2017年度歴史学研究会大会

第1日 5月27日(土) 全体会 13:00~17:30
全体会 境界領域をめぐる不条理                             百周年記念会館正堂
主旨説明文
境界領域をめぐる不条理
清朝・ベトナム国境と越境する海賊………………………………………………………豊岡 康史
「イギリス臣民」が作り出す不条理
 -19世紀インド洋西海域における境界と不条理の一事例-…………………………鈴木 英明
近現代のアルメニア人社会が包摂する「境界」…………………………………………吉村 貴之
  コメント:村井 章介・錦田 愛子

第2日 5月28日(日) 9:30~17:30(合同部会13時~ 特設部会11:30~14:00)
古代史部会 日本古代国家の支配構造とその形成過程                 西5号館201教室
主旨説明文
日本古代国家形成期の交通と国司-その前史と成立・展開-……………………………中 大輔
日本古代における土地支配体制の特質と形成過程………………………………………北村 安裕

中世史部会 日本中世の権威と秩序                           百周年記念会館正堂
主旨説明文
室町幕府将軍権威の構造と変容………………………………………………………石原 比伊呂
足利時代における血統秩序と貴種権威…………………………………………………谷口 雄太

近世史部会 日本近世の自然資源と政治・社会                       西5号館B1教室
主旨説明文
秋田藩の林政と山林資源管理技術………………………………………………………芳賀 和樹
漁村秩序の近世的特質と自然資源・環境………………………………………………中村 只吾

近代史部会 人々の実践と生活世界の変容                         西5号館303教室
主旨説明文
島民からみた硫黄島史
 -プランテーション社会、強制疎開と軍務動員、そして難民化-……………………石原 俊 
植民地期朝鮮における言語の政治史・社会史……………………………………………三ツ井 崇
   コメント:高江洲 昌哉・村田 奈々子

現代史部会 都市の「開発」と戦後政治空間の変容                    西5号館302教室
主旨説明文
戦後都市、「不法占拠/居住」をめぐる空間の政治……………………………………本岡 拓哉
未来都市の米国現代史
 -郊外化、開発、ジェントリフィケーションにおける排除と包摂-………………宮田 伊知郎
コメント:源川 真希・森 千香子

合同部会 「つながり」の比較史―前近代ヨーロッパの商業ネットワークと人的紐帯-西5号館301教室
主旨説明文
帝政ローマ前期ガリアの商人・運送業者のネットワーク-アルル、リヨン、北海-………長谷川 敬
14世紀リューベック商人のネットワーク……………………………………………………柏倉 知秀
   コメント:菊池 雄太

特設部会 地域に生きる市民と歴史-「社会的要請」と歴史学(その2)-      西5号館202教室
主旨説明文
地域市民と交流する歴史研究-宮城県における震災前後の変容-…………………… 斎藤 善之
地域市民と言葉を通わせる-飯田市歴史研究所での活動を通じて-……………… 多和田 雅保
歴史研究が地域で果たすべき役割-国境の島・対馬の実際-………………………… 大澤 信

▲会場:学習院大学目白キャンパス(JR山手線 目白駅下車1分)
▲会場整理費:一般1800円、会員1500円、学生(修士課程まで)1000円。
両日とも参加できます。(事前申込不要)。

 全体会 境界領域をめぐる不条理 

委員会から
 現在、世界ではさまざまな境界領域において、深刻かつ悲惨な状況が展開している。ISなどの武装勢力の活動は権力間の境界領域を中心に展開されており、そこに大国の介入も加わり、多数のシリア難民とその受け入れ問題といった困難な状況を生み出している。また、トランプ・アメリカ大統領は、排他的な形で改めて境界を顕在化させることで、各方面にわたる深刻な混乱と対立を引き起こしている。こうした現在の世界情勢を問題意識の背景としつつ、また前年度大会「人の移動と性をめぐる権力」における「地域や国家を越えた人の移動が生み出す異文化・異集団の接触と、そこから生み出される新たな地域間の関係や社会のあり方について」考えるという論点も引き継ぎ、境界領域をめぐる不条理について考察したい。
 ここで言う「境界領域」とは、地理的な境界のみならず、政治権力・民族・集団・宗教・文化などの境界も含意している。また、境界とは即自的なものとして最初からあるわけではなく、あくまで周囲との関係のなかで境界領域として立ち現れる。すなわち、本来自分たちを中心として安住できる位置にいた人びとが、より強力な複数の勢力・権力が周囲に出現したことにより、それらの狭間に置かれる結果になるか、あるいは本来の位置から移動させられて境界領域に追いやられることになるかである。
 1980年代頃から歴史学においては、国家・民族を超えた境界領域とそこで活動する境界人の存在に注目し、国民国家を相対化するものとして境界は積極的に評価されてきた。歴史学研究会の全体会においても、1990、91年には「歴史認識における〈境界〉」、2013年には「変容する地域秩序と境域」と題して議論を行い、各部会においても境界領域に注目したテーマを随時とりあげ、抑圧されたマイノリティにも注目しながら論じてきた。そうした視点が、新鮮で豊かな歴史認識をもたらし、とりわけ一国史的認識を崩すことに貢献してきたことは言うまでもない。
 そのうえで、境界領域をめぐって生起する事態が人びとの生命と幸福を侵害し、新たな軋轢・争いを引き起こし、人びとがさらに傷つけ合うというような、不条理な側面もあることを想起せざるをえない。歴史上にみる移動、奴隷交易、難民、反乱、海賊などの諸事象においては、こうした境界領域をめぐる諸問題が端的に表れるのではなかろうか。
 境界領域の人びとは、みずから選択してその位置にいる(移る)こともあるが、みずからの意思に反してそのような境遇に置かれることも多い。すなわち、まず境界領域の形成のあり方が問題となる。そして、境界領域に置かれた人びとのなかで、その状況をみずからの利益のために利用する(利用できる)人びとがいる一方で、周囲から迫害を受け、重大な人権侵害や生命の危機にさらされる事例も多数確認される。当然ながらその人びとはみずからの生存と幸福を必死に追求し、その正当性を主張する。ときとしてそのことが周囲の勢力・権力や移動先の社会との対立、あるいは内部での軋轢を生み、場合によっては武装して闘争する事態に至ることもある。そうした不条理性は、関与している者たちの立場によって意味が異なるという複雑さを内包している。
 今回の全体会ではこうした境界領域が、どのような経緯と構造のもとで立ち現れ、不条理な状況が生じていくのか、そしてそれが社会にどのような変化を与え、またどのような「解決」が行われ、後世に記憶されていくのかについて、歴史的に考察してみたい。そうした境界領域の人びとに寄り添う眼差しをもちつつ、それにより周囲の諸権力と、それらが絡み合う構造を逆照射していきたい。
 このような意図から、今回は3本の報告と、2本のコメントを用意した。まず豊岡康史「清朝・ベトナム国境と越境する海賊」では、清朝とベトナムの境界領域をめぐる歴史的展開を踏まえ、国境を越えて移動する華人の実態と、それに対する管理の様相について検討する。次に鈴木英明「『イギリス臣民』が作り出す不条理19世紀インド洋西海域における境界と不条理の一事例」では、19世紀インド洋西海域における海の領域化と人びとの移動について、そこで活動するカッチ商人の位置づけをめぐる変遷を軸に論じる。また、吉村貴之「近現代のアルメニア人社会が包摂する「境界」」では、オスマン帝国とロシア帝国にまたがって生活していたアルメニア人が、第一次世界大戦を契機とした政治変動・虐殺事件により離散し、大戦後に成立した疑似国民国家であるソヴィエト・アルメニアの承認をめぐる在外同胞の内部対立が第二次世界大戦後まで続くさまを描く。そしてこれら3報告に対して、村井章介氏には、中世の東アジア海域に関する研究を中心に境界領域について論じてこられた立場から、錦田愛子氏には、パレスチナ人の実態調査を中心に現代の中東地域を研究してこられた立場からコメントしていただく。
 多様な専門分野を超えた活発な議論を期待したい。(研究部)

 古代史部会 日本古代国家の支配構造とその形成過程

古代史部会運営委員会から 
 これまで日本古代史部会では、1973年度大会において在地首長制論を議論の基軸として以来、80年代後半からは王権論、90年代には地域社会論といった視点を議論に取り入れ、1997年度大会からは国家・王権・社会の実態と相互関係とを総体的に考察し、古代国家の成立と展開について理解を深めてきた。
そのなかで、2004年度大会以降は、従前の路線を批判的に継承しつつ、テーマに「秩序」を用いて議論を重ねてきた。2004年度大会から2009年度大会までは、国家・王権・地域社会の三者間の関係を析出することにより、国家の成立と地域社会との関係性を分析した。2010年度大会以降は、秩序の形成に焦点を当て、東アジアにとどまらない東部ユーラシア・北方という視野のもと、「外」とのつながりが列島「内」における秩序形成や支配のあり方にいかなる影響を与えるのかを分析した。
 2013年度大会からは、「外」とのつながりの議論を踏まえつつ、日本古代国家の独自的性格の解明を目指すために、焦点を列島内の事象に戻した。2013年度大会では、列島内の秩序形成と展開について、氏族秩序と神祇祭祀を中心に、国家・王権との関係を分析した。2014年度大会では、中村友一氏が日本古代国家の成立を論じるなかで、「公」を形成する官制と「私」を枠組みとする制度が社会・人民を覆うことで国家成立とみなすことを示したことにより、律令制国家成立以前に列島内に存在していた諸制度と国家成立との関係性が提示された。2015年度大会では、十川陽一氏が古代国家の支配を構成する官人制の地方社会における展開について、また佐藤全敏氏が古代国家における官僚機構の変質を端的に示す蔵人所の成立と変容について論じた。そして2016年度大会では、今正秀氏が摂関期における国家機構と政務構造の検討から、律令制的社会から中世的社会への秩序や支配の変化について論じた。今報告により、摂関期が古代とも中世とも異なる独自の国制であったことが示された。
 2010年度大会以降、「秩序」の形成・展開、「外」との交流やモノ・コトの受容・展開、「支配」体制の展開が議論されてきた。しかし一方で、「支配」を考えるうえで、その展開の前提となる日本古代国家の「支配構造」がいかにして形成されてきたのか、その過程について議論を積み重ねなければならないと考える。
以上の問題意識を踏まえたうえで、近年の「秩序」と「支配」の議論を継承しつつ、日本古代国家の「支配構造」の形成過程を探っていくため、中央と地域社会がいかにして結びついたのか、その結びつきを国家がどのように利用していったのか、という問題に焦点を当てて考えていく。
本年度大会では「日本古代国家の支配構造とその形成過程」というテーマを設定し、中大輔氏「日本古代国家形成期の交通と国司その前史と成立・展開」、北村安裕氏「日本古代における土地支配体制の特質と形成過程」の報告を用意した。
 中報告は、日本古代国家形成期における「支配構造」について、王権・国家と地域社会の「交通」の媒介となる人と場の問題から考察する。6~7世紀前半の国制は、伴造―部民制・国造制・ミヤケ制などとして把握されているが、それらの諸制度を王権と地域社会の「交通」に着目して整理し、その構造と矛盾点を指摘することで、古代国家形成にいたる道程の描出を試みる。また、7世紀後半以降における日本の古代国家形成は中国の律令体制を導入することで実現されていくが、その律令体制において国家と地域社会を結ぶ根幹となる制度である国司制の成立と展開の過程を検討することで、日本古代国家の「支配構造」の持つ特質を明らかにする。
北村報告は、日本古代国家を基礎づけた土地支配体制の特質および形成過程について、主として大土地経営との関連から解明する。まず、大土地経営に関する具体的な分析やハタケに関連する地目との比較などを通じて、律令制国家の構築した土地制度の根幹に位置する「田」の特性にせまる。さらに、「田」を中心とした土地支配体制の成立過程について、孝徳朝から8世紀初頭にかけての時期を対象に跡づけていく。以上の検討を通じ、古代国家の支配のあり方や社会の特質について考えていきたい。
 1997年度大会から議論されてきた「地域社会論」、多様な地域社会の実態に対処していく国家・王権のあり方を分析した2001年度大会から2003年度大会、国家・王権・地域社会の三者間の関係を析出した2004年度大会から2009年度大会、これらの成果を継承するとともに、日本古代国家の「支配構造」の形成について、その過程という観点から理解を深めることが、本年度大会の目的となる。中央と地方の結びつきがいかにして形成されたのかを明らかにすることで、その後の国家・王権・地域社会にどのような影響を与えるのかについてせまることを試みる。
 2017年度大会は、昨年度大会に引き続き日本古代史部会単独の開催となる。当日は、多くの方々が参加され、活発な討議が展開されることを期待したい。(井上正望)

 中世史部会 日本中世の権威と秩序 

中世史部会運営委員会から
 日本中世史部会では,2014年度以降,中世社会を取り巻くさまざまな秩序の問題から国家と社会の関係を考えるという視座を設定し,権力と秩序形成(2014年),法秩序と国制(2015年)といった切り口から検討を続けてきた。そして2016年度は古代・中世および中世・近世の移行期の社会変化について,富・貨幣の動きという切り口から検討を加え,「日  本中世とはいかなる時代であったのか」という,より根本的な問いに取り組んだ。
 この問いに対してはもとよりさまざまな考え方ができようが,中世社会の大きな特質の一つとして,多元的・分裂的側面と集中的・統合的側面の奇妙な同居,という点をあげることに異論はないだろう。そして,かつて石井進が指摘したように,「中世社会の多元的・分裂的な諸契機を通じて,しかも存在するところの一種の統合と集中を,いかに具体的に明らかに」し,「上記の二系列がせめぎあいつつもしかも一つの統合をおりなしていた,その全体像を如何にときほぐしてゆくか」が中世社会の特質を考える際の鍵となっており(石井進「中世社会論」『石井進著作集 第6巻』岩波書店,2005年,初出1976年),現在でもなお重要な論点であることはいうまでもない。
ところで,この二つの側面については,かつては東国国家論と権門体制論の論争という中世前期の国家像をめぐる議論のなかで取りあげられることが多かったが,近年の研究動向に目を転じると,議論の主たる対象は中世後期に移りつつあるようである。すなわち,南北朝内乱に始まる中世後期の国家像・社会像をめぐっては,戦国大名を「地域国家」と捉える見解があるように,その多元的・分裂的側面がしばしば強調されてきたが,近年では「分裂から統合への関心の移動」と評される研究動向の変化(桜井英治「中世史への招待」『岩波講座日本歴史 中世1』岩波書店,2013年)や,中央政権が果たした役割や列島規模の支配体制・政治秩序についての解明が進んだことなどにより,集中的・統合的側面があらためて問われるようになっているのである。
 今年度大会はこうした研究動向を受けて,どちらかといえば後者の側面に注目しつつ,中世社会の特質について検討するものであるが,その際特に注目するのは,日常・非日常を問わずさまざまな機会を通じて構築され,疑うべき余地のない自明のものと観念されるようになる規範意識・価値観や,そのうえに成り立つ権威・秩序の体系である。なぜなら,物理的強制力が社会全体に分散している中世社会にあっては,これら権威・秩序による社会の統合が,大きな役割を果たしていたと想定されるからである。
すでに日本中世史部会では,2014年度大会において,「中世の権力と秩序形成」というテーマのもと,鎌倉幕府の歴史意識・自己認識(下村周太郎報告)および室町幕府の身分編成(木下聡報告)について検討している。そこでは鎌倉・室町幕府による秩序形成の問題と社会における受容・再生産の問題について理解を深めることができたが,残された課題も少なくない。とりわけ2014年度大会で図らずもあらわになったのは,中世における権威・秩序の重要性・位置づけをどのように考えるのかという点について,必ずしも学界として共通理解が得られていないという点である。権威・秩序は物理的強制力と比較したとき,ともすると副次的な位置づけを与えられがちであるが,現在の研究水準を踏まえ,中世社会において権威・秩序が果たした役割についてあらためて議論を深めていくことがその重要性を認めるか否かにかかわらず必要と思われる。他方,いちど自明視された権威・秩序がなぜ・いかにして崩壊していくのかという問題も,権威・秩序の規定性を無限定に強調する静態的な歴史像に陥らないためにも,検討すべき課題といえるだろう。
そこで今年度の大会では,「日本中世の権威と秩序」というテーマのもと,石原比伊呂「室町幕府将軍権威の構造と変容」,谷口雄太「足利時代における血統秩序と貴種権威」の2報告を用意した。
 石原報告では,足利将軍家が築いた権威について,将軍と守護・大名との関係のあり方や天皇・朝廷との関わりなどに注目しつつ,その構造を論じていただく。そのうえで,応仁・文明の乱後,幕府の存立基盤が大きく変化するなかで,将軍家が自らの権威をいかに再建しようとしたのかという変容の面について検討する。谷口報告では,足利氏を中心とする武家の儀礼的・血統的秩序がどのように形成・維持されたのか,そしてそれがなぜ戦国期に入って崩壊していくのかという点について,京都・関東など列島各地におけるあり方や受容者側の動向にも注意しながら論じていいただく。両報告により,日本中世における権威・秩序の具体相や,それが形成・維持され実際に機能する際のメカニズム,さらにそれがなぜ・いかにして崩壊していくのかなどについて包括的に論じるとともに,ひいては中世人の思考・価値観や中世社会の特質に関する理解を深めていくことを目指していきたい。
以上の趣旨をご理解いただき,当日は活発な議論が行われることを期待したい。なお,両報告の理解にあたっては,下記の文献を参照されたい。(堀川康史)

[参考文献]
石原比伊呂『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版,2015年)。
谷口雄太「足利一門再考」(『史学雑誌』122編12号,2013年12月)。
谷口雄太「中世後期島津氏の源頼朝末裔主張について」(『戦国史研究』71号,2016年)。
谷口雄太「武家の王としての足利氏像とその形成」(『鎌倉』122号,2017年)。

 近世史部会 日本近世の自然資源と政治・社会 

近世史部会運営委員会から
 今年度大会では「日本近世の自然資源と政治・社会」をテーマに,自然と人間の関係史を取り上げる。背景には,“環境史”と呼ばれる研究潮流がある。これは1970年代にアメリカで提起された概念で,80年代に日本に紹介されると環境破壊などの社会的関心とも相まって注目され,90年代後半以降,“環境”を冠したシンポジウムや特集が相次いだ。2010年代には論文集シリーズも刊行され,日本史における環境への関心は,近年の大規模自然災害の頻発も背景に,いっそうの高まりをみせている。“環境史”の定義や手法は論者によりさまざまだが,人間の活動を中心に構築されてきた歴史観に転換を迫るものである。
 歴史学研究会でも,①2012年6月号(893号)の特集「「資源」利用・管理の歴史国家・地域・共同体」,②2015年度大会全体会「環境から問う帝国/帝国主義」で取り組んでいる。特に前者は,コモンズ論のような「共同性」を評価する論調に対し,「所有」の視点を切り口に資源をめぐる諸主体間・主体内部の対抗の側面を重視するもので,また,「権力」の存在も改めて位置づけようとするものであった。ここで提起された視角・問題意識は重要であるが,異なった角度からのアプローチも可能である。
 今回,当部会で自然資源の問題を取り上げるのは,日本史学でも環境をめぐる議論が進展しつつあること。それに加えて近世史において関連する研究の蓄積があること。これらにより,近世期の自然と人間の関係を改めて論じることができると考えるためである。
 環境を扱う議論は特に中世史で盛んであるが,それに続く近世はまた異なる歴史的段階にある。たとえば,幕藩領主の支配,近世村落の成立,都市の発達,商品経済の全国的展開などがあり,それにより組織的で大規模な自然資源の利用が可能になっている。また,環境に対する知識が文字情報としても蓄積され,共有されていく時代でもある。そして,人間の力による資源の持続的な利用・管理が一定程度実現しうるものと認識され,自覚的に取り組まれる。これらの側面を重視する。その上で近代への展開を見通すことが可能である。むろん自然環境のもつ律動は,歴史研究上の時代区分と連動するとは限らないが,近世という時代背景を踏まえ,その時代の自然と人間の関係を明らかにする点に,歴史学の立場から検討を行う意義があるものと考える。
 日本近世史において,自然環境との関わりは,“環境史”の登場以前から研究の対象であり,少なからぬ蓄積がある。特に林業史・漁業史の分野では,生業を営む場が「山村」「漁村」などと把握され,そこに暮らす人々の営みが明らかにされてきた。生物資源の生態・分布,用途の差異についての把握は,徐々に精度が高められており,それらの利用によってもたらされる矛盾や,負の影響の分析も深化している。近年では,山・川・海をつなぐ視角が提示され,複数の産業を横断する分析も意識的に取り組まれている。複数の資源の相互関係や優先順位などは,多様な要因により決定される。それぞれの資源の近世国家・社会における位置づけを押さえることが重要となる。
 検討に当たっては,資源の性格を十分に踏まえた上で,個別地域に即して分析することが有効である。藩政機構や村落共同体といった諸主体の内部構造を具体的に明らかにしつつ,自然資源の管理・利用をめぐるさまざまな関係性,管理技術や知識の問題を掘り下げる。ただし,その際には人間による働きかけの側面のみを取り上げるのではなく,近世社会や人間の営みが自然からの規定を受けることで形づくられていくありようにも目を向けたい。
 このような問題関心から,芳賀和樹氏・中村只吾氏に報告を依頼した。
芳賀和樹報告「秋田藩の林政と山林資源管理技術」は,生物資源である山林資源に注目する。この山林資源は再生可能で,可視性も高く全体量を把握しやすい。したがって,長期的視野に基づいて適切に管理すれば持続的に利用できる。報告では,こうした特性に留意しつつ,林政の展開とその技術的な特徴を秋田藩を事例に追究する。さらに,行政機構の変遷や役人の力量,鉱山・耕地の開発,村落の状況などにも着目し,近世の山林と人間の関係を多角的に描き出す。
 中村只吾報告「漁村秩序の近世的特質と自然資源・環境」では,近世漁村の秩序を,水産物という自然資源や,沿岸という自然環境の特性に注目しながら考察する。たとえば水産物は把握・管理が難しく獲得状況が不安定な面も大きかった。村はその立地ゆえに津波などの災害に襲われることもあった。そのような資源・環境の持つ種々の特性を手がかりに,主に伊豆国内浦地域の村々における漁場争論や不漁状況,安政東海地震による被害などを事例として,近世の沿岸という時代的環境下での村落秩序の特質を検討する。
 山林資源・水産資源に対する領主・村落共同体の関わり方を検討することによって,議論の幅を広げることを意図した。自然と人間をめぐる現代的課題はあまりに多いが,背後にある深刻な問題の一つが山間地域・沿岸地域の衰退である。地域社会と自然環境の問題を合わせて考える機会にもなればと考えている。活発な議論を期待したい。(林 晃弘)

[参考文献]
芳賀和樹「近世阿仁銅山炭木山の森林経営計画天保14年炭番山繰を中心に」(『林業経済』756,2011年10月)。
芳賀和樹「秋田藩における19世紀林政改革の基調「山林取立」政策を中心に」(『徳川林政史研究所研究紀要』50,2016年)。
中村只吾「近世後期の漁村における秩序認識伊豆国内浦地域での漁場争論を事例に」(『東北芸術工科大学東北文化研究センター研究紀要』10,2011年)。
高橋美貴「近世における水産資源変動と山林・獣害豆州内浦を事例として」(渡辺尚志編『生産・流通・消費の近世史』勉誠出版,2016年)。

 近代史部会 人々の実践と生活世界の変容 

近代史部会運営員会から
 本年度の近代史部会では、「人々の実践と生活世界の変容」というテーマを設定した。本企画は、近代においてさまざまな構造的な暴力と対峙する人々の営みがいかなる「実践」をつうじて生きられたのか、人々が直面した課題、生活経験の諸相を「抑圧と実践」という観点から模索する試みである。
 2002年度大会の全体会「民衆の生きた20世紀」では、20世紀という時代性を、資本主義的世界システムとそれに対峙する民衆の生活世界から捉える試みがなされた。そこでは、20世紀を特徴づける革命、戦争、大量虐殺、人口爆発、大衆消費社会などの問題のなかで、人々の「生活と意識」に焦点をあて、民衆の生活世界が世界資本主義や戦争を規定しかえしているという「個別的で日常的な歴史の局面」に注目する視点が提示された。
その後の近代史部会が展開してきた企画においても、「思想」を実践的な営みとして捉え、2009年度大会「帝国秩序とアナーキズムの形成」では思想と実践の意味を資本主義ならびに他の対抗運動との連関のなかで明らかにする試みがなされた。2010年度大会「資本主義社会を生きるということ」などでも、人々の結びつきが分断・再構築される歴史的局面を労働現場から検討し、市場・国家・社会の構造と人々の営みの関係から、人々の共同性や変革性を考察する視点が提示された。
 このように歴史学研究の視点と方法として「経験」や「日常生活」が注目されているなかで、本企画ではそうした「経験」の対象を知識人や労働者階級の政治・経済的闘争だけでなく、人々の日常生活における交渉、選択、決断などの社会的活動にかかわる行為、すなわち生活「実践」までをも射程に入れて捉えたい。同時代の人々の経験・意識に即したときに、近代的な法や制度は地域における人々の営みや習慣、共同性にどのような意味を与え、いかなる作用を及ぼしたのか。人々の認識と実践による社会の変容過程から、そこに通底する脈絡を明らかにすることで、近代の諸制度、法、暴力をとらえかえす方途をあらためて問いかけてみたい。
 もちろん個々の生活が支配や従属をめぐる権力や暴力に大きく規定されていた大状況を前提とする必要があるが、きびしい制約のもとにおかれた激動期の経験を人々の生活世界から捉え・理解するためには、日常生活における具体的な個々の実践のあり方への着目が、身体性や生活意識、ひいてはその関係性の転位を読み解くうえで一助となりうると考える。
 このような課題をふまえて、近代においてさまざまな形での統治技術が行使される抑圧体制下に生きた人々の意識を考察する糸口として言語、文化、習慣に着目する。近年の近代史部会では、科学・技術と国家や社会との関係については論じられてきたが、言語が規定する認識や社会的構造については十分な議論がなされてこなかった。言語への着目は、国民国家を創出する統治技術としての言語政策というマクロの次元から、「他者」との出会い、異/他言語を話す話者との間でむすばれる関係、創出された社会的空間での権力をめぐる多様な言説、制度、実践のせめぎあい、そして人々の日常的かつ個別的な言語使用といったミクロの次元に至るまで、実践の営みを重層的・多角的に考察する視点としての可能性に注目できると考える。
 以上の問題意識をふまえ、石原俊氏「島民からみた硫黄島史プランテーション社会、強制疎開と軍務動員、そして難民化」と三ツ井崇氏「植民地期朝鮮における言語の政治史・社会史」の2報告を準備した。石原氏は、小笠原群島や硫黄列島など「南方諸島」の島民たちが、世界市場・主権国家・国民国家・総力戦体制・冷戦体制といった諸秩序の前線で、どのように生きぬいてきたのかについて研究を進めている。今回は特に硫黄列島の島民が、戦間期のプランテーション型社会経済、総力戦期の強制疎開や地上戦への動員、冷戦期以後の長期ディアスポラ化といった諸状況に翻弄されながら、どのような経験を辿ってきたのかについて論じていただく。
 三ツ井報告では、19世紀後半以降の朝鮮における日本語と朝鮮語をめぐる言語と社会の関係について日常生活における言語使用、生活文化の問題から報告していただく。近代朝鮮社会では植民地期には日本語普及政策の展開により、「国語」としての日本語が強制力を伴うようになるにつれて、日本語と朝鮮語のあいだで言語に対する価値観の対立ないし序列が生じることになったが、そのような言語に対する価値観の変容と、実際に朝鮮人社会における人々の言語意識の変容との関係性を、生活における言語使用の実践から論じていただく。
 両報告は一見異なる対象を扱っているかにみえるが、近代における緊張関係のもとに生きた人々の経験という点では共通点をもつ。朝鮮社会や島嶼社会という場は、近代において地理的、文化的、歴史的に交わっていなかった人々が対峙する場であると同時に、さまざまな法、暴力が接触し、植民地主義的・帝国主義的な諸権力が生成される場でもあった。そのような危機的、極限的な状況における実践の営みへの着目は、人々の「生」の課題や、その共通性をいかに構造的に把握することが可能であるのかという現代的課題にも示唆を与えうると考える。当日は両報告について、日本近現代史・島嶼研究の立場から高江洲昌哉氏に、また近現代ヨーロッパ史の立場から村田奈々子氏にコメントしていただく。(李 英美)

[参考文献]
石原俊『〈群島〉の歴史社会学小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』(弘文堂、2013年)。
三ツ井崇『朝鮮植民地支配と言語』(明石書店、2010年)。

 現代史部会 都市の「開発」と戦後政治空間の変容 

現代史部会運営委員会から
 新自由主義の出現から40年あまり、冷戦崩壊からでも四半世紀。この短くはない時間が、第二次世界大戦後に形成された戦後体制とは異なる時代への転形期であることは従来さまざまに指摘されてきた。歴史学研究会でも「新自由主義の時代」への対抗のために、批判的歴史学の更新を目指してきた。では、現在を戦後体制と別つような、現在の現在性とは何か。もはや過渡期とするには充分すぎる時間を経て、新たな転形さえ迎えているかに見えるのが今日の境位であろう。ならば私たちは、「ひとつの時代」としてこの現在を捉えるために、現代史研究の視角をどのように研ぎ澄ませられるだろうか。今年度は、戦後体制下の都市政治空間の形成と変容をめぐる報告と議論を通じて、この課題に迫りたい。
 すでに現代史部会では、関連する主題として、「複合的視角から見た戦後日本社会」(2005年)、「「豊かな社会」の都市政治にみる参加と対抗」(2009年)、「「開発の時代」における主体形成」(2012年)、「対抗運動の可能性」(2013年)を掲げ、1950~60年代における都市政治と社会運動等の主体の関わりを検証してきた。それらの成果をふまえつつ、今年度は次のような点に着目して議論を発展させたい。
 第一に、都市における「空間の政治」に焦点を当てたい。都市開発をめぐる政治・行政過程は、いかなる空間を生産し、諸主体を規定するのか。20世紀後半、いわゆる先進諸国では経済成長の過程で「都市問題」が噴出し、中間層を主体とする郊外化と中心部の空洞化が同時進行した。ところがいまや状況は反転し、ジェントリフィケーションのための再開発が国家と資本の新たな戦略のもとで跋扈している。こうした都市開発の動態は、いかなる法制度や計画によって、空間の意味と価値を生み出すのだろうか。
 他方、この動態と相関的に、当該期は多様な市民・住民組織が簇生し、自治体や国家への参加と対抗の試みが顕著となる。そこで都市開発をめぐる諸主体の角逐と折衝のあり方、さらにはそれが主体をどのように変えていくのか、という点にも着目したい。この観点は、身体や情動が政治や運動に果たす意味が強く自覚されつつある近年の研究動向からも無視できない。
 第二に、都市開発の動態において、排除と包摂がいかなる変化を遂げたのかに注意したい。そこに生じる力学に階級/エスニシティ/ジェンダー等の諸要素はどのように作用したか。戦後空間(それは冷戦の空間でもある)のうちで差別や排除は継続するとしても、それを正当化・不可視化する論理や制度の様式には大きく変容も見られる。消費における「選択の自由」を高唱して不寛容を自然化する資本主義の文化的作用は、都市空間にいかに埋め込まれ、かつ噴出するのか。その出現と転調のダイナミズムについて、より具体的な検討が求められよう。
 以上の関心にもとづき、今年度の現代史部会は以下の2報告とコメントによって構成される。
まず本岡拓哉氏の報告「戦後都市、「不法占拠/居住」をめぐる空間の政治」では、戦後日本の大都市における「不法占拠」地区をめぐる都市空間の抗争が分析される。大都市の社会関係に組みこまれていたバラック街は、1960年前後から「社会問題」化され、新たな法と行政により抹消されていく。一方でそのマクロな動向を捉えつつ、他方ではその趨勢と対峙しながらさまざまな資源を用いて交渉する主体に着目して、1950~70年代を見る時、都市の戦後体制からいかなるその後が展望できるだろうか。批判地理学の立場から、戦後日本の都市の歴史性の一側面が明らかにされるだろう。
 ついで宮田伊知郎氏の報告「未来都市の米国現代史郊外化、開発、ジェントリフィケーションにおける排除と包摂」では、1960年代以降の米国の都市をめぐる語りの変容が、新政権を迎えた今日からあらためて展望される。60年代に進められた公共投資は、いわば救済されるべき対象として都市を捉えたが、90年代以降、都市は憎むべきものとされ、民間市場による再開発の波にのまれた。ではこの認識の転変は、都市をめぐるいかなる主体化にかかわり、人種問題や保守化・新自由主義の興隆といかに連関するのか。ジョージア州アトランタを対象として、以上の課題が動態的に検討されるだろう。
 両報告に対して、さらに東京の都市政治史の観点から「市民」の変容を問題にされている源川真希氏、フランスにおける「郊外」の変容と人種主義の問題を追究されている森千香子氏のお二人からコメントをいただき、両報告をより広い文脈に媒介していきたい。
 今日、このような主題を議論することは、率直にいって重苦しい。私たちは「その後」を知っているからだ。しかし、自明性の地平を歴史性の再審によって覆す批判的介入こそ、現代史研究にもっともふさわしい仕事である。たとえ過去の運動や言論が、皮肉な結果や惨事につながるとしても、当時発揮された夢の起爆力や権力との対峙が生んだ可能性を、安易に手放してはならないだろう。
 有益な議論の場とすべく、当日は多地域・多分野の見地からの積極的な参加をぜひともお願いする。(戸邉秀明)

[参考文献]
本岡拓哉「1950年代後半の東京における「不法占拠」地区の社会・空間的特性とその後の変容」(『地理学評論』88-1、2015年1月)。
本岡拓哉「戦後、集団移住へ向けた河川敷居住者の行政交渉広島・太田川放水路沿いの在日朝鮮人集住地区を事例に」(『社会科学』46-1、同志社大学人文科学研究所、2016年5月)。
宮田伊知郎「ポスト公民権運動期のジョージア州アトランタにおける公共交通網の形成と貧困の継承」(『歴史学研究』888、2012年1月)。
宮田伊知郎「「ポスト郊外」世代による現代都市史の困難と可能性反開発運動と都心回帰の連続をめぐる一考察」(『アメリカ史研究』39、2016年)。
源川真希「都市・自治体政治における「戦後体制」とその変容都市再開発の政治史的研究・序説」(『年報日本現代史』20、2015年)。
森千香子『排除と抵抗の郊外フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』(東京大学出版会、2016年)。

 合同部会 「つながり」の比較史前近代ヨーロッパの商業ネットワークと人的紐帯

合同部会運営員会から
 グローバル化の進展が叫ばれる、言い換えるならば、「過去に前例を見ないほどの」速度と密度で移動とコミュニケーションが行われる今日的な問題関心を反映し、人やモノ、カネに留まらず、情報や文化が行き交うネットワークとして世界史をとらえ直す試みが盛んとなっている。歴史学研究会大会全体会の昨年度論題(「人の移動と性をめぐる権力」)はもとより、合同部会が編成されるヨーロッパ古代、そして中世・近世分野においてもその傾向は例外ではない。大規模な人間集団の移動をモダニティの属性の一つとみなし、中世以前における移動を「静的な」時代の中での孤立的な個別事例とみなす歴史像は遠い過去のものとなった。その一方、最近ではあまりに急激なグローバル化の進展に対し、さまざまな形で拒否反応が示される事態も生じている。コインの裏表ともいうべき両者の評価から一度距離を置き、過去から移動とコミュニケーションの諸相を振り返ってみる頃合いではないだろうか。
 そして、国家や地域と言った既存の枠組みを越えた移動が生じ、異なった文化や集団との遭遇・接触・交流・交渉が行われるにあたり、具体的にその担い手となった「人」とそのつながりという存在をしばしば我々は忘れがちである。時代、地域、さらにその性格の如何を問わず「人」の自発的な移動と切っても切り離せない関係にあった人間活動こそが、商人による交易であった。日常的な道、新たに開拓された商業路のいずれであれ、モノやそれに付随する商品情報や価値規範の交換は、商人をはじめとする無数の個々人の移動、さらには他者との個別の取引や交渉の集合の上で初めて成り立つ。そして、そのような情報や価値観は、商人とその商品に生産から消費に至る過程で直接接した人々にとどまらず、その過程で関わった諸集団の経済や文明への刺激剤として作用することもあった。
 短期的に見るなら、移動して、取引を行う上で利益を最大化する戦略の最適解は、「自分(たち)」に有利な条件で取引を取り結ぶことである。他者に対して不正を行う、という選択肢もそこでは排除されない。この文脈では、複数の国家・地域を股にかけて移動する人々の多くが、複合的かつ可塑的(ハイブリッド)なアイデンティティの持ち主(2014年度大会合同部会シンポジウム「フロンティアとアイデンティティ」参照)であり、移動元・先いずれにとっても他者としての立場を取り、あるいはそうみなされることがしばしばであったという事実を考慮に入れておく必要がある。
 だが、市場や道についての情報、あるいは宿など、交渉で得られるものは人の移動を容易にする上で欠かせない。そして、中長期的な関係を築くにあたっては、当事者間の「信頼/評判」関係、さらにはそれを円滑化する舞台としての諸システム(「制度」)の整備が鍵を握ることとなる。相手が不正をしない、というのに留まらず、取引において不正を防止する法的な枠組みが構築され、さらには身体的な安全が保障された環境では、関係成立にあたっての障壁が低減され、より活発に人が行き交い、ネットワークが構築されることとなるだろう。彼らがこのように社会関係の網の目を織りなすにあたり、どのような力学が作用しており、そこに見られる「仲間」としての人間関係はどの程度密接なものだろうか。そして、移動や交渉の過程で関係を持つ諸集団との関係は、ネットワーク形成をどのように規定したのだろうか。さらに、時代が下り、移動・交渉が大規模化する中で、人と人との対面、あるいは「仲間」内の関係に立脚するこれらの諸要素は、どのように変容を遂げ、あるいは水面下でその命脈を保つこととなるのだろうか。
 以上のような問題意識を踏まえ、2017年度の合同部会シンポジウムでは、過去の歴史において商人が取り結んだ人的紐帯に焦点をあわせ、2本の報告とコメントを通じてその複雑性に光を当てたい。
一本目の報告をお願いしているのは、古代ローマ史を専門とする長谷川敬氏である。「帝政ローマ前期ガリアの商人・運送業者のネットワークアルル、リヨン、北海」と題された報告で、紀元後2世紀~3世紀前半の帝政ローマ治下ガリアにおいて織りなされた商人と運送業者の人的紐帯について報告をしていただく。史料的制約から、報告者は、地中海港湾都市として機能したアルルと、河川港であり行政・経済の一大中心地であったリヨンのそれぞれの都市を拠点に活動した商人・運送業者ら、そしてライン川と北海(さらには大西洋)を股に掛けた商人たちに焦点を絞る。その上で、各都市・地域で彼らが構築したネットワークの諸相を個別に明らかにするとともに、それらネットワーク間の結節のありよう、または相互の差異とその背景についても考察していく。
 二本目の報告をお願いしているのは、中世ドイツ、ハンザ史を専門とする柏倉知秀氏である。「14世紀リューベック商人のネットワーク」という題目の氏の報告は、ハンザのネットワークに関する近年の研究動向を紹介した上で、14世紀のリューベック商人を事例に、北海・バルト海で商業活動に従事したハンザ商人が形成していた商業ネットワークを再現し、そのネットワークを成り立たせていた要因について考察する。
 この2本の報告に対するコメントを、近世ドイツ経済史・商業史を専門とする菊池雄太氏に「コメント:近世商業史の視点から」と題して行っていただく予定である。当日は、専門とする時代・地域を異にする多くの方にご参加いただき、さまざまな角度から活発な質疑が交わされることを期待したい。(合同部会運営委員会)

 特設部会 地域に生きる市民と歴史「社会的要請」と歴史学(その2)

委員会から
 歴史学研究会は昨年(2016年)の大会の特設部会において、「歴史研究の成果を社会にどう伝えるのか「社会的要請」と歴史学」と題し、メディア・出版・博物館関係の方々からの報告を得て当該テーマについて議論をおこなった。歴史学など人文系学問軽視の風潮、政治家らによる史実を無視する言動、歴史研究の成果を反映しない言説があふれるメディア・出版・インターネット空間などの現状を憂慮しつつ、歴史学にとっての「社会的要請」とは何かを考察しようとした試みであった。
その後の状況をみても、相変わらず歴史研究の成果が浸透しているとはいえない事象が目につく。また、世界遺産登録や大河ドラマでとりあげられた地域では、地元の利益になるものとして積極的に歴史を活用する動きがみられるものの、一時的なブームに終わることも多い。インターネットの普及など情報化が進み、以前とは社会が様変わりした現在、歴史研究と社会との関わり方も大きく変容し、歴史研究の成果が社会に届かない場面が増えてきたのではなかろうか。なお、歴史学研究会ではこのような問題意識に関連して、最近、企画出版の著作を刊行した。
 こうした状況のなかで、社会と歴史学の関わりについてはもとより単年度で論じきれるものではなく、本年度大会の特設部会においても「「社会的要請」と歴史学」のテーマを引き継ぎ、社会にとっての歴史研究の役割を問い直していきたい。今回は、歴史研究者からの一方向的な発信・取り組みだけでなく、地域に生きる市民(地域住民)たちとの双方向的、ないし協働的な関係をとりあげる。
 昨年度大会特設部会の議論のなかでも歴史研究者と市民との協働の重要性について指摘がなされたが、実際にそうした取り組みを実践している研究者や団体は少なからず存在しており、貴重な成果をあげている。市民みずからの手により、生活している地域の歴史を掘り起こし、過去の人びとの営みを再認識しつつ、地域への理解と愛着を深めていくことにつながった実践事例もみられる。また、地域の歴史を活かしながら地域おこしにつなげ、それを観光資源として観光客を誘致し、その歴史をより広範な人々に知ってもらうという試みも各所でみられる。しかしそこでは、歴史研究の成果がそのまま地域住民に受容されていくものなのであろうか。実際には、研究者・市民双方の献身的な努力がなされながらも、双方の意識が微妙にずれ、研究者が苦悩する場面も伴っていることがあろう。地域住民の歴史認識はどのようなものであり、それは歴史研究の成果とどのような関係にあり、また重層的な形でより広い世界につながっていくものなのだろうか。かつては研究者が市民を「啓蒙」するという姿勢も多くみられたが、現在ではそうした姿勢が通じるわけではない。
 本年度の特設部会では、地域に生きる市民と歴史研究との関係の具体的なあり方について議論を深め、歴史研究の成果や、史料から歴史を復元するという方法との関わりのなかで、市民がどのような意識・歴史認識をもったのか(もたなかったのか)、その際の課題は何か、市民相互の意識の違いはどうなのか、それらに対して歴史研究者はどのように関わるべきか(関わらざるべきか)について考察していきたい。各報告を通じて、歴史研究者と市民との交流における試行錯誤も伴う経緯を紹介しつつ、さまざまな課題についても議論し、前向きな交流を実現する展望を得たいと考える。
 具体的には次の3本の報告を中心に議論をおこなう。
 斎藤善之「地域市民と交流する歴史研究宮城県における震災前後の変容」では、宮城歴史資料保存ネットワーク設立以前からの市民との協働や、設立後、東日本大震災をはさんでおこなわれた地道な活動を紹介し、市民の意識・歴史認識がどのように変化したのか、その際の課題は何かについて論じる。多和田雅保「地域市民と言葉を通わせる飯田市歴史研究所での活動を通じて」では、市民とともに地域の歴史を学び、歴史事象を掘り起こしてきた事例として飯田市歴史研究所の活動について紹介し、手探りで始めた時期から振り返ることにより、活動の成果と課題について考察する。大澤信「歴史研究が地域で果たすべき役割国境の島・対馬の実際」では、さまざまな地域創生の試みをしつつ、朝鮮半島との交流の歴史を素材にして日韓交流と観光客誘致を進めてきた対馬市の事例をとりあげ、住民間の意識の相違も含めた実情と新たな取り組み、仏像盗難事件や博物館設置への動きについて紹介する。
 参加者のみなさんによる活発な議論を期待したい。(研究部)