため,それまでの支配秩序に加えて,支配論理や支配構造の形成・展開について議論を重ねている。
 以上のような議論をふまえ,2019年度大会の大川原竜一報告では,古代国家形成期における地域支配の展開について論じた。国評制・国郡制という全国規模の地域行政機構が構築される過程で,国造を含む首長層がどのように位置づけられ,その権力や支配構造がどのようなかたちで古代国家のなかに組み込まれていったのかを示した。また浜田久美子報告では,外交儀礼の成立と変質,さらにそこから国家の支配構造の変化について検討した。外交儀礼が国内儀礼へと転じ,その変質に古代国家の支配者層の国際意識が反映していたことを明らかにしている。
 そして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行のなか,2020年度大会は11月末に延期され,初のオンラインでの開催となったが,そこでは体系的な法典である律令を導入した日本古代国家が,いかにして支配体系を展開していったのかを議論した。河野保博報告では,交通制度を規定する厩牧令を中心として,国家が規定・強制した交通体系に留まらない多様な交通の実態を,移動する人々とそれに応答した地域社会の動きから検討した。律令交通制度が首長制的な交通を基礎として構築されたことを論じ,共同体における異人歓待の意義や仏教施設の役割を解明した。また神戸航介報告では,唐令の構造を可能なかぎり維持しながら逐次的に継受・改編する「体系的継受」の観点から,賦役令の形態と篇目ごとの各段階における達成度を検証した。公民制の確立と不可分な丁別賦課は浄御原令段階で達成しており,大宝令には浄御原令の延長線上としての側面もあるが,新たな統治技術の導入として唐令を引き写した部分も積極的に評価すべきで,それが慶雲~養老年間に日本の実情に即して再解釈されたことを論じた。
 従来であれば,上述した2020年度大会報告の成果と課題をふまえ,本年度大会のテーマを設定すべきである。しかし2020年度大会から本年度大会まで約半年という異例の状況において,2020年度大会報告の成果と課題を運営委員会で議論し,それをふまえて報告を用意することは,時間的制約から困難であった。そこで本年度大会では,2019年度大会報告のなかでも,2020年度大会に継承されなかった「儀礼」という観点から,支配構造の形成・展開について議論を深めていきたいと考えている。
 2019年度大会の浜田報告では,外交儀礼とその変遷を性格・構造・外的要因・内的要因から多角的に検証し,外交儀礼が国家の儀礼整備を主導する機能をもつことを論じている。しかし外交儀礼の展開は現実の外交関係という外的要因に規制される側面が大きく,儀礼それ自体が王権構造などの内的変化とどのように対応し,展開していくのかについては十分な検討がなされなかった。テーマとして掲げた支配構造の形成や展開も,支配構造そのものについては論じきれなかったといえる。そこで「儀礼」の形成・展開とそれに影響を与えた内的要因から,改めて王権構造や支配構造の変質・転換を議論する必要が課題として浮かびあがっていると思われる。
 以上のような議論と課題から,本年度大会では「日本古代の支配構造と儀礼」をテーマとして設定し,遠藤みどり氏「譲国儀の成立」,志村佳名子氏「太政官政務儀礼の形成と展開」の報告を用意した。
 遠藤報告では,譲国儀の成立過程を中心に,奈良時代から平安時代における即位関連儀礼の変遷について検討をおこない,日本の皇位継承の特質である譲位の定着過程を明らかにしながら,太上天皇制の変質や摂政・関白の成立など,平安時代の王権構造の在り方について議論する。
 志村報告では,国家的な政策決定をおこなう議政官組織である太政官が執行する朝堂政や外記政といった政務儀礼の展開過程を検討し,宮城の構造変化や議政官組織の変質過程にも着目しながら,古代国家の儀礼体系と政治構造の特質について議論する。
 昨年度に引き続き,2021年度大会は日本古代史部会の単独開催となる。当日は多くの方々が参加し,活発な討議が展開されることを期待したい。
(佐藤亮介)

中世史部会 日本中世の荘園と村落


 中世史部会運営委員会から
 2021年度の中世史部会大会報告では,「日本中世の荘園と村落」をテーマに掲げ,日本における中世の成立・終焉の指標ともされる荘園(制)と,特に中世後期にかけて実態・輪郭を伴って現れ,中世社会の基本的要素となる村落との関係を考察することで,日本中世の支配体制・社会構造の全体像とその変遷について一定の見通しを得ることを目指す。
 荘園制論と村落論は近年,急速に研究が進展している分野である。荘園制論では中世前期において立荘論,中世後期において室町期荘園制論が提起され,それぞれ有力な学説となっている。村落論については,特に中世後期について活発な議論が行われ,惣村論,村町制論,「自力の村」論,土豪論など,多様な論点が提出された。
 以上のような研究動向を受けて,近年の中世史部会においても,荘園と村落は重要なテーマとされてきた。2003~05年,2011年の大会は荘園や村落を主題とし,そのほか個別の報告でも扱っており,研究の最前線となる成果をあげてきた。最近の2019年度の若林陵一報告においては,地域社会における多様な「村」の在り方,機能が明らかにされた。
 しかし,このような成果の一方で,残された/浮かび上がってきた問題もある。第一に,各分野での研究の進展・精緻化により,中世の前期・後期を見通すことが困難になっている。これは,荘園・村落の定義・本質をめぐる問題とも関わっている。荘園研究では,前期の立荘論と後期の室町期荘園制論をいかに関連・統合させるかが課題となるが,そのためには,そもそも荘園の本質はなんであるか,なにをもって荘園制の成立・終焉とするかという点を明確にする必要がある。村落の場合は,研究が近年では特に後期に偏っており,前期については村落の存在すら必ずしも自明のものとはなっておらず,前期・後期を通じた〈中世村落〉という概念を想定できるのかということが問題となる。これらの課題は,前期・後期を共に扱わなければ解決の糸口を見出すことができない。
 第二に,荘園と村落との関係をいかに考えるか。荘園制と村落との関連・ズレについては,清水三男の「自然村落」論以来,考察が蓄積されてきたが,近年それぞれについて研究が進展・精緻化することで,かえって両者の関係性が見えにくくなり,正面から論じられることが少なくなったように感じられる。およそ荘園(制)が機能するためには,在地でそれを受け止める基盤が必要となる。それをかりに「村落」としてみれば,前期においても後期においても,荘園研究は村落の視点なしには実態に迫れない。また,村落の側からみても,それは荘園という枠組みにおいて領主と取り結ぶ関係とまったく無縁に存立しているとは考えがたく,荘園と村落とは互いに規定しあう関係にあったと考えられる。すると,荘園をその在地的基盤(村落)から,また村落を中央領主層との関係(荘園制)から考察することで,荘園と村落との関係性を明らかにできるのみならず,それぞれの研究を進展させ,前期・後期を見通す視角をも獲得できるのではないか。
 改めて最近の中世史部会大会報告を振り返ると,2010年代の潮流は支配・統治をめぐる問題であった。それは社会や被支配層を無視するものでは必ずしもなく,村落や地域社会をテーマとする大会報告も組まれていたが,支配と被支配,統治体制と在地との関係そのものを大局的・通時的に見通すことの研究史的な意義・必要性は高まっている。その意味で「日本中世の荘園と村落」は古くて新しい,絶好のテーマといえよう。
 以上の問題意識に基づき,本年度は朝比奈新「中世荘園の成立・変容と村落」,似鳥雄一「中世荘園制の終焉と村落の自治」の2報告を用意した。
 朝比奈報告では,村落の観点を踏まえて荘園制の成立・変容を考察する。まず,現地住人の動向から領域型荘園の形成過程を解明し,立荘論を再考する。また,現地の動向のなかに村落の存在を読み取り,住人・村落の活動や荘園領主に対する主体性などを論じ,荘園制支配の基礎にある中世前期村落の成立・構造に迫る。さらに,中世後期村落への展望として,13世紀末以降の村落再編に荘園領主・荘園制の果たした役割についても考察する。
 似鳥報告では,荘園と村落の相互関係について,中世後期に軸足を置きつつも,前期も踏まえた把握を行い,一つの分析モデルを学界に提供する。そのために,「荘園制」「村落」のような研究概念,「荘」「荘園」「惣」「惣村」のような史料用語について丹念に検討し,荘園制の定義を明確にしたうえでその終焉を論じ,村落・惣村についてもその代表的な指標とされてきた「自治」概念などを改めて検討し,荘園・村落の総合的把握を目指す。
 荘園と村落はいずれも日本中世史研究の主要テーマであり,これらについて中世を通じた把握を試みる今回の中世史部会大会報告は,意欲的かつ画期的なものになるであろうと自負している。以上の趣旨をご理解いただき,当日は活発かつ建設的な議論が行われることを期待する。なお,両報告の内容を理解するにあたっては,以下の文献を参照されたい。(海上貴彦)
[参考文献]
朝比奈新「領域型荘園の成立と奉仕者集団」(小林一岳編『日本中世の山野紛争と秩序』同成社,2018年)。
同「伊勢神宮の荘園支配と村落の再編」(『地方史研究』69-6,2019年12月)。
同「領域型荘園の成立時期をめぐって」(『日本歴史』866,2020年7月)。
似鳥雄一『中世の荘園経営と惣村』(吉川弘文館,2018年)。
同「日本中世村落の「排除」と「共生」」(『歴史学研究』989,2019年10月)。
同「あらためて村落とは何か」(『歴史評論』845,2020年9月)。

近世史部会 近世の宗教と政治・社会


 近世史部会運営委員会から
 当部会では今年度,「近世の宗教と政治・社会」をテーマに掲げた。本企画は,近世仏教史研究・宗教社会史研究・民衆宗教研究などの諸潮流を横断し,政治・社会との関係の中で新たな近世宗教像を提示することを目指すものである。
 近世の宗教をめぐっては,戦前から仏教を中心に研究が進められ,幕藩権力の統制によって近世仏教教団が「形式化」し,僧侶の「堕落」を招いたとするいわゆる「近世仏教堕落論」が長らく保持されてきた。それを乗り越えるべく,1960年代から70年代にかけて多くの論考が生み出されたが,80年代以降,直接的な批判・克服の対象としての問題意識は希薄となる。代わって進展したのは,近世の国家論・社会論の中で宗教を問題にした研究である。国家史研究においては,「本末体制」論の観点から国家権力と宗教者との関係が解明され,近世史研究に対して宗教に注目することの有効性が示された。90年代以降には,身分的周縁論と接合しつつ,宗教者の編成や活動実態の解明を深化させることとなる。また,それらの成果も踏まえ,地域社会史研究の観点からの成果が生み出され,地域社会構造と宗教的社会関係の相互規定の様相が明らかにされた。
 一方で,民衆思想研究によって提起された日本の近代化過程における民衆の思想形成の内実と,その歴史的意義の解明という課題が真宗信仰の「特殊性」に着目した研究においても追究された。さらに,幕藩制仏教論を前提に,近世思想史に仏教を位置づける試みも行われるようになった。
 しかし,国家史・地域社会史・思想史の三者の研究成果が総合化されることはなく,議論が拡散化していく傾向も見られた。そこで本部会では,2013年度大会「宗教的秩序の変容と幕藩権力」において,幕藩権力・宗教者・地域社会という三者の構造的特質と相互連関に留意した近世宗教の総合的把握を目指した。しかし,近世社会の確立期における幕藩権力と宗教との関係の解明,民衆信仰を含めた諸宗教の位置づけ,思想面の分析といった課題も残された。
 幕藩権力との関係については,80年代より近世初期から中期の幕府寺院行政の分析が行われていたが,近年では幕府寺社奉行と江戸触頭寺院のつながりに注目した研究が進められている。一方で,近世後期の教団と幕藩領主との組織的関係についても再検討が加えられ,幕藩領主に対応する政治的範疇と僧侶に対応する宗教的範疇の棲み分けにより,宗教対立が政治分裂につながらず,社会の安定的存続が支えられた可能性も主張されている。近世前期と後期の研究が断絶している状況を踏まえ,後期に見られる関係が前期にはどうであったかも明らかにしていく必要がある。
 他方で,近世は民衆信仰が興隆した時代でもあった。18世紀には霊場信仰が盛んとなり,19世紀には民衆宗教が簇生してくる。民衆宗教研究においては,90年代の概念をめぐるナラティブ批判を経て,近年では,その学問的営為のメタヒストリー的再検討や民衆宗教を各時代の社会の中で捉え直す試みが進んでいる。諸宗教・諸宗派併存といった環境が近世宗教をどのように規定したかを問う研究も踏まえ,民衆宗教についても対立的側面に限らない諸宗教との関係性を明らかにしていくべきだろう。
 さらに,宗教をめぐる思想については,特定の学僧や教祖・教団に注目した研究が行われてきたが,教義に対する幕藩権力の姿勢,あるいは信者を含む中下層民衆の思想やまなざしをいかにして対象に組み込むかも大きな課題となる。近年では書籍,オーラルなメディアによる教説の伝達の検討や宗派越境的アプローチなどさまざまな取り組みがなされている。それらの成果を踏まえながら,発信された思想と受容された思想の差異に留意しつつ,周辺分野との架橋をより積極的に試みていく必要があるだろう。
 よって,今年度の大会では,幕藩権力と宗教との関係について近世前期段階から検討し,近世社会の中で民衆宗教を含めた諸宗教の共時的展開の在り方を解明する。その作業を通じて,宗教者集団と幕藩権力,および民衆との関係について思想面を含めて明らかにすることが課題である。
 以上の問題意識を踏まえ,上野大輔・石原和両氏の報告を用意した。
 上野大輔「近世前期の宗派紛争と政教関係」では,まず浄土宗・法華宗などの宗派内・宗派間における主要な紛争とそれらへの幕府の対応に注目し,政教関係(政治と宗教の関係)の在り方を再検討する。続いて,政教の棲み分けに関する思想・行動の広がりを,宗派紛争にとどまらない各種の事例から明らかにする。以上を通じて,近世社会の確立期における政教関係の特色について,理解を深めることを目指す。
 石原和「近世後期名古屋の宗教動向と如来教―宗派越境的研究の試み―」では,1802年におこった如来教に焦点をあてる。教祖喜之の説教には,その主神的な位置にある金毘羅大権現のほか,当時の人々が信仰していた仏神・祖師が数多く登場する。こうした世界観を前提に,名古屋の人々の信仰や活動と関連づけながら,如来教と浄土真宗,秋葉信仰,金毘羅信仰との境界領域に注目することで,如来教の歴史的展開を信仰集団が生成する場において分析する。
 甚大な自然災害の頻発や新たな感染症の蔓延によって社会不安が増大し,宗教的ナショナリズムが高まりを見せている現代世界において,宗教と政治・社会との関わりは改めて問い直されるべき課題である。多様な分野からの発言に期待したい。(古畑侑亮)

[参考文献]
上野大輔「「寛容」をめぐる政権と仏教勢力」(浅見雅一・野々瀬浩司編『キリスト教と寛容―中近世の日本とヨーロッパ―』慶應義塾大学出版会,2019年)。
石原和『「ぞめき」の時空間と如来教―近世後期の救済論的転回―』(法藏館,2020年)。

近代史部会 再編される差別


 近代史部会運営委員会から
 今年度の近代史部会は,「再編される差別」をテーマとして設定する。本テーマは,被差別者の運動から発せられた「声」を受け,それを近代社会の成立に関わる歴史的で普遍的な問題として討論し,理解するために企画された。2013年より展開されてきたブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動は,2020年5月のジョージ・フロイド氏死亡事件を契機に世界的な広がりを見せた。この運動は,黒人の社会的地位や生命が危機にさらされている状態が,再三の訴えも虚しく,いまだに続いていることを告発している。この告発には,黒人差別が20世紀半ばの公民権運動によって表面的には改善されていても,差別の本質は奴隷制やジム・クロウ制度のあった19世紀から今日まで温存されたままだという,近現代史を貫く視点がある。「再編される差別」とは,「差別」が形を変えながら長期的に持続する歴史的な趨勢を指し示している。
 アメリカ史においてこのような趨勢は,「制度的差別」や「制度的人種主義」といった概念を手がかりに理解されてきた。前者は,公的なリソースへの平等なアクセスから疎外される差別を重視している。後者は,生活の中に組み込まれた人種主義により,人種差別が当然視されるようなイデオロギー上の問題を重視している。より重要なのは,これらの概念が学術的に生成された概念ではなく,黒人の生命と生活を守る運動のなかで生まれたという歴史的な文脈である。差別される者にとって,自らの生命と生活を守るためには,法的な差別もイデオロギー上の差別も差し迫った問題なのである。
 つまり差別は,被差別者の生活実態からも,法的・イデオロギー的な実態からも,相互連関的に理解しなくてはならない。差別とは本来,人種・民族・宗教・性別・年齢・階級などの複数の権力関係が相互に連関する問題であるが,しばしばイデオロギーに回収され簡易化された構図で論じられる。現代に蔓延する差別やヘイトは,長期的な支配-被支配の構造のなかで形作られるとともに,文化や社会の変動に伴って形を変えて人々の生活に浸透し,不可視化されてきた。「排外主義の時代」と銘打たれた2019年度大会全体会では愼蒼宇氏や貴堂嘉之氏らがこうした問題に着目した。この差別が再編されるメカニズムを,日常を生きる人々の生活実態に即して検討することが,本部会の狙いである。
 日本史を中心とする日本の歴史学では,差別を近代社会の普遍的な問題として討論する素地が形成途上で,日常から逆照射する試みも端緒についたばかりである。戦後歴史学では「下から歴史を考える」という視座から,支配と抵抗をめぐる諸問題を念頭に置いた議論が展開された。一方で,社会史研究や言語論的転回などの新たな潮流の影響を受け,90年代以降「国民国家論」などの文化史研究が,支配-被支配関係という認識枠組に再考を迫った。しかし,これらの研究は支配構造の内実を明らかにするに至っていない。本部会ではこれを受け,「制度的差別」を手掛かりとし,社会の変化に伴って差別がいかに再編され,人びとの日常に差別がいかに織り込まれたのかに注目し,この問題がアメリカ史研究にとどまらず,広く歴史学全体に敷衍する問題であると示すことを目標にしている。
 以上の観点から,今年度の近代史部会は,以下の3名に報告を依頼した。
 山中美潮氏には,「アメリカ再建期の市民運動―路面電車・人種・ジェンダー―」と題し,再建期ルイジアナ州ニューオーリンズにおける路面電車の脱隔離に焦点をあて,女性の移動経験を巡る人種・階級・ジェンダーの位相を検討していただく。脱隔離後に悪化した黒人・有色クレオールの女性への白人憎悪と女性たちの抵抗,同時に黒人・有色クレオール男性指導者の無関心をご指摘いただく。
 関口寛氏には,「人口に対する統治と「包摂/排除」をめぐる政治―日本近代の社会問題とマイノリティー―」と題し,社会の生産性や効率性を向上させることを目的とした政策の制定についてご報告いただく。犯罪者や非行少年,浮浪者,精神病者,知的障害者,娼婦,被差別部落民などの社会問題化されたマイノリティに着目し,社会改良運動を通じて差別が再編される様子を描かれることに期待する。
 佐川享平氏には,「戦間期日本の炭鉱業における朝鮮人鉱夫の役割と待遇」と題し,福岡県筑豊の炭鉱を舞台に,朝鮮人鉱夫が炭鉱で使用される経緯や動機,労働過程と生活過程の検討から,差別の有無やその様相を明らかにしていただく。朝鮮人炭鉱夫の一枚岩的な描き方ではないより詳細な分析を期待する。
 3報告で扱う地域や時代,対象の階級はそれぞれ異なる。しかし,それゆえに,戦時下などの非常時に起こるヒステリーや非日常的なものではなく,長期的な支配のもと,人々の生活に織り込まれた差別の実態に迫ることができる。これらの報告に対して,人々の生活から社会構造や権力関係を見る重要性を唱える宋連玉氏と,さまざまな要素のインターセクショナリティの重要性を唱える兼子歩氏にコメントをしていただく。多くの方にご参加いただき,差別がわれわれに迫るアクチュアルなものとして活発に議論される場となることを期待する。(宮崎早季)
[参考文献]
Yamanaka, Mishio.“African American Women and Desegregated Streetcars: Gender and Race Relations in Postbellum New Orleans”, Nanzan Review of American Studies, 40, 2018, pp. 41-60.
関口寛「統治テクノロジーのグローバルな展開と「人種化」の連鎖―日本近代の部落問題の「成立」をめぐって―」『人文學報』114,2019年,73-95頁。
佐川享平『筑豊の朝鮮人炭鉱夫1910~30年代―労働・生活・社会とその管理―』世織書房,2021年。

現代史部会 冷戦体制形成期における「移動の自由」
―管理・統治の技法と主体の相互作用―


 現代史部会運営委員会から
 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が私たちに及ぼした影響のひとつとして,「移動の自由」の大幅な制限をあげることに異を唱える人は少ないだろう。近現代における交通手段の発達,「グローバル化」と呼ばれる国際的趨勢によって,世界中の多くの人びとの短時間での移動と交流が促進されてきた。しかし,2021年初頭の現在,日本のみならず世界の多くの国・地域で,「不要不急」の出入国は厳しく制限されている。
 もちろん,自由な人の移動・交流は人類の歴史とともに繰り返されてきたことであり,近現代に固有の現象ではない。ただし,現代史とりわけポスト冷戦期に限定して言えば,「人の移動の自由」が「グローバル資本主義」を支える普遍的価値のような位置づけを与えられてきたという側面もあるだろう。近年の歴史研究もまた,グローバルな「人の移動の自由」の「恩恵」に預かってきたといえよう。その意味では,「移動の自由」の制約が歴史研究に及ぼす影響についても,改めて考える必要があるのではないだろうか。
 歴史を振り返れば,人の移動に制約が課された時期はいくどとなく訪れた。その一つが,東西分断による冷戦体制の構築期である。植民地帝国の解体と領土再編,新たな軍事支配体制の構築は,地域住民の戸籍・国籍をも変えることで,移動の制約を引き起こした。総力戦を契機とした国際秩序の解体・再編は,膨大な数の引揚者・難民・戦災孤児・無国籍者を生み出し,さらに「鉄のカーテン」などに代表される国際関係の緊張が,為政者に移動管理の必要性を突き付けることになった。そして,領土再編の狭間となった地域は,そのような移動の制約を可能にするための住民管理・統治の技法が実践される場にもなっていった。加えて,統治・管理の対象は,人種,民族,エスニシティ,ジェンダーなどによっていくえにも差異化が加えられてきた。第二次世界大戦後の国際関係の再編期に,暫定的に運用された住民管理体制が,ポスト冷戦期と呼ばれる時期に至っても,形を変えつつグローバルな影響力を維持しているのではないか,こうした点が問われている。21世紀の欧州難民危機をめぐる諸政策,日本における近年の「特定技能制度」,さらには新型コロナウイルス感染者・接触者の追跡・隔離テクノロジーなど,多くの事例が列挙されよう。
 当部会が冷戦初期および人の移動を主題としたのは,2008年度大会「離散者が問う戦後世界像」,2015年度大会「「難民」をめぐる国際政治と「人道主義」」及び,2018年度大会「冷戦体制形成期の知の制度化と国民編制」である。今年度の企画では,これまでは取り上げられることの少なかった,終戦直後から冷戦体制への移行期(1940年代後半から50年代前半)を議論の中心に据えることにした。さらに,移民・難民を中心とする「人の移動」研究においてはこれまで,移住者当人の越境体験が主題となることが多かったが,本年度は為政者側の管理・統治のあり方と,被治者側の主体の働きの相互作用に焦点を当てていく。
 鶴園裕基氏の「人の移動の国際政治―東アジア冷戦体制の形成と日本華僑―」は,戦後の日本華僑が直面した政治問題の本質が,人の移動をめぐる国際政治であったことを論じるものである。具体的には,戦後日本において「華僑」となった人々が,東アジアに形成された冷戦体制によって国際移動を制限され,またその法的な身分が本国と居住国のそれぞれの制度,および両国間の国際条約を通じて曖昧にされていった過程を明らかにしていく。その上で,以上のような形で政治的に周縁化された日本華僑社会が,本国および居住国との政治的な関わりをいかに構築しようとしてきたのかを検討し,その主体性の所在を明らかにしようとする。
 土井智義氏の「〈別の戦後日本〉としての琉球列島―非琉球人管理制度の成立過程を通して考える―」では,米国が第二次世界大戦後の沖縄および奄美を独自の法域とする植民地国家・琉球列島(奄美は1953年に返還)として再編する過程を取り上げる。具体的には,非琉球人管理制度の形成期(1949-1954年)を中心に,強制送還という実践と二つの入管令(米国民政府布令)の連関に着目しながら,在沖奄美出身者と日本本土から来た労働者が異なる経路で非琉球人化する過程を分析する。制度成立過程の検証を通じて,非琉球人管理が国境管理に還元できない人種主義を内包した社会管理とその正当化であることを論じる。さらに,同制度が沖縄社会において自明視された展開をみることで,琉球列島という植民地国家に対応する「領土的ネイティヴィズム」の生成という力学を指摘する。
 両報告に対して,第二次世界大戦後のアメリカ合衆国のアジア外交を中心に,文化交流や移民について研究してきた四方俊祐氏から,また20世紀前半のオーストリアにおける児童福祉・教育を主たるフィールドに東中欧のナショナリズムについて研究してきた江口布由子氏から,それぞれコメントをいただき,地域を超えた幅広い議論へと発展させていきたい。当日は,多分野・多方面の参加者からの,活発な議論をお願いする次第である。(森下嘉之)
[参考文献]
鶴園裕基「日華平和条約と日本華僑―五二年体制下における「中国人」の国籍帰属問題(1951-1952)―」『日本台湾学会報』第22号,2020年,41-64頁。
土井智義「1950年前後の沖縄社会における『無籍者問題』と『在沖奄美人』―『南北琉球』のなかの奄美群島と強制送還について―」『PRIME』第42号,明治学院大学国際平和研究所,2019年,26-49頁。
四方俊祐「戦時下神戸華僑弾圧事件に関するGHQ文書」『読資会報告書1戦後神戸華僑史の研究』(神戸華僑歴史博物館)2018年,3-26頁。
タラ・ザーラ(三時眞貴子・北村陽子監訳,岩下誠・江口布由子訳)『失われた子どもたち―第二次世界大戦後のヨーロッパの家族再建―』みすず書房,2019年。

合同部会 「主権国家」再考Part4―国民国家の再点検―


 合同部会運営委員会から
 主権国家第二期にあたる国民国家は言われるほどに強大な統治機構であったのだろうか。こうした問題意識をもつ合同部会「主権国家」再考Part4―国民国家の再点検―」は,2018年以来継続的に取り組んできた「「主権国家」再考」シリーズの最終回となる。2018年の第1回目は,ユーラシア西部の近世に焦点を当て,近年登場した複合国家論・複合王政論・礫岩国家論の知見をもとに,ヨーロッパにさえ従来のボダン型の主権国家論が適用できないことを確認した。2019年の第2回目は,アジアに視野を広げ,主権国家論の発生要因と世界的浸透を翻訳の観点から問い直した。これに対して,昨年の第3回目は,ユーラシア中・東部を射程に入れ,主権の概念と地方官吏による統治の実態を比較の補助線とし,ブリテン・ロシア・清という近代帝国を,集権化ではなく「近世的集塊の整序」(対外主権の可塑性,対内主権の重層性)という観点から再考した。こうして,従来の強固な近代帝国像は相対化され,近世帝国の緩やかな統治方法が継続していたことが改めて確認された。
 2021年度の第4回目は以上の問題関心を引き継ぎつつ,第3回目に検討の必要が確認された「帝国と国民国家の相互浸潤」を念頭に置く。ウェストファリア型の主権国家の存在を前提とした従来の近代帝国像が相対化されたのであれば,近代国民国家像も相応の変化を被るはずである。1990年代に国民国家論として一時期流行となったE・ゲルナー,B・アンダーソン,E・ホブズボームらの構築主義ですら,「怪物」のような国民国家像を前提に近代史を叙述した。構築主義による歴史理解の影響は甚大で,以後の近代史研究は国民を構築する統治機構としての国民国家の強権ぶりを必要以上に誇張してはいなかっただろうか。社会史研究においてすら,大衆は国民化されるだけの客体として認識される傾向が強くなかっただろうか。
 「帝国と国民国家の相互浸潤」を問題とするとき,ハプスブルク帝国とオスマン帝国は貴重な検証の素材となる。19世紀後半以降,帝国は近代化の行為主体となったことで,帝国統治の正統性や方法は変化した。特にハプスブルク帝国史では従来,新たに成長しつつあった国民主義は,帝国と対峙しながら対抗的に形成されるものとして理解されてきた。さらに,第一次世界大戦による帝国崩壊を受けて国民国家が成立したという,単線的なナラティブも構築された。以上の伝統的な史学状況に対して,本部会は従来の認識をいったん相対化する。近代化する帝国が統治方法を変化させる中で国民主義を生み,これを統治に積極的に編入しようと試みていたという事実を重視したい。なにより,そうした観点から統治の実相に迫ってみたい。
 この問題意識の下,本部会は以下の2報告を用意した。篠原琢報告「ネイションの自然権から歴史的権利へ―フランチシェク・パラツキーのハプスブルク帝国国制論―」は,P・ジャドソンのハプスブルク帝国論を踏まえつつ,ボヘミアの主権論を起点に検討する。その上で,「帝国後」の諸国家を,かつての帝国統治の様式を内在化させた「小さな帝国」群として連続性の下に捉える。篠原によれば,チェコスロヴァキアなどの継承諸国は,国民国家との自己規定をしながら,旧帝国の中心・辺境という構成を積極的に継承し,再生産していく機構であった。藤波伸嘉報告「カリフなき世界の共和国―オスマン法からトルコ法へ―」は,帝国や法をめぐる従来の研究動向の中に近代オスマン史研究を位置づけつつ,帝国後のトルコ共和国における法学史叙述の特徴を当時の諸著作に即して分析する。これによって,同時代の他地域の事例との比較の糸口を提供する。帝国後を含む,ハプスブルクとオスマンの共通点と相違点を見定める基軸となる。
 以上の2報告に対して,スロヴァキア史の中澤達哉,イタリア史の小田原琳,さらにアメリカ史の石川敬史がコメンテーターとして各専門の地域と時代から両報告を架橋することで,「国民国家の再点検」の議論を深化させる。以上の営為は,一方で「長い近世」の射程を論じることにもなろう。帝国支配が,地域・身分・住民集団に応じて,状況依存的に多様な統治様式を組み合わせて実現したことは,複合国家論や礫岩国家論を中心とするヨーロッパ近世国家史研究に基づく昨年の本部会が示唆している。「帝国と国民国家の相互浸潤」は,複合的構成を持つ近世国家の「整序」という,より大きな歴史の枠組みで捉えることを可能とするのだろうか。
(中澤達哉)
[参考文献]
篠原琢「国民が自らの手で!―チェコ国民劇場の建設運動―」篠原琢・中澤達哉編『ハプスブルク帝国政治文化史―継承される正統性―』昭和堂,2012年,183-240頁。
同「「名前のないくに」―「小さな帝国」チェコスロヴァキアの辺境支配―」大津留厚編『民族自決」という幻影―ハプスブルク帝国の崩壊と新生諸国家の成立―』昭和堂,2020年,109-145頁。
藤波伸嘉『オスマン帝国と立憲政―青年トルコ革命における政治,宗教,共同体―』名古屋大学出版会,2011年。
同「主権と宗主権のあいだ―近代オスマンの国制と外交―」岡本隆司編『宗主権の世界史―東西アジアの近代と翻訳概念―』名古屋大学出版会,2014年,49-87頁。
中澤達哉『近代スロヴァキア国民形成思想史研究―「歴史なき民」の近代国民法人説―』刀水書房,2009年。
同「二重制の帝国から「二重制の共和国」と「王冠を戴く共和国」へ」池田嘉郎編『第一次世界大戦と帝国の遺産』山川出版社,2014年,135-165頁。
小田原琳「「南部」とは何か?―南部問題論における国家と社会―」北村暁夫・小谷眞男編『イタリア国民国家の形成―自由主義期の国家と社会―』日本経済評論社,2010年,197-217頁。
同“Violence against Women and the Racist Discourse during the WWI in Italy”,『クァドランテ』第19号,2017年,9-16頁。
石川敬史『アメリカ連邦政府の思想的基礎―ジョン・アダムズの中央政府論―』溪水社,2008年。
同「アメリカ革命期における主権の不可視性」『年報政治学』2019-Ⅰ,2019年,96-116頁。


特設部会 日本学術会議会員任命拒否問題の地平
―学問の不自由に抗う―

 委員会から
 2020年10月1日,日本学術会議第25期の発足にあたり,同会議が推薦した新会員候補105名のうち6名の任命を,菅義偉内閣総理大臣が拒否したことが発覚した。
 明確な理由が示されないままでの任命拒否は,日本学術会議法が定める職務の独立性や会員選考の基準に照らして重大な疑義があり,政府の任命は形式的であるとした1983年の政府答弁とも矛盾する。問題発覚直後から多くの学会や大学,団体が抗議の声を上げており,同会議が10月2日付で内閣総理大臣に対して要望した,任命しない理由の説明および任命されていない方の速やかな任命という2点については,多方面から支持が表明されている。歴史学研究会委員会も10月3日付で緊急声明を発し,12月5日の総会ではこの問題への対応を活動方針に追加した。要望が実現されるためには,専門や立場の違いを越えた広範な連帯と波状的な異議申し立てとが肝要と考える。
 一方で,政府・自民党は公務員人事や行政改革の次元へと論点を矮小化し,会員の選考方法や組織の設置形態を見直すとして,議論のすり替えを企図している。まるで同会議に問題が多いかのような情報操作を行い,世論の支持を得ようとする手法はあまりに姑息である。また,一部の政治家やマスコミがミスリードする形で,インターネットを中心に,同会議にまつわるいわゆるフェイクニュースや,学術研究者一般を貶めんとする言説が横溢している。こうした動向が問題の本質を見えにくくさせている現状に,深刻な懸念を抱かざるを得ない。
 今般の任命拒否は,手続きそれ自体に疑義があるのみならず,学問の自由や言論の自由,政治と学問の関係や軍事と科学の関係など,民主主義や平和主義の本質にかかわる問題をも内包している。しかし,そのことが社会において十分に理解・共有されていない。任命拒否や設置形態見直しの先に何が予見されるのか,過去の歴史を鏡としながら,事態の本質を根本から捕捉していかなければならない。このことは,1949年の設立にあたり同会議が表明した「科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信」を再確認することにもつながるだろう。
 さらに言えば,任命拒否された6名がいずれも人文社会系の研究者であることに大きな特徴がある。人文社会系研究者の一部を,政府の方針に異を唱える抵抗勢力ないし改革を阻む既得権集団とラベリングし,排除しようとする意図が透けて見える。新自由主義権力やポピュリズム政治の常套手段といってよい。12月9日付で自民党の政策決定におけるアカデミアの役割に関する検討プロジェクトチームが公表した「日本学術会議の改革に向けた提言」では,「政策のための科学」を前面に押し出し,人文社会系分野の会員数の縮減を示唆している。政策に都合の悪い研究は役に立たない研究であり,都合の良い研究者に限って登用したいという思惑がうかがえる。こうした志向性は,近年の大学改革や科学技術政策にも通底していよう。
 一方で,多様化・複雑化する現代社会の諸問題に対応すべく,人文社会系分野を含めた学術的叡智を幅広く結集することの必要性が言われて久しい。人文社会系の研究成果は多くの場合,今すぐ社会に役立つものばかりではなく,短期的な評価の対象にはそぐわない。また,成果の中にはある政治権力にとって都合の悪い事実が含まれることもありえる。しかし,一過性の政治的思惑や特定の政策的判断によって,必要な研究と不要な研究とを分別したり,望ましい研究者と望ましくない研究者とを選別したりするようなことがあってはならない。人文社会系分野にこそ,無限に多様な研究・教育の道が開かれていなければならず,このことこそまさしく総合的・俯瞰的な観点の確保にほかならないはずである。
 任命拒否を契機として,政治と学問との緊張関係が掘り崩され,研究者の,特に大学生・大学院生を含む若手研究者の自由で独立した活動に,無意識のうちにも萎縮・忖度・自己規制等がさしはさまれることになれば,普遍的真理を探究する道は閉ざされてしまう。今後の学術体制や高等教育に暗い影を落とすことは必定であろう。
 歴史研究・歴史教育に携わる者にとって,任命拒否された6名のなかに歴史学者が含まれることは看過できない現実である。かりに研究者としての言論や行動が拒否の背景にあるのだとすれば,反証による相互批判によって科学性を担保されている歴史学にとって,存立そのものが土台から瓦解することを意味しかねないからである。設立から70年が経過し,同会議が誕生したこと自体が歴史化されていく中で,歴史学の立場から,同会議が存在することの歴史的意義や今般の事態が占める歴史的位相を見定め,もって民主主義や平和主義の価値を考究する糧としなければならない。
 以上の認識を踏まえ,2020年度委員会では「日本学術会議会員任命拒否問題の地平―学問の不自由に抗う―」と題する特設部会を開催し,政府による任命拒否がはらむ問題の本質を改めて浮き彫りにしたい。宇山智彦氏には「学問の自由と効率性の間で―科学者代表機関の役割の歴史と現在―」,栗田禎子氏には「「学問の自由」と平和・民主主義・ジェンダーの課題」と題し,同会議会員としての活動も踏まえながら,また,古川隆久氏には「近代日本の学問弾圧史と学術会議任命拒否問題」と題し,任命拒否撤回を求める署名活動の経験も踏まえながら,この問題について歴史的/歴史学的な観点から多角的に論じていただく。3本の報告を通じて,歴史研究者・歴史教育者のみならず専門や立場を超えて問題意識を深め共有する機会にできれば幸いである。(下村周太郎)