2013年度歴史学研究会大会

第1日 5月25日(土)  

全体会 変容する地域秩序と境域-蝦夷地と中央ユーラシアの経験から-   
 
 19世紀蝦夷地における「境域」としての可能性……………………………………………谷本晃久
 帝国の境界を越えて-露清間の境域としてのカザフ-…………………………………… 野田仁
   コメント:横山伊徳・桃木至朗

第2日 5月26日(日) 

古代史部会  日本古代における秩序の形成と展開                

 日本古代の氏族秩序と天皇観…………………………………………………………長谷部将司
 「律令祭祀」と「律令天皇制祭祀」-律令国家と天皇制の「安全装置」とその限界-… 榎村寛之

中世史部会 中世における地域権力の支配構造          

 中世後期の地域支配-幕府・守護・知行主-…………………………………………… 大薮海
 中近世移行期の地域権力と兵農分離……………………………………………………平井上総

近世史部会 宗教的秩序の変容と幕藩権力                     

 寺檀制度をめぐる通念と情報…………………………………………………………… 朴澤直秀
 近世の暦流通と「暦支配」……………………………………………………………… 梅田千尋

近代史部会 移動をめぐる主体と「他者」-排除と連帯のはざまで-       

 フィリピン引揚者による戦争体験の沈黙と共有-帝国と国民国家の狭間で-………飯島真里子
 アフリカン・ディアスポラと人種連帯のかたち
  -黒人移民史とニューヨーク都市史の交差-………………………………………… 村田勝幸
 二重に疎外された人々-ギリシア・トルコ強制的住民交換とギリシア人難民-………村田奈々子
   コメント:赤尾光春・眞城百華

現代史部会 対抗運動の可能性-保守時代の構想と展開-             

 70年代西ドイツにおけるオルタナティヴ勢力の形成-緑の党を例に-………………… 西田慎
 民主化以降の韓国における市民運動の形成とその後
  -政党政治とのかかわりを中心に-………………………………………………… 清水敏行
   コメント:及川英二郎・梅崎透

合同部会 歴史のなかの海域-海がつなぐ/隔てる世界-            

 地中海を舞台にした古代ローマ経済のグローバリゼーション……………………………向井朋生
 港湾都市カンディアから見た中世後期の東地中海………………………………………高田良太
 海、掠奪、法-近世大西洋世界における私掠制度の発展と拡大-……………………薩摩真介
 インド洋西海域世界の可能性-海域史から世界史へ-……………………………… 鈴木英明

特設部会 3.11後の「復興」と運動を問う              

 グローバル経済下の震災復興をめぐる対立構図と位相…………………………………岡田知弘
 戦後日本政治の対立軸と反原発運動………………………………………………………本田宏


全体会

変容する地域秩序と境域 ─蝦夷地と中央ユーラシアの経験から─

委員会から
  2013年度全体会では,「変容する地域秩序と境域─蝦夷地と中央ユーラシアの経験から─」と題し,国家の狭間にあって周辺国家との間で多様な関係を 結んでいた境域が,近代への転換にともなう地域秩序の変容と再編のなかでその性格をどのように変質させていったのかを,比較史的に考えてみたい。ここで 「境域」とは,おもに近代以前の世界において,国家の間に位置し一定の住民が存在し生活を営んでいたような,幅をもった場を想定している。その点,国境の ような,分断する線としての意味合いをもつ「境界」とはやや異なるものを意図している。
 なぜいまあらためて境域を取り上げるかといえば,東アジア地域において頻発する境界をめぐる紛争とそれに付随する政治的・社会的動きに歴史学としてど う向き合うのかという問題意識があるからである。2012年に再燃した領土紛争では,互いが自己の主張に沿って歴史を「参照」することで領土編入の経緯や 正当性を論ずるといったことが繰り返される一方,境界地域に暮らし紛争の影響を最も強く受ける人々の存在は後景に押しやられてしまう傾向にあった。こうし たなか,国家の論理とは別の次元で,近代的な国境線が現れる以前にさかのぼりつつ,あらためて境域とは何か,そこにはどのような地域社会が形成され,周辺 諸国や諸地域といかなる関係を築いていたのか,そして近代以降の国境が境界地域に暮らす人々にとってどのような意味をもったのかといった問題を,境域とさ れた地域に視点を据えながら,問い直すことがわれわれには求められていよう。
 ところで,境界の歴史性や人為性については,これまでの大会でも議論されてきた。たとえば,1990年度と1991年度の全体会は「歴史認識における 〈境界〉」をテーマとし,90年度には,「地理的政治的境界と,文化的社会的境界の,双方の意味での,人為的な「境界」の意味を問う」ことが試みられ,翌 年度には,国民国家の枠組みを相対化して多面的に検討することが目指された。
 これら20年前の全体会が国家による境界設定やその支配のありようにもっぱら焦点を当てたのに対し,2013年度の全体会では,むしろ境域のもってい た両義性や媒介性に着目し,境域自体が周辺諸国/諸地域との間でどのような関係(=地域秩序)を築いていたのかを問うことに主眼をおきたい。というのも, これまで境域的な地域は周辺国家にとっての周縁として捉えられてきたが,近年の研究では,境域自体が自らの秩序観やそれに基づく戦略をもって複数の国家や 地域との間に自律的な政治的・経済的関係を有し,しかも周辺諸国家を含む地域秩序の形成に深く関与していたことが明らかになりつつあるからである。境域と 周辺諸国家との間で形成される地域秩序内部の諸関係は一方的なものではなく,相互作用的・相補的,さらには相互参照的なものでもあったのである。
 さて,近世から近代への転換のなかで周辺国家が領域国家としての性格を強め,近代的な国境観念が導入されると,両義的存在であった境域はその存在意義 を否定され,解体・包摂されていくが,その過程はかならずしも単線的で一方的なものではなかった。というのも,領域国家による支配の強化は,内政上の要請 のみならず,境域を挟んで隣り合う周辺国家との関係の変化をも背景とするものであったからだ。言い換えれば,境域の再編はそれを取り巻く地域秩序の変容と 表裏一体の関係にあったのである。加えて,境域自体,たとえ一定の自律性を備えたものではあっても一枚岩的な固定的実体とはかぎらず,内部に矛盾や対立を 抱えた存在でもありえた。かくて,周辺国家による境域の再編過程は複雑な経路をたどらざるをえなかった。さらにいえば,かつて2011年度大会全体会にお いて「変化の方向性を見通せないままに現在の困難と将来の不可測性を生きざるをえなかった転換期の経験」を問うことが試みられたが,このことは,境域の近 代にもあてはまるであろう。こうした複雑な歴史過程を検証することによってはじめて,近代に現れた国境の意味を問い直すことができるのではないだろうか。
 以上のような問題意識に立って今年度全体会では,蝦夷地と中央ユーラシアをそれぞれご専門とする2人の報告者をお招きする。
 谷本晃久氏には,「「19世紀蝦夷地における「境域」としての可能性」と題して,北海道とそれに連なるサハリン島・千島(クリル)列島の19世紀に焦点を 当てていただく。そこでは,先住諸民族が生活域の移動を強いられたうえで「国民」への編入を余儀なくされる一方で,20世紀にかけて国家による大規模な植 民事業が進められたが,国家領域化の過程やその前段階にみられる社会のあり方を「境域」的状況と捉えることで,そうした状況がどのような可能性を孕んでい たのかが浮き彫りにされるであろう。
 野田仁氏の報告「帝国の境界を越えて─露清間の境域としてのカザフ─」では,中央ユーラシアの草原部にあって,18世紀半ば以降ハン一族を中心に,露清帝 国に対して一定の自立性を確保していたカザフ遊牧民が,19世紀になるとロシア帝国の支配強化の前に独立性を失っていく経緯を踏まえたうえで,国境が成立 した後もなお,彼らが露清間で越境を繰り返し両帝国の媒介的な役割を担うという「境域」的な状況が続いていたことを明らかにしていただく。
 これら2つの報告に対し,それぞれ幕末維新期の対外関係史と前近代の海域アジア史での豊富な研究蓄積をもつ横山伊徳氏と桃木至朗氏に,ご専門とされる地域 や時代の事例と照らし合わせながら,より広い視点からのコメントをお願いする。
 上記いずれの境域も,それ自体が残した史料が少なく,そのために研究は容易ではなかったが,近年,周辺国家に残された諸史料を活用することで徐々にそ の歴史像が明らかになり,しかも,それによって周辺諸地域の歴史もまた塗り替えられつつある。蝦夷地と中央ユーラシアという2つの場における経験を対比す ることで,移行期における境域世界の変容をより立体的に理解することができるであろう。(研究部)

[参考文献]

谷本晃久「「国家」史的観点からみた近世アイヌ社会」 (宮地正人ほか編『国家史(新体系日本史1)』山川出版社,2006年)。
同「幕末・維新期の松前蝦夷地とアイヌ社会」(明治維新史学会編『世界史のなかの明治維新(講座明治維新1)』有志舎,2010年)。
同「“近世アイヌ史”をとりまく国際的環境」(『新しい歴史学のために』277号,2010年10月)。
野田仁「露清の狭間のカザフ・ハーン国─スルタンと清朝の関係を中心に─」(『東洋学報』87巻2号,2005年9月)。
同『露清帝国とカザフ=ハン国』(東京大学出版会,2011年)。
同「歴史の中のカザフの遊牧と移動」(窪田順平監修・承志編『中央ユーラシア環境史2 国境の出現』臨川書店,2012年)。

古代史部会

日本古代における秩序の形成と 展開

日本古代史部会運営委員会から
  日本古代史部会では,1997年度大会~2009年度大会において,古代国家・王権・地域社会の総体的理解を深めることを目的としてきた。そのなか で,国家・王権・地域社会の実態と,それらの関係性や三者に内在する諸事象の解明を課題として議論を重ね,一定の成果をあげることができた。
 しかし,それまでの議論では周辺諸地域との関係性やその影響が捨象され,「一国史」的視点から議論されてきたことは否めない。そのため,常に越境的・ 双方向的な視野を持つ必要性が指摘された。このような問題意識から,当部会では2010年度大会以降,周辺諸地域との「外交・交流」の実態解明と両者が秩 序形成に果たした役割の解明を課題として設定した。2010年度大会「古代における交流と秩序形成」において廣瀬憲雄氏は,6~13世紀の東部ユーラシア における外交関係を分析し,「複数の種類の国際秩序」の存在を明確にした。蓑島栄紀氏は,支配関係にとどまらない多元的な交流を分析し,北方社会の史的展 開と秩序形成を明確にした。続く2011年度大会「古代における交流と秩序形成Ⅱ」では,「外交・交流」と秩序形成の関係性の議論を深化させるために,国 家・文化・交易などの諸要素を加味し,これらの諸要素が「内」なる世界の秩序形成に果たした役割を明らかにすることを課題として設定した。中林隆之氏は, 国家・政治社会の秩序形成を念頭においた日本古代国家の「仏教」受容の意義を政治社会の秩序形成や国際秩序の構築と関連させ,皆川雅樹氏は,多元的「交 通」がつくり出すネットワークのなかの「日本」という視点から,外来文物としての「唐物」をめぐる「交易」の様相を分析した。両報告により,多様かつ多元 的な「外交・交流」が内的な秩序形成に果たした役割が明確にされた。しかしながら,それらのモノ・コト(制度など)の受容を経て形成された秩序が,古代国 家において展開していく具体的な様相の解明が課題として残された。
 2012年度大会「古代における秩序の形成と展開」では前年度の課題をふまえて,江草宣友氏は「銭貨」を取り上げ,7世紀後半から12世紀半ばまでの 日本における渡来銭の受容過程を含めた「銭貨」の変遷について分析した。江草報告により,「外交・交流」によって得られたモノ・コトの受容が古代から中世 に至る秩序の形成や展開・移行過程に与えた影響が明らかにされた。
 このように,2010年度大会以降,越境的・双方向的視野を課題として,東部ユーラシア・東アジア・北方社会と日本列島との繋がりや,古代国家や王権 による「外交・交流」を通して,モノ・コトの日本への受容過程とそれに基づく秩序の形成と展開の様相を明らかにするという点で,一定の成果を得ることがで きた。しかしながら,「外交・交流」を中心とした国際関係の分析は越境性の一側面を明らかにすることを可能としたが,それは国を単位とした地域間関係の検 討であり,「「一国史」からの脱却」という意味では課題を残した。越境的・双方向的視野とは国を単位とした地域間関係に収斂されるものではない。地域間関 係では説明できない,思想的な越境的・双方向的関係の検討も必要となろう。本年度はその点について,天皇を中心とした貴族層と在地首長層における思想的な 越境的・双方向的関係を共同幻想という側面から捉え,秩序の形成と展開を検討する。
 そこで,本年度大会では「日本古代における秩序の形成と展開」というテーマを設定し,長谷部将司氏「日本古代の氏族秩序と天皇観」と榎村寛之氏「「律 令祭祀」と「律令天皇制祭祀」─律令国家と天皇制の「安全装置」とその限界─」の2報告を準備した。
 長谷部報告は,支配者層としての大王(天皇)と諸氏族層との君臣関係の表象を氏族秩序と捉え,主に氏族系譜の視点から7~10世紀におけるその推移を再検 討する。集団内における秩序形成には双方向的な集合的記憶の受容が不可欠であり,支配者集団がその支配の正当性を確実にさせるために成立させた集団内にお ける共同幻想の多方面への展開と,同時にその展開過程で生じた集団の結集核としての天皇の位相の変化について論じる。
 榎村報告は,6世紀から11世紀における律令天皇制祭祀について考察を試みる。律令祭祀は「成文法で規定された祭祀」であり,「文明化された祭祀」と規定 することができる。しかしながら現実の8世紀祭祀は,「文明化された祭祀」と「伝統的祭祀」,つまり習俗としての祭祀の二重構造になっており,両者は相互 に影響し合っていた。これら「律令祭祀法」だけでは包括できない王権祭祀を「律令天皇制祭祀」と呼び,これを古代国家形成の帰結として成立した「支配層に 共有化された意識」でありつつ,王権を特化する思想体制と理解し,受容前史を含めて考察を試みる。そして報告者の祭祀・神話・神祇法に関する研究成果を踏 まえつつ,律令国家の王権祭祀の特質などを総体として提示する。
 両報告により,列島内において王権・国家へ働く向心力と,王権・国家から列島内へ働く求心力という双方向から,天皇を中心とした貴族層と在地首長層に おける思想的な越境的・双方向的関係を検討することが可能になり,そこから古代の秩序の形成とその展開過程を明らかにしうるであろう。またそれは,これま での論点であった古代における秩序形成とその展開に果たした「外交・交流」の役割とともに,「「一国史」からの脱却」という議論に対しても有効な視点とな りうる。
 2013年度大会は日本古代史部会単独の開催となる。多くの方の参加により,活発な議論が展開されることを期待したい。(堀川 徹)

中世史部会

中世における地域権力の支配構 造

中世史部会運営委員会から
  中世史部会では,2008年度以降,権力のあり方そのものについて検討を深めてきた。その成果を踏まえ,2011年度大会においては,権力と地域との あり方を問い直す必要があるとの認識から,権力と村落をテーマとした中世社会論の深化を試みた。
 そして2012年度大会では,前年度と同様の視角から非常時や危機管理に注目して,国家権力や領主権力の存在形態について,在地社会や民衆世界をも射 程に入れながら解明することを目標とした。片岡耕平報告では,中世前期の朝廷や幕府における災異対応を検討することで,中世の国家・王権をめぐるイデオロ ギーやコスモロジーを解明し,日本史上における統合の契機について論究した。呉座勇一報告では,実態の解明が遅れていた南北朝期の戦争について,国家と地 域との結節点にあって内乱を戦った在地領主の非常時認識や危機管理システムに着目して検討を行い,領主権力の特質を考究した。両報告によって,非常時を切 り口に中世社会における権力と地域との関係について,議論を深めることができたと考える。しかし,認識やイデオロギーの解明に重点を置いたため,権力によ る地域支配の実態に関しては十分に検討を及ぼすことができなかった。
 そこで,2013年度大会では,権力と地域とのあり方を問い直すという視角を継承しつつ,「中世における地域権力の支配構造」をテーマとし,地域を支 配する権力がどのように成立・展開したのか,それは中世社会のなかにいかに位置づけられるのかを,地域支配の実態を踏まえて具体的に解明したいと考えるに 至った。その際に注目したいのが,守護や戦国大名をはじめとした,一定規模以上の地域を独自に支配する地域権力と呼ばれる存在である。
 特に中世後期の地域権力については,永原慶二氏らによって在地領主制論を理論的基盤とした守護領国制論・大名領国制論が提唱されて以降,研究は大きく 進展した。その後,守護領国制論が理論として破産宣告を受け,南北朝・室町期研究においては,地域社会論を踏まえた守護論や,幕府からの公権授与を重視す る幕府─守護体制論が登場し,守護を中心とした地域権力論が盛んになっている。一方,戦国期研究においては,幕府─守護体制論の影響を受けた戦国期守護論 が提起されたが,近年は移行期村落論の成果を踏まえた戦国大名論の登場などにより,室町期との断絶面および近世との連続面が重視されるに至っている。
 こうした研究により,中世後期の地域権力についてはさまざまな側面が明らかにされてきたが,しかしその一方で,室町期の守護をはじめとした当該期の地 域権力による支配の実態については,十分に解明されているとは言い難い。幕府や統一政権など上位権力からの規定性は重要な問題だが,まずは各地域権力がそ れぞれの地域においていかなる支配を行っていたのかを具体的に解明し,そこから上位権力との関係を再評価することが必要だろう。また,地域権力の検討対象 も,室町期では守護に,戦国期では北条氏や毛利氏といった特定の戦国大名に偏りがちであり,その他の多様な地域権力をいかに位置づけるのかという問題もあ る。このように,地域権力のあり方を,その多様性に留意しつつ支配の実態に即して,中世後期から近世までを射程に入れて通時的・総体的に解明することは, 今日大きな課題になっているといえよう。
 上記の研究動向を受けて,本年度大会では以下の2点を主な論点としたい。
 1点目は,室町期における地域権力の多様性である。幕府─守護体制論に肯定的にせよ否定的にせよ,これまで議論の中心となってきたのは守護であり,現 状ではそれ以外の多様な地域権力を位置づける枠組みが構築されていない。この問題について,地域支配の実態解明を通じてアプローチを試み,戦国期までを見 通しつつ室町期の地域権力を新たな視角から捉え直すことにしたい。
 2点目は,中近世移行期における兵農分離である。従来の研究は,近世化の画期を主に豊臣政権による太閤検地・兵農分離の実施に置き,その貫徹度合いか ら権力の特質および先進性・後進性を評価する傾向が強かったといえる。しかし,近年では豊臣政権の画期性があらゆる側面で相対化されつつあるうえに,各地 域権力の個性が重視されるようになってきており,兵農分離についても根本的な再検討が要請されている。戦国期から近世初期の地域支配の実態を解明しつつ, 統一政権へ編成される前後で何が変わり何が変わらなかったのかを通時的に検討することで,従来の兵農分離像を問い直したい。
 こうした問題意識から,当日は大薮海「中世後期の地域支配─幕府・守護・知行主─」,平井上総「中近世移行期の地域権力と兵農分離」の2報告を用意し ている。
 大薮報告では,従来「分郡守護」と規定されてきた地域権力を新たに「知行主」と概念化し,その地域支配の実態を解明しつつ,それらが当該期の政治秩序全体 のなかでいかに位置づけられるものなのか,戦国期への見通しを含めて論究していただく。平井報告では,16~17世紀前半の長宗我部氏・土佐藩を主な対象 としながら,兵農分離の実態について,地域支配構造や統一政権との関係にも留意しつつ,通時的・総合的に検討していただく。
 大会当日には,以上の主旨をご理解いただき,建設的な議論が行われることを期待したい。なお,両報告の内容を理解するうえで,以下の文献を参照される ことをお願いする。(竹井英文)

[参考文献]

大薮海「室町時代の「知行主」─「伊勢国司」北畠 氏を例として─」(『史学雑誌』116巻11号,2007年11月)。
同「戦国期における武家官位と守護職」(『歴史学研究』850号,2009年2月)。
同「北朝・室町幕府と飛騨国司姉小路氏」(『日本歴史』733号,2009年6月)。
平井上総『長宗我部氏の検地と権力構造』(校倉書房,2008年)。
同「土佐国における庄屋制の成立」(『戦国史研究』64号,2012年8月)。
同「兵農分離政策論の現在」(『歴史評論』755号,2013年3月)。

近世史部会

宗教的秩序の変容と幕藩権力

近世史部会運営委員会から
 最初に,今後の大会運営について若干述べる。運営委員会は,近年の大会運営に関して協議を重ねた結果,漸進的にそのあり方を見直していくことを決定し た。

 ①まず,大会テーマの位置づけ方を変更する。従来,運営委員会は,毎年,前回までの大会史に接続させるかたちで,新しい大会テーマを設定してきた。だ が,この設定方法では,大会を重ねるにつれ,過去の大会の多様な論点・課題群を必要以上に現在の単年度の大会に持ち込むことになり,当の報告者自身の問題 意識や着想をかえって阻害しかねない。また,連続性を重視することから,取り上げにくいテーマも存する(対外関係史・環境史の新動向など)。そのような制 度疲労を起こしている設定方法を見直し,今後は個々の年度の大会テーマの設定については,大会史との整合を必須としないかたちに改める。

②他方で,運営委員会は,次年度以降,3~4年スパンの中期的な大会構想を作成する。この大会構想では,大会史を踏まえて,構想全体の特色・展望を示 す。これについては,現在,協議中である。本年度の大会では,20年来の中期テーマ「近世の国家と社会」と,その下での数年間ごとの切り口─現在でいえ ば,「ゆるやかな社会変容」─という枠組みを,基本的には踏襲する。

③運営委員会は,近年,例年の大会とは別の企画を準備することで,他の部会との認識の共有を図るとともに,近世史研究の枠組みについて検討を重ねてき た。その成果が,ヨーロッパ中近世史部会との合同シンポジウム「「近世化」論と日本─「東アジア」の捉え方をめぐって─」(2013年1月)である。この ような取り組みを継続し,上記②の大会構想に反映させることを目指す。

  以上の①~③を通じて,運営委員会は,大会史を踏まえた中期的な大会構想を具体化し,その下で個々の年度の大会を遂行する。大会史と個々の大会テーマ との間に大会構想を挟むことで,数年の間に多様なテーマを取り上げ,かつ近世史研究の大きな課題にじっくりと・戦略的に取り組む大会運営を今後の基調とし たい。
 さて,本年度の大会では,「近世日本における政治と宗教の関係は如何なるものであったのか?」という,古くて新しい問題を捉え直す。このような大会テーマ を取り上げた背景には,昨今の近世宗教社会史研究の活況が存する。その成果の多様性と蓄積によって,今や近世日本の宗教を,近代以降の「宗教」概念に安易 に寄りかかるのではない仕方で,総合的に把握(再編成)しうる段階に至っている。
 その際,研究史上の課題として,①国家論・国家史の見地からの研究と地域社会を対象とした研究とをどのように統合するかという問題と,②思想・意識面 の研究と制度面の研究とをどう接合するかという問題とが,しばしば指摘される。実際,これらの問題をめぐって,分断を埋める試みが活発に展開されている。 具体的なアプローチはさまざまだが,あえて包括的・最大公約数的にその方向を表現するならば,幕藩権力・宗教者・地域社会という三者の構造的特質と,それ らの相互連関とをトータルに把握するための,実態に即した新しい枠組みが模索されているといえる。そこで,本年度の大会では,「三者の構造的特質と相互連 関に留意した近世宗教の総合的把握」を目指したい。
 今回は,18~19世紀の様相に重点を置く。とりわけ,18世紀の日本社会の諸相とその位置づけについては,近年,議論が活発化している。ただ,現在 のところ,政治改革や経済発展や新思潮などの画期性・先進性に目を奪われがちである。したがって,その成熟した社会の底流において人々の日常生活を何ほど か規定していた宗教的秩序(社会通念・習俗など)の様態・変容と,それに対する政治権力の関わり方との双方について,今回,近世宗教社会史研究の諸成果を 踏まえながら検討することは,18世紀像それ自体を豊かにするためにも意義のある作業となるのではないか。
 おおよそ,以上のような問題意識にもとづき,本年度の当部会は,朴澤直秀・梅田千尋両氏に報告を依頼した。

朴澤報告「寺檀制度をめぐる通念と情報」は,寺檀制度に関わる通念とその形成・変容過程を取り上げる。従来の研究において,寺檀制度に関わる社会的通 念は,寺檀制度の創出と同時に,上(幕藩権力)から強制されたものと捉えられてきた。だが,そのような通念は,むしろ幕藩権力・宗教者・地域社会の相互連 関が織りなす秩序形成・社会変容の過程のなかで跡づけるべきではないか。報告では,この問題について,とくに一家一寺制をめぐる通念や偽法令の流布を素材 として検討する。

梅田報告「近世の暦流通と「暦支配」」は,近世において大量に発行され,庶民層にも広く受容された印刷物である暦を取り上げる。暦に関する研究は,従来, 主に科学史の領域で進展してきたが,宗教社会史の視点から近世の習俗をめぐる科学知と呪術的心性の接点を考える上でも重要なテーマといえるだろう。報告で は,暦の作成に関わる幕府天文方と陰陽道本所土御門家の介在の様相を明らかにし,近世社会における暦支配の意義について考察する。

  一面では宗教をめぐる社会的通念が形成され(いわば,創られた「17世紀」像の流布・常識化),他面では外来の新しい学知(漢籍経由の西洋の科学知) が普及し始めた時代。別言すると,社会の伝統化の過程にあり,新しい学知への対応に迫られていた時期でもある18世紀─。その諸相を,日本社会の内外の変 化要因とその波紋・複合に目配りしながら,総合的かつ立体的に描き出す。多くの方々の参加と幅広い議論を期待したい。(清水光明)

[参考文献]

朴澤直秀「寺檀制度に関する通念の形成─一家一寺制法令再論─」(『日本仏教綜合研究』8号,2010年5月)。
梅田千尋「近世「陰陽道知」の範疇」(『近世陰陽道組織の研究』第Ⅱ部,吉川弘文館,2009年)。
渡邊敏夫『日本の暦』(雄山閣出版,1976年)。

近代史部会

移動をめぐる主体と「他者」─ 排除と連帯のはざまで─

近代史部会運営委員から
  近代史部会では,これまで国民国家批判を通じて,近代における支配様式・植民地主義・国民統合について議論を蓄積してきた。そのなかで提起された主題 の一つは,近代における主体形成の問題であった。それは国民国家が形成され展開していくなかで,主体としての人々がどのように生きたのか,経済構造・国内 秩序・国際関係といった要因にいかに規定されたのか,という問題の解明であった。すなわち,国民化とそれに伴う「他者」の構築および排除への反省と超克を 目指すものであったといえよう。こうした試みは一定の成功を収めたが,残された課題も多い。その一つが,国民化の過程から排除された人々の主体形成の問題 である。国家の枠組みの内外に存在する多層的な地域間関係のあり様と,国民化の過程から排除され地域間を移動する人々の生き様を明らかにすることは,近代 の総体的把握のためには不可欠である。
 そこで,今回はテーマを「移動をめぐる主体と「他者」─排除と連帯のはざまで─」とし,近現代における移動する/させられる人々と「他者」との出会 い,軋轢,そして連帯の諸相を紐解いてみたい。今日,グローバル化の影響が深く社会に浸透し,人々の生を規定している。国民や民族のみならず,地域社会や 家族といった一人一人の人間を取り巻くコミュニティすらも,アプリオリに存在するものではなく,歴史のなかで構築されたものであることが明らかになりつつ ある。固定的な人と人とのつながりを当然のものとして期待できなくなりつつある現代にあって,人はいかなる関係を「他者」と結んでいくのだろうか。
 本部会テーマは,こうした問題意識を念頭に近現代史を再考するものである。人々が移動する時,そこには常に「自己」と「他者」との関係性が付随し,そ れは主体の意識のあり様に応じて構築される。「他者」との関係性のなかで排他的に国民化を志向する人々がいる。他方,必ずしも国民化の回路にそぐわないよ うなトランスナショナルな軌跡や多様な生き方,意識のあり方も存在する。「他者」と主体の境界は必ずしも自明ではない。「他者」とは,可変的で,ときに自 らと重複するアイデンティティによって包摂され,連帯する相手ともなる存在なのである。そこで本年度は,移動に着目して,人々の営みが持つこうした両義性 を考察する。人々は近代化や公権力,資本や植民地主義の暴力によって移動を強いられる存在であり,ときに権力と結び付くことで,「他者」を排除し,自身の 地位向上を試みる存在でもありうる。一方,人々は新たな「他者」と出会い,さまざまな軋轢を経験するなかで,権力に抗し,連帯を築き上げていく存在でもあ る。こうした移動の諸相に焦点を当てつつ,以下の点について明らかにしたい。第一に,人はいかなる契機をもって移動という手段を選択する/選択せざるをえ なくなるのか。第二に,移動した人々は移動先で「他者」といかなる関係を築いたのか,そして国家権力や帝国支配とどのような関係を有したのか。第三に,移 動する人々の生活や意識はどのようなものだったのか。外部から既存のコミュニティへの移動は痛切な疎外意識をもたらす一方,新たな人間集団の参入はコミュ ニティ変容の契機となりうる。以上の観点から,移動により既存の秩序が揺らいでいくプロセスに焦点を当てたい。
 そこで本年度は,広く20世紀初頭から現代に至るまでを視野に収め,それぞれの時間と空間における人々の「他者」との関係の結び方を検討すべく,以下 の3氏に報告をお願いした。飯島真里子氏は「フィリピン引揚者による戦争体験の沈黙と共有─帝国と国民国家の狭間で─」と題して報告する。アジア太平洋戦 争中,日本帝国勢力圏内であった東アジアや東南アジア地域では,多く「一般市民(=移民)」が犠牲となった。飯島報告では,フィリピン引揚者の戦争体験を テーマに,日本帝国崩壊と国民国家再編のなかで,引揚者の戦争体験が国家レベルで「矮小化」されていく過程と背景について考察する。その一方で,「墓参」 という戦後の日比間移動が,当事者の戦争体験の想起と共有化に重要な役割を果たしていることを論じる。
 村田勝幸氏は「アフリカン・ディアスポラと人種連帯のかたち─黒人移民史とニューヨーク都市史の交差─」と題して報告する。アメリカ合衆国における 1965年移民法制定以降急増した西半球からの移民には,西インド諸島出身者も多く含まれていた。彼らの流入は,ニューヨークなどに住む黒人人口の内的多 様性を増した。黒人を「非移民」としばしば前提してきたアメリカ史のなかで,この展開はどのような意味を持っているのか。村田報告では,「アフリカン・ ディアスポラ」という枠組みを手掛かりに21世紀転換期ニューヨークにおける多様な黒人住民の人種連帯のかたちに注目する。
 村田奈々子氏は「二重に疎外された人々─ギリシア・トルコ強制的住民交換とギリシア人難民─」と題して報告する。第一次世界大戦後のギリシア・トルコ 戦争を経て,オスマン帝国は解体し,トルコ共和国が誕生した。その過程で,小アジアの正教徒はギリシア人難民として,「母国」ギリシアに移動することを余 儀なくされた。「母国」で彼らが出会ったのは,「同胞」としてのギリシア人ではなく,「他者」としてのギリシア人だった。村田報告では,ギリシア人難民の 経験や独自のアイデンティティ形成を,「他者」としてのギリシア人,ギリシア国家との関係から論じる。
 コメンテーターには,ユダヤ文化研究の赤尾光春氏と,エチオピア・エリトリア研究の眞城百華氏のお2人に依頼した。当日の活発な議論を期待する。(小 阪裕城・鳥羽厚郎)

[参考文献]

飯島真里子「フィリピン日本人移民の戦争体験と引揚げ─沖縄出身者を中心に─」(蘭信三編『帝国崩壊とひとの再移動─引揚げ,送還,そして残留─』勉誠出 版,2011年)。
村田勝幸『アフリカン・ディアスポラのニューヨーク─多様性が生み出す人種連帯のかたち─』(彩流社,2012年)。
村田奈々子『物語 近現代ギリシャの歴史─独立戦争からユーロ危機まで─』(中央公論新社〔新書〕,2012年)。

現代史部会

対抗運動の可能性─保守時代の 構想と展開─

現代史部会運営委員会から
  2012年12月に行われた衆議院議員選挙では,自民党が圧勝した。しかし,反原発運動の活発化,震災復興,財政再建など山積する課題とは裏腹に,史 上最低となった投票率には,政治に対する不信感が表明されているのではなかろうか。他方,既成政党に対する不信を背景に,「有権者の支持」を標榜するポ ピュリズム政党が,特に大都市を中心に台頭している。また,たとえ不満があったとしても,批判の声を上げないような,体制順応型の行動様式も1980年代 以降に進行している。
 2012年度大会全体会においては,アラブ革命や東日本大震災という経験を背景に,新しい時代を切り開く主体形成の可能性が問われた。報告者の渡辺治 氏は,非正規雇用者の組織化,反TPP運動,反原発運動,九条の会などに,新自由主義を乗り越え,新しい時代を切り開く萌芽を見出しているが,昨年暮れの 選挙結果に鑑みれば,変革に向けた動きの萌芽が見られながらも,政治の場では明確な形態をとりえていないということになろう。
 こうした現状を受けて,対抗運動の形成と展開は今一度問われるべきテーマと考える。対抗運動の形成は,高度経済成長期の問題として,2002年度, 2009年度,2012年度の現代史部会で取り上げられている。分析対象となった1960年代は,高度経済成長に伴って住民の生活は大きく変容し,公害や 貧困などの歪みが顕在化する時期である。それらの分析によって明らかになったのは,住民自身が独自に運動や行政に「参加」したり,「抵抗」の論理を発展さ せたりする姿である。抗議運動に参加するなかで,住民の意識も相互の関係も変化していく。さらに,共時的分析として,日本だけでなく,アメリカや西ドイツ の社会運動の分析がおこなわれ,相互比較によって,運動の個性も浮かび上がらせている。2012年度現代史部会では,原山浩介・河村雅美両氏の報告による 日本とタイの事例に基づいて,経済成長や消費に関連して形作られる多様かつ「あいまいな」主体の姿が明らかになった。とはいえ,形成された主体が政治とい かなる関係を切り結んだのかという点は課題として残されている。
 以上の議論に接続しながら,2013年度現代史部会では,共時的な分析手法をとらず,保守時代における対抗運動を検討したい。その場合,1970年代 の西ドイツ,2000年代の韓国の事例を取り上げる。1970年代の西ドイツ社会は,学生運動やその後続発したテロリズムによって,かえって保守化し,政 権を担当していた社会民主党も,不況下で現実主義的な政策をとった。他方,1990年代以降,韓国においては民主化が制度的に定着したといえるが,強固な 冷戦的反共主義の残存に加え,ともに保守に位置する与野党間の差異は決して大きくないのである。
 1970年代西ドイツに関して,西田慎氏には,「70年代西ドイツにおけるオルタナティヴ勢力の形成─緑の党を例に─」と題して報告していただく。 68年運動の終息後に生まれてきた「オルタナティヴ(対抗文化)運動」は,70年代後半には「政治的オルタナティヴ」,さらには緑の党に発展していくこと になるが,その運動の展開は「(新)左翼の危機」を背景に説明される。70年代の動向を,現在の緑の党の動きを視野に入れながら論じていただく。
 2012年12月,韓国では次期大統領選挙がおこなわれ,その結果,2代続けて保守政権が続くことになった。こうした動向を見据えながら,清水敏行氏 には,「民主化以降の韓国における市民運動の形成とその後─政党政治とのかかわりを中心に─」と題して報告していただく。1987年の民主化以降,政党と も在野運動圏とも異なる市民運動が現れ,金キム大デ中ジュン政権・盧ノ武ム鉉ヒョン政権の10年間,落選運動などに見られるように,市民運動は政治的存在 感を強めた。清水報告では,市民運動の政治的指向性について,保守勢力の李イ明ミョン博バク政権の時期も含めて論じられる。
 さらにコメントとして,及川英二郎氏には日本現代史の観点から,梅崎透氏にはアメリカ現代史の視点からの問題提起をお願いしている。
 西ドイツと韓国の事例は時代が異なるにしても,報告の対象となるのは,保守化する社会のなかで,いかに対抗構想を描き,民主化をさらに進めていくか, その試みである。西ドイツと韓国という2つの事例は,対抗運動の歴史的検証にとどまらず,現在の日本社会において,いかに対抗運動を形成していくのかとい う点で,私たちの課題に深く関連している。(白川耕一)

[参考文献]

西田慎『ドイツ・エコロジー政党の誕生─「68年運動」から緑の党へ─』(昭和堂,2009年)。
同「反原発運動から緑の党へ─ハンブルクを例に─」若尾祐司・本田宏編『反核から脱原発へ─ドイツとヨーロッパ諸国の選択─』(昭和堂,2012年)。
清水敏行『韓国政治と市民社会─金大中・盧武鉉の10年─』(北海道大学出版会,2011年)。
崔章集『民主化以後の韓国民主主義─起源と危機─』(磯崎典世ほか訳,岩波書店,2012年)。

合同部会

歴史のなかの海域─海がつなぐ /隔てる世界─

合同部会運営委員会から
 尖閣諸島や北方領土など,日本列島を取り巻く海洋や島嶼をめぐる問題が激しく議論されている。そこで応酬される「正しい歴史認識」をめぐる議論に目を 奪われるなかで,海洋や島嶼が特定の主権に帰属するという発想,また,諸権力間の境界を明確な形で区分するという発想それ自体が歴史的な構築物であるとい うことを,われわれは忘れがちである。境界線,あるいは明確な線で区分されないような境界を越えるヒトやモノ,情報のネットワークに視野を広げ,境界ない し境界線を策定する権力と,それら境界を越境するものの間に取り交わされた相互関係を論ずること─,この課題は,きわめてアクチュアルであり,本年度大会 の全体会テーマ「変容する地域秩序と境域」にも相通ずる。その一方で,合同部会2010年度「ヨーロッパ前近代における地域統合と国家イデオロギー」, 2011年度「相互行為としての地域統合─内在する「他者」と支配理念の再編─」,そして2012年度「時代転換期における都市共同体の再編」という諸 テーマで示された方向性をさらに推し進めたものでもある。
 その際,多様な時代・地域を専門とする研究者の対話の場であろうとする合同部会の性格を踏まえた上で,海洋─半島,海浜や島嶼を含む─を活動の場とし た人々が築き上げてきた,特定の境界を自明としない相互交流やネットワーク構築に焦点をあわせてみたい。さらに,彼らの活動の舞台である海洋そのものを, 独自の歴史的力学に基づき形成され,かつ変容する一つの領域,すなわち「海域」世界としてとらえ,地域統合をめぐる議論の深化をめざしたい。
 フェルナン・ブローデルの問題提起を引くまでもなく,近年の歴史学界では,ユーラシア大陸,そして近世以降の新大陸を含む広大な空間が複数の「海域」 世界を構成し,互いに結び付き,ときには重なり合いながら,より高次の「大海域世界」をつくり上げていく巨視的な過程が論じられている。こうした観点に 立って,「海域」を軸として歴史を再考するならば,そこを舞台とした人々の活動は,陸地の歴史の添え物以上の意義を獲得することとなる。
 一方で,近世に至っても,同時代史料のなかで,「海域」についての明示的な定義が共有されることはむしろ稀であり,相反する複数の認識が併存し,対立 の原因となることもあった。また,当時は自然環境としての海洋がコミュニケーションに課した制約も,陸地以上に大きかった。歴史のなかで「海域」を考える にあたっては,史資料にあらわれる「海」の表象と,研究者が用いる「海域」概念との間に生じるずれにも,より自覚的であることが求められよう。この点で, 海洋を「孤立させると同時に結びつけ,障害物であると同時に可能性である」とする,現代フランスの歴史学者ミシェル・モラ・デュ・ジュルダンの発言は,き わめて示唆に富む。本年度の合同部会では,「海域」が歴史的に有した「つなぐ」と「隔てる」というこの両側面に留意しつつ,「海域」世界についての議論を 深めたい。そのために,それぞれ異なった時代の「海域」の歴史を専門とする4人の気鋭の研究者に,報告をお願いしている。
 古代ローマの考古学を専門とする向井朋生氏には,「地中海を舞台にした古代ローマ経済のグローバリゼーション」について論じていただく。たとえ世界の 一部だけを対象としていたとしても,さまざまな地域・民族を巻き込みつつ展開した古代ローマの交易状況は,「グローバリゼーション」と呼ぶに足る一定の条 件を備えていたといえる。向井氏の報告は,古代ローマ経済のグローバリゼーションを可能とした地中海と,そこを経由して流通していた商品に焦点を絞り,環 地中海的経済活動の実態を主として考古学的知見から検証することを目指す。
 一方,高田良太氏は,報告「港湾都市カンディアから見た中世後期の東地中海」と題した報告において,中近世における「海域」としての東地中海世界の一 部を構成する,ヴェネツィアの海上ネットワークの様相を考察する。とりわけ14~15世紀における,ヴェネツィア領クレタの港湾都市カンディアへの移住者 や一時滞在者の,それぞれの移住・移動を促した原因や人間関係に目を向ける。それらの検討を通じて,ヴェネツィアの強い影響下に置かれていた東地中海世界 が,単にヴェネツィア人のみならずさまざまな人々の往来によってネットワークとしての形を維持していたことが明らかとされるであろう。
 近世イングランド・大西洋世界史を専門とする薩摩真介氏の報告「海,掠奪,法─近世大西洋世界における私掠制度の発展と拡大─」が焦点を合わせるの は,公的権力の認可を受けた海上での掠奪行為である。中世イングランドにおいても,同行為は13世紀末頃から「報復的拿捕」などの形で行われていた。しか し,それが戦時の合法的掠奪行為である「私掠」として法的に整備されるのは17世紀後半を待たねばならない。薩摩氏の報告では,近世のヨーロッパ諸国,と くにイギリスにおける戦時の私掠の制度化の過程と特質,そしてその制度がいかにして「旧世界」と「新世界」の境界域である北米・カリブ海域にも適用されて いったのかを考察する。
 イスラーム史の分野からは,東アフリカを主たる対象としてインド洋海域世界を考察する鈴木英明氏が報告を行う。「インド洋西海域世界の可能性─海域史 から世界史へ─」と題された鈴木氏の報告では,近年,盛んになりつつあるインド洋「海域」史研究の動向を踏まえた上で,この研究分野の持つ可能性と限界を 指摘する。それを踏まえた上で,報告者が世界史を念頭に置いて取り組んでいる新たなインド洋西「海域」世界の捉え方を紹介する。それは,従来,海上交通に ほぼ限定して論じられてきた季節性の問題を,生産・交換・流通といった多方面に広げ,かつ,それらを連関させることを目指したものである。
 また,当日の質疑応答の司会は,地中海とならびヨーロッパ史を規定したもう一つの「海域」である北海・バルト海世界の中世史を専門とする小澤実氏にお 願いしている。当日,時代・地域を越えて多くの方にご参加いただき,多方面から活発に議論が行われることを期待したい。(合同部会運営委員会)

特設部会

3.11後の「復興」と運動を 問う

委員会から
  歴史学研究会は2011年3月11日以降,東日本大震災と原発事故という「複合災害」に直面するなかで,歴史学に何が可能かを模索してきた。2012 年5月には『震災・核災害の時代と歴史学』(青木書店)を出版し,また,2012年度大会の特設部会では「災害の「いま」を生きることと歴史を学ぶこと」 をテーマに据え,同時代史としての3.11に向きあうなかで災害の歴史を学ぶ営みの見直しを行なった。
 いま,3.11から2年が経つが「震災・核災害」の終わりはいまだ見えない。政府が把握しているだけでも,避難者は32万人以上にのぼり,震災後1年 の「震災関連死」も1632人に達したという。東京電力福島第1原子力発電所の事故に伴う「核災害」も,政府による「事故収束宣言」こそなされたものの, 実際には収束とはほど遠く,それどころか原発労働者の被曝,放射能汚染食品の流通,震災がれきの搬出など,新たな問題を生み出しながら拡大している。こう した現状認識にもとづき,私たちは2013年度大会でも昨年に引き続き3.11を主題に特設部会を設けることにした。
 特設部会の主題は3.11後の「復興」と運動である。私たちはこの間,地震・津波という天災が,日本の社会構造のひずみを露呈させ,それが被害を幾重 にも倍加させるさまを目の当たりにした。一方で「複合災害」の原因を見据え,これを変革しようとする人々の運動が,多様な広がりを見せたことも知ってい る。各地の反原発デモが多くの人々を集め,核災害の被害者たちが東京電力幹部や国の責任者らを訴えた集団訴訟の原告は1万人にのぼった。しかし,他方で関 西電力大飯原発の再稼働が決まり,2012年12月の総選挙では原発問題は争点化されず,結果的に原発推進に積極的な政党がこぞって得票を伸ばした。こう した3.11後の日本社会の状況を,私たちはいかに理解すべきなのだろうか。私たちは,昨年の特設部会の問題意識を引き継ぎながら,2013年大会では 「複合災害」をめぐる政治と社会の動向に注目したい。

以上の問題意識にもとづき,本年度の特設部会は,岡田知弘,本田宏,権赫泰の3氏の報告により構成される。

 災害からの「復興」はその時々の社会のあり方を示している。割田聖史氏による2012年特設部会報告批判でも指摘されたように(本誌900号),とり わけ現在の「復興」の特徴は新自由主義という時代背景を抜きには理解できない。その歴史的・批判的検討こそが求められているといえるが,この課題について は,岡田知弘氏に「グローバル経済下の震災復興をめぐる対立構図と位相」というタイトルで論じていただく。岡田氏はこれまで,「どんな復興であってはいけ ないか」という視点から,3.11後に政府・財界主導で進められた「創造的復興」論の批判的検討を行なってきた。政府・財界は被災の地域的実態を無視し, 20数兆円に達する復興市場目当ての経済的利害の視点から,「復興ビジネス」の対象として被災地を位置づけた。結果,「復興格差」とでもいうべき事態が生 じ地域間格差がむしろ拡大することになった。岡田氏はこれを「惨事便乗型復興」であると批判し,「破壊された生存の機会の復興」としての「人間の復興」論 (福田徳三)こそが震災復興の基本思想となるべきであるとする。岡田報告は,こうした枠組みを前提に,「復興」をめぐる対立構造の歴史的位相を論じること になる。
 3.11後,確かに反原発世論は高まり,歴史研究者のなかでも戦後日本の原発推進政策の批判的検討が改めて注目を集めている。しかし一方で,この間, 私たちは産官学の原発推進体制の強固さも痛感させられた。世論の高まりと政府・国会の消極的な対応というこのねじれの背景には何があるのか。また, 3.11以前において日本の政治構造と反原発運動はいかなる関係にあったのか。反原発運動をめぐる歴史的な問いを明らかにすることが求められている。この 課題については,本田宏氏に「戦後日本政治の対立軸と反原発運動」というタイトルで論じていただく。本田氏は2005年に「たとえどんなに深刻な原子力事 故が起ころうと,異議を申し立て,対案を提示する対抗主体がいなければ,事故の意味に関する解釈は政府・電力会社側に完全に委ねられてしまう」と指摘して いたが,3.11後の日本においては,まさにこの危惧が現実のものとなった。対抗的な社会運動の力量(無力さも含めて)がこうした現状を構成する一因と なっていることはいなめない。本田報告では,戦後日本における体制選択をめぐる対立と緊張,すなわち政治亀裂が原子力をめぐる政治や反原発運動をいかに規 定してきたのかを論じていただく。
  3.11後の政治と社会を特徴づけるもう一つの現象,それは閉鎖的なナショナリズムである。「絆」や「がんばろうニッポン」など,日本の一体感を前提 とした復興のスローガンが溢れ,「国難」などの表現も目立つようになった。反原発デモに日の丸がはためく光景も珍しくない。原発反対の世論が高まった一方 で,3.11後の日本の原発輸出が人々の関心を集めることはほとんどない。反原発運動の普遍性が問われているといえる。そもそも原発推進政策が米国の核政 策と密接に結びついていたように,核災害の問題も一国史的視野だけで理解できるものではない。とりわけ東アジア冷戦と米国・日本の核戦略という視点は不可 欠であろう。この課題については,権赫泰氏に「被爆ナショナリズムとアトミックサンシャイン─日本の「戦後」はどう作られてきたのか─」というタイトルで 論じていただく。権氏はこの間,反原発運動のなかにある反西洋的で右翼的な要素を労働運動や平和運動が充分に制御しえていないことに対し,危惧を表明して きた。また,日本の戦後体制を支えていたのは核システムであり,「平和主義」という建前が「間接的核保有国」と「原発大国」という現実を覆い隠すような 「麻酔効果」を発揮した,と指摘する。権報告では,こうした戦後体制の特質とそれがはらむ矛盾という視点から,3.11を論じていただく。
 3報告を通じて,当部会では現状に対する歴史的な視野からの分析を試みる。これらの分析は,3.11後の歴史学が模索する,新たな史的分析の方法と視 点を考える上で,重要な示唆を与えるものとなるはずである。(研究部)
[参考文献]

岡田知弘『震災からの地域再生─人間の復興か惨事便乗型「構造改革」か─』(新日本出版社,2012年)。
本田宏『脱原子力の運動と政治─日本のエネルギー政策の転換は可能か─』(北海道大学図書刊行会,2005年)。
権赫泰「「被爆ナショナリズム」をどう考えるべきか」(『東京経済大学学術研究センター年報』13号,2013年〔近刊〕)。