2012年度歴史学研究会大会

会場:東京外国語大学府中キャンパス (東京都府中市朝日町3-11-1)

第1日 5月26日(土)                       
全体会 変革の扉を押し開くために
―新自由主義への対抗構想と運動主体の形成―           13:00~17:30
 二つの国民的経験と新自由主義をめぐる対抗の新段階
 ―新自由主義政治転換の構想と主体形成に焦点をあてて―………………渡辺治
  アラブ革命の構想力―グローバル化と社会運動―…………………………長沢栄治
  コメント:小沢弘明

第2日 5月27日(日)
      9:30分~17:30(近代史部会・特設部会は10:30分~/合同部会は10:00~)

古代史部会 古代における秩序の形成と展開
  先秦時代系譜編纂の成立過程とその意義…………………………………… 小寺敦
古代日本における銭貨と国家…………………………………………………江草宣友
 *古代史部会、報告順に誤りがありました。正しくは上の とおりです。ご注意下さい。

中世史部会 中世における非常時対応と危機管理               
 日本中世の災異対応と統合……………………………………………………片岡耕平
 南北朝~室町期の戦争と在地領主……………………………………………呉座勇一

近世史部会 幕藩制的貨幣・金融構造の変容 
 幕藩領主と大坂金融市場………………………………………………………高槻泰郎
 幕末維新期の貨幣経済……………………………………………………… 小林延人

近代史部会 3・11後の歴史的地平―科学・技術、国家、社会- 
 戦時体制期日本の「軍産学複合体」
   ―科学・技術の専門家集団の膨張とその問題性―……………………… 畑野勇
 パリ王立科学アカデミーにみる近代科学と国家……………………………隠岐さや香
  コメント:日野川静枝・崎山直樹

現代史部会 「開発の時代」における主体形成―その呼びかけの論 理と対抗の戦略―

 「消費者」の時代を問い直す-産業社会におけるあいまいな主体-…………原山浩介
 「高度成長」と「開発」の時代-日本・東南アジア・沖縄-…………………… 河村雅美
  コメント:久保亨

合同部会 時代転換期における都市共同体の再編
 ハドリアヌス以後のアテネ
  -ローマ帝国支配下における「復興」とその実態-…………………………桑山由文
 聖なる都市パリの危機と再編-カトリック改革から考える-………………… 高澤紀恵
 1509年のイスタンブル大地震とその後の復興
 -「この世の終わり」と呼ばれた大震災-………………………………… 澤井一彰
  コメント:徳橋曜

特設部会 災害の「いま」を生きることと歴史を学ぶこと  
        -3・11以降の歴史学はいかにあるべきか- 
 災害史研究の現状と課題………………………………………………………北原糸子
 原発災害に対する不安・批判の鎮静化と地方利益
  -電源交付金制度の創設をめぐって-…………………………………… 中嶋久人
 災害における所有と依存…………………………………………………… 西谷地晴美
 災害回復(レジリエンス)の再検討:自然・社会・技術…………………………原口弥生


全体会

変革の扉を押し開くために ─新自由主義への対抗構想と運動主体の形成─

委員会から
 2011年度大会は,「近世・近代転換期における国家-地域社会関係の再検討──女性の経験という視点から──」と題して,いまが「転換期」であるとの 認識を前提に,産婆や遊女,女髪結といったマイノリティーに焦点をあてて近世・近代の転換期における主体の多様なありようを検討課題に据えた。これに対し 今年度は,新自由主義の強靭さ,しぶとさといった側面にも留意しながら,あえていまを「転換期」としなければならないとの認識に踏み込むことで,昨年度の 大会テーマを貫いてきた問題意識を積極的に引き継ぎたいと考える。このような認識を持つにいたった背景には,いうまでもなく2011年という年に,私たち 人類が,日本においても世界においても,これまでの新自由主義体制を根本から問い直し新たな社会を構想していくうえで転機となしうるような決定的な経験を したからにほかならない。
 日本では,2011年3月11日,マグニチュード9という史上最大級の巨大地震と大津波が東日本を襲い,各地に甚大な被害をもたらした。この自然災害 は,東京電力福島第一原子力発電所の重大事故を惹き起こした。12月に政府・東電が「事故収束」宣言を出したにもかかわらず,放射能汚染による被曝問題は 日々深刻化している。さらには,その後の被災地における復旧・復興の方途をめぐるせめぎあいや,脱原発か原発依存かをめぐる対峙といった状況は,新自由主 義政策の是非をめぐって国民の間に大きな亀裂を生み出しつつある。この問題は,普天間基地移設,TPP参加,財政危機の一層の深刻化といった諸問題ともあ いまって,岐路にある日本社会の今後をどのように展望するのかという根源的課題を私たちに突きつけているといっても過言ではない。
 いっぽう,2011年1月のチュニジアのベン・アリー政権打倒に始まり,エジプト,リビア,イエメンと続いた変革の連鎖も,世界史を画する事件として歴 史のなかに記憶としてとどめられていくこととなるに違いない。このアラブ革命の動きは,ニューヨーク・ウォール街の占拠をはじめとする若者たちを中心とし た反格差運動など,同時代的な多くの運動に連鎖していった。これらの運動はいずれも《反》新自由主義という立場を明確に示すという点で,震災後の日本の反 原発や地域に根ざした復興・復旧を模索する動きと目標を共有している。そしてこれらはこれまでの新自由主義体制に決別し,新自由主義体制とは質的に異なる 新たなオルターナティヴを構想していこうとしている点で軌を一にしている。このような新自由主義体制を根源から変革しようとする動きが世界史の表面にたち 現れてきたことは,2011年の大きな変化の兆しと捉えられよう。
 もちろん,エジプトでは全権を掌握する最高軍事評議会や人民議会選挙で最大勢力を占めるにいたったイスラム政党の今後の動向が注目されるなか,「革命」 がどのような形で新しい時代を切り開いていくかについては予断を許さない。日本においても,民主党政権による原発堅持政策や消費税増税,TPP参加に向け ての積極的な姿勢をはじめ,種々の政策論争が構造改革路線へと収斂していかざるをえないような政治状況が存在する。そしてそのこと自体が新自由主義イデオ ロギーの強固さを示すものにほかならない。世界に目を転ずれば,欧州債務危機をめぐって,国民の強い反対行動が展開されたのにもかかわらず,ギリシャ政府 がEUの「支援策」を否応なく飲まされてしまったことも記憶に新しい。これらに象徴されるように,現在は新自由主義的な世界観にたつ立場と新たな社会を構 築すべきだとする立場とがまさにせめぎあう状況にある。
 顧みれば歴史学研究会は,21世紀に入って以降,グローバリゼーション・新自由主義体制下における歴史学の課題と任務という問題をしばしば検討の俎上に 載せてきた。その基底には,新自由主義イデオロギーを相対化し,あらたな社会を構想するため歴史学がどのように寄与できるかといった問題意識が貫かれてい た。そうした歴史学研究会の長期的な取り組みの一環として,変わらざるをえない社会の現実と,社会を変革していこうとする「主体」が,既存の秩序・社会の なかでどのように形成されてくるのかを検討すること,これを今年度の第一の課題としたい。そのうえで帰結が見通せない転換「期」のさなかにあって,転換を 担う「主体」が現実を変革し克服していくことを通して,既存の社会秩序やシステムに代わる新たな社会構想をどのようにして具体化しえるのかについて議論し たいと考えている。
 日本とアラブの現代史に焦点を定め,渡辺治氏と長沢栄治氏に報告をお願いする。両氏には,新自由主義が限界を露呈しつつあるいま,変革を担う主体のなか から新たな「対抗構想」としての政治・経済・社会モデルがどのように構築されるのかについて報告していただく。渡辺治氏「二つの国民的経験と新自由主義を めぐる対抗の新段階──新自由主義政治転換の構想と主体形成に焦点をあてて──」では,3月11日の大震災以降,新自由主義政治をめぐる対抗が新たな段階 に入ったことが示される。そのうえで,新自由主義の強靭さを踏まえつつ,新自由主義政治を転換させる前提となる「対抗構想」とそれを担う主体が,民主党政 権の成立と原発事故という二つの国民的経験を経ていかに形成され,またその限界がどこにあるかについて論じていただく。
 長沢栄治氏には「アラブ革命の構想力──グローバル化と社会運動──」と題して,突然連鎖的に起きたかに見えるアラブ革命にも今回にいたる歴史的胎動が あり,アラブ諸国の変革が,どのように時代的に準備されてきたかを報告していただく。そこでは,「1月25日革命」の原点が1968年2月の若者たちの民 主化運動にあること,若者や労働者を中心に多様な職種・階層の人びとが参加し,その主張や要求もまたさまざまであったことを踏まえ,そうした多様な潮流が 一つとなり,抑圧と腐敗とが一体化し構造化されてきた体制に「ノー」を突きつけたのが今回の革命であったことが明らかにされる。そのうえで,反革命の潮流 が強まりつつあるなか,新自由主義でもないイスラム化でもない新たな「対抗構想」をどのように具体化できるかが革命の帰趨を決定づけることになると提起さ れるであろう。
 両氏の報告に対して,これまで新自由主義の問題に一貫して取り組んでこられた中東欧現代史の小沢弘明氏にコメンテーターをお願いした。小沢氏からは,新 自由主義の強靭さとしぶとさの背景と,そうした新自由主義体制のもとで既存の秩序と社会を変革していくことの困難さ,という視点から両報告に対峙する論点 を示していただきたいと考えている。
 現在(いま)を「転換期」とし,状況を変革して新たな社会の地平へと進み出ていくために,歴史学がどのような役割を担いかつ果たせるか。現実と切り結ぶ 歴史学の復権をめざして議論が深まることを願っている。(研究部)

[参考文献]
渡辺治「復興をめぐる二つの道の対決──新自由主義的復興構想から決別し,民衆的・福祉国家的復興の道を──」(小森陽一編『3.11を生きのびる──憲 法が息づく日本へ──』かもがわ出版,2011年)。
渡辺治・二宮厚美・岡田知弘・後藤道夫『新自由主義か新福祉国家か──民主党政権下の日本の行方──』旬報社,2009年。
長沢栄治『エジプト革命──アラブ世界変動の行方──』平凡社,2012年。
同「エジプト1月25日革命は何を目指すか」(水谷周編著『アラブ民衆革命を考える』国書刊行会,2011年)。
同「二つのエジプト革命」(『国際問題』605,2011年)。

古代史部会

古代における秩序の形成と展開

日本古代史部会・アジア前近代史部会運 営委員会から
 2012年度の古代史部会では,日本古代史・アジア前近代史部会で共同のテーマを設け,古代に通底する問題意識を追究する。以下,各部会のこれまでの議 論と課題を整理しておく。
 日本古代史部会では,1997~2009年度大会において,古代国家・社会の総体的な理解を深めることを目的としてきた。そのなかで国家・王権・地域社 会などの実態と,それらの関係性や三者に内在する諸事象の解明に関して議論を重ね,一定の成果を得ることができた。しかしながら,これらは国内の事象を中 心とした「一国史」的な視点・理解にとどまった議論であったといえる。そのため,日本古代国家・王権に対する周辺諸国家・集団の存在意義や影響など,常に 越境的・双方向的な関係を視野に入れる必要性が指摘された。
 2010・2011年度大会では,石母田正氏が提唱した「交通」概念をふまえ,「古代における交流と秩序形成」というテーマを設定し,議論を重ねた。そ のなかでは周辺諸地域との関係,すなわち「外交・交流」の側面から,それらが日本古代国家の秩序形成に果たした役割の解明を試みた。2010年度大会で は,広瀬憲雄氏は東部ユーラシア諸国と倭・日本との外交関係を,蓑島栄紀氏は列島北方社会の史的展開を倭・日本に対する多元的な交流から明確にした。そこ で「外交・交流」の議論を深化させるために,国家・文化・交易などの諸要素との連関性を加味することが課題としてあげられた。
 続く2011年度大会では,前年度の課題を受け,中林隆之氏は倭-日本と東アジア諸国との多元的な交流の様相から国家・政治社会の秩序形成を念頭におい た日本古代国家の「仏教」受容の意義を析出した。また,皆川雅樹氏は「海」を媒介とした東部ユーラシア地域の多元的な交流におけるヒト・モノの動きから外 来文物としての「唐物」をめぐる「交易」の様相を検討した。これらは東部ユーラシア・東アジア地域を中心とした日本の「外への意識」が「内なる秩序」へ与 えた影響の存在を明らかにしたものである。
 このように,2010・2011年度大会では,古代国家・王権・諸集団が行ってきた「外交・交流」によるモノ・コト(制度など)の受容の過程を明らかに することができた。しかしながら,東部ユーラシア・東アジア地域からの影響が,日本の古代国家や王権の秩序形成に果たした役割,いわゆるモノ・コトの受容 を経て秩序が形成され,その秩序が古代国家において展開していく様相の解明が課題として残された。
 アジア前近代史部会では,戦後一貫してアジア的専制支配の構造とその特質の解明を課題に据え,中国専制国家支配の研究を進めてきた。そして中国古代国家 の形成過程における在地社会と国家権力の関係性を検討し,一定の成果をあげている。1990年度大会においては多田狷介氏が戦後の中国古代史研究を総括 し,共同体論に基づく分析の有効性を確認した。その後90年代は多田報告の視角を継承し,在地社会内部の諸関係と国家の支配構造との有機的連関について継 続的な議論を進めたが,1999年度大会における飯尾秀幸氏の報告を最後として,共同体を分析概念とする視角は継承されず,現在にいたっている。それは研 究分野の個別分散化・「客観的実証主義」の潮流のなかで研究視角も多様化してきたことにもよるが,この視角の多様化はこれまで積み重ねられてきた議論を再 構成する意味で重要な役割を果たしている。2004年度大会において山田智氏は,皇帝家産の問題に焦点をあて,皇帝権力が国家的専制支配権力として形成さ れてくる過程に迫った。そして,2005年度大会では阿部幸信氏が,漢朝にとって「他者」であった匈奴との関係から生成された自己意識が古代国家の秩序形 成に与えた影響について,2006年度大会では浜川栄氏が,空間としての黄河下流域が国家や地域社会へもたらした作用について,それぞれ検討し,古代国家 の形成に果たした「外的な要因」の役割を検証した。また,2008年度大会において,安部聡一郎氏は,国家の外縁に存在する隠逸・逸民的人士と国家との関 連性に注目して古代国家支配における秩序の形成の議論を深めた。
 ここに1990年度以降の大会報告を俯瞰すると,中国古代国家の形成過程と支配の構造について,主に秦漢・魏晋期を中心とした議論が重ねられてきたが, 中国古代国家の基礎となる先秦期の国家形成と諸侯権力内部の秩序形成についての分析は不十分であったといえる。先秦期を中心とした議論は1980年代に遡 り,戦国秦漢期の共同体法を基礎とする「約」と「律」の機能・展開を検討した1984年度大会の岡田功氏,秦の国家形成における商鞅変法の意義を確認した 1988年度大会の太田幸男氏の報告があげられる。今後,これらの研究成果を批判的に継承し,先秦期における国家形成と諸侯権力内部の秩序形成およびその 展開について検討を進め,再構成していかねばならない。
以上のように両部会における議論と課題から,本年度の古代史部会では「古代における秩序の形成と展開」をテーマとし,日本古代史部会から江草宣友氏「古代 日本における銭貨と国家」,アジア前近代史部会から小寺敦氏「先秦時代系譜編纂の成立過程とその意義」の報告を準備した。
 江草報告では,7世紀後半から12世紀半ばまでの日本における銭貨の変遷過程について考察を試みる。当該期における銭貨は,11世紀初頭以降の銭貨途絶 の時代を挟んで,古代日本銭貨から渡来銭へと変化している。これは独自の銭貨を必要とする段階から,他国の銭貨を受容し,発展させていく段階への変化を示 しており,こうした銭貨の変遷より,古代から中世にいたる秩序の形成やその展開・移行過程について検討する。
小寺報告では,伝世文献や最新の出土文献にみえる「系譜」関係資料を素材に,文献編纂あるいは「書籍としての系譜の成立」という視点から,人間集団の基底 に存在する「家族」とその「家族」意識を捉えなおし,先秦期の「家族」秩序の形成が,古代国家の形成過程とどのように対応し,また展開していったのかを検 討していく。
 以上の2報告により,古代国家における秩序形成の過程とその展開の様相の解明を試みる。大会当日には多くの方々の参加と活発な議論を期待したい。(生島 修平・小野恭一)

中世史部会

中世における非常時対応と危機管理

中世史部会運営委員会から
 中世史部会では,1990年代の地域社会論を踏まえ,2000年以降,在地と国家とを切り結ぶ多様な切り口を模索し,収取,荘園制,宗教,在地領主など の問題を取り上げてきた。その成果を受けて,2008~2010年度大会においては,地域社会を含みこむ形で国家権力へと視点を移し,権力による紛争解 決,武家政権の都市支配,公家社会の構造といったテーマから,権力のあり方そのものについて検討を行ってきた。
 そして,2011年度大会では,以上の成果を踏まえ,改めて権力と地域のあり方を問い直す必要があるとの認識から,権力と村落をテーマとした中世社会論 の深化を試みた。坂本亮太報告では,惣村の成立・展開において在地寺社や宗教者の果たした機能・役割を考察し,また,長谷川裕子報告では,村請の実態や土 豪の機能などに再検討を加えた。両報告により,中世村落研究に新たな視座を提供することができたと考える。
一方で,村落に関わる実態の追究が中心となったため,結果として,地域の問題が村落に収斂されてしまうとともに,権力の問題を十分に議論に組み込むことが できなかったのも事実である。こうした点は,近年の村落研究・地域研究の大きな課題ともいえよう。
 ただ,村落研究・地域研究が災害や戦争といったいわば非常時に注目して,豊かな成果をあげてきた点は重要である。特に,戦国期は飢饉や戦争が慢性化して いたとの理解が提示され,村における民衆の生存やそれに対する領主の責務などを中心に危機管理についても成果が蓄積されつつある。
 そこで改めて想起したいのが,西谷地晴美氏による「中世では災害や戦争など非常時への対処の仕方にこそ,国制の特徴と時代性が現れるのではないか」との 提言である(「中世の集団と国制」『日本史研究』440,1999年)。災害や戦争といった非常時への反応や対応は,その時代における国家や社会の特質を より鮮明に浮かび上がらせるものであり,歴史研究の中心的課題として,時期や対象を限定することなく多様な角度から考察する必要があるといえよう。よって 2012年度大会では,「中世における非常時対応と危機管理」をテーマとして,権力と地域のあり方についてさらに検討を深めていくことにしたい。時代の転 換点にあって国家や地域の意義が問い直されている今日,歴史上における国家・社会の特質を解明するための分析視角として,非常時や危機を正面から取り上げ ることには大きな意義があると考える。
 人々は非常時をいかに認識し,いかなる危機管理体制のもとで克服を図るのか。また,それはどのような支配理念や権力メカニズム,社会編成原理に基づくも のなのか。そして,非常時に対応していくなかで,政治・社会・軍事等の諸システムや人々の価値観・世界観はどのように変化していくのか。こうした問題につ いて,災害史や戦争史の成果も踏まえつつ,より幅広い視野から検討を加え,中世国家論・社会論を構築し直していくことが望まれる。
 今年度大会では,上記の課題に対し,特に以下の二つのポイントを重視してアプローチを試みたい。
 第1は,認識・観念やイデオロギー・コスモロジーへの注目である。災害史や戦争史など非常時に関わる成果は,今日さまざまな視点から積み重ねられている が,実態面での解明が中心となっている。中世史部会でも,戦争・平和や環境・災害に関わるテーマを設定し,実態を重視した議論に取り組んできた。こうした 成果を受け止めつつ,さらに研究を深めていくためには,現代のような災害や戦争に対する認識が存在していなかったであろう中世において,そもそもどのよう な非常時認識が存在し,それが国家の形態や社会の動向をいかに規定していたのかを追究し,実態と認識とを総合的に捉えていくことが重要な課題であると考え る。
 第2は,国家権力や領主権力への注目である。危機管理については,中世後期を中心に村の存立や民衆の生存を重視する立場から研究が蓄積されており,中世 史部会においてもこうしたテーマの報告を用意してきた。そのうえで,より立体的な国家像や社会像を描き出していくためには,幕府論や王権論,戦国大名論, 在地領主論などの成果を踏まえながら,権力における非常時認識や危機管理システムについても正面から検討を加え,権力と地域との両者を射程に入れた複眼的 な考察を深めていく必要があると考える。
こうした問題意識から当日は,片岡耕平「日本中世の災異対応と統合」,呉座勇一「南北朝~室町期の戦争と在地領主」の2報告を用意している。
 片岡報告では,中世前期の朝廷や幕府において災害や怪異などの非常事態がどのように認識されていたのかを検討することで,中世の国家・王権をめぐるイデ オロギーやコスモロジーを解明し,人々一般をも含み込んだ日本史上における統合の契機について論究していただく。呉座報告では,鎌倉期や戦国期に比べて実 態の解明が遅れている南北朝期の戦争について,国家と地域との結節点にあって内乱を戦った在地領主に焦点を合わせながら,彼らの非常時認識や危機管理シス テムに着目して検討を行い,中世社会の特質を考究していただく。
 大会当日には,以上の主旨をご理解いただき,建設的な議論が行われることを期待したい。なお,両報告の内容を理解するうえで,以下の文献を参照されるこ とをお願いする。(下村周太郎)

[参考文献]
片岡耕平「中世の穢観念と神社」(『日本歴史』688,2005年)。
同「「神国」の形成」(永井隆之ほか編『日本中世のNATION』岩田書院,2007年)。
同「永長の大田楽の動向」(『ヒストリア』206,2007年)。
呉座勇一「親子契約・兄弟契約・一揆契約」(『鎌倉遺文研究』19,2007年)。
同「伊勢北方一揆の構造と機能」(『日本歴史』712,2007年)。
同「室町期武家の一族分業」(阿部猛編『中世政治史の研究』日本史史料研究会,2010年)。

近世史部会

幕藩制的貨幣・金融構造の変容

近世史部会運営委員会から
 本年度の当部会は,広域的な貨幣/資本の動きが近世社会をいかに変容させるのか,という前年度来の問題についてあらためて問い直すべく,「幕藩制的貨 幣・金融構造の変容」と題して,報告を用意した。
 さて,1980年代以後──ポスト世直し状況論期──の当部会がきわめて強く意識してきたテーマに,いわゆる地域社会論と呼ばれる研究動向がある。豪農 に対置される半プロ層を変革主体に据えた佐々木潤之介氏に対し,久留島浩氏の組合村-惣代庄屋制論は中間層を主役として彼らの政治的力量を評価する流れを 生み,地域運営論が隆盛を見せることになる。他方,こうした運動論的な地域社会論が,矛盾をも孕んだ地域内部の社会構造を軽視していると見なす立場から は,地域の社会経済的諸関係を重視した分析が展開され,生活世界としての地域の個性把握を重視する立場も現れている。
 各論者の達成と限界をめぐっては,活発な議論の応酬が見られる。たとえば,前者の傾向に対しては生産関係や市場関係を通じて変容する社会構造との関連づ けが欠けているとの指摘があり,また後者に対しては「閉じた地域」になっているという批判的評価がある。あるいは,領主権力の規定性を十分に分析に組み込 んでいくことの重要性も説かれている。
 近年の当部会でも,新たな研究動向を踏まえた議論の提起とともに,こうした指摘を受けたさまざまな試みがなされてきた。たとえば,あらためて権力と地域 社会の関係を問おうとする意図が,2007年度大会の境界領域への着目,2010年度大会の民政への着目につながった。2009年度大会は商品経済の浸透 による地域の生活の変容を追究した。そして昨年度大会は,金融を媒介にした地域社会と領主層の再生産活動の関連性を強調することで,領主権力や域外の存在 との関わりのなかで地域社会を捉えることの重要性を示すとともに,市場の論理に対応する形で近世社会の編成替えが進んだ様相を描き出したのであり,かかる 試みの最たるものと言えよう。
 この昨年度大会の企画に対しては,当部会が扱おうとした問題に根深く関わる批判が寄せられた。すなわち,①藩内の資金の潤沢さを過大評価していないか, むしろ赤字にもかかわらず藩が融資を受け続けられたのはなぜかを問うべきではなかったか,また②藩領国アウタルキー的に枠組みを限定しているが,領国内で 完結しない資金循環の関係を議論していく必要があるのではないか,そして③時代転換の動因を社会内部に探そうとする場合,相互依存を重視する研究視角は非 力である,と。
 領主層と地域社会の再生産を成り立たせる構造,またその変化を考える際に,地域を越えて動く「資本」が及ぼす影響が大きいことを強調しようとした当部会 にとって,こうした批判を受けたことは,この問題についてさらなる検討の必要性を感じさせるものだった。
 そこで本年度は,①'必ずしも潤沢な資金を有するとは限らない諸藩は,いかなる形で融資を確保し,再生産を維持したのか,②'領国内で完結しない資金循 環がいかに領主層/地域社会に影響を与えたか,これらの再検討を通じて,③'近世社会への市場の論理の浸潤,およびそれへの対応という時代の変化をもたら す動因を,あらためて浮き彫りにしていくことを目指す。
 その際,近世的な領主的流通の崩壊をめぐって重視されてきた,そして中心的な金融市場として幕藩財政に対し規定力を有した,大坂の地位をめぐる問題は, 正面から扱ってしかるべき論点であろう。かくして本年度の当部会は,高槻泰郎・小林延人両氏に報告を依頼した。
 高槻報告「幕藩領主と大坂金融市場」は,近世中後期にかけて,幕藩領主と大坂商人の利害が複雑に絡み合うなかで変容を遂げていった大坂金融市場を分析対 象とする。ここで特に着目するのは,諸大名による資金調達手段のうち,最も一般的な手段,すなわち払米による米切手の発行を通じた資金調達と,館入・口入 を通じた資金調達の2系統である。史料上,前者を担った商人は「浜方」,後者を担った商人は「銀主」と呼称されるが,彼らが債務者たる大名に突きつけた論 理,そして大坂金融市場の統治者たる幕府に突きつけた論理を詳らかにすることで,領主経済を支えた大坂金融市場の論理への接近を試みる。そしてそれが近世 社会に及ぼした影響を展望する。
 小林報告は「幕末維新期の貨幣経済」と題する。幕藩体制から近代的中央集権国家への移行のなかで,貨幣制度は三貨制度から統一貨幣制度に編成し直され た。この報告では,慶応4年5月に発行された太政官札,および同月に出された銀目廃止令がその編成替えを促した側面を評価するとともに,編成替えの際に貨 幣の所持者が潜在的にどのようなリスクを抱え,どのようにそれへ対抗したのかを具体的に検討する。他方,維新期には藩札の流通が活発化し,このため明治7 年頃まで貨幣制度の統一はなしえなかったが,この期間に藩札が人々の経済活動に果たした役割を積極的に意義づける。最後に,こうした貨幣流通の議論に加え て,大名貸と藩債処分を評価し直すことで,幕末維新期の経済発展の如何をめぐる議論を再考する。
 国家および地域と貨幣・金融をめぐる問題系に,仮借なき分析のメスを入れる必要性は,グローバルな金融危機と為替変動が雇用と諸物価の変動に結びつき, 人々の生存を巻き込んで世界に不安定さをもたらしている現在,大きな高まりを見せている。今なお「資本主義」に「鉄の必然性」を認める立場に踏みとどまる ことができる者ならば,近世社会がそこから自由であるとはいえまい。前期的なものであれ,資本の論理に対応した形での近世的世界の編成替えという問題は, それをどう評価するにせよ,軽視するわけにはいかない論点であり,再生産の維持と深く関わる貨幣・金融の動態分析の新たな一歩が望まれているのだ。
 21世紀の近世史研究にとって何が重要な課題なのか,あらためて問い直しうる大会とするため,幅広く活発な議論を期待し,多くの方々の参加を望む次第で ある。(三ツ松 誠)

[参考文献]
森泰博『大名金融史論』大原新生社,1970年。
山本有造『両から円へ』ミネルヴァ書房,1994年。
高槻泰郎『近世米市場の形成と展開──幕府司法と堂島米会所の発展──』名古屋大学出版会,2012年。
小林延人「明治初年における太政官札の流通経路」(『史学雑誌』115-7,2006年)。
同「明治初年における上田藩の贋金問題と紙幣流通」(阿部勇・井川克彦・西川武臣『蚕都信州上田の近代』岩田書院,2011年)。

近代史部会

3・11後の歴史的地平―科学・技術、国家、社会-

近代史部会運営委員会から
 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれにともなう大津波,そして東京電力福島第一原子力発電所の事故は,科学・技術に関して相反す るかのように見える二つの反応を惹起するものであったといえよう。すなわち,一方では科学・技術の「進歩」に対する不安や懸念,他方ではそのさらなる「進 歩」の希求である。
 科学・技術への不安は,とりわけ福島第一原子力発電所の事故に起因するものであった。その事故は原子力に対する茫漠とした恐怖を明確に現実化し,その結 果原子力発電への批判的な声が高まり,それを可能とした科学・技術の「進歩」への不安が生じたのである。さらに,原子力の専門家として原子力行政に関わっ てきた科学者・技術者の信用失墜は著しく,対照的に原子力発電に批判的な科学者が脚光を浴びるという光景が見られた。原子力発電に対する,科学者個人の態 度そのものが問題とされたのである。
 しかし原発事故が改めて浮き彫りにしたのは,科学者や技術者個人の問題よりも,大学を含む諸種の研究機関,企業,国家,社会の関係の内に横たわる構造的 な問題であった。すなわち,原子力発電の開発という国策遂行のなかで,国家,大学,企業などが一体となってそれを推進し,内外からの批判がなされにくい状 況がつくられていたのである。原発事故が惹起した科学・技術への不安,原子力行政に関わってきた科学者や技術者への不信も,こうした構造が抱える問題に起 因している。
 他方,震災と津波,原発事故は,科学・技術のさらなる「進歩」を希求する声も生んだ。すなわち,地震予知,津波の早期警戒網の確立,10メートル超の津 波を防ぐ大規模な堤防整備などの防災・減災の分野や,原子力発電所の安全向上,あるいは脱原発を進めた場合の代替エネルギー開発などにおいて,さらなる科 学・技術の革新が求められている。この面においては,科学・技術を取り巻く政治的・社会的構造が問題視されているようには思われない。むしろ,科学・技術 の「進歩」を効率的に推進するための,新たな研究体制の構築や重点的資金配分が期待されているのである。
 このように,2011年3月11日の大震災と原子力発電所の事故によって,科学・技術を取り巻く構造が問題化されながらも,その根本的再考にはいたって いない。むしろこの二つの測面は科学・技術と国家や社会との関係の根深さを明らかにしており,その解明は歴史学の課題である。そこで2012年度歴史学研 究会・近代史部会大会では,「3・11後の歴史的地平──科学・技術,国家,社会──」というテーマを掲げ,科学・技術,科学者・技術者,研究機関や研究 者集団が,国家や社会と築いてきた関係を歴史的に検証したい。科学・技術をめぐる構造を地域横断的に検討することで,現在に生きるわれわれが,いかに科 学・技術との関係を築いていくべきかについて有益な示唆が得られるだろう。
 科学史・技術史の文脈では,1980年代以降,科学・技術を国家や社会との関係性という観点から捉えなおす研究潮流があった。そのなかで,第一次世界大 戦を契機として,科学・技術を扱う専門家集団が国家との関係を緊密化していったことが指摘されるが,そうした関係を体現するもっとも顕著な例が,第二次世 界大戦後のアメリカ合衆国で急速に発達したといわれる軍産複合体であろう。近年,この軍産複合体のなかに組みこまれた研究機関としての大学の役割を強調 し,それを「軍産学複合体」と呼称する向きがあるが,第一報告者の畑野勇氏は,近代日本のなかに「軍産学複合体」を見出す。畑野氏の報告「戦時体制期日本 の「軍産学複合体」──科学・技術の専門家集団の膨張とその問題性──」は,軍事関連技術の専門家集団であった陸海軍が重工業界や大学との間に形成した 「軍産学複合体」の活動を取り上げ,科学・技術をめぐる意思決定主体が専門家集団に限定されがちであることの弊害について考察する。この複合体が戦時体制 期に,人的資源の配分決定権をはじめとして,物的・財政的諸資源の配分や工業生産力の調整にも多大な影響を及ぼすと同時に,研究開発をめぐる共同体内部で の平等互恵性と,外部からのチェック抑制を排除する閉鎖性という二面性をも有し,結果として国民に多大な惨禍をもたらしたことを畑野報告は明らかにする。
上記のごとく,科学・技術と国家や社会との関係が,近現代の枠組みにおいて考察される傾向があるのに対し,科学的な知の営みや認識論的枠組みの違いを意識 しながら,近代以前における同様の問題に取り組んできたのが,第二報告の隠岐さや香氏である。隠岐氏の報告「パリ王立科学アカデミーにみる近代科学と国 家」は,近代西洋社会における国家による最初の本格的な科学研究機関の一つとされるパリ王立科学アカデミーに焦点を当てる。当時のフランスでは大学は科学 研究の中心にはなく,アカデミーと呼ばれた組織がそれを担っていた。同アカデミーはフランス革命期に廃止されるものの,その関係者が今日にもつながる科学 の諸制度を構築していったのである。隠岐報告は,この科学アカデミーが出現した経緯,および時代ごとの国家や社会との関わりを検証し,それにより近代国家 の形成と自然科学の制度化がどのように関わりあっていたのかを考察するものである。
 さらに,第二次世界大戦前のアメリカの原子力研究を専門とする日野川静枝氏,近代アイルランドにおける高等教育を専門とする崎山直樹氏にコメントをお願 いする。時代・地域の異なる報告とコメントを通じ,それぞれの時代・地域における科学・技術の特殊性が導き出されるとともに,比較史的観点から有益な議論 が引き出され,歴史全体における科学・技術の重要性について深い考察がなされることを期待する。(藤田怜史)

[参考文献]
畑野勇『近代日本の軍産学複合体──海軍・重工業界・大学──』創文社,2005年。
隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」──フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ──』名古屋大学出版会,2011年。

現代史部会

「開発の時代」における主体形成―その呼びかけの論理と対抗の戦略―

現代史部会運営委員会から
 2000年代に入り,現代史部会では1950~60年代に関する歴史的分析の本格化を受け,共同性,ジェンダー,植民地主義などの視角から,その成果を 積極的に紹介してきた。さらに2000年代後半からは新自由主義との対峙という現在的課題を強く意識しつつ,私たちの歴史認識を鍛えるための手がかりとし て,日本社会に特有な「高度成長」像を問い直す作業を続けてきた。2009年度の当部会「「豊かな社会」の都市政治にみる参加と対抗」において,1960 年代の都市政治と地域住民のあいだにいかなる相互規定関係が生まれたのかを,日・米を事例に検討したのはその集約のひとつといえよう。2012年度は,こ うした取り組みを以下の問題関心に即してさらに深めていきたい。
 日本の「高度成長」は,今日まできわめて一国史的枠組みで理解されてきたが,本来,冷戦によって他地域とともに構造化され,その構造的位置を前提に初め て可能になった事象である。にもかかわらず「成長」へのノスタルジーや日米関係に緊縛され狭隘化した視野により,「高度成長」が「開発独裁」体制や社会主 義の「建設」と同時代の出来事であり,それこそが冷戦期の世界の不均等な構造化の一環であることが理解できないでいる。そうした認識の閉域を乗り越える研 究が,緊急かつ多方面にわたり必要とされている。そこで今年度は,冷戦期の世界の一側面である「開発」の意味を広義に捉え,「開発」が焦点となった時代に おける主体のつくられ方に着目することで,当該期の歴史的特性と世界史的連関をより明確につかむ手がかりとしたい。
 「開発の時代」という規定は,冷戦期の第三世界にとどまらず,近年では「開発主義」という概念を通じて日本戦後史に対しても適用されている。ところが, それらの概念規定のあいだに議論の橋渡しは乏しく,日本史における「開発主義」は一種の体制原理という理解にとどまっている。けれども,冷戦という戦時下 にあって,「開発」とは「国民」の能力の解放と制御をめざして主体に呼びかけ/主体をつくりだす力能によって,初めて底深い社会変容となりうる。しかも, その「呼びかけ」は単なる操作や入力にとどまらず,それを受容し主体化を図る過程自体が,「呼びかけ」の想定する 世界観を乗り越える運動性を獲得し,対 抗を惹起する。そこに焦点を当てたい。
 具体的には,社会開発や環境・福祉をめぐる諸課題に取り組む多様な運動が生まれた1950~70年代において,課題に直面するなかから諸主体がいかに生 成し,せめぎあい,相互に共鳴や反発といった関係性を生じさせながら対抗の担い手になっていったのか,その過程に着目する。開発をめぐる「呼びかけ」は, 権力者(や対抗者)の側の一方向からだけでなく,多様な回路を通じてときに錯綜し,ときに重なりあう。そうした複雑な化学反応が生じる場にこそ,「開発の 時代」を「下から」支え,また変容させもする主体化の力学を看取できるのではないか。
 こうした視角からの検討は,東西のイデオロギー対立や開発主義といった大きな枠組みで論じられがちな当該期を,社会史的なミクロのレベルから捉え返すも のであり,時代の全体像を構築するために不可欠である。加えてこの作業は,今日の規範的な「市民」像や市民社会論を再考に付し,新自由主義の世界的席捲に 棹さす価値観や行動様式が,この時代に生まれた主体のうちにどのように胚胎したのかを見通すよう,私たちに要請するだろう。
以上の問題関心にもとづき,今年度の当部会は以下の2報告とコメントによって構成される。
 まず,原山浩介氏の報告「「消費者」の時代を問い直す──産業社会におけるあいまいな主体──」では,「消費者」から日本の「開発の時代」の読み解きが 試みられる。「消費者」とは,特定の集団を指しえないにもかかわらず,戦後社会の能動的な担い手として,さまざまな立場から常に多義的な役割を負わされて きた。ならば「消費者」は戦後社会にどのように登場し,変容をとげたのか。原山報告ではこの点を,政策や財界,社会運動の各々が発した主体化への「呼びか け」と,実際に生起した「消費者」の運動とが相互に規定しあう関係の分析を通じて明らかにする。複雑につくられる(かに見える)主体という視点に立って分 析することは,消費者運動の担い手を「主婦」と想定してきたこの社会のジェンダー秩序や「市民」像を批判的に吟味することにもつながるだろう。
 次に,河村雅美氏の報告「「高度成長」と「開発」の時代──日本・東南アジア・沖縄──」は,タイと沖縄を中心として副題の3地域における主体形成を比 較することで,「高度成長」像を相対化する視点が提示される。タイにおいて「開発の時代」とは「冷戦」,とりわけアメリカの存在と不可分であった。人々は 自らが実現したい利益や直面したさまざまな社会問題に合わせて多様な主体を形成していったが,その主体は常に「冷戦」との緊張関係のなかにあった。沖縄に 生活し,暴力と対峙してきた社会学者である河村氏の研究により,「高度成長」の神話を読み直すことで,一国史の枠組みから分析することの限界性が照らし出 されるだろう。
 両報告に対して,さらに中国近現代史研究の久保亨氏から,冷戦のもう一方の側である当該期の社会主義社会における同時代性をふまえてコメントをいただ く。現代史研究にとどまらず現代社会への視座を鍛える場ともすべく,多地域・多分野からの積極的な参加をぜひともお願いしたい。(齋藤一晴)

[参考文献]
原山浩介『消費者の戦後史──闇市から主婦の時代へ──』日本経済評論社,2011年。
河村雅美「サリット時代(1958-1963年)のメディアにみられるタイの開発イメージ──「開発」の精神とその解釈をめぐって──」(『東南アジア ──歴史と文化──』33,2004年)。
河村雅美「ダム建設という「開発パッケージ」」(町村敬志編『開発の時間 開発の空間──佐久間ダムと地域社会の半世紀──』東京大学出版会,2006 年)。
河村雅美「高度成長と東南アジア──「開発」という冷戦・「ベトナム戦争」という熱戦のなかで──」(大門正克ほか編『過熱と揺らぎ〈高度成長の時代 2〉』大月書店,2010年)。
久保亨『社会主義への挑戦──1945-1971──〈シリーズ中国近現代史④〉』岩波書店(新書),2011年。

合同部会

時代転換期における都市共同体の再編

合同部会運営委員会から
 ヒトは群れをなす動物であり,その長い歴史のなかで,共同体を形成し,いわば共同体という揺りかごのなかで生活し,文明を育んできた。しかし,そうした 人類の母体たる共同体も常に一定不変の存在ではなく,ある時は内的要因によって,またある時は外的要因によって危機に晒されてきた。そして,人類がそうし た共同体の危機をさまざまな仕方で克服し再生を遂げるなかで,共同体はただ旧に復するにとどまらず,新たな形で再編されてきたのである。
 一般に,共同体は,その成員間における政治的,経済的,社会的,文化的あるいは宗教的な共通性と共属意識によって形づくられていると解される。この理解 に従うならば,共同体の再編とは単に物理的な再編を意味するものではないことは明白である。かつてローマ皇帝アウグストゥスは,自らの業績として,ローマ を煉瓦の町から大理石の町へと変身させたことを誇ったという。とはいえ,アウグストゥスによるローマの再編は都市景観の変容を超えて,既存の共和政に取っ て代わる統治形態としての元首政をも確立する契機ともなったのであり,ローマの歴史上,きわめて重要な時代の転換点に位置づけられるものである。
 このように,共同体が再生するなかで変容し再編されていく過程は,当該の共同体がさまざまなレベルにおいて新たな形で再形成され,ふたたび安定化してい く過程であるといえよう。そして,それゆえに,程度の差こそあれ,共同体の再編は不可避的に時代の転換期に位置づけられるとともに,共同体の再編が時代を 画することにもなる。
共同体の危機と再編は,事象としては歴史のなかで普遍的かつ無数に見出されるものである。そのなかでも,多種多様な人々によって構成される都市は,古代ギ リシアのポリスやヴェネツィア,フィレンツェをはじめとする中世の諸都市の例をあげるまでもなく,近世・近代,そして現代にいたるまで時代・地域を問わず 共同体が活動する基本的な単位として,共同体の危機と再編がさまざまな側面において顕著に確認される場である。
 そこで,2012年度の合同部会では,さまざまな時代や地域を専門とする研究者たちが意見を交換する場としての利を得て,「時代転換期における都市共同 体の再編」をテーマに,古代ローマ史,近世フランス史,およびオスマン帝国史という異なる時代と地域において見出される多様な都市共同体が危機を克服し再 生を遂げるなかで変容し再編されてゆく過程に焦点を当てて相互に比較・考察し,その多様性はもとより各々の特異性をより明白に描き出すことを通じて,その 歴史的意義について議論を深めたい。
 最初の報告,古代ローマ史研究を専門とする桑山由文氏の「ハドリアヌス以後のアテネ──ローマ帝国支配下における「復興」とその実態──」では,過去の 「栄光」を失って久しかった都市アテネが,紀元後2世紀前半のハドリアヌス帝による「復興」を受け,どのように変化していったのか,またそのことが当時の ギリシア文化圏,さらにはローマ帝国全体にいかなる影響を与えていくことになったのかを考察する。
 また,近世フランス史からは高澤紀恵氏が,都市民の共属意識に着目して都市共同体を捉え,「聖なる都市パリの危機と再編──カトリック改革から考える ──」を報告する。高澤報告は,宗教戦争を経た17世紀,とりわけカトリック改革運動が高揚するルイ13世治世下のパリを対象に,統合の側面のみならず, 内部の軋みや緊張関係にも留意しながら,プロテスタントの存在を前にした都市民が自らの都市をいかに受け止め,危機の克服を図ったかを検討・考察する。
 さらに,自然災害を要因とする都市共同体の危機に着目し,オスマン帝国史研究の澤井一彰氏が「1509年のイスタンブル大地震とその後の復興──「この 世の終わり」と呼ばれた大震災──」を報告する。澤井報告では,日本と同様に地震頻発地域であるアナトリアの歴史においても随一の規模であった1509年 のイスタンブル大地震とその後の復興の状況を歴史学的アプローチから明らかにすることで,環境史の重要性についても触れながら,都市共同体が自然災害から 復興し,再編されていくひとつの事例を提示する。
 2011年,東日本を襲った未曾有の大地震によって共同体の解体と復興という問題は否応なく強く意識されている。このような現状に鑑みるならば,本シン ポジウムがテーマとする都市共同体の危機と再編について議論を交わし,その歴史的意義について考察することは,いずれ歴史の一部となるべき共同体の再編過 程を目の当たりにしているわれわれ現代人にとっても大きな示唆を与えることになろう。なお,シンポジウム後半の質疑応答ではイタリア中世都市史研究の視点 から徳橋曜氏にコメントをいただくとともに,司会もつとめていただく。さまざまな時代と地域を対象とする研究者が,積極的に議論に参加することを期待した い。

特設部会

災害の「いま」を生きることと歴史を学ぶこと-3・11以降の歴史学はいかにあるべきか-

委員会から
 2011年3月11日以降,日本に暮らす人びとの多くは災害の「いま」を生きている。自然災害=天災と社会的災害=人災の複合災害はその地理的範囲を拡 大しつつ継続し,いつ終息するのか,予測すらできないのが現状である。私たちの生存維持の条件そのものが根底から揺さぶられているといっても過言ではない だろう。災害のいまを生きる者として歴史研究者は,歴史を学ぶという営みをどう見直していくべきなのか。その営みを社会に対していかなる形で発信できるの か。2012年大会で特設部会を設けたのは,これらの問いに取り組むのは歴史学研究会の責務であると考えたからである。
 3・11を契機として歴史学研究会は,従来,災害に対して十分な関心を寄せてこなかったと認めざるをえなかった。災害史という研究分野がなかったわけで はないし,この分野で優れた業績を公刊してきた会員も少なくない。先駆者たちは,阪神・淡路大震災のような災害が起きるたびに災害史の重要性を訴えてき た。ところが,歴史研究者の大半は,こうした訴えを受け止めきれなかった。たとえば,2011年度大会全体会主旨説明には「人びとの生存が脅かされ」てい るとあるが,これを起草した時点で生存を脅かす要因として災害を念頭に置くことはなかった。私たちの多くは,東日本大震災が原発事故という人災を引き起こ し,終わりの見えない複合災害を生きることを強いられてはじめて,災害を自らの生存に関わる問題として捉えられるようになったのではないだろうか。
 災害史研究者からすれば,自分たちの研究の重要性を認識させるための条件が整えられたといえなくはないが,それが喜ぶべき事態でないことはいうまでもな い。先駆者の一人,北原糸子氏は,防災のために積極的に発言するのを控えたのは誤りだったのではないかと自問している。今回は「災害史研究の現状と課題」 というタイトルで,災害史研究と社会の関わり方について論じていただく。
 災害が大規模化し,複合化するにつれ,被災地の復興は長く,複雑な経緯をたどらざるをえない。それは,甚大な物的損害だけでなく,肉親や知人の死と向き あうことから生じる心理的喪失感を伴う非日常性からの回復でもある。この道のりに歴史研究者はどう関わることができるのか。災害史研究の立場からは,歴史 上,復興に際して人びとがいかなる障害に直面し,それらをどのように解決したのかを比較したうえで,今回だけでなく将来の災害からの復興のための帰納的モ デルを提示することが考えられる。日本中世における災害と復興を研究してきた西谷地晴美氏の報告は「災害における所有と依存」と題されている。災害は地域 社会を崩壊の危機に直面させ,非日常的な依存関係を発現させる。既存の秩序はそこから再構築され,日常性を回復する。報告では,従来の所有論にこの「依 存」という視点を加味することで,災害と復興に関する理論的な考察を展開していただく。
 これらの道が災害史研究者にのみ開かれているからといって,すべての歴史研究者が災害史に転向するのは現実的ではないし,望ましくもない。では,どうい う道が可能なのか。災害史研究の成果が広く社会に浸透しなかった理由の一つは,災害と復興という要因を組み込んだ歴史像をつくってこなかった歴史学のあり 方に求められる。戦争と平和と比べれば,それは明らかだろう。これからの歴史学は,災害と復興という問題系を組み込んだ新たな歴史像を構築し,通史や歴史 教科書の形で発信することで,災害史研究の成果を社会の知的共有財産にすることを,集団的課題の一つとすべきではないか。
 他方で,研究者個人が災害のいまに関わる形で研究を展開する可能性も探らねばならない。災害を天災と人災の複合体として捉えるとき,特定の地域に被害が 集中するのは偶然でなくなる。災害が起きる以前に,それぞれの地域社会がどのように構造化されてきたのか,自然環境との関わりでいえばいかなる開発の産物 であるのかという歴史的・人為的な要因が,被害のあり方を規定するのだから。研究蓄積のある地域社会論に,外部環境の改変とそれがもたらす潜在的な災害リ スクの増大という次元を取り込むならば,被害が集中する確率の高い地域を生み出すメカニズムの解明につながるだろう。中嶋久人氏には「原発災害に対する不 安・批判の鎮静化と地方利益──電源交付金制度の創設をめぐって──」と題し,原発立地という特殊な開発モデルの導入が,今次の複合災害による被害の福島 県浜通りへの集中を招くこととなった経緯を検討していただく。原発事故という災害リスクに対する地域住民の意識を抑圧する地方政治システムが,結果として 災害リスクへの対処能力を低下させた側面に焦点をあてることは,原発依存という開発モデル──私たちの多くがその受益者だったことを忘れてはならない── からの脱却を構想するための第一歩となりえよう。
 日常性の回復への道のりに歴史学が寄与しうるとはいっても,災害に終息の見通しがつかない現状では,帰納的な手法に依拠する歴史研究者に荷が重いのは否 めない。そこで環境社会学の原口弥生氏には「災害回復(レジリエンス)の再検討──自然・社会・技術──」と題し,自然災害と技術災害の比較という観点か ら,まず2005年8月末に米国南部を襲ったハリケーン・カトリーナによる複合災害に即し,災害までの不均等な開発の経緯,災害の実態,そして災害からの 復興という三つの局面を包括的に考察するための参照枠組みを提示していただく。報告の後半では,この枠組みに依拠しながら福島第一原発事故を検討される。 原口報告は,社会学と歴史学の間での災害や環境という問題系をめぐる対話のためのきっかけとなりうると考えている。
 生存維持の条件の変化が歴史学に課している課題を,これら4本の報告でカバーすることはできない。けれども,ここでの報告と討論を通じ,参加者一人ひと りが,災害のいまを生きる歴史研究者として何ができるのかを考えるためのヒントを得るならば,そしてそれが災害と生存維持を組み込んだ歴史学の持続的な展 開につながるならば,本部会はその目的を達成したといえよう。(研究部)