2014年度歴史学研究会大会

会場:駒澤大学駒沢キャンパス

第1日目 5月24日(土) 

全体会 いま、歴史研究に何 ができるかⅡ-歴史研究という営みを掘りさげる- 

  文字のかなたに声を聴く-声からの/声に向けての史料論 -…………………………… 大黒俊二
  歴史資料としての手紙の可能 性……………………………………………………………… 岩城卓二
  〈歴史教師〉の不在-なぜ「歴史教育」なのか -………………………………………… 今野日出晴

第2 日 5月25日(日)  

古代史部会 日本古代の国家と支配秩序 

  日本古代支配秩序の構築と国 家……………………………………………………………… 中村友一
    コメント:関根淳・武廣亮平    

中世史部会 中世の権力と秩序形成

  鎌倉幕府の歴史意識・自己認識と政治社会動 向………………………………………… 下村周太郎
  室町幕府の秩序編成と武家社 会………………………………………………………………… 木下聡

近世史部会 東アジアにおける海域秩序の変容と近世日本の対外政策

  近世日本のキリシタン禁制-地球的世界と国家・民衆 -………………………………清水有子
  幕府対外政策と東アジア再編-異国船問題の政策継承 -……………………………松尾晋一

近代史部会 「寛容」と嫌悪を問い直すためのクィア史

  エフェミナシー・フォビア -誰が「非男」とされたのか-……………………………… 内田雅克
  〈性愛と友愛〉の境界線の政治学-イギリスにおける女同士の絆の(不) 可視化-… 野田恵子
    コメント:星乃治彦・成田龍一

現代史部会 脱植民 地化と現代史の再検討-1960-70年代の世界構造-

  植民地支配と現代の暴力-ザンビアとジンバブウェ -……………………………… 小倉充夫
  独立期アフリカに対するイギリス援助政 策…………………………………………… 前川一郎
    コメント:倉沢愛子・荒川章二

合同部会 フロンティアとアイデンティティ

  帝政期ローマのフロンティア-「ゾーン」としての辺境と剣闘士競技 -……………… 佐野光宜
  カスティーリャとグラナダとの狭間で揺れ動くひとびと-「境域」民の振 る舞い-… 黒田祐我
  スペイン領アメリカにおける逃亡者コミュニティの生 成………………………………… 伏見岳志
  フロンティアから、そして、またフロンティアへ-サファヴィー朝支配下 グルジアの経験から- 前田弘毅
    コメント:古谷大輔

特設部会 資料保全 から歴史研究へ -いま、歴史研究に何ができるか-

  地域の史料と向きあう-フィールドワークと郷土を愛すること -……………………… 平川新
  歴史資料保全と「ふるさとの歴史」叙述-宮城での経験から -…………………… 佐藤大介
  被災資料と歴史教育、そして歴史研究へ-茨城での取り組みから -…………………高橋修 
  被災歴史資料と災害資料の保存から歴史研究へ-地域の過去と未来をつな ぐために-…奥村弘

全体会

 いま、歴史研究に何 ができるかⅡ -歴史研究という営みを掘りさげる-

委員会から
 「いま、歴史研究に何ができるか」
 これは、歴史研究に関心をもつすべての人に向けられた、もっともラディカルな問いである。本年度の大会(全体会・特設部会)では、改めてこれをテーマに 掲げることとした。
 いうまでもなく、歴史研究のあり方を問うという問題意識は、本会が一貫して追求してきたものである。この10年ほどの大会をふりかえってみても、 2002年度からは、一方ではグローバリゼーションの進展、他方では「新自由主義」的な政治「改革」が進行しつつあるという状況認識を踏まえて、それにい かに抗すべきかという危機感をもって全体会を設定した(~2004年度)。これを引き継ぎ、「新自由主義の時代」のいま、歴史研究に何ができるのか、とい う課題に挑んだのが、2008、2009、2012年度大会であった。たとえば、そこで提起された、「生存」「いのち」に足場をおいて対抗していこうとい う議論が──対抗運動と歴史研究の両方に棹さすものとして──、新たな研究潮流を産み出しているのは周知のとおりであろう。
 また、本会は2012年12月に、創立80周年を記念して「歴史学のアクチュアリティ」をテーマに掲げたシンポジウムを開催した。これは、現代社会に対 して歴史研究が果たす役割は何かを、真摯に問い直そうとするものであった。2013年3月には、合同シンポジウム「国境を越える歴史認識を求めて」(歴史 科学協議会・歴史教育者協議会・早稲田から広げる9条の会と共催)を開催し、『新しい東アジアの近現代史』(上・下巻、日中韓3国共同歴史編纂委員会編、 日本評論社、2012年)を題材に議論を行った。その後も、同年5月の大会で特設部会「3.11後の「復興」と運動を問う」を開催。12月には日本史研究 会との合同シンポジウム「慰安婦問題を/から考える──軍事性暴力の世界史と日常世界──」を開き、さらには総合部会例会「法と人権の歴史を再考する── 日本・アジア・ヨーロッパの事例から──」(2014年3月)を催し、現在にいたっている。この2年ほどの本会の取り組みは、まさに、歴史研究の実践的役 割を果たそうとしたものと意義づけることができよう。
 そのようななか、あえて、「いま、歴史研究に何ができるか」というテーマを掲げるのは、歴史研究という営みそのものに焦点をあわせて議論したいと考える からである。意図するところを明確にするために、同じテーマで開催された2006年度大会を引き合いに出せば、そこでは「マルチメディア時代と歴史意識」 という副題をつけて、「いま」=「マルチメディア時代」と規定している。その上で、17、18世紀のメキシコと日本、エジプトの歴史叙述に着目し、「歴史 の語り手と受け手とはいかなる存在であり、相互にいかなる関係を結びながら歴史を「実践」してきたのか」を考察することによって、「現在われわれが置かれ ている状況を相対化」しようとした。それに対して、本年度は、あえて「いま」がどういう時代なのかを、あらかじめ規定しないことにした。歴史研究という営 みを掘りさげそのあり方を議論することを通じて、「いま」が見えてくるはずだと考えたのである。
 具体的には、歴史研究を成り立たせている3つの営み──すなわちⅠ.史料とは何か、史料をどう読むのか(史料論)、Ⅱ.歴史をいかに叙述するのか(方法 と歴史叙述)、Ⅲ.歴史をいかに学び、いかに教えるのか(歴史意識と歴史教育)──に光を当てて総合的に考察する報告を、3名の方にお願いした。
 まず登壇いただくのは、西洋中世史を専門とする大黒俊二氏である。氏はこれまでに、西欧中世における「声」中心の社会から「文字」優勢の社会への転換を 指摘されているが、その成果を踏まえながら、「文字のかなたに声を聴く──声からの/声に向けての史料論──」という報告を準備いただいた。
 続いて、日本近世史研究者の岩城卓二氏に「歴史資料としての手紙の可能性」というタイトルで報告していただく。これは、島根県大田市大森町(石見銀山を 支配した大森代官所が置かれた陣屋町)で見出された膨大な手紙を素材に、史料としての手紙の可能性について考えようとするものである。
 最後は、歴史教育を専門とする今野日出晴氏に、「〈歴史教師〉の不在──なぜ「歴史教育」なのか──」という刺激的なタイトルの報告を準備していただい た。〈歴史教師〉はいかにして歴史を叙述する主体になりえるのかという問題提起は、従来の歴史研究と歴史教育のイメージをゆさぶるものとなろう。
 本年度の全体会では、3つの報告を相互に連関させて、歴史研究という営みを根本から再点検してみようと思う。こうした問題設定は、一見すると、「いま」 の喫緊の諸問題から距離を置くものとみえるかもしれない。だが、私たちがこの困難な時代を生き抜き、時代を読み解き、「変革の扉を押し開くために」 (2012年度大会テーマ)は、まず歴史研究の方法を鍛えしっかりと足場を固めることが必要である。歴史研究と歴史教育に関心をもつすべての方々に、本大 会への参加を呼びかけたい。(研究部)

[参考文献]
大黒俊二『声と文字』(〔ヨーロッパの中世6〕岩波書店、2010年)。
同「古文書学から史料論へ」(齋藤晃編『テクストと人文学──知の土台を解剖する──』人文書院、2009年)。
岩城卓二「掛屋と代官所役人」(宇佐美英機・藪田貫編『〈江戸〉の人と身分 1 都市の身分願望』吉川弘文館、2010年)。
同「幕末期畿内社会論の視点」(『日本史研究』603号、2012年11月)。
今野日出晴『歴史学と歴史教育の構図』(東京大学出版会、2008年)。
同「歴史を綴るために──〈歴史教師〉という実践──」(『思想』1036号、2010年8月)。
同「「歴史意識」を考えるために──「現代とはなにか」という問いかけから──」(本誌899号,2012年11月)。

古代史部会 

日本古代の国家と支配秩序

古代史部会運営委員会から
 これまで、古代史部会では、1973年度大会において在地首長制論を議論の基軸として以来、80年代後半からは王権論、90年代に入ると地域社会論と いった視点を取り入れ、1997年度大会からは国家・王権・社会の実態と相互関係とを総体的に考察し、古代国家の成立・展開について理解を深めてきた。
 そのなかで、2004年度大会以降は、従前の路線を批判的に継承しつつ、たびたびテーマに「秩序」を用いて議論を重ねてきた。なかでも、2010年度大 会以降は「秩序形成」に焦点を当て、視野を、東アジアにとどまらず、東部ユーラシアや北方にまで広げることにより、「外」とのつながりが列島「内」におけ る「秩序形成」や支配のあり方に対して作用した様相を分析した。2010年度大会「古代における交流と秩序形成」において、廣瀬憲雄氏は東部ユーラシア諸 国と倭国・日本との外交関係を、蓑島栄紀氏は北方社会と倭国・日本との関係を扱うことにより、古代における外交・交流の多元性を明示した。さらに、 2011年度大会「古代における交流と秩序形成Ⅱ」では、中林隆之氏が仏教、皆川雅樹氏が唐物を取り上げ、「外」との多様なつながりが列島「内」の「秩序 形成」に果たした役割を明確にした。そして、2012年度大会「古代における秩序の形成と展開」では、江草宣友氏が日本における渡来銭の受容過程を含めた 銭貨の変遷について分析し、外交・交流による産物としての銭貨が、古代から中世にいたる「秩序」の形成・展開に与えた影響を明らかにした。
 これらの議論を受けて、2013年度大会「日本古代における秩序の形成と展開」では焦点を列島内の事象に戻して、長谷部将司氏が氏族秩序を中心に、榎村 寛之氏が神祇祭祀を中心に、それらと国家・王権との関係性がいかに展開したのかを検討し、列島内における「秩序形成」とその展開過程について論じた。両報 告により、列島内において国家・王権へ向かう力と、国家・王権から各地域へはたらく力の様相が観念的側面から析出され、貴族層と在地首長層とによって天皇 を中心とする共同幻想が共有されながら、日本古代の「秩序」が形成・展開していった過程が描き出されたと考える。
一方で、「秩序形成」を検討した近年の大会諸報告では、主に律令国家成立以後を考察対象としており、それ以前の事象をあまり正面から扱うことができなかっ た。したがって、律令国家成立以前における列島内についての検討が課題として残されているといえよう。
 このことを念頭に置くとき、律令国家成立以前に列島内に存在していた諸制度と、国家の成立という問題とがどのように連関するのかを検討する必要があるも のと思われる。そもそも、国家それ自体が「秩序」の根幹と密接に関わる一大要素であり、「秩序形成」を論じるには国家の成立という論点を避けては通れな い。近年の大会における「秩序形成」をめぐる議論では、主に律令国家成立以後を考察したために国家の成立を主要な論点にする必要はなかった。しかしなが ら、律令国家成立以前の「秩序形成」について論じる際には、国家の成立といった点を扱う必要がある。
以上のような問題意識に立脚し、本年度大会では、近年の「秩序形成」の議論を継承しながら、日本古代における国家の成立や国家による支配のあり方といった 課題と真正面から向き合うため、「日本古代の国家と支配秩序」というテーマを設定し、中村友一氏「日本古代支配秩序の構築と国家」を用意した。
 中村報告は、「公」と「私」の弁別を国家成立の指標の必要条件とし、「公」を形成する官制と「私」を枠組みする制度とが社会・人民を覆うことをもって国 家の成立と見なした上で、日本の古代国家の成立について論じる。そこでは、氏姓制・部制・国造制などを国家成立の指標たり得る根幹の制度と位置づけ、それ ら諸制度の検討を通じて、古代国家の成立とそれによる支配の展開過程を総体的に描こうとする。
 これにより、日本古代における、国家という「秩序」の形成・展開過程を新たな観点から描出できるものと考える。また、近年の大会での諸成果を踏まえた上 で、律令制導入以前に列島内で確認される諸制度の変遷を扱うことで、日本の古代国家の特質を析出できるだろう。
 かつて、2008年度大会において関根淳氏「古代の天皇制と政変・国家」は、律令国家の成立や支配観念・「秩序」を関わらせながら、日本の古代国家の根 幹に位置づけられる天皇制の成立を政争史の観点から論じた。中村報告は、国家を主な考察対象とするものとしてはそれ以来の報告となるが、近年の大会報告で 描き出されてきた多様な「秩序」のあり方を踏まえつつ、国家という「秩序」の根幹に迫ることを試みる。これによって、近年の大会報告で繰り返し言及してき た「秩序形成」についての議論をひとまず総括してみたい。そして、なによりも、全体像を描くことの難しさが語られて久しい現在の日本古代史研究に光明を与 えるものとしたい。
 なお、当日は関根淳・武廣亮平両氏からコメントをいただく予定である。
2014年度大会は昨年度大会に引き続き日本古代史部会単独の開催となる。当日は、多くの方々が参加され、活発な討議が展開されることを期待したい。(岩本健寿)

中世史部会

中世の権力と秩序形成

中世史部会運 営委員会から
 中世史部会では、2008年度より、紛争解決、都市支配、公家社会を切り口に、権力のあり方そのものについて検討を進めてきた。それを踏まえて2011 年度大会以降は、権力と地域とのあり方を問い直すとして、権力と村落(2011年度)、非常時対応と危機管理(2012年度)をテーマに議論を深めてき た。
 2013年度大会では、同様の視角を継承しつつ、地域支配の構造を明らかにするため、守護や戦国大名等の存在を手がかりに、地域権力の展開過程と社会的 位置の解明をめざした。大薮海報告では、室町期における地域権力の多様性を検討し、それらを「知行主」として室町幕府体制に位置づけ直すこ とで、中世後期の社会構造を明確なものにした。平井上総報告では、中近世移行期における兵農分離の実態解明をとおして、地域権力の支配と統一政権の政策と の関係を明らかにし、地域権力における戦国期と近世の連続性を指摘した。両報告によって、地域権力の支配構造について実態的に明らかにしえたと考える。
 しかし、一方で、そうした多様な地域権力や地域社会が、いかにして中央政権・国家の求心的な構造のもとに統合されるのか、あるいはされないのかという問 題は、なお積み残された状況にある。中央政権がどのように社会を規定しようとしたのか、また社会はそれをどう受容し、変容するのかという問題は、改めて問 われるべきであろう。
 そこで、2014年度大会では、権力と地域とのあり方を問い直してきたこれまでの成果をふまえて、中央と地域とをつなぐ鍵として秩序形成の問題に注目 し、如上の課題に取り組むこととしたい。
 中世社会は身分秩序や礼的秩序などさまざまな秩序によって規定され、その構造のもとに、諸階層が直接的・間接的に中央政権・国家に連なるとされる。故実 や先例によって形成される秩序が、統合のたがとして現実的な効力を持っていたことは、これまでの身分秩序や儀礼等の研究によって明らかにされつつある。多 様な社会と中央政権・国家を結ぶのはこれらの秩序であり、権力による秩序形成の問題と、社会における秩序の受容と再生産の問題は、権力と社会のあり方を考 える上で、不可欠であるといえる。
 中世の国家構造や社会統合について、中世前期では、周知の通り権門体制論や東国国家論などをめぐってさまざまに議論されており、なかでも重要な論点と なってきたのが、鎌倉幕府の評価である。近年では、法制史や軍制史、財政史の研究が進展する中で、幕府法の効力や幕府権力と荘園制との関係などについて解 明が進み、改めて幕府の評価を問い直す段階にあるといえよう。その際、幕府自身の認識にも視点を向けて、幕府が志向する秩序形成のあり方と社会における幕 府権力の受容について論究することが重要と考える。鎌倉幕府は自らをいかに位置づけようとしたのか、それは社会にどう受容/非受容されていたのか。その様 相を動態的に捉えて、幕府権力を国家構造・社会構造の中に位置づける必要があると考える。
 また、中世後期においては、室町幕府─守護体制や室町期荘園制など地域と中央とをつなぐ視座が提起され、近年では在京領主への注目も高まりつつある。そ の一方で、公武統一政権論や「室町殿」論、戦国期室町幕府の研究が進展し、中央における政治秩序や礼的秩序についても研究が積み重ねられている。しかし、 多様な地域権力や在京領主の存在と、中央政権が志向する秩序とがどう連関し、現実の社会においてどのように作用したのかという問題は、重要な課題として残 されている。守護・国人等の地域権力が、中央の領主社会における身分秩序や礼的秩序に包摂される構造を総体的に読み解くことで、中世後期社会の特質を明ら かにしたい。
 以上の問題意識から、今年度大会は「中世の権力と秩序形成」というテーマのもと、下村周太郎「鎌倉幕府の歴史意識・自己認識と政治社会動向」、木下聡 「室町幕府の秩序編成と武家社会」の2報告を用意した。
 下村報告では、先例や故実の選択に表現される鎌倉幕府の歴史意識や自己認識の検討から、幕府権力をめぐる秩序のあり方を析出し、中央政治や地域の動向と も関連させることで、中世前期の国家像・社会像を展望していただく。木下報告では、室町幕府体制下での武家領主をめぐる身分秩序を実態的に解明し、守護や 国人といった地域権力が中央においてどのように編成されていたのかを論じることで、中世後期の統合の構造を明らかにしていただく。
 以上の主旨をご理解いただき、大会当日は、建設的な議論が行われることを期待したい。なお、両報告にあたっては、以下の文献を参照されたい。(植田真 平)

[参考文献]
下村周太郎「鎌倉幕府の確立と陰陽師──政治史・国家史の観点から──」(『年報中世史研究』33号、2008年)。
同「「将軍」と「大将軍」──源頼朝の征夷大将軍任官とその周辺──」(『歴史評論』698号、2008年6月)。
同「鎌倉幕府不易法と将軍・執権・得宗」(『日本歴史』732号、2009年5月)。
木下聡『中世武家官位の研究』(吉川弘文館、2011年)。
同「室町幕府外様衆の基礎的研究」(『東京大学日本史学研究室紀要』15号、2011年3月)。
同「「室町幕府申次覚書写」について」(田島公研究代表,学術創成研究費「目録学の構築と古典学の再生──天皇家・公家文庫の実態復原と伝統的知識体系の 解明──」科学研究費研究成果報告書、東京大学史料編纂所研究成果報告、2012年)。

近世史部会

 東アジ アにおける海域秩序の変容と近世日本の対外政策

近世史部会運 営委員会から
 日本近世史部会では、学界動向により柔軟に対応しうる2~3年スパンのテーマを立て、定期的に大会企画の見直しと更新を図っていくこととした。
 まず、この先2~3年では「近世日本の内と外」というテーマに取り組む。近年の大会では、主に日本社会内部における諸要素の相互連関に注目することで、 近世中後期のゆるやかな社会変容を描出してきた。今後は、日本の「内」「外」で相互に影響し合う要素──対外政策、キリスト教、政治文化、環境と資源など ──を重点的に扱うことで、近世史研究の進展に寄与する論点を提供したい。さらに、他時代・他地域を扱う歴史学と対話しうる論点も模索していきたい(現 在、ヨーロッパ中近世史部会とともに、昨年の合同シンポジウム「「近世化」論と日本──「東アジア」の捉え方をめぐって──」に続く、2回目の合同シンポ ジウムを企画している)。
 さて、「近世日本の内と外」の1年目として、2014年度大会では「東アジアにおける海域秩序の変容と近世日本の対外政策」をテーマとする。本企画の背 景には国際関係史研究の活況が存する。近年、マルチ・アーカイブ的手法により多言語史料を利用した成果があがるとともに、前記シンポジウムも含めて「東ア ジア」や「境域」「海域」をテーマに掲げる企画も相次いでいる。こうした研究動向の特徴をあげるとすれば、①(比較史、グローバル・ヒストリー、海域アジ ア史など、研究手法は異なるものの)一国の「対外関係史」にとどまらない双方向的な関係や多国間関係の把握が進んでいること、②西洋対東洋/国家対国家と いう関係にとらわれず、民間レベルを含むさまざまな主体の動向とその相互関係に目配りしていること(ヨーロッパ諸勢力を東アジア海域のなかで捉え直す研究 など)である。
 一方、日本近世史研究においては、1970~80年代に「東アジア」との関わりのなかで近世日本の国家体制を問う視角が提起され、「鎖国」「海禁」「日 本型華夷秩序」などの概念について議論がなされた。現在は、いわゆる「四つの口」の精緻な分析や、新たな海外史料を用いた研究が進展している。ただし、こ れらの研究は扱う時代・国・地域や使用する史料の言語によって分断されており、各分野相互の対話が困難な状況にある。アプローチの異なるさまざまな研究成 果を、対外関係の枠組み自体をめぐる議論にいかに結びつけていくかが課題であるといえよう。
 そこで、本企画では東アジア海・域・との関わりという視角から、近世日本の対外政策の特質とは何であったのか、改めて問い直す。テーマに掲げた「海域」 は国家や領土を超えて繋がっており、国家間関係/国家と民間の関係/民間相互の関係というように、多彩な主体がさまざまな目的(外交・貿易・宣教など)を 持って関わり合う場であった。こうした「海域」において、対外政策や諸勢力の動向が交錯しつつ形成され/変容した秩序と、日本の対外関係・国内政治がいか に連関していたのか、東アジア情勢が大きく変動した16世紀後半から18世紀前半を対象に解明したい。
 以上のような問題意識に基づき、本年度は清水有子氏、松尾晋一氏に報告を依頼した。
 清水報告「近世日本のキリシタン禁制──地球的世界と国家・民衆──」は、キリシタン関係法制史料を素材に、16世紀後半から17世紀の国際環境が日本 の国家体制形成に与えた影響を解明する。研究史上では、日本の対外関係の東アジア諸国との共通性が強調されてきた。報告では、東アジア~東南アジア海域に おいて活動したヨーロッパ勢力が日本に及ぼした影響に着目し、イベリア勢力とキリシタン宗門に対する国家(豊臣秀吉政権~徳川綱吉政権)の対応を、民衆を 視野に入れて捉え直す。そして、近世社会において、キリシタン禁制が民衆統制のための支配装置として機能していった過程を展望する。
 松尾報告「幕府対外政策と東アジア再編──異国船問題の政策継承──」は、沿岸警備体制を中心に、17世紀から18世紀前半における幕府対外政策の継承 と、その時代的特質を明らかにする。松尾氏は、近世中期(いわゆる「鎖国の祖法化」以前)の対外関係を動態的に捉え直してきた。報告では、徳川家光~吉宗 政権期を対象に、幕府が隣国(朝鮮・琉球)を組み込む形で形成した反キリスト教体制の様相を考察する。そして、幕府対外政策の基調について、明清交替にと もなう東アジアの再編という国際環境との関係から検討し、18世紀後半への展望を示すものである。
 両報告は、近世日本の対外政策・国内支配政策の根幹といえるキリシタン禁制や異国船対策の特質を問うものである。この視角は、17世紀に近世社会を規定 する諸要素──幕藩関係/宗教政策と民衆支配など──がいかに形づくられながら定着し、18世紀以降に引き継がれたのかという、近世史研究全般に関わる課 題群にもつながる。さらに、海域秩序と国内政治の関係性を問う本企画は、激変する東アジア情勢に歴史学としていかに向きあうべきかという現代的課題にも示 唆を与えうるものである。幅広い議論を期待したい。(吉村雅美)

[参考文献]
○清水報告
村井早苗『幕藩制成立とキリシタン禁制』(文献出版、1987年)。
山口啓二「第1講 「鎖国」──地球的世界の形成と近世日本の対応──」(同『鎖国と開国』岩波書店、1993年)。
大橋幸泰「第Ⅰ部 キリシタン禁制政策の展開とキリシタン民衆」(同『キリシタン民衆史の研究』東京堂出版、2001年)。
清水有子『近世日本とルソン──「鎖国」形成史再考──』(東京堂出版、2012年)。
○松尾報告
荒野泰典・石井正敏・村井章介編『日本の対外関係』5巻・6巻(吉川弘文館、2013年・2010年)。
松尾晋一『江戸幕府の対外政策と沿岸警備』(校倉書房、2010年)。
松尾晋一『江戸幕府と国防』(講談社、2013年)。

近代史部会

「寛容」と嫌悪を問い直すためのクィア史

近代史部会運営委員会から
 本年度の近代史部会では「「寛容」と嫌悪を問い直すためのクィア史」をテーマとし、クィア史の可能性と課題を展望することを試みる場としたい。
 クィア史とは、人口に膾炙しているLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)史と互いに接点を持ちつつも、方向性を異にする アプローチであることをまず確認しておきたい。LGBT史が20世紀後半のフェミニズム運動や公民権運動の展開の下で、LGBTそれぞれのアイデンティ ティの主体化を行い、その解放と地位向上を目指したのに対し、クィア史はセクシュアリティのアイデンティティ形成の過程を徹底的に照射することによって、 ある特定のセクシュアリティやジェンダーが社会にとってどのように「問題」として浮上するのかに焦点を当てるものである。ただし、LGBT史、クィア史と もに、社会における抑圧がなぜ発生し、何を根拠としたかについて考察している。
 日本におけるLGBTスタディーズ、クィア・スタディーズは1990年代以降進展を見せたが、それは当事者による活動や発言が注目を集めたことと軌を一 にする。たとえば1990年の「府中青年の家」事件とそれをめぐる裁判や、「エイズ・パニック」への対処およびコミュニティの支援などがある。そこでは性 的指向を権利として追求する試みがなされ、自己アイデンティティの肯定へと歩を進めた。ただし、「性同一性障害特例法」は性別変更が厳しく制限されるとと もに、異性愛を基盤とする法体系と「特例法」との間にさまざまな矛盾を露呈させた。「特例法」が示す状況は、既存のジェンダー秩序を維持・強化する動きに ほかならず、問題は、私たちの社会を変えることなく、そのような人々も包摂可能と考える「寛容」さの意識や規範そのものの検討がなされなければならないと いう点である。さらに「寛容」さを批判的に見ることは、差別や区別が、誰によって、どのような論理や与件によってつくられるのかをあぶり出し、近代が生み 出した異性愛による性別二元論を再検討することにつながる。
 本企画の目的は、上記のようなクィア史の問題意識に依拠しながら近代史を再考するとともに、日本の歴史学の文脈においてクィア史をどのように位置づける かを議論することである。女性史・ジェンダー史研究が明らかにしてきたように、近代の歴史は「女らしさ」の創造と操作、男性の「自然化」の歴史であった。 たとえば歴史学研究会編『性と権力関係の歴史』(青木書店、2004年)は、女性史・ジェンダー史の観点から「性」にまつわる権力関係を描いている。一 方、ジェンダー化された男性に着目する男性性・男性史研究も生まれ、「男らしさ」の複数性に注目する議論も提起されている。国家や社会によって男性のある べき規範として提示される「ヘゲモニックな男性性」(R・コンネル)は「女らしさ」の周縁化のみならず、「弱さ」や性的逸脱に対するフォビアを伴って構築 されてきたのである。また、2012年から2013年にかけて日本アメリカ史学会、イギリス女性史研究会、ジェンダー史学会で歴史におけるセクシュアリ ティや同性愛をテーマにシンポジウムが相次いで開催された。そこでは異性愛主義、女性嫌悪と同性愛恐怖に基づくホモソーシャルな関係などが議論の俎上にの ぼったものの、歴史的地平からのアプローチはまだ緒についたばかりである。
上記の視角、方法および研究動向を踏まえ、以下の3点を論点としたい。
 ①セクシュアリティの語りを、国家・法制度・社会規範・階級・民族などさまざまなファクターが絡まりあうアリーナと定義し、近代がもたらした性別二元論 を問い直す。
 ②クィア史を性愛のみではなく、「友愛」や「友情」など、ホモソーシャルな関係も含むものとして分析し、性的マイノリティへの恐怖や嫌悪を考察する。ま た男性同性愛を、「女のような男」などの既成の異性愛関係になぞらえて解釈される点に留意し、セクシュアリティとジェンダーが交差するものとして分析す る。
 ③ある特定のセクシュアリティを法制度・社会政策・医学的な「治療」によって抑圧する一方、「救済すべき人々」を「寛容」さによって社会的に包摂し、既 存のセクシュアリティとジェンダー秩序を再編・強化する動きに着目する。
このような問題意識から内田雅克氏、野田恵子氏に報告を依頼した。内田氏は「エフェミナシー・フォビア──誰が「非男」とされたのか──」と題し、近代日 本におけるエフェミナシー・フォビア(effeminacy phobia)──「女みたい」と言われてはならないという強迫観念と「女みたい」な男への嫌悪──が形成されていった過程を読み解き、富国強兵・帝国拡 大の歴史を歩む国家において、精神的・身体的に軟弱な男、そして、男でありながら男を愛する同性愛者を「非男」として差別化していくポリティクスを男性史 的視点から論じる。
 野田氏は「〈性愛と友愛〉の境界線の政治学──イギリスにおける女同士の絆の(不)可視化──」と題し、19世紀から20世紀転換期のイギリスを対象 に、「社会純潔運動」、法制度、性科学のなかでのセクシュアリティの編成を論じる。そこでは男性同性愛に対しては性的な主体化が語られ、法的・道徳的規制 がなされる一方で、女性同性愛は「不可視化」され、「友愛」などの語りから、性科学によって性的主体として可視化された。法・道徳・科学からセクシュアリ ティやジェンダーがイギリス社会の規範や制度にどのような影響を与えたかについて論じる。
 コメンテーターにはドイツ近現代史をフィールドとしつつ「クィア・ヒストリー」の地平を切り開いてきた星乃治彦氏、日本近現代史の立場から成田龍一氏に お願いした。活発な議論を期待する。(酒井 晃)

[参考文献]
内田雅克『大日本帝国の「少年」と「男性性」──少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」──』(明石書店、2010年)。
野田恵子「女同士の絆の歴史──「ラドクリフ・ホール事件」(1928)前後のイギリスを中心に──」(『思想』1005号、2008年1月)。

現代史部会

 脱植民 地化と現代史の再検討 -1960-70年代の世界構造-

現代史部会運営委員会から
 いま、現代史をどのように捉えうるのか。言うまでもなくこの問いは、私たちが生きる「現在」をいかなる時代と捉えるのかと関わるものである。歴史学研究 会ではこの間、現在を「新自由主義の時代」と規定し、1970年代以降の資本のグローバル化と現代世界の変容について検討してきた。しかし、問題を歴史的 に捉えようとするとき、新自由主義の時代の前提となる世界構造について、世界史的な視野に立ち考察しなければなるまい。
 とりわけ、近代を特徴づけた植民地主義およびその継続・再編の問題を外して考えることはできない。「韓国併合百年」の年に開催された2010年度の歴史 学研究会の全体会「いま植民地支配を問う」の主旨説明にあるように、この問題への史的考察は「近代世界史の見直しを展望」するうえで欠くべからざるものと いえる。なかでも現代史部会は、「離散者が問う戦後世界像」(2008年)、「脱植民地化の困難にむきあう」(2011年)の部会を設け、第二次世界大戦 終結後における植民地主義をどのように捉えるかを問題として設定した。これは「近代世界史」のみならず、現代を植民地主義の継続・再編という視角から捉え ようとする問題意識によるものであった。2014年度部会は、こうした問題意識を引き継ぐと同時に、「脱植民地化は果たして達成されたのか」という問いを 1960─70年代のアフリカとヨーロッパの旧宗主国の関係を中心に考察しようとするものである。
 20世紀後半の世界史は米国とソ連を中心とする資本主義/社会主義両陣営が対峙する「冷戦」の時代として総括されるが、同時にそれはO・A・ウェスタッ ドの指摘するように、これら諸大国によるアジア、アフリカ、ラテンアメリカの「第三世界への介入」と表裏一体のプロセスとして展開した。そして、「介入」 の舞台となった地域の多くはまさに植民地支配から脱しようとする民族解放闘争と衝突し、冷戦下での局地的熱戦が繰り広げられることになる。これは現代史部 会がこれまで「「開発の時代」における主体形成」(2012年)などで考察してきた対象とは一見対照的でありながらも、表裏一体の関係にあるといえる。米 国や西ヨーロッパ諸国、日本の政治や社会、さらには多様な抗議運動も、これらの脱植民地化のプロセスから完全に切り離されて存在してはおらず、むしろそこ からさまざまな影響を被っているからである。
 1960─70年代のアフリカは、こうした脱植民地化をめぐる民族解放闘争と旧宗主国、そして米ソ両大国の葛藤が最も激しく展開した地域である。 1950年代の北アフリカ諸国の独立を経て、60年代以降は南アフリカやモザンビーク、アンゴラなどにおける脱植民地化がポルトガルなどの旧宗主国との戦 争や米ソ両大国の介入、あるいはキューバなどの社会主義諸国の解放闘争との結びつきのなかで世界史の一つの焦点となる。しかも、この時代の民族解放闘争や 独立後のアフリカでの社会主義の取り組みは、植民地主義/新植民地主義を打破する新たな世界史への展望を示しうるものとして、ベトナム戦争と等しく同時代 の人々の熱い関心を集めもした。それは「解放の意味を問う時代」(歴史学研究会編『アジア現代史 4』青木書店、1983年)の一つの準拠点となる地域でもあった。
 しかしながら1980年代以降、こうしたアフリカへの関心は急速に減退し、継続する内戦や飢餓の「悲惨」へのそれへと変容していく。新自由主義の時代と いう理解と、80年代以前の同時代認識を架橋する言葉を、いまだ私たちは持ちえていないのではないだろうか。2014年度現代史部会が1960─70年代 のアフリカの脱植民地化に焦点をあてるのはこうした問題意識からである。
以上の関心に基づき、今年度の現代史部会は小倉充夫氏と前川一郎氏による報告と、インドネシア近現代史研究の倉沢愛子氏と日本近現代史研究の荒川章二氏の コメントによって構成される。
 小倉充夫氏には「植民地支配と現代の暴力──ザンビアとジンバブウェ──」と題してご報告いただく。小倉氏がこれまで続けてこられた南部アフリカ社会, なかでも植民地期から独立後にかけてのザンビア農村社会の研究から,ザンビアの脱植民地化と国民統合をめぐる暴力の問題について論じていただく。
 前川一郎氏には「独立期アフリカに対するイギリス援助政策」と題してご報告いただく。前川氏は20世紀への転換期における南アフリカとイギリス帝国主義 史が専門だが、近年では1960年代前後のイギリスの対アフリカ開発援助政策の研究を通じて、それが介入や関与よりも「撤退」と呼ぶべき特徴を有していた ことを明らかにし、かつての「新植民地主義論」とは異なる歴史像を提示されている。
 2報告はいずれもアフリカを対象とするものであるが、当部会のねらいはアフリカ現代史研究に留まるものではなく、これらの地域から「脱植民地化」の内実 を再検討し、さらには1960─70年代の世界構造を考えるところにある。ぜひ多くの方に議論に加わっていただきたい。(鄭栄桓)

[参考文献]
小倉充夫『南部アフリカ社会の百年──植民地支配・冷戦・市場経済──』(東京大学出版会,2009年)。
前川一郎「アフリカからの撤退──イギリス開発援助政策の顚末──」(『国際政治』173号、2013年6月)。
O・A・ウェスタッド著/佐々木雄太監訳『グローバル冷戦史──第三世界への介入と現代世界の形成──』(名古屋大学出版会、2010年)。

合同部会

フロンティアとアイデンティティ

合同部会運営委員会から
 2013年度の合同部会シンポジウム「歴史のなかの海域──海がつなぐ/隔てる世界──」では、複数の陸地を結び付け、時には隔ててしまう「海」に焦点 を当てた。海を舞台として展開される人々の交流やネットワーク、海の「支配」と法秩序の独自性、港町の景観、あるいは海と内陸との関係などの問題を、合同 部会ならではの比較史的な視点で検討する試みは、例年以上に多くの関心を集め、シンポジウム当日は活発な議論が展開された。
 その際、海を活躍の舞台とする人々の独特なアイデンティティというテーマが、今後の課題として浮上した。もっとも、この種の複雑なアイデンティティを育 成する場は、海域だけに限らない。辺境、フロンティアと一般に呼ばれる空間もその一つである。2014年度のシンポジウムでは、こうした海陸のフロンティ アを対象として、そこに生きる人々の意識や活動形態、特に彼ら独特のアイデンティティのあり方を議論したい。
 フロンティアは制度的に規定された、境界「線」であるとは限らない。ユーラシア大陸や新大陸、あるいはそれらを取り巻く海域では、複数の地域から相互作 用的に発せられる影響力のもとで、さまざまな形態の境界「地帯」が成立した。こうしたフロンティアの歴史は、それを形成する複数の世界の諸要素の、単なる 総和以上のものである。それは、複数の世界が遭遇し、相互に変容を遂げ、時には一つの世界を形成する過程であり、静態的ではなく、動態的な歴史である。ま たそれは、多様な出自をもつ人々が織り成す、多元的な歴史である。フロンティアの歴史の検討は、複数の社会や人間集団を包み込む、ダイナミックな議論の可 能性を拓くものである。
 また、フロンティアを生き抜く人々は、しばしば重層的、可塑的なアイデンティティを身につける。彼らはそれを意識的、戦略的に使い分けさえするのであ り、特に対立や抗争といった局面では、排他的に、それぞれの出自する世界に固執することもある。しかし同時に、他者との邂逅は、彼らの想像力の範囲を拡大 させ、人間と世界に関する思考を刺激する。そしてそれは、自己と他者に対する新しい意識を育成することにも繋がるのである。
 グローバル化の時代と言われて久しい現在、逆にかつてないほどに、世界の複数性が痛感される。こうした中で、従来の地域/世界区分の限界を見据えなが ら、歴史学の新しい可能性を模索する試みは、歴史研究の現代的課題の一つである。そのためにも、歴史的に形成されたフロンティアの存在に注目し、そこに生 きる人々の特性を明らかにすることも必要ではないだろうか。我々は今回、このような問題意識を共有する4名の研究者に報告をお願いした。
 佐野光宜は、報告「帝政期ローマのフロンティア──「ゾーン」としての辺境と剣闘士競技──」において、従来「線」、とりわけ「文明」と「野蛮」を分か つものとしてイメージされがちであった、帝政期ローマのフロンティアを再検討する。ホイタッカー(C.R. Whittaker)は、「線」ではなくその前後の地帯を含めた「ゾーン」として辺境を理解することを提唱し、従来のイメージに修正を迫った。佐野報告で も、この前提を共有しながら、フロンティアにおけるアイデンティティのあり方を、帝国西方の辺境地帯における剣闘士競技・円形闘技場を通じて考察する。
 また、黒田祐我報告「カスティーリャとグラナダとの狭間で揺れ動くひとびと──「境域」民の振る舞い──」では、中世を通じて長らく宗教的・社会的なフ ロンティアであり続けたイベリア半島を対象とし、最前線に居住した人々、すなわち「境域」民の振る舞いの実像の一端を明らかにする。そのために、中世イベ リア半島の「境域」の特質を概観した後、カスティーリャ王国とナスル朝グラナダ王国との間に成立した「境域」社会が、いかにこのどちらにも完全に属するこ とのない「曖昧なアイデンティティ」を抱いていたのかを、「レコンキスタ」の末期にあたる15世紀後半の史料分析を中心にすえつつ、考察する。
 伏見岳志報告「スペイン領アメリカにおける逃亡者コミュニティの生成」では、近世の新大陸におけるフロンティアとアイデンティティの関係が論じられる。 16世紀以来、スペインとポルトガルは新大陸を支配下においた。しかし、この広大な空間には実効的な統治のおよばない隙間が多くあり、そのなかには両国の 統治を逃れた人々、あるいは両国以外の土地の人間が流入し、独自のコミュニティを作り上げた場所もある。伏見報告では、これらのコミュニティの事例をいく つか取り上げながら、そこにはどのような人が住まっていたのか、こうしたコミュニティが周辺地域に対してどういう意義を持っていたのかが、検討される。
 最後に、前田弘毅報告「フロンティアから、そして、またフロンティアへ──サファヴィー朝支配下グルジアの経験から──」では、サファヴィー朝のフロン ティアであるコーカサス地方出身の改宗エリートたちを検討する。シャーの家産的従者として帝国権力を内側から支えた彼らは、帝国の各フロンティア地域にも 散りながら、出身地との交渉も含めて複雑な「移動」(物理的な「移動」だけでなく「翻訳」などの精神的な運動も含む)を見せた。こうした「奴隷軍人」は、 異域から強制的に連れてこられた王直属の奴隷という古典的なイメージとは異なり、「帝国エリート」として、動態的なアイデンティティの革新と選択を伴う複 雑な交渉を行った。そこには、フロンティア社会と帝国権力の双方による、「距離の再構築」を観察できるのである。
 質疑応答の司会は、近世北欧史を専攻する古谷大輔氏にお願いしている。古谷氏にはご自身の研究の視点からのコメントもいただく予定である。狭義の時代・ 地域を越えて多くの方にご参加いただき、多方面から活発に議論が行われることを期待したい。(合同部会運営委員会)

特設部会

 資料保全 から歴史研究へ  -いま、歴史研究に何ができるか-

委員会から
 特設部会とは、いま、まさに取り上げるべき喫緊の課題が生じたときに、それに対応すべく、大会中に特別に開設される部会である。本会では、2012年度 大会から、3.11以降の歴史研究のあり方を問う特設部会を開設しており、本年度はその3回目になる。2012年度は「災害の「いま」を生きることと歴史 を学ぶこと」をテーマに掲げ、3.11以前に本会が「災害に対して十分な関心を寄せてこなかった」という反省に立って、「災害のいまを生きる者として歴史 研究者は、歴史を学ぶという営みをどう見直していくべきなのか。その営みを社会に対していかなる形で発信できるのか」を考えた。続いて昨年度の特設部会 「3.11後の「復興」と運動を問う」では、東日本大震災と原発事故という「複合災害」に直面するなかで、歴史研究に何ができるのかを考察した。それを受 けて本年度は、歴史研究のあり方そ・の・も・の・に・焦点をあわせて、災害等から資料を救出する資料保全の現場から問題提起をしてもらいたいと考えた。そ うした現場に立ったがゆえに見えてくる、歴史研究の現状と問題点を洗い出し、その可能性を議論したいと思う。
 ふりかえってみれば、1995年の阪神・淡路大震災後の資料救出活動に端を発した史料ネットの運動は20年目を迎えた。現在では、神戸大学に事務局を置 く歴史資料ネットワークをはじめとして、日本各地で、被災した資料を保全するためのネットワーク(岩手・宮城・茨城・新潟・長野県栄村・福井・和歌山・山 陰・広島・愛媛・山口・宮崎など)や、災害予防に備えた予防ネットワーク(山形・福島・千葉・神奈川・静岡・三重・徳島・岡山など)がつくられている。こ のほか、鹿児島等、史料ネットの準備会を立ち上げたところもあり、また東京都のNPO法人歴史資料継承機構は、茨城史料ネットの活動を支援する等、関東近 隣で資料保全活動を行っている。
 今回の特設部会では、資料保全活動を担ってこられた4名の方々に登壇いただく。
 平川新報告「地域の史料と向きあう──フィールドワークと郷土を愛すること──」。平川氏には、古文書や諸種の文化財を保全し地域の歴史遺産として後世 へ伝えていくことと、歴史研究が市民から共感を得ること、この2つをいかに関わらせるべきなのか、提言していただく。
 佐藤大介報告「歴史資料保全と「ふるさとの歴史」叙述──宮城での経験から──」。佐藤氏には、「いま、資料をめぐって所蔵者・地域が求めているものは 何か」という個別事例に向き合う経験を通じて、考えてきたことを報告していただく。これは、歴史研究者が、その職能を活かして何ができるのか、研究者がこ のような活動に積極的に参加するための仕組みをいかにつくっていくのか、という根本的な問題を提起するものとなるであろう。
 高橋修報告「被災資料と歴史教育、そして歴史研究へ──茨城での取り組みから──」。日本中世史を専攻する高橋氏には、被災資料をめぐる活動は歴史教育 にとって、時代やフィールドを超えていかなる有用性を持つのか、また大規模自然災害にともなう救済活動により出現した被災資料とは、史料としてどのような 特質を持つのか、被災資料が地域社会の中で守られていくことの現代的な意義や困難さにも言及しつつ、問題提起していただく。
 奥村弘報告「被災歴史資料と災害資料の保存から歴史研究へ──地域の過去と未来をつなぐために──―」。3.11以降、災害そのものを伝える災害資料の 掘り起こしと活用が喫緊の課題となっている。地域の歴史は、被災歴史資料にくわえて、災害資料をも保全・活用していくことではじめて、過去から未来へとつ ながることになる。奥村氏には、災害時の資料保全活動が歴史研究へと展開していく多様な回路を提示し、現代社会における歴史学のあり方について問題提起を していただく。
 「資料保全から歴史研究へ」という課題は、日本をフィールドとした研究者だけの問題ではない。2013年12月に、今回の報告者も交えて開催された国際 シンポジウム「地域の歴史資料をとりまく世界の諸相」でも、ドイツ・インド・中国・台湾・韓国の事例が取り上げられている。歴史研究のあり方と可能性につ いて世界史的視野から議論し、資料保全という問題を(それに関わってきた人たちだけでなく)私たち自身に切実なものとして捉え直していきたい。歴史研究に 関心を持つ多くの方々に、特設部会への参加を呼びかけたい。(研究部)

[参考文献]
平川新・佐藤大介編『歴史遺産を未来へ』(〔東北アジア研究センター報告3号〕東北大学東北アジア研究センター、2011年)。
平川新「東日本大震災と歴史の見方」(本誌884号、2011年10月)。
平川新編『よみがえる町の記憶──通町・堤町・北山界隈の歴史──』(〔東北アジア研究センター報告4号〕東北大学東北アジア研究センター、2012 年)。
佐藤大介「歴史資料レスキューから歴史の「継承」へ──東日本大震災・宮城での活動から──」(『新しい歴史学のために』281号、2012年10月)。
同「歴史遺産に未来を──東日本大震災後の歴史資料レスキュー活動──」(本誌884号、2011年10月)。
茨城大学中世史研究会(代表:高橋修)編『茨城大学中世史研究会の震災体験』(同会、2012年)。
高橋修ほか「茨城県内の文化財・歴史資料の震災被害と救済活動」(『歴史評論』740号、2011年12月)。
奥村弘編『歴史文化を大災害から守る──地域歴史資料学の構築──』(東京大学出版会、2014年)。
奥村弘『大震災と歴史資料保存──阪神・淡路大震災から東日本大震災へ──』(吉川弘文館、2012年)。
同「東日本大震災と歴史学──歴史研究者として何ができるのか──」(本誌884号、2011年10月)。