古代史部会 

日本古代における支配の変質
古代史部会運営委員会から
 これまで、日本古代史部会では、1973年度大会において在地首長制論を議論の基軸として以来、80年代後半からは王権論、90年代には地域社会論といった視点を議論に取り入れ、1997年度大会からは国家・王権・社会の実態と相互関係とを総体的に考察し、古代国家の成立と展開について理解を深めてきた。
 そのなかで、2004年度大会以降は、従前の路線を批判的に継承しつつ、テーマに「秩序」を用いて議論を重ねてきた。2004年度大会から2009年度大会までは、国家・王権・地域社会の三者間の関係を析出することにより、国家の成立と地域社会との関係性を分析した。2010年度大会以降は、秩序の形成に焦点を当て、東アジアにとどまらない東部ユーラシア・北方という視野のもと、「外」とのつながりが列島「内」における秩序形成や支配のあり方にいかなる影響を与えるのかを分析した。
 2013年度大会からは、「外」とのつながりの議論を踏まえつつ、日本古代国家の独自的性格の解明を目指すために、焦点を列島内の事象に戻した。2013年度大会では、列島内の秩序形成と展開について、氏族秩序と神祇祭祀を中心に、国家・王権との関係を分析した。2014年度大会では、中村友一氏が日本古代国家の成立を論じるなかで、「公」を形成する官制と「私」を枠組みとする制度が社会・人民を覆うことで国家成立とみなすことを示したことにより、律令制国家成立以前に列島内に存在していた諸制度と国家成立との関係性が提示された。
 そして、2015年度大会「日本古代の支配論理の展開」では、十川陽一氏が官人のポスト・職掌である官職と序列を表す位階との関係に焦点を当て、古代国家の支配を構成する官人制の地方社会における展開について論じた。また佐藤全敏氏が古代国家における官僚機構の変質を端的に示す蔵人所の成立と変容について論じた。十川報告により、古代国家による支配の様相と支配を受容する地方社会の実態が、佐藤報告により、律令制と天皇・王権と私的な関係にある諸制度という二つの異なる要素が複合していくなかで、平安時代に古代国家の支配体制が変質していくことが示された。
 2010年度大会以降、「秩序」の形成・展開、「外」との交流やモノ・コトの受容・展開、「支配」体制の展開が議論されてきた。しかし一方で、「秩序」と「支配」の変質を考えるうえで、摂関を中心とする政治構造やそこに内包される官司・官人集団への言及は避けられない。日本古代国家の「支配」の変質が貴族社会のあり方にいかなる影響を与えたか、議論を積み重ねなければならないと考える。
 以上の問題意識を踏まえたうえで、近年の「秩序」と「支配」の議論を継承しつつ、日本古代国家の「支配」の変質を探っていくため、摂関を中心とする政治構造の特質に焦点を当てて分析していく。
 本年度大会では、「日本古代における支配の変質」というテーマを設定し、今正秀氏「摂関期の政治と国家」の報告を用意した。
 摂関政治は、天皇大権行使(その中核は政務決裁、すなわち国家意思の最高ないし最終決定)能力を有しない幼帝即位という本来,天皇制および天皇を君主とする国家にとっての危機を、摂政による天皇大権代行を可能とすることで克服するとともに、幼帝即位により皇位の安定的継承を可能にした。さらに、摂政の天皇大権代行経験とそれによって蓄積した政務決裁能力を、天皇元服後は関白として天皇の大権代行の補佐に当たらせることで活用することによって、天皇元服以前・以後いずれの場合にも政務の円滑な決裁を可能とした。そのような意味において摂関政治は天皇制を安定に導くものであったとする理解に立って、その政治構造を明らかにするとともに、当該期の国家を古代国家の展開、あるいは中世国家の形成との関連においていかに理解すべきかについて考察する。
 今報告により、日本古代国家の「支配」体制の変質を描出することができる。またそれらを追うことで、平安時代の貴族社会の様相と「支配」を受容する地域社会の実態について理解を深めることができると考える。
 1997年度大会から議論されてきた「地域社会論」、多様な地域社会の実態に対処していく国家・王権のあり方を分析した2001年度大会から2003年度大会、国家・王権・地域社会の三者間の関係を析出した2004年度大会から2009年度大会など、これまでの成果を継承するとともに、日本古代国家の展開を、「支配」体制の変質という観点から理解を深めることが、本年度大会の目的となる。摂関政治の構造と貴族社会の変容から、日本古代国家による支配が、いかなる変質を遂げ、その後の国家・王権・地域社会にどのような影響を与えるのかについて迫ることを試みる。
 2016年度大会は、昨年度大会に引き続き日本古代史部会単独の開催となる。当日は、多くの方々が参加され、活発な討議が展開されることを期待したい。(雨宮康弘)

中世史部会 

移行期の社会と富・貨幣
中世史部会運営委員会から
 日本中世史部会では2011年度大会以来、国家権力と地域社会のあり方を問い直すという問題意識を基底に置き、権力と村落(2011年度)、非常時対応と危機管理(2012年度)、地域権力の支配構造(2013年度)といったテーマのもとで検討を行ってきた。
 そして2014年度大会では秩序形成の問題に着目し、鎌倉幕府の歴史意識・自己認識、室町幕府の身分編成などの側面から、両幕府をめぐる秩序とその変遷を明らかにした。また直近の2015年度でも前年の視座を継承し、検断の多様性と主体間の相互関係、土地法の展開と「安堵」の特質などを題材に、法制史の立場から中世における秩序のあり方について検討した。これらの成果により、日本中世における秩序形成のあり方、ひいては社会構造の総体を理解するための新たな道が切り開かれたものと考える。
 しかしその一方で、最近の大会では社会経済史的な論及が必ずしも十分でなかったという反省点もあげられる。中世社会の様相を明らかにするうえで、人々によって生産・消費・蓄積されるモノ、そしてその交換媒体・価値尺度となるカネ、言い換えれば「富」や「貨幣」がいかにして列島をめぐっていたのか、そのあり方を把握することは極めて重要な課題となる。そしてその際には、収取・交易の双方を視野に入れるとともに、国内のみならず海外との連関も考慮する必要があることはいうまでもない。
 中世の富・貨幣について考える上で注意したいのは、中世の成立期である院政期と、終末期である織豊期で、いずれも集権的な支配者によって中央への大規模な集積が図られていることである。すなわち古代から中世へ、はたまた中世から近世へという二つの移行期において、富・貨幣の大きな動きという、少なくとも表面的には共通した現象が起こったことになる。これについては身分が流動的な変革期に行われた財力・権勢の誇示だとする桜井英治の指摘があるが(『贈与の歴史学』中央公論新社、2011年、「中世史への招待」『岩波講座日本歴史6中世1』岩波書店、2013年、「中世の技術と労働」『岩波講座日本歴史9中世4』岩波書店、2015年)、単に権力者とその周辺の互酬という視点にとどまらず、社会構造の動態的把握を通して、中世の始まりと終わりを合わせて検討する価値は決して小さくあるまい。
 そこで2016年度大会では「移行期の社会と富・貨幣」をテーマとして、古代~中世および中世~近世という二つの移行期について、社会経済史的な観点から再評価を試みる。すなわち移行期における社会の再編状況と、列島全体の富・貨幣のあり方とが、どのように絡み合いながら変化していったのかを明らかにしていきたい。
このうち古代~中世の移行期に関する重要なトピックとして、立荘論の提起以来繰り広げられてきた荘園形成をめぐる議論があげられる。これにより現今では、立荘か寄進かの二者択一でなく、荘園の成立過程をいかに具体的に解明するかが課題となっている。
 また、そのなかで形作られていく荘園制的な収取や富の生成・分配のあり方を移行期の社会全体の動向のなかにどう位置づけるか、ということも重要な論点といえる。受領による任国の富の蓄積、「王権」イデオロギーによる社会の統合、鎌倉幕府と朝廷の関係性など、先行研究の議論は必ずしも共通理解を得ておらず、再論の余地があるものと思われる。
 その一方、中世~近世の移行期に関していえば、織田権力の勃興、豊臣政権の樹立、そして徳川幕府への交替という政治過程のなかで、経済秩序がいかにして近世的なものに整えられていったのか、またそれが国内の問題のみにとどまらず、外交政策とどのような関係にあったのか、という点はきわめて重要なテーマになろう。
この点に関して、近年の論点として注目されるのが、考古学との連携により明らかにされつつある金属の生産・交易状況である。これは貨幣論とも直接に関わって、海外も視野に入れた富のあり方を究明する大きな手がかりになりえるものだろう。
 以上の問題意識から、今年度大会では守田逸人「中世成立期の社会編成と富の生成・分配の構造」、川戸貴史「15~17世紀海域アジアの交流と日本の貨幣」の2報告を用意した。
 守田報告では、古代末期から中世初頭に至るまでの社会の変化と富のあり方との関係、地方から中央へと富を吸い上げる荘園制的な収取を支えた正当性の根源、地域社会における諸階層・諸集団の富をめぐる動きと秩序の形成などについて論じていただく。
 川戸報告では、中世末期から近世初頭に至るまでの中央・地方の各政権が実施した経済・貨幣政策、収取・交易の場における貨幣利用の実態と新たな経済秩序の形成、海域アジアを舞台とした貿易の動向と貨幣流通の展開などについて論じていただく。
 そして両報告による検討結果を踏まえて、「中世」とはいかなる時代であったのか、という根本的な問いに対して、富・貨幣と社会のあり方から再考することを目指したい。
 以上の主旨をご理解いただき、大会当日は建設的な議論が行われることを期待する。なお、両報告の内容を理解する上で以下の文献を参照されたい。(似鳥雄一)

[参考文献]
守田逸人『日本中世社会成立史論』(校倉書房、2010年)。
守田逸人「中世前期国家財政論」(秋山哲雄・田中大喜・野口華世編『日本中世史入門──論文を書こう──』勉誠出版、2014年)。
川戸貴史『戦国期の貨幣と経済』(吉川弘文館、2008年)。
川戸貴史「奥羽仕置と会津領の知行基準──『永楽銭』基準高の特質をめぐって──」(『史学雑誌』123─4、2014年4月)。

近世史部会 

近世日本の「開国」と政治・社会 -社会新たな国家像の模索-
近世史部会運営委員会から
 日本近世史部会では、2014年度大会より「近世日本の内と外」という中期テーマを掲げ、近世日本の「内」「外」で相互に影響し合う諸要素に着目し、時代の特質を摘出することに取り組んできた。そこでの議論で通底する論点は、直接・間接に「外」の影響を受けた諸政治主体が、いかなる国家体制を志向していたのかという、その時々の「国家」への認識の問題であった。本年度の当部会は、如上の問題意識を引き継ぎ、「近世日本の「開国」と政治・社会──新たな国家像の模索──」を大会テーマとし、「近・世・日・本・に・と・っ・て・開国とはなんだったのか?」という問いを再考したい。
 このような課題設定の背景には、幕末維新史研究と近世史研究の断絶を克服しようという問題意識がある。かつての幕末維新史研究は、「開国」=外圧を大きな画期とみなし、それへの対応として、近代天皇制国家が形成される過程を発展段階論的な枠組みで議論していた。しかし1980年代頃からは、「開国」のインパクトを共有しながらも、理論ありきではない、諸主体の動向を実態的に解明する研究へと移行した。それにより、精緻で実証的な成果が蓄積されてきたが、一方で、扱う時期・分野・地域等が細分化され、近世からの歴史的展開は、必ずしも十分に踏まえられていない状況にある。
 これに対して、18世紀末から幕末維新史を通時的に考察しようとする研究動向が注目される。すなわち、ロシアの接近に対応する中で、「鎖国」が幕府対外政策の「祖法」であるという観念が創出され、政治指導者層を中心に浸透して政治を規定するようになった。こうした観念を前提に、以後の政治や社会の動向を刻々と変化する国際環境への対応として連続的に捉える試みから、これまで見落とされてきたさまざまな事実が明らかにされ、歴史的展開の再評価が進められているのである。
 そのうちの一つに、この時期の北太平洋から日本近海における欧米列強の活動を連続的に捉え、世界史的視野から近世日本を位置づけようとする研究がある。18世紀末の北太平洋における毛皮交易や捕鯨船の活動、およびそれに付随する測量行為への着目により、日本近海で繰り広げられる列強国の動向は、国家権力の影響を徐々に強めながら活動を活発化させていく過程として捉えられるようになった。またマルチアーカイバルな研究手法は、二国間関係ではなく、日本を取り巻く多国間関係として、その協同や対立をも踏まえた国際環境の変化を論じることを可能にしてきている。こうした研究成果は、列強国側の対日政策や「日本」認識を以前にも増して詳細にし、近世日本の「開国」が持つ国際的な意味は再考されつつある。今後は、こうした成果を近世史研究の文脈にいかに位置づけるべきかを、さらに問う必要があろう。
 それに加え、政治や社会と学問・思想との関係への着目も重要である。昨年度大会では、18世紀を中心に、学問の社会への広まりと政治・社会への影響について議論がなされた。18世紀末以降の対外的危機に直面した人々は、そうした近世社会の知的成熟を前提として、学問に基づいた政治の実践を模索していくのである。具体的には、近年の研究が指摘するように、昌平黌儒者による、儒学(朱子学)に基づいた独自の世界観形成と幕府外交との関係や、18世紀中葉から民間で活躍し始めた国学者たちが、天皇を戴く国家=「皇国」の外国に対する優位性を説き、広範な人々の政治参加を促したこと等があげられる。だが、学問・思想と政治・社会との関係は、時代の変化とも密接不可分なものであり、主体となる人々の社会的立場や地域性等さまざまな条件に影響され多様な方向性を見せる。したがって、そうした多様性を広く組み込むためには、なお多角的な見地からの実証分析が必要であろう。
 そこで本企画では、18世紀末から幕末までを、対外的危機の衝撃が人々の主体的な活動を促し、政治主体として“あるべき国家像”を模索した時代として捉える。そして、その“国家像”のいくつかの具体例に沿って、近世日本にとっての「開国」の意義を再考したい。
 以上のような問題意識に基づき、本年度は以下の両氏に報告を依頼した。
 後藤敦史報告「幕末外交と日本近海測量」は、幕末期をペリー艦隊による江戸湾測量の事例にも示されるような、日本が欧米諸国によって空間的に掌握される過程として捉え、欧米の測量活動から日本を取り巻く国際環境の特質を考察する。また、欧米諸国の艦船が測量のために幕領・藩領を問わず全国に出現するという状況が、幕府と藩の関係にも大きな変化をもたらしたことを指摘する。そして、この欧米諸国の測量活動そのものへの着目から、幕末期日本の国際環境と、列島内部の政治状況の特質を明らかにする。
 三ツ松誠報告「「開国」と国学的世界観」は、儒学的世界観に対抗する形で構築された国学的世界観が、ウェスタン・インパクトを受けつつ変容・拡散していく過程を問題にする。幕府の通商条約調印とその後の朝幕の分裂は、内外に向けた将軍の武威と大政委任とを前提にした国学政治理論にとって、大きな問題であった。このような危機にあって対照的な姿勢を示した、井伊直弼の側近である長野義言と、気吹舎の後継者である平田銕胤・延胤らを主役に、国学思想が当該期の政局史上でいかなる意義を有したのかを抽出する。
 2報告を通じて、幕末という一大画期を、国家と社会との関係から広く捉える視座を提供できれば幸いである。幅広い議論を期待したい。(吉岡誠也)

[参考文献]
後藤敦史『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎、2015年)。
三ツ松誠「「みよさし論」の再検討」(藤田覚編『十八世紀日本の政治と外交』(山川出版社、2010年)。
渡辺浩「『道』と『雅び』──宣長学と『歌学』派国学の政治思想史的研究(一)~(四)──」(『国家学会雑誌』87─9・10、11・12、1974年8・9月、88─3・4、5・6、1975年1・3月)

近代史部会 

大戦間期における社会意識の変容 -人びとにとっての科学と文化-
近代史部会運営委員会から
 今年度の近代史部会は「大戦間期における社会意識の変容──人びとにとっての科学と文化──」をテーマとする。その意図を一言でいえば、現代社会への転換は何を変えたのか、を問うことにある。近年の歴史研究では、第一次世界大戦が現代社会の形成に与えた世界的な影響が指摘され、改めてその意義が問い直されている。また、今日的課題として、人と人とのつながりの希薄化や、社会に関する構想力の衰退も指摘されている。こうした情況を正面から見据え、現代社会への転換を可能にした要因とその問題点を探り、新たな社会を構想するための糸口を見出したい。
 これまでも近代史部会では現代社会への転換に関わる事象について議論を重ねてきた。近年では、2009年の「帝国秩序とアナーキズムの形成」、2010年の「資本主義社会を生きるということ」、2013年の「移動をめぐる主体と『他者』」など、今回と近接した問題関心からテーマが設定されてきた。そこでは、「抵抗するものとしてのアナーキズム」や「資本主義社会を生きる人々の経験」、「人はいかなる関係を『他者』と結んでいくのだろうか」といった問いが発せられてきた。
 しかし、これまでの議論を振り返った際、人びとがなぜ現代的な生活を求め、あるいは受け入れたのかという意識転換の回路への踏み込みが不十分だったと考える。既存の社会を切り崩しながら進められた現代社会への転換は大きな矛盾や絶望を生み出しながら進行した。にもかかわらず、転換が可能となったことを考慮すれば、人びとの自発性や積極性があったことに着目する必要がある。そこで、人びとの意識転換に対して科学と文化を切り口として迫り、その果たした役割についてアメリカ社会と日本社会を事例に考えてみたい。ただ、科学と文化と言ってみても、その言葉で包摂される領域はあまりにも広いため、対象を優生学と音楽に絞って取り上げる。
近代的な知のあり方として成立した科学は、社会問題を解決するための手段として市民の手によってアメリカ社会に導入された。20世紀転換期に都市の過剰人口や市民の衛生が社会問題として顕在化し、「科学的」な医療や公衆衛生が民間の社会改良家を通じて広まった。こうした流れのなかで,生物の遺伝に着目した優生学にもとづいて産児制限が行われるようになり、1907年に初めてインディアナ州で断種法が制定された。その後アメリカ社会は第一次世界大戦や世界恐慌を経験し、それへの対応として実施されたニューディール政策によって政府のあり方や市民の姿も変化していった。政府や社会情勢の変化は優生学と大衆文化にどのような影響を与えアメリカ社会を形成したのか。小野直子氏に「戦間期アメリカ合衆国における優生学と大衆文化」と題して報告をしていただく。科学のあり方もそれを担う人びとの認識や社会的要請と無関係に存立しうるものではなく、時代性とアメリカ社会の特徴に規定されていたことが明らかにされるだろう。
 日本に目を転じてみれば、1920年代には社会変革の動きが自覚的に展開され、社会の「改造」が盛んに唱えられた情況が見てとれる。都市的な生活の誕生はそのための教養を必要としただけでなく、大衆娯楽といった新たな文化を生み出した。音のリズムと歌詞によって構成され人間へと働きかける音楽は「自立」や「調和」といった考え方と結びつき、公民育成の手段にもなった。この考え方は人びとの関係や暮らし方にまで拡大され、社会構想にも適用された。ただし、「自立」や「調和」という考え方も時代情況によって意味合いを異にするもので、総力戦にも引き継がれる要素を含んでいた。これまで日本社会の現代化において音楽が果たした役割に注目して研究を行なってこられた上田誠二氏に「デモクラシー・モダニズム・ファシズムと日本の音楽文化」と題して報告していただく。
 優生学や音楽への着目からは科学と文化が相互に絡まり、身体感覚や規範を再編成することによって押し進められる変容の様相が描かれる。変容の過程が既存の社会に規定されて進行することを考えれば、その特徴を位置づけるためにアメリカ社会と日本社会を比較検討する必要がある。二つの社会を比較することは相互の認識や影響の浸透性といった観点を包含しつつ、第二次世界大戦の性格にどのような影を落としたのかという論点まで含みこむ。大戦間期における社会意識の変容を理解することは、以上のような観点の議論を通じてより深まると考えている。
 さらに、今回は社会意識の変容に科学と文化という観点からアプローチすることの有効性についても議論したいと考えている。対象とする人や出来事に対してどのような方法によって迫るかということは、広く近現代史研究において議論される必要があると考える。対象に即してさまざまな方法を駆使することが重要なのは言うまでもないが、描き出された歴史像を踏まえてさらなる方法が検討されることもまた重要なのではないか。この観点に留意しつつ、おふたりの報告に対して松原宏之氏と高岡裕之氏にコメントをしていただく。当日の討論においては、大戦間期の新たな歴史像と、さらなる方法が提起されるような議論を期待したい。(飛矢崎貴規)

[参考文献]
山室信一ほか編『現代の起点 第一次世界大戦1』(岩波書店、2014年)。
上田誠二『音楽はいかに現代社会をデザインしたか』(新曜社、2010年)。
小野直子「アメリカ優生学運動と生殖をめぐる市民規範」(樋口映美・貴堂嘉之・日暮美奈子編『〈近代規範〉の社会史』彩流社、2013年)。

現代史部会 

軍事・社会空間の形成と変容 -米軍との「接触」を中心に-
現代史部会運営委員会から
 イラク戦争が始まる直前の2003年2月15日,ロンドンで約100万人,マドリードで60万人,ベルリンでは50万人が反戦を訴えた。哲学者ユルゲン・ハーバーマスなどの西欧知識人は,ヨーロッパがアメリカ単独主義外交の歯止めになることを望み,「2003年2月15日」が「ヨーロッパ史の転換点」になると期待に胸を膨らませた。
近代史家ジェイムス・シーハンは,世界大戦の経験,植民地の独立,冷戦によって,西欧諸国では武力行使を中心的な役割としない新たな国家性が創出され,それはヨーロッパ諸国民のアイデンティティのひとつとなったと述べる。確かにポスト冷戦期のヨーロッパ各国では徴兵制が「廃止」され,最近の「イスラム国」に対する軍事作戦への疑念も少なくない。
 だが,「2003年2月15日」は本当に「転換点」となったのだろうか。反戦デモにかかわらず,翌3月にイラク戦争は強行され,中東における戦争状態は現在なお続いている。かつて違法化された戦争は「対テロ戦争」として肯定され,それに対する反発は限定的である。1990年代の再定義によって,北大西洋条約機構の目的は侵略の抑止から地域秩序の維持に移り,その活動範囲は地球規模にまで拡大している。東アジアでも,韓米間,日米間であいついで安全保障関連の法改正や同盟関係の再定義が進み,その活動範囲を拡大させた。米軍基地の再編では国家の安全保障が優先され,沖縄を始めとする地域住民の粘り強い反対にもかかわらず,基地の拡張が強行されようとしている。
 しかも近年の変化は,軍事力の強化にとどまらず,「テロリスト」に対する武力行使の容認といった人々の意識の領域にまで及んでいる。こうした動きを「社会の軍事化」とよぶならば,それは狭義の政治の中だけではなく,価値観の変化を含めた社会的文化的関係の中で進行する軍事化といえる。最近の「新しい軍事史」や「広義の軍事史」の動向に棹差しながら,私たちは「軍事・社会空間」という枠組みを提起したい。ここで「軍事」には,軍隊,軍事力,軍隊による規制,軍事力の使用を容認する姿勢などの「軍事的なるもの」が含まれる。「軍事的なるもの」と社会とが接触する空間において,両者の関係,さらには接触によって互いが変容する動態を明らかにしたい。
 もちろん「軍事・社会空間」の空間的ひろがりは可塑的である。微視的な「軍事・社会空間」では,基地がもたらす弊害(騒音,環境汚染,一部兵士による犯罪など)や反基地運動が対象になる。他方,広域的な「軍事・社会空間」は,国家間の交渉,同盟,集団安全保障体制,戦略,基地の配置によって形作られる。地域と時代に特有の「軍事・社会空間」が形成され,時間と政治情勢の中で変容する。その変容の先に現状を位置づけたい。
 「軍事・社会空間」の変容を,長期的かつ世界規模でとらえるには,第二次世界大戦から今日に至るまで,世界規模の軍事基地ネットワークと派兵を維持してきた米国とその軍隊の存在は無視できない。在外米軍基地は旧植民地や従属国などに多く置かれ,植民地的支配構造を基盤とする。その検討は現代史部会がこれまで検討してきた20世紀後半の植民地主義や脱植民地化の問題にもつながっている。そこで今年度の本部会では,米軍との接触を余儀なくされた側から空間の変容を捉え返すべく,以下のように構成した。
 まず日米関係史を専門とする明田川融氏から,「戦後日米関係史断章──行政協定/地位協定という接触面──」と題してご報告いただく。かつて在日米軍の配備条件を定めた日米行政協定(改定後は地位協定)の締結交渉にあたった岡崎勝男は,行政協定が基地と住民生活の「接触面」になると語った。この発言を糸口に,同協定のうち,主に基地設定,排他的管理権,刑事裁判権等の履行過程から,日本社会と米国との接触の具体相が検討される。一見微視的な側面から,あらためて「同盟」なるものの現実が見据えられる。
 次いでグアム・米国関係を専門とする長島怜央氏から,「1990年代のグアムにおける米軍用地問題とチャモロ・ナショナリズム」と題してご報告いただく。軍事基地は,米国の海外領土であるグアム島の約3割の面積を占める。これに対して1990年代以降,グアム先住民チャモロによる運動は,米国の植民地主義と関連づけて米軍用地問題への批判を展開した。この動きが米国の土地政策・移民政策や歴史認識への批判にとどまらず,グアムにおける米軍のプレゼンスの正当性をどのように認識していたかを検証する。
 さらに,東アジア・太平洋地域を直接の対象とする両報告を,より大きな文脈に関連づけるべく,現代ヨーロッパ政治研究の立場から木戸衛一氏に,また冷戦期の日本/米州外交史研究の立場からロメロ・イサミ氏に,それぞれコメントをいただく。以上の構成を通じて,当日は「軍事・社会空間」の歴史的変容を世界規模でとらえたい。多数の参加を御願いする。(白川耕一・戸邉秀明)

[参考文献]
明田川融『日米行政協定の政治史──日米地位協定研究序説──』(法政大学出版局,1999年)。
長島怜央『アメリカとグアム──植民地主義,レイシズム,先住民──』(有信堂,2015年)。
メトロポリタン史学会編『20世紀の戦争──その歴史的位相──』(有志舎,2012年)。
James J. Sheehan, Where have all the Soldiers gone?: The Transformation of Modern Europe, Boston New York 2008.

合同部会

3~8世紀における地中海世界を中心とした政治的コミュニケーションの断絶と継受
合同部会運営委員会から
 2016年度の合同部会では、前近代世界において「コミュニケーション」、すなわち、特定の価値が付与された情報や価値観がどのように伝達・共有されたか、そして、その過程を通じ、当時を生きた人々の集団が置かれた空間や支配秩序がどのように再編されたかという側面について考察を深めていくことにした。具体的には、ローマ帝国、およびその支配領域にその後成立した、いわば「後継」諸国家を検討の時間、空間上の枠組みに設定し、そこを舞台に繰り広げられた主として政治的な「コミュニケーション」をめぐる比較検討を行う。この問題設定は、昨年度の合同部会シンポジウム「分裂と統合の場としての教会会議」において、会議の召集や決議事項がどのように、あるいはどの程度キリスト教共同体内部で共有、貫徹されるに至ったかについて議論を尽くすことができなかった、という反省点に基づくものでもある。
 ローマ帝国の版図は最盛期にあって、東西はチグリスおよびユーフラテス川流域から大西洋にまで、南北は北アフリカから地中海の南北双方にまたがり、そこからアルプスを越えてドナウ川、さらには現在のブリテン島北部にまで及んだ。この帝国の支配の痕跡は、中世以後も人やモノ、情報の往来の手段となった街道という形でかつての版図各地にそのあとを残している。その一方、帝国で展開した「政治的コミュニケーション」は、街道を行く軍隊、あるいは外部勢力との交渉にとどまるものではない。帝国は皇帝の下、無数の都市共同体を内包する連合体としての性格をも同時に持ち合わせていた。支配者(皇帝)─被支配者(都市共同体、民)の階層性を前提としつつ展開された情報伝達は、書面や使者に加え、銭貨や碑文、さらには皇帝礼拝といったさまざまな形をとりえた。そして、上位権力は物理的な街道の敷設、維持のみならず、宿坊や旅行許可証を発行して人や情報の往来をサポートする一方、時には利用資格の制限を行うといったように、街道を基軸とする「コミュニケーション」を統制する立ち位置にあった。
 さらに、街道は諸都市を「ローマ帝国」という大きな傘の下に統合するにとどまらず、帝国内部において、政治、経済、あるいは社会上の統一性を有する、さらに細分化された地域レベルのブロックへとまとめ上げる上での結合要因としても働いていた。それを踏まえるならば、国家(帝国)レベルに加え、その下にあって統合を下支えする地域内部、あるいは地域間の関係を考察するにあたっても、この「コミュニケーション」という視座は重要な意味を持つことになる。
 4世紀末以降、政治的変動の中で帝国が分裂、地方へと細分化し、さらに小国家の分立を経て、8~9世紀に後継諸政治共同体への再編がすすむまで、政治的コミュニケーションの回路はどのように放棄、改変、あるいは継受して利用されることとなったのだろうか。そして、回路を利用する主体側の意向に加え、それ以外のどのような要因がその選択に大きく寄与することとなったのだろうか。本シンポジウムでは、上であげた情報の移動・伝達の前提としてのインフラ、支配─被支配、あるいは政治的統合の階層性、そして広義の情報伝達の媒体という主として3つの角度から探っていきたい。そして、3人の気鋭の研究者に、この問題意識を背景とした上での報告をお願いしている。
 まず、南雲泰輔氏に、「クルスス・プブリクスとポイティンガー図──後期ローマ帝国時代の街道とその図示──」という題でご報告いただく。中世期につくられた写しの形でオーストリア国立図書館に現在所蔵されるこの旅程図(itinerarium)は、ローマ時代の街道路線図と一般に言われている。後期ローマ・初期ビザンツ帝国史を専門とされる南雲氏の報告は、このポイティンガー図と街道を舞台に運用されたクルスス・プブリクス両者の関係について考察を行うものとなるだろう。
 次いで、菊地重仁氏に、「カロリング期の政治的コミュニケーションにおける書簡の機能について」と題する報告をお願いしている。カロリング期フランク王国史、さらには中世初期文書学を専門とする菊地氏の報告は、ローマ期以来の慣行を引きずるこの時期の書簡・書簡形式文書を、書式や作法にも目を配りつつ検討することで、これらが政治的コミュニケーションの具体的な媒体として果たした役割を例示的に示すものとなるだろう。
 そして、亀谷学氏には、「初期イスラーム時代における政治的コミュニケーションの構造とその変化」という題目で報告をお願いしている。ウマイヤ朝からアッバース朝初期にわたる7世紀から9世紀にかけての政治的コミュニケーションの諸媒体(書簡、フトゥバ、銘文、詩人の詩など)の概要を示した上で、氏の報告では文書/書簡のやりとりを中心にその変化を跡づけていくこととなろう。
 本シンポジウムでの「政治的コミュニケーション」という視座からの諸報告による諸論点の提示と比較を通じ、ローマ帝国という枠組みが過去のものとなりつつも、まだ「ヨーロッパ」、あるいは「イスラーム」といったそれに代わる枠組みが形成途上にあった地中海地域を中心としたユーラシア西部における統合のあり方について,シンポジウム参加者の理解が深まる一助となれば幸いである。(合同部会運営委員会)

特設部会 

歴史研究の成果を社会にどう伝えるのか -「社会的要請」と歴史学-
委員会から
 本年度の特設部会は、今日の歴史学が直面する問題を、とくにその成果の発信という観点から考えるため、歴史学と深いかかわりをもつジャーナリズムおよび出版の関係者、そして歴史研究の成果を直接的に市民に伝える場である博物館の運営に携わる研究者の3名から報告を得る。このような顔ぶれで歴史学のあり方について議論するのは、これまでの歴史学研究会大会にはなかった新しい取り組みである。
 歴史学を含む人文系の学問が「役に立たない」として、国の学術政策において優先順位の低いものとされ、多くの大学の専門課程・コースから「歴史学(史学)」が姿を消し、また教養教育においても歴史学が軽視される状況が生まれてすでに久しい。2015年6月には、文部科学省による国立大学の人文社会系学部の「組織再編」「社会的要請の高い分野への転換」を求める通知が出されるに至った。その後、大学関係者をはじめ各方面からの強い批判を受けて、同省は通知をめぐる「火消し」に動いたが、その基本的な方針を変更したわけではない。このような動きに呼応し、すでに組織の再編を決定した大学もあり、日本の学術体制全般が大きな岐路にさしかかっていることは間違いない。
 歴史学の存続基盤そのものが脅かされる一方、歴史学が積み重ねてきた研究の成果が政治的介入によって軽んじられ歪曲される傾向は、これまでにも増して強まっている。「戦後70年首相談話」や、「慰安婦問題」での2015年末の韓国政府との合意などで、安倍政権は侵略戦争や植民地支配にかんする一定の事実を認める姿勢をとったが、「ユネスコ記憶遺産」登録問題で、南京事件を事実上否定する人物を政府の立場の代弁者として採用したことに端的にあらわれている通り、今日の歴史学の到達点を尊重するのとはほど遠い立場をとり続けている。
 政治による介入と表裏の関係で歴史研究・歴史教育の現状を脅かしているのが、メディアやそれに影響を受けた言論の状況である。巷間にあふれる出版物やインターネット空間には、真摯な歴史研究の成果を反映しているとは言い難いものも数多くあり、社会の幅広い層に大きな影響力を持っている。また、ドラマやクイズなどさまざまな形で歴史を扱うテレビ番組にかんしても、問題は決して少なくない。歴史研究や歴史教育のみならず、教養教育や生涯学習の場などでも映像資料や多様な種類の文献資料が利用され、体験的な学習の機会も増えている今日、メディア、博物館、図書館などの役割はますます重要になっている。
 歴史研究の成果が市民に十分に届いていない一方で、真摯な歴史学の成果が権力によって歪曲され軽んじられ、それに同調するメディアが大きな影響力をもっている状況にあって、歴史研究者は、その研究成果を社会に向けてわかりやすく示してきたか、その発信の方法に問題はなかったかについて、自ら振り返り、あらためて問い直してみなくてはならない。あるいは、そもそも社会の中で歴史学に何が求められているのか、社会の中で歴史学がどのような役割を果たすべきかについて十分に自覚して研究を進めてきたか、考えてみなくてはならない。それはいわゆる「歴史認識問題」に直結する現代史に限ったことではない。
 さまざまな地域、国、そこに生きる人々の繫がりのなかで世界と日本列島の歴史を捉え、長い人類史の歩みと私たちの生きる現在とのつながりを意識し、みずからが歴史をつくる主体であるとの認識を市民が共有することが、近隣諸国や世界の人々と友好的な関係を築いていく上で、今日ほど求められていることはない。歴史学にとっての「社会的要請」とは、そのような観点から考えられるべきであり、歴史研究者がそれと向き合い、自身の研究について省察することは、歴史学、ひいては人文学の将来に直結する課題である。
 以上のような問題意識から、今回の特設部会では、以下三つの報告を中心に議論を行いたい。
 片岡伸行報告「メディアと歴史学──『週刊金曜日』編集の現場から──」は、雑誌『週刊金曜日』で「歴史認識問題」をめぐる取材と編集とを担当してきた経験を踏まえ、メディアと権力をめぐる現場の状況について紹介し、メディアと歴史学とがどのように連携していくことが可能か、またメディア側から歴史学に対してどのような期待をもち、どのような要望があるのかなどについて論じる。
 吉田浩一報告「学術出版と歴史学──書籍編集者の立場から──」は、岩波書店で歴史系学術書の出版に携わってきた経験から、現在の出版界における人文・社会系専門書、とりわけ歴史関係の専門書の出版をとりまく現状や問題を報告し、そこから浮かび上がってくる歴史学の研究成果出版が抱える問題などについて論じる。
 平川南報告「歴史研究の可視化・高度化──国立歴史民俗博物館の実践と人間文化研究機構の計画──」は、古代史研究を専門としつつ、国立歴史民俗博物館、山梨県立博物館の館長を歴任し、また人間文化研究機構で人文学の研究行政にかかわる立場から、歴史研究者による研究成果の発信にはどのような意味があるのか、なぜ研究の可視化が必要なのかなどについて論じる。(研究部)