2015年度歴史学研究会大会

第1日 5月23日(土)  全体会 13:00~17:30 
全体会 環境から問う帝国/ 帝国主義      
  タカラガイ・雲南・帝国…………………………………………………………………………上田信
  イギリス帝国の科学者ネットワークと資源の開発・保全………………………………… 水野祥子
  帝国日本のエコロジカル・インペリアリズム……………………………………………… 藤原辰史

第2日 5月24日(日) 9時30分~17時30分 
              (合同部会は、12:30~17:00 特設部会は、11: 30~14:00)
古代史部会 日本古代の支配論理の展開     
  律令官人制の展開と地方支配…………………………………………………………………十川陽一
  蔵人所の成立と展開-家産官僚制の拡張と日本古代国家の変容-……………………… 佐藤全敏

中世史部会 中世の法秩序と国制      
  中世前期の検断と国制…………………………………………………………………………西田友広
  中世後期の土地法秩序と国制-「安堵」の史的展開-………………………………………松園潤一朗

近世史部会 18世紀の国家・社会と政治文化-「藩」をめぐる意識の形成と変容 -      
  明君像の形成と「仁政」的秩序意識の変容……………………………………………… 小関悠一郎
  近世日本における対外関係の変容と「藩」意識……………………………………………吉村雅美

近代史部会 戦後70年からの問い直し―象徴天皇制・植民地支配の未清算・植民地認識―     
  戦争責任論と象徴天皇制…………………………………………………………………… 河西秀哉
  日韓財産請求権経済協力構想の再考………………………………………………………… 太田修
  満洲経験の記憶と変遷………………………………………………………………………… 佐藤量
   コメント:吉田裕・岡田泰平

現代史部会 「難民」をめぐる国際政治と「人道主義」      
  国際的「難民」保護の始まりをめぐる考察-第一次世界大戦から国際連盟創設期を中心に-

……… 舘葉月

  在日朝鮮人「帰国問題」-新しい論点と課題-…………………………………………………朴正鎮
  合衆国難民政策の人道主義と新自由主義的世界秩序-インドシナ難民の受け入れを事例に-

……佐原彩子

合同部会 分裂と統合の場としての教会会議      
  カルタゴ司教キプリアヌスと3世紀中葉北アフリカにおける教会会議………………………大谷哲
  中世カトリック世界の重層的アイデンティティ-12・13世紀の教会会議言説の分析-…藤崎衛
  皇帝権力とテクスト-第2リヨン公会議へのビザンツの反応について-………………… 橋川裕之

特設部会 地域から世界へ-危機の時代の歴史教育を考える-      
  高校教育の科目「歴史基礎」を考える……………………………………………………………三谷博
  歴史教育の可能性を求めて……………………………………………………………………高澤紀恵
  震災・原発事故災害を現代史学習の一項目に……………………………………………… 福田和久
  歴史認識の共有とはどのようないとなみか―歴史教育を国境を越えて問い直す―…… 齋藤一晴

▲会場整理費:一般1800円、会員1500円、学生(修士課程まで)1000円。両日とも参加できます。
▲会場:慶應義塾大学三田キャンパス 
 (東京都港区三田2-15-45)
 JR山手線・京浜東北線 田町駅より徒歩8分
 都営地下鉄浅草線・三田線 三田駅より徒歩7分
 都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅より徒歩8分

全体会

環境から問う帝国/ 帝国主義

委員会から
 「帝国/帝国主義」と「環境」は,それぞれ,今日の歴史学において盛んに研究されている領域である。帝国/帝国主義研究では,グローバルな空間を対象に,さまざまな社会・国家の長期的な趨勢が考察されている。一方,環境史研究においても,人間と自然の関係を豊かに解き明かすため,一国史的枠組みを超えた時空間の把握が求められている。今回の全体会では,環境という切り口から帝国/帝国主義を問い直すことで,世界史と向き合う歴史学の新たな可能性を探りたい。
 ここで近年の大会を振り返ると,2002~2004年度には,グローバリゼーションや新自由主義的「改革」の進行という状況認識から,全体会が企画された。これを引き継いだ2008・2009・2012年度大会では,「新自由主義の時代」のいま,歴史研究に何ができるかという課題に挑んだ。そこで提起された「生存」「いのち」に足場をおいて,新たな研究潮流が産み出されているのは周知のとおりであろう。
 2004年度の全体会テーマは「グローバル権力としての「帝国」」であったが,そこでは帝国本国のヘゲモニーだけでなく,従属的諸地域における人々の運動をどのように位置づけるのかが改めて問われた。また2010年度の全体会「いま植民地支配を問う」では,「植民地責任論」の視座から支配・被支配の関係が多角的に論じられた。これらを踏まえ,今回はあらためて帝国/帝国主義の支配・被支配にかかわる問題に着目し,環境という切り口から新たな光を当てることを目指す。その際,環境史と深いつながりを持つ資源の問題を扱った2012年6月の特集号「「資源」利用・管理の歴史─国家・地域・共同体─」(本誌893号)についても,前提をなす取り組みとして踏まえておきたい。
 今日,グローバリゼーションは加速し続け,大国による諸地域への圧制や介入が強化されている。一部の地域独立運動の高揚や,排他的な国民統合への傾斜は,グローバリゼーションと表裏をなす動向といえよう。また,新自由主義のひとつの帰結である市場原理主義は,経済活動の際限ない発展を志向し,資源の略奪的搾取を引き起こす。「資源ナショナリズム」という言葉に表されるような,資源をめぐる国家間の対立や,「先進国」による「後進国」の過度な資源開発が展開し,人々の生存を脅かす環境破壊が深刻化している。
グローバリゼーションが資源開発・環境破壊と結びついている状況を踏まえ,環境という切り口から,不均衡でグローバルな帝国/帝国主義の権力を問いなおそうとするのが,今回の狙いである。帝国/帝国主義のもとでの資源の開発・利用は,環境をいかに変容させたのか。環境が介在することで,帝国/帝国主義の支配・被支配をめぐっていかなる課題が浮上し,人々に対応を迫ったのか。広域的な生態系を包摂する帝国/帝国主義は,一方でいかなる矛盾をかかえこんだのか。このように,人間の生存と深くかかわる環境を切り口として帝国/帝国主義の支配・被支配を再検討することで,歴史学の新たな議論を切り拓きたい。
以上を踏まえ,今回は次の3名の方々に報告をお願いした。
 上田信「タカラガイ・雲南・帝国」。人間と自然を区別して双方の関係を論じる「環境史」に対し,上田氏は,人間と自然を一体的なシステムととらえる「生態環境史」を提唱し,東ユーラシアの歴史像を追究してきた。その成果を踏まえ,前近代の帝国と生態環境について論じる。
 水野祥子「イギリス帝国の科学者ネットワークと資源の開発・保全」。水野氏は,近代イギリス帝国と植民地インドとの関係を,環境の観点から研究してきた。帝国=グローバルレベルの森林資源の保護にかかわるイギリス官僚とインド現地政府,さらには現地習俗との葛藤などを提示する。
 藤原辰史「帝国日本のエコロジカル・インペリアリズム」。藤原氏は,ドイツと日本の農業史を専門とする。近年の環境史の手法をとりいれ,とくに食や台所の歴史をとらえ直してきた。アルフレッド・クロスビー『エコロジカル・インペリアリズム』(原著1986年)が検討していない,20世紀日本の生態学的帝国主義を考察する。
 以上の3報告からなる本企画は,前近代と近現代をともに視野に入れ,中国・イギリス・インド・日本などの,世界的な広がりをもつ諸地域を対象としている。それにより,帝国/帝国主義の支配・被支配関係の比較検討も可能となる。帝国/帝国主義や環境に関心を寄せる方々はもとより,地域や時代を超えてこれからの歴史学のあり方に関心をいだくすべての方々に,強く参加をよびかけたい。(研究部)

[参考文献]
上田信『東ユーラシアの生態環境史』山川出版社,2006年。
同「タカラガイと文明─東ユーラシア─」池谷和信編著『地球環境史からの問い─ヒトと自然の共生とは何か─』岩波書店,2009年。
水野祥子『イギリス帝国からみる環境史─インド支配と森林保護─』岩波書店,2006年。
同「イギリス帝国の森林史」社会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望』有斐閣,2012年。
大豆生田稔『近代日本の食糧政策─対外依存米穀供給構造の変容─』ミネルヴァ書房,1993年。
藤原辰史『稲の大東亜共栄圏─帝国日本の「緑の革命」─』吉川弘文館,2013年。

古代史部会 

日本古代の支配論理の展開

古代史部会運営委員会から
 これまで,日本古代史部会では,1973年度大会において在地首長制論を議論の基軸として以来,80年代後半からは王権論,90年代に入ると地域社会論といった視点を取り入れ,1997年度大会からは国家・王権・社会の実態と相互関係とを総体的に考察し,古代国家の成立・展開について理解を深めてきた。
 そのなかで,2004年度大会以降は,従前の路線を批判的に継承しつつ,たびたびテーマに「秩序」を用いて議論を重ねてきた。2004年度大会から2009年度大会までは,国家・王権・地域社会の三者間の関係を析出することにより,支配秩序と法にみる国家成立と地域社会との関係性を分析した。2010年度大会以降は「秩序形成」に焦点を当て,東アジアにとどまらない東部ユーラシア・北方という視野のもと,「外」とのつながりが列島「内」の「秩序形成」や支配のあり方にいかに作用するのかを分析した。
 これら「外」とのつながりの議論を踏まえつつ,2013年度大会からは日本古代国家の独自的性格の解明を目指すため,焦点を列島内の事象に戻した。2013年度大会「日本古代における秩序の形成と展開」では,長谷部将司氏が氏族秩序を中心に,榎村寛之氏が神祇祭祀を中心に,国家・王権との関係を分析し,列島内の「秩序形成」と展開について論じた。
 また,2014年度大会「日本古代の国家と支配秩序」では,中村友一氏が「公」と「私」の弁別を国家成立の指標の必要条件とし,「公」を形成する官制と「私」を枠組みする制度が社会・人民を覆うことで国家成立とみなすことを示したうえで,日本古代国家の成立について論じた。中村報告により,律令制国家成立以前に列島内に存在していた諸制度と国家成立の関係性が提示されたと考える。
 2010年度大会以降の「秩序」の形成・展開の議論において,「外」との交流やモノ・コトの受容・展開,氏族秩序や神祇祭祀などの求心性・「秩序」観念が議論されてきた。しかし,一方で,「秩序」や「支配」といったものの形成・展開を考えるうえで,国家の中心である天皇・王権の周辺に位置する官司・官人集団への言及は避けられない。その意味で,中村報告が国家成立を論じるなかで諸官制を指摘したことは重要であり,日本古代国家の展開において,さらなる議論を積み重ねなければならないと考える。そのうえで,日本古代国家の独自的性格を明らかにする必要があろう。
 以上の問題意識を踏まえたうえで,近年の国家の「秩序」の議論を継承しつつ,日本古代国家の根底に存在する「支配」する側・「支配」される側の双方向の論理とその展開を探っていくため,天皇・王権の周辺にある官司・官人集団に焦点を当てて分析していく。
本年度大会では,「日本古代の支配論理の展開」というテーマを設定し,十川陽一氏「律令官人制の展開と地方支配」・佐藤全敏氏「蔵人所の成立と展開─家産官僚制の拡張と日本古代国家の変容─」の2報告を用意した。
 十川報告は,古代国家の支配体制を構成する官人制が,全国的に展開してゆく過程について検討する。特に,8~9世紀を中心とした地方において,ポスト・職掌である官職と,官人の序列を表す位階との関係がどのように展開したのか,散位・勲位や,白丁の官人化などを改めて評価することにより,国家的支配と受容する地方の双方向から検討を加える。官人は,支配を担う“支配者層”であると同時に,天皇の下で等級づけられるいわば“被支配者”でもあるが,この展開を通じて古代国家の支配論理を考察する。
 佐藤報告は,日本古代国家において,その官僚機構の変質を端的に示すものとして知られる蔵人所の成立と変質について,あらためて正面から検討を加える。早く先学によって、9世紀の蔵人が奏宣を担っていなかったことが明らかにされているが,それでは9世紀の蔵人はいかなる機能を有していたのか。また10世紀以降,蔵人の機能が大幅に拡大され,国制上,律令官僚制に匹敵,ないしそれより重い意味をもつようになったとされているが,その実態はいかなるものであったのか。佐藤報告はこうした点の実証的な分析を通じて,変動する東アジア世界のなか,日本古代の国制がどのようなものへと変貌していったのかを見通すことを目標とする。
 これら2報告により,日本古代国家の「支配」の展開を,国家「支配」体制の変質や「支配」受容の面から描出することができる。また,「支配」の展開を追うことで,日本古代国家の独自的性格をも明らかにできると考える。
 1997年度大会から議論されてきた「地域社会論」,多様な地域社会の実態に対処していく国家・王権の姿を描き出した2001年度大会から2003年度大会,それらを踏まえたうえで,国家・王権・地域社会の三者間関係を析出した2004年度大会から2009年度大会,これらの成果を継承するとともに,日本古代国家の独自的性格を,「支配」の展開という観点から明らかにすることが,本年度大会の目的となる。「支配」体制の変質や地域社会における「支配」の受容という視角から,「秩序形成」されたものが,いかなる展開を遂げ,その後の国家・王権・地域社会へと繋がるのかについて迫ることを試みる。
 2015年度大会は昨年度大会に引き続き日本古代史部会単独の開催となる。当日は,多くの方々が参加され,活発な討議が展開されることを期待したい。(鈴木裕之)

中世史部会 

中世の法秩序と国制

中世史部会運営委員会から
 これまで日本中世史部会では、2008年度より紛争解決、都市支配、公家社会を切り口に、権力のあり方そのものについて検討を進めてきた。その成果を踏まえて、2011年度以降は地域と権力のあり方を問い直すとして、権力と村落(2011年度)、非常時対応と危機管理(2012年度)、地域権力の支配構造(2013年度)をテーマに、多様な地域権力や地域社会のあり方を解明した。
 そして直近の2014年度大会では、そうした多様な地域権力や地域社会が、いかにして中央政権の求心的な構造のもとに統合されるのか、あるいはされないのかについて、中央政権によって形成された種々の秩序に着目し、新たな権力論・国家論の構築を目指すこととなった。下村周太郎報告では、先例や故実の選択に表現される鎌倉幕府の歴史意識や自己認識の検討から、幕府権力をめぐる秩序のあり方を析出し、幕府内外からの期待や下支えに留意しつつ、幕府が朝廷とは各別の政権(関東)へと昇華していく過程を究明した。また木下聡報告では、室町幕府の家格や官途といった身分秩序から室町幕府の秩序編成のあり方を捉え、特に守護以下の諸勢力を注視して、幕府の儀礼的秩序と地域支配との相関関係を解明した。この両報告によって、新たな鎌倉・室町両幕府論を打ち出すことができたことは大きな成果といえる。
 しかし、その一方で、武家政権である幕府に議論の主軸を置いたために、朝廷や権門寺社の存在を十分に考慮できなかったことが反省としてあげられた。いうまでもなく、日本の中世社会には幕府のほかに朝廷や権門寺社が厳然として存在しており、相互補完と相克という矛盾をはらみつつも、一つの複雑な政治社会を形作っていた。したがって、上位権力による地域権力や地域社会の統合・不統合という上下間の問題であっても、幕府・朝廷・権門寺社の相互関係も射程に入れた方が、複眼的かつ立体的な議論が可能となる。また中世社会の秩序構造を考える上で、検断や土地所有といった法制史に関わる秩序の問題は避けて通れないが、昨年度大会では踏み込んだ議論ができず課題を残すことになった。以上の反省から、今年度大会では、昨年度大会の主旨を継承しつつ、地域権力や地域社会の統合・不統合の問題を、朝廷や権門寺社なども射程に入れて、法制史に関わる秩序から解明しようと考えるに至った。
 そこでまず議論の前提にしたいのが、部会テーマにもある法秩序と国制の両概念である。まず今年度大会でいう法とは、公家法・武家法・本所法といった成文法を始め、不文の法規範や人々の規範意識を含む総体的な概念であり、正当的暴力を分有する社会諸成員が持つ法の総体やそれによって形作られる秩序を法秩序と規定したい。また水林彪氏によれば、国制とは法制史や西洋史で用いられる広義の憲法(国家を包摂する社会の全体構造)に相当する用語であり、国制史の目指す基本路線は、社会諸成員によって分有されていた正当的暴力が国家に独占されていく社会の全体構造の変化を解明することにあるという。水林氏はこれを人的身分制的統合秩序から制度的領域国家体制へという理論的枠組みで体系立てた(『天皇制史論』岩波書店、2006年・『国制と法の歴史理論』創文社、2010年)。また新田一郎氏は、正当的暴力を基礎づける規範意識や法の問題について、非局所的な構造としての「公方」観念が13世紀末頃より現れたことで、中世における規範意識構造と法機能に大きな変容があったと、国制史上の重大画期を見出している(『日本中世の社会と法』東京大学出版会、1995年)。
 今年度大会は、こうした研究概念と研究成果を踏まえながら、前述の幕府・朝廷・権門寺社といった上位権力の政治的バランスや権力そのものの質的変化について、さらなる議論の深化を試みたい。というのは、そうした政治社会動向が、法秩序や国制のあり方を大きく変化させ、地域権力や地域社会の統合・不統合の問題をも大きく左右したと予見されるからである。
 そこで今年度大会は、上位権力の政治的バランスや質的変化に留意しつつ、各法秩序の構造と正当的暴力の存在形態から地域権力や地域社会の統合・不統合の問題を捉え、さらには国制を展望することにしたい。そしてこの様相を紐解くことができれば、中世前期の権門体制論や東国国家論、中世後期の公武統一政権論や室町幕府─守護体制論などに対して、法制史の立場から新たな議論を呼び起こすことができるものと期待される。
 以上の問題意識から、今年度大会は「中世の法秩序と国制」というテーマのもと、西田友広「中世前期の検断と国制」、松園潤一朗「中世後期の土地法秩序と国制─「安堵」の史的展開─」の2報告を用意した。
 西田報告では、中世前期の検断を題材とし、幕府・朝廷・権門寺社による検断の構造を、地域社会での検断との関係にも注意しつつ解明し、それらの多様な検断のあり方がどのように変化し、統合へと向かっていったのかを考究していただく。また松園報告では、鎌倉幕府法に比して歴史的位置づけが不十分な室町幕府法、特に土地法を題材に、鎌倉時代以来の多元的な土地所有秩序が安堵などの法制によっていかに変化したのか、また施行・遵行体制により多様な地域権力や地域社会がどのように再編され統合されたのか、あるいはされなかったのかを考究していただく。
 以上の主旨をご理解いただき、建設的な議論が行われることを期待する。なお、両報告の内容を理解する上で、以下の文献を参照されることをお願いしたい。(喜多泰史)

[参考文献]
西田友広『鎌倉幕府の検断と国制』(吉川弘文館、2011年)。
同「醍醐寺座主定済と悪党」(『鎌倉遺文研究』32、2013年10月)。
松園潤一朗「室町幕府の安堵と施行」(『法制史研究』61、2012年)。
同「室町幕府の知行保護法制」(『一橋法学』12-3、2013年11月)。
同「法制史における室町時代の位置」(『歴史評論』767、2014年3月)。

近世史部会 

18世紀の国家・社会と政治文化-「藩」をめぐる意識の形成と変容 -

近世史部会運営委員会から
 本年度の日本近世史部会は、昨年度に設定した「近世日本の内と外」というテーマを引き継ぎ、およそ18世紀から19世紀前半までを対象に、特定の言説やイメージを伴って「藩」をめぐる意識が浸透していく過程から、近世日本の「内」「外」の関係性に規定された政治文化のありようを探る。
 近年、近世日本を東アジアの共時性のなかに位置づける議論が提起され、その回路の一つとして政治文化が焦点となっている。そこで言う政治文化とは、法制・職制などの実態とともに、政治をめぐる諸観念、社会的文化的基盤などの総体である。これに関連して、儒学の適応性、「士」身分の性格、官僚制、国家儀礼・祭祀など、東アジア諸国との共通点・相違点が際立つ論点を中心に、議論が展開している。しかし、政治文化という概念とそれが射程とする議論は、いまだ近世史研究のなかに定着したとは言い難い。一つの時代、一つの社会を規定する政治文化を見極めるには、東アジアにおける比較は念頭に置きつつも、安易な本質論に陥ることなく、具体的な政治過程のなかでそれが現れ、機能する局面を丹念に跡づけることで、今後も議論を積み重ねていく必要があるだろう。とりわけ、東アジア近世の検討が、東アジア世界の経験を踏まえた「近代」の再考を含意している点を念頭に置くならば、①近世から近代へと向かう多様な時代相の変化を議論に組み込み、②近世日本の「内」「外」の関係性を視野に入れた多角的なアプローチから、実証の精度を高めていくことが課題になると考える。
 本企画は、上述の課題に留意しつつ、「藩」をめぐる意識の諸相に着目する。かつて幕藩制イデオロギー論が加賀藩の初期藩政改革から抽出されたように、大名が公儀の委任に基づき一定の自立性をもって領域統治を行う「藩」は、国家と社会の緊張関係が顕著に現れる場として、現在の政治文化論に連なる論点を提供してきた。 近年では、近世社会を構成する一要素として「藩」の実態を総体的に捉える視角が提起され、研究が活況を呈している。それは、社会の諸主体が織りなす関係の束が一定のまとまりをもって集約される場として「藩」を捉え、その外部との関係性をも問題とする視角であり、「藩」は、政治社会を多角的に検討し得る素材として、広く認識されるようになったと言える。同時に、そこで明らかとなる「藩」をめぐる諸関係の実態が、ある特定の言説やイメージに結実し、流布していくさまざまな局面─たとえば、家譜・地誌・記録類の編纂、家訓の成立と流布、大名の神格化など─にも議論が及んでいる。こうした「藩」をめぐる言説・イメージが形成され広がっていく局面をいかに捉え、そこに反映された諸階層の意識をいかに読み解いていくかが、個別的な政治の実態を越えて、社会に広く共有された政治文化についての理解を深化させる鍵となろう。
 これらの局面を考える上で、18世紀という文脈は無視しえない。かつて宝暦─天明期論は、農民の階層分解を軸に、幕藩制国家の解体、近代の起点をこの時期に見出した。現在では、その成果を引き継ぎつつも、由緒・地域意識の形成、書物による知の広がりなど、とりわけ人々の文化的な営為をも含めた、さまざまなレベルでの社会変容が指摘されている。換言すれば、社会の複雑化にともない、さまざまな主体とネットワークが形成され、新たなものの考え方、行動様式が生み出されていく動向が捉えられている。
 変容の契機は、「内」からだけでなく、「外」からももたらされる。対外交流が制限された国家体制のもと、異国船やキリスト教の存在は常に警戒の対象であり続ける一方、限られたパイプから流入する海外の文物は、18世紀を通じて徐々に社会に広がっていった。18世紀後半には、英・米・露など新勢力の環太平洋への進出により、近世日本を取り巻く国際環境は新しい段階へ入っていく。
 こうした近世社会の「内」「外」にわたる関係性の変容は、「藩」をめぐってどのような言説・イメージを作り出し、それらはどのように機能したのだろうか。本企画では、そこに込められた諸階層の「藩」をめぐる意識を読み解くことで、18世紀における国家・社会の変容に規定されて表出する、政治文化の特質を探りたい。
以上の問題意識に基づき、本年度は以下の両氏に報告を依頼した。
 小関悠一郎氏報告「明君像の形成と「仁政」的秩序意識の変容」は、大名明君像の形成と伝播・受容を伴いながら、各地で実施された政治改革を取り上げて、「仁政」的政治支配・秩序をめぐる葛藤のなか、18世紀後半以降形づくられた諸階層の政治・社会秩序意識のありようを明らかにする。具体的には、細川重賢・上杉治憲・松平定信らの明君録、および18~19世紀前半にかけての米沢藩政(改革)における政治支配の理念と実態を中心的な検討対象とし、近世中後期における国家意識・地域意識の変容を展望する。
 吉村雅美氏報告「近世日本における対外関係の変容と「藩」意識」は、18世紀の対外関係の変容が、異国船への対処を担った大名の自己認識形成に与えた影響を明らかにする。主な対象として平戸藩・対馬藩を取り上げ、幕府に対する政治的なアピールや家譜・地誌の編纂を通して、対外関係への位置づけを論拠とする領主像や儒学的な知識に基づく「藩」意識が形成される過程について検討する。そして、18世紀末以降の国際環境のなかでの「藩」「藩屏」言説の様態から、近世後期の日本における国家観を展望する。
 2報告を通じて、分野を横断した議論を喚起し、近世日本の政治文化論の可能性を広げる一助となれば幸いである。活発な議論を期待したい。(児玉憲治)

[参考文献]
小関悠一郎『〈明君〉の近世─学問・知識と藩政改革─』(吉川弘文館、2012年)。
吉村雅美『近世日本の対外関係と地域意識』(清文堂出版、2012年)。

近代史部会 

戦後70年からの問い直し―象徴天皇制・植民地支配の未清算・植民地認識― 

近代史部会運営委員会から
 本年度の近代史部会は、「戦後70年からの問い直し─象徴天皇制・植民地支配の未清算・植民地認識─」と題し、戦後の日本が解決することなく現在まで積み残してきた問題に焦点を当てることで、戦後史に新たな地平を拓くことを試みる。
 昨年、第二次安倍政権は、特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定を強行した。歴史学研究会では、このような状況に対し声明を出す一方、『歴史学研究』920・921号(7・8月号)において「「戦後日本」の問い方と世界史認識」と題した特集を組み、12月13日にはシンポジウム「歴史学の課題としての戦後日本/平和主義」を企画し、戦後日本をめぐる問題を世界史的な動向のなかで考察し、その問い方を鍛え直す必要性を提起した。
 当部会では、このような課題を重く受け止め、戦後日本を問い直すためのキーワードとして、象徴天皇制、植民地支配の未清算、植民地認識を掲げる。これらは、敗戦後、日本が連合国による占領を経て、サンフランシスコ講和条約の締結により、冷戦体制下の国際社会に復帰するなかで看過されてきた問題である。天皇を国家の頂点に置いた天皇制国家における支配構造は、戦後の民主化のもとで変革されたが、日本はこれらが抱えた矛盾や問題を新たな統治構造のなかに内包し、正面から向き合うことはなかった。そうした戦後日本のあり方は、象徴天皇制の展開過程や植民地支配を受けていた地域との関係性においてこそ浮き彫りとなる問題と言えよう。
 本年は、戦前の日本がアジア・太平洋戦争で敗戦して70年目の節目にあたる。当部会としては、近年進展してきた同問題に対する政治史、社会史・思想史、外交史、個人史的な歴史研究の成果に基づき、戦後日本を改めて問い直す好機と捉え、以下三つの論点をもとに議論を展開していく。
 第一は、象徴天皇制の問題である。敗戦後、新憲法の施行によって象徴天皇制は成立した。敗戦を経てもなお日本は天皇制の存続を選択し、人びともそれを支持した。しかし、「象徴」という曖昧な概念のもとで形成と定着の過程を辿った象徴天皇制には、戦前のイメージを引きずる昭和天皇の存在が重くのしかかり、それは、天皇の戦争責任論や退位論の発生に現れた。そうした象徴天皇制の展開と昭和天皇をめぐる議論が交錯する時期を検討することで、戦後の日本社会の問題に迫りたい。
 第二は、未清算となっている植民地支配の問題である。日本の戦争犯罪は極東国際軍事裁判で裁かれたが、台湾や朝鮮などの植民地支配の問題は追及されなかった。当部会は、2011年度に「植民地責任」論の研究成果を引き継ぐ形で「植民地認識を問い直す」を企画した。そこでは、植民地支配を受けた社会の側がどのような変化を余儀なくされたのかを検討し、植民地主義の継続を不可視化する構造の問題に迫った。本年は、制度的な支配が終わった脱植民地化の過程においても植民地支配の問題が未清算のまま残り続けた事実を重視し、講和条約締結の後に植民地支配の清算のあり方をめぐって展開された日韓国交正常化交渉の過程を事例に解き明かす。
 第三は、人びとの植民地認識の問題である。敗戦に伴う帝国日本の勢力圏の変動は、帝国内で暮らしていた人びとに再び移動をもたらした。その一つが引揚げであり、それは戦争に翻弄された人びとの悲劇の歴史として広く記憶され、同時に植民地に対する加害者認識の欠如の問題をも包含するものであった。しかし、これまで引揚者が日本社会にどう包摂され排除されていったのか、そのなかで植民地での経験をどう記憶し語ったのかは課題として残り続けた。引揚者の記憶の語りは、戦後の日本社会における人びとの植民地認識の実相にも迫りうるものであり、それを満洲引揚者の事例から見ていく。
こうした観点から本年度は、歴史学から河西秀哉氏と太田修氏、歴史社会学から佐藤量氏に報告をお願いした。
 河西氏「戦争責任論と象徴天皇制」は、敗戦後、「象徴」へと天皇制が変化する中で戦争責任論・退位論はいかにその制度の形成と関係があったのか、また象徴天皇制の展開過程において「象徴」の内実にどのような影響を与えたのかを、1960年代までを射程に入れ、それぞれの時期の戦争責任論・退位論と象徴天皇制の関係性を論じる。
 太田氏「日韓財産請求権経済協力構想の再考」は、1965年に締結された日韓条約がなぜ日本の植民地支配を清算するものとならなかったのかを、第5次、第6次会談における日本政府の認識や方針を中心に検討する。主に、財産請求権問題が経済協力により処理されたことに注目し、日本政府内で経済協力構想が方針として確定されていく過程を、欧米の植民地支配処理との連関性に注意を払いつつ論じる。
 佐藤氏「満洲経験の記憶と変遷」は、戦後の日本社会において満洲引揚者が置かれた状況と、当事者による満洲表象の変遷について考察する。とりわけ、継続的に記憶を書き残してきた満洲都市部の学校出身者らに注目し、彼らが戦後に記述してきた『同窓会誌』の分析から論じる。
 三氏の報告に対しては、日本近現代史から吉田裕氏、比米関係史から岡田泰平氏にコメントをお願いした。当日の活発な議論を期待したい。(舟橋正真)

[参考文献]
河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』(講談社〔選書メチエ〕、2010年)。
太田修「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」(李鍾元ほか編『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ 脱植民地化編』法政大学出版局、2011年)。
佐藤量「植民地都市をめぐる集合的記憶─「たうんまっぷ大連」の形成プロセスを事例に─」(『Core Ethics』第4号、2008年)。
永原陽子編『「植民地責任」論─脱植民地化の比較史─』(青木書店、2009年)。

現代史部会 

「難民」をめぐる国際政治と「人道主義」

現代史部会運営委員会から
 近年、現代史部会は「離散者が問う戦後世界像」(2008年)、「脱植民地化の困難にむきあう」(2011年)、「脱植民地化と現代史の再検討─1960-70年代の世界構造─」(2014年)などの企画を通じて、帝国主義および植民地主義の継続・再編という視角から第二次世界大戦後の歴史を問い直す試みを続けてきた。こうした問題意識を踏まえつつ、2015年度部会では、両大戦間期から冷戦期にかけて帝国・植民地支配体制の再編の影響を受けて出国を迫られた人々に注目し、送出国および受け入れ国の政府、移動に関与する国際・国内諸組織などの多様なアクターを視野に入れたうえで、人の国際移動の現代史について考察したい。
 政治的要因による国際的な人口移動の現代史を考えるためには、戦間期まで遡った分析が必要となろう。というのも、このような形での移住を迫られた人々を「難民」という独自のカテゴリーに区分し、「人道」問題として国際的な保護・介入の対象とする現行の制度は、第一次世界大戦によって引き起こされたヨーロッパおよび中東での複数の帝国の崩壊と、それに伴う国際秩序と国家体制の大規模な再編を契機として戦間期に形成されはじめ、第二次世界大戦後の植民地帝国の解体・再編と冷戦を背景に定着したからである。
 難民、「引揚者」、旧宗主国在住の旧植民地出身者といった、国外退去を迫られたさまざまな人々の国際移動および再定住に対する取り組みを「人道」的措置として正当化する論理は、第二次世界大戦後に各国政府や国際組織のあいだに広まった。しかしながら、このような多様かつ複合的な人流が「人道」問題として一般化されたことで、その背景にある植民地支配の歴史や冷戦下での軍事的暴力はしばしば不可視化されてきたといえる。また、冷戦期には難民の受け入れが各国で制度化される一方で、植民地帝国の解体に伴い、旧宗主国と旧植民地のあいだの移動の制限が強化される傾向があったことも無視できない。これは、かつての植民地帝国の「国民国家」への再編と福祉国家化の過程で、どのように「国民」の境界が再設定され、そこから旧植民地出身者がいかに排除されてきたのかを問い直すうえでも重要な視点であろう。
  したがって、ここでまず具体的な事例に則して問うべきことは、戦間期から冷戦期における帝国・植民地支配体制の再編と、同時期に生じた国際的な人の移動との関係である。この問題についての実証・比較分析を通じて、既存の政治秩序が変動した結果として生じた人の国際移動を国際的な枠組みで処理することがどのように正当化されてきたのか、そしてそこに「人道」という概念がいかに組み込まれてきたのかを再検討することが可能となろう。それはまた、このような移動を「帰国」や「亡命」として受け入れた人々の選択について捉え直す機会ともなるはずである。このような問題関心に基づき、今年度の現代史部会は、以下の報告から構成される。
 舘葉月氏には、「国際的『難民』保護の始まりをめぐる考察─第一次世界大戦から国際連盟創設期を中心に─」と題してご報告いただく。第一次世界大戦やロシア帝国の崩壊によって引き起こされた難民問題に対処するための国際的な援助体制の構築過程に関する研究から、「人道」という概念が両大戦間期の国際政治において持った意味について論じていただく。
 朴正鎮氏には、第二次世界大戦後の在日朝鮮人の「帰国事業」を事例に、「在日朝鮮人『帰国問題』─新しい論点と課題─」と題してご報告いただく。国籍の剥奪と滞在資格の不安定化ののちに実施された旧植民地出身者の旧宗主国からの排除が、「祖国」への「帰還」を促す「人道」的政策として正当化されていった過程の分析を通じて、植民地帝国の解体の過程における「国民」と「外国人」の境界の再編を問題化していただく。
 佐原彩子氏には、「合衆国難民政策の人道主義と新自由主義的世界秩序─インドシナ難民の受け入れを事例に─」と題してご報告いただく。ベトナム戦争の結果として生じた難民をアメリカ合衆国がみずから受け入れることによって、自国の「人道」性を内外に向けて強調する一方で、インドシナへの介入そのものも正当化してきた過程に注目することで、冷戦下での難民受け入れ政策と軍事的暴力の密接な結びつきについて論じていただく。
 以上の3報告は、対象とする時期および地域を異にするが、いずれも戦争を契機とした政治体制の変動に伴う人の国際移動をめぐる、関係各国および国際機関、さらに移動した人々自身をも巻き込んだ政治過程について、「人道主義」という視角から論じるものである。第一次世界大戦後、第二次世界大戦後および朝鮮戦争停戦後、ベトナム戦争後という、20世紀のさまざまな「戦後」にそれぞれ焦点を当てたこれらの議論を重ねあわせることによって、両大戦間期から冷戦期までをつなぐ歴史叙述を可能にする視座が提示されよう。多地域、多分野からの積極的な参加をぜひともお願いしたい。(戸田山祐)

[参考文献]
舘葉月「内戦期ロシア難民とフランス、1918-1929年─難民援助のための国際的枠組みの構築─」『史学雑誌』117編1号、2008年1月。
同「フランス抑留ドイツ人捕虜帰還をめぐる国際世論の形成─1918年11月-1920年3月─」『歴史学研究』 905号、2013年5月。
朴正鎮『日朝冷戦構造の誕生─1945-1965─』平凡社、2012年。
佐原彩子「帝国主義政策としての難民救済─ベトナム戦争終結においてOperations New Life/Arrivalが果たした役割─」『アメリカ史研究』33号、2010年。
同「日本における『インドシナ難民』概念の問題点」『移民研究年報』19号、2013年。
同「自立を強いられる難民─1980年難民法成立過程に見る『経済的自立』の意味─」『アメリカ史研究』37号、2014年。

合同部会

分裂と統合の場としての教会会議 

合同部会運営委員会から
 人が集団を形成し、その集団が拡大するとき、程度の差こそあれ、そこには不可避的に多様性が内包されることになる。そうした多様性は折に触れて顕在化し、集団に不調和をもたらすため、集団内部で従うべき規律の制定や構成員の組織化といった試みが繰り返しなされる。それでも集団が分裂を経験する場合には、相互に他者化が行われることもあれば、ときには集団の再統合が図られることもある。
 こうした人間集団のあり方は、時代や地域を問わず普遍的に見いだされる。しかし、集団内部における多様性とその内外の諸権力が織りなす関係性の構築過程において、それを歴史の中でもっとも典型的に体現するもののひとつはキリスト教の場合であろう。キリスト教が地中海世界を起点として普及する過程で、信仰を共有する人々の中に、強い一体感と帰属意識が生まれた。その一方で、教義であれ、倫理的規範であれ、教会のあり方であれ、多様性とそれに起因する対立は、ときに世俗の政治権力と絡み合いながらさまざまな形で噴出し続け、またそれを克服するための幾多の試みがなされてきた。
 そしてその統合を試みる場として寄与してきたのが教会会議であった。高位聖職者や時に地元の有力者、さらに皇帝のような俗界の最上位層までもが顔を合わせた場である教会会議は、特定の地域におけるローカルなものから、世俗の政治的枠組みを超えたものまでさまざまな規模で開かれ、各々の時代・地域を取り巻く状況の中で変容しながらも、古代から今日に至るまで、キリスト教教会における伝統として生き続けている。このように、キリスト教社会の多彩な地域・時代のあり方を反映してきた教会会議は、キリスト教を巡る分裂と統合という問題を比較・分析する際の一つの対称軸として期待できる。
 ただし、教会会議を単なる統合の場としてのみ捉えることはできない。統合の試みであったはずの討議や決定事項が、新たな争いの火種を生むことさえあったからである。そもそも、教会会議が「正統信仰」なるものを定めるということは、そこに内包しきれない異質な要素を排除・排斥するということを意味する。また、世俗の政治的利害関係や教会内部の権力関係といった要因が、会議の趨勢に決定的な影響を及ぼしたこともあれば、教会会議の決定が、教会内外に多大な影響を及ぼしたこともあった。教会会議で展開されたのは、共同体の統合を目指す一方的な動きではなく、分裂と統合の両方の動きの複層的なプロセスである。そして教会会議の場は、教会内外の多彩なアクターの利害関係と思惑が交錯する一つの結節点である。このように教会会議を捉えることは、キリスト教を取り巻く分裂と統合の複雑な諸相を多角的に分析することにつながるだろう。
 そこで、2015年度の合同部会では、さまざまな時代・地域を対象としている研究者が一堂に会し議論する場の利を得て、時代の転換点とみなされる宗教改革以前の時代、すなわち古代・中世における教会会議を中心として繰り広げられた複雑な分裂と統合の動きにスポットを当ててみたい。そして、複数の対象を比較・考察することで、それぞれの時代的・地域的背景を意識しながら、各々の教会会議を取り巻く環境の特異性をも炙り出し、その歴史的意義について議論していきたいと考えている。
 以上のような問題意識に基づき、今年度の合同部会は「分裂と統合の場としての教会会議」と題し、大谷哲氏、藤崎衛氏、橋川裕之氏の3名に報告を依頼した。
 大谷報告「カルタゴ司教キプリアヌスと3世紀中葉北アフリカにおける教会会議」では、紀元後251年、皇帝デキウスが発した布告によりもたらされたキリスト教会における分裂を扱う。帝国の安寧のため全ローマ市民に神々への供儀を課した同布告により、供儀を実行した教徒の処遇をめぐり教会内で見解の相違が生じた。報告では、当時の司教キプリアヌスが残した書簡をもとに、彼が教会会議によって北アフリカ教会を司教権力による新たな形で統合していく過程を明らかにし、古代における教会会議の機能を解明する。
 藤崎報告「中世カトリック世界の重層的アイデンティティ─12・13世紀の教会会議言説の分析─」では、中世中期(12・13世紀)における教会会議開催の背景に潜む種々の問題、宗教規律、異端、皇帝権との対峙、ギリシア教会との分裂、イスラームやモンゴルの脅威などに着目し、その根底にカトリック世界がその圏域の内と外それぞれにおける宗教的あるいは政治・外交的事柄に関して抱いていた自己認識と他者認識の表出をみる。そしてそうした中世中期のカトリック世界が備えていた重層的アイデンティティを、教皇庁が会議開催のために発した史料などから読み解き、キリスト教共同体の受容と排除の力学を解明することをめざす。
 橋川報告「皇帝権力とテクスト─第2リヨン公会議へのビザンツの反応について─」では、ローマ・カトリック教会とビザンツ教会の合同が決議された1274年の第2リヨン公会議を扱う。ビザンツにおいてこの会議における合同は皇帝ミハイル8世が帝国の保全を第一の目的として推進したものであり、彼自らその政治的意図を示しつつ国内の聖職者らに容認を求めたものであった。報告では、両教会の合同に関連してビザンツ国内で作成された種々のテクストに注目し、皇帝と合同反対派の双方がどのような手法とレトリックで主張の正当化を試みたのかを考察する。
 「グローバル化」の進展によって新たな対立が生まれ続けている現代にあって、今回のシンポジウムのテーマは、極めてアクチュアルな問題に関わるものであり、我々に多くの示唆を与えてくれるだろう。シンポジウム当日は、時代・地域・専門分野を越えて多くの方にご参加いただき、活発な議論が展開されることを期待したい。(合同部会運営委員会)

特設部会 

地域から世界へ-危機の時代の歴史教育を考える- 

委員会から
 いま,新自由主義の席巻によって日本では社会的な格差が深刻化し,多くの人々の生存が脅かされている。新自由主義をリードする財界・産業界の要請を背景に,大学への「グローバル化」の圧力もいっそう高まっている。ここでの「グローバル化」の内実は,大企業に「役に立つ人材」を供給し,またその経済的利潤に直結する研究を推進することにほかならない。
 2014年8月に国立大学法人評価委員会が示した「『国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点』について(案)」をめぐっては,ついに「教員養成系,人文社会科学系は,組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を図るという発言まで出るに至った。国立大学ではいまや歴史学はその存在自体が抹殺されようとしている。これは単に国立大学のみの問題ではなく,日本の学術全体の問題である。
 一方,高校においては,大学入試制度の強い影響下で,細かな暗記を中心とした歴史教育が依然として主流であり,生徒たちの歴史(とりわけ世界史)への関心や思考力を育てるのが困難な状況にある。2006年の「世界史未履修」問題の発覚は,このような高校歴史教育の現状を反映したものであった。
 それを逆手にとるかのように,文部科学大臣は2014年11月,「日本史の必修化の扱いなど地理歴史科の見直しの在り方」を中央教育審議会に諮問した。こうした「見直し」は,高校における世界史必修の廃止につながるとともに,いわゆる「歴史認識問題」で排他的なナショナリズムを強化しようとする傾向が文科省・中教審サイドに顕著であることをうかがわせる。「慰安婦」問題に顕著な一部マスメディアの歴史修正主義・反知性主義と相まって,日本の人々の歴史認識がますます偏狭なものとされるおそれがある。
 目先の利害にとらわれ,人類の未来を過去との関係で反省的・主体的にとらえることを回避した歩みがいかに危険であるかは,3.11の東日本大震災と原発事故によっても,あますところなく示されたはずである。歴史学の重要性がいまほど問われるときはない。
 歴史学研究会はこれまで,世界史的な視野に立って新自由主義を批判的にとらえ返し,また歴史をないがしろにする政府の策動などに抗して独自の知見を提示してきた。3.11以降は,毎年の大会で,関連する特設部会を開催している。2012年度から2014年度まで3回にわたるそのテーマは,「災害の「いま」を生きることと歴史を学ぶこと─3.11以降の歴史学はいかにあるべきか─」「3.11後の「復興」と運動を問う」「資料保全から歴史研究へ─いま,歴史研究に何ができるか─」であった。
 これらの取り組みを踏まえつつ,今回は歴史教育に注目し,高校・大学における授業のデザインと実践,そして歴史認識の共有といった諸問題を見通す企画を準備した。いま歴史教育に求められているのは,世界史的な視野で自らの社会や国家をとらえ,歴史認識を他者とともに深め合い,人類社会の未来を主体的に考えることのできる市民を育てることである。その実現に向け,歴史研究者・歴史教育者が直面する問題について議論するのが,本特設部会の目的である。
 この目的のもと,次の4名の方々に報告していただく。
 三谷博「高校教育の科目「歴史基礎」を考える」。高校の新科目「歴史基礎」をめぐる日本学術会議での議論を踏まえ,人文学無用論に対抗しうるカリキュラムや教育方法などについて提起する。
 高澤紀恵「歴史教育の可能性を求めて」。「グローバル人材」の養成を急ぐ「大学ガバナンス改革」の問題性を確認した上で,日本史/東洋史/西洋史の枠組みを超えた大学での授業実践や,研究者のネットワーク作りについて提示する。
 福田和久「震災・原発事故災害を現代史学習の一項目に」。3.11の震災・原発事故を経験した福島の高校での歴史教育実践について,生徒の側の認識も含めて報告する。福島という地域から世界へと視野が広がっていくだろう。
 齋藤一晴「歴史認識の共有とはどのようないとなみか─歴史教育を国境を越えて問い直す─」。日中韓3国間の歴史認識の共有に向けた歴史教育のあり方の模索と,その中で浮き彫りとなった諸課題について論じる。
 以上の4報告を相互に関連させることで,危機の時代における歴史教育を総合的にとらえる基盤となるだろう。すべての歴史研究者・歴史教育者に積極的な参加を呼びかけたい。(研究部)

[参考文献]
三谷博「高校教育の科目「歴史基礎」を考える」①~③(『日本歴史』793・795・796、2014年6、8、9月)。
高澤紀恵「歴史学が存続するために」『歴史学研究』922、2014年9月。
同「過去は誰のものか」『思想』2014年8月。
福田和久「福島になぜ原発が作られたのか」(『歴史地理教育』792、2012年7月)。
同「被災二年目を迎える福島」(『歴史地理教育』802、2013年3月)。
同「原発事故を風化させないために」(『歴史地理教育』814、2014年3月)。
齋藤一晴「東アジア共通歴史教材の作成から東アジア史へ」(『歴史学研究』906、2013年6月)。
同『中国歴史教科書と東アジア歴史対話』(花伝社、2008年)。