2005年度歴史学研究会大会


会場 明治大学駿河台校舎(東京都千代田区)

第1日目 5月28日(土) 
 13:00~
全体会 13:00~17:30 
イスラームとアメリカ-民主主義という眩惑- リバティタワー 1階ホール
ナショナリズムとしてのイスラーム-聖地エルサレムをめぐる政治-………………臼杵陽
「理念国家」を問い直すこと-アメリカ合衆国をめぐる歴史認識- …………………中條献
  コメント 徐京植


第2日目 5月29日(日)   9:30~17:30 (特設部会12:00~13:30予定)

古代史部会  古代王権の構造と支配秩序Ⅱ  リバティタワー 1011教室
 天皇即位儀礼からみた古代の国家と社会………………………………………藤森健太郎
 対匈奴関係からみた漢朝支配体制の推移と確立………………………………阿部幸信

中世史部会  中世の荘園制と地域社会    リバティタワー 1階ホール
 14世紀の地域社会と荘園制 ……………………………………………………小川弘和
 「応永の検注帳」と中世後期荘園制 ……… …………………………………岡野友彦

近世史部会  近世の国家・社会と「秩序」   11号館50番教室
近世における触穢観念と政治秩序 ………………………………………………中川学
 キリシタン禁制と異端的宗教活動 ………………………………………………大橋幸泰


近代史部会  近代化における「伝統的」民衆運動の再検討
                                 リバティタワー 1022教室
 語られる手段としての暴力-甲州騒動・世直し騒動、そして秩父事件-………須田努
 ビルマ農民大反乱(1930~1932年)に関する一考察-農民蜂起の意識過程-
                        …………………………………… 伊野憲治
 1930年代スペインの農民運動-持続と変容- ……………………………… 中塚次郎
  コメント 太田好信・南塚信吾

現代史部会  複合的視角から見た戦後日本社会-高度経済成長の外縁-
                                リバティタワー 1031教室
在日朝鮮人女性にとっての戦後30年………………………………………………宋連玉
戦後京阪神大都市におけるマイノリティをめぐる都市空間と政治…………………水内俊雄
  コメント:大辻千恵子

*ポスターおよび会告等でお知らせした報告順序が上記のように変更になりました。
    宋連玉報告 9:30~   水内俊雄報告 13:30~

合同部会  ギリシア文化の伝播と受容  リバティタワー 1032教室
 古代ギリシア像と「神話」をめぐる精神史 …………………………………………庄子大亮
 10世紀の西方とビザンツ文化………………………………………………………竹部隆昌
 古代ギリシア自然哲学・科学のシリア語世界における受容………………………高橋英海
 クレモナのゲラルドゥスとアリストテレス……………………………………………熊倉庸介
  コメント 高田康成

特設部会 日本歴史学の未来-日本学術会議の再編から-    リバティタワー 1021教室
報告 小谷汪之  コメント 安田浩、松尾正人


◎会場整理費 一般1500円 学生(修士課程まで)1000円 (両日共通)

▲総会(9:30~11:30) (会員に限ります)
▲29日(日)の昼食はお弁当を用意します。受付でチケットをお求め下さい。
▲29日夜、リバティタワー23階で懇親会を行ないます(18:00~20:00)。
 参加費 一般3000円、学生(修士課程まで)2000円

▲大会当日保育所を設けます。詳しくは事務局まで電話でお問い合わせ下さい。
▲出張依頼状の必要な方は、同じく事務局までご連絡下さい。


◎先日、関係各所へ本大会のポスターをお送りし、掲示をお願いいたしましたが、
近代史部会の報告者名に以下の通り、誤りがありました。お手元にお持ちの方は、
ご訂正をお願いいたします。

近代史部会   須田務  →  須田努 

なお、ご本人および関係者には、大変ご迷惑をおかけいたしましたこと、
心よりお詫びいたします。(委員会)

全体会

イスラームとアメリカ-民主主義という眩惑-

委員会から
歴史学研究会は,ここ数年,グローバリゼーションをキー概念として全体会を企画してきた。その背景には,唯一の超大国と化したアメリカ合衆国の一国主義的ふるまいに対する不信も存在した。
その一国主義的行動は,2001年のアフガニスタン攻撃から2003年のイラク戦争へと発展し,グローバルな規模で政治的・社会的影響を及ぼしつつある。これら「対テロ戦争」は中東諸国をはじめとした地域における「世界民主化革命」のための戦争と規定されている。民主化のための戦争が正当化されているのだが,その根拠の一端がアメリカ政府の9/11調査委員会による報告書の中に見出される。「アメリカの価値観」に敵愾心を抱く「イスラーム原理主義者」が,「アラブ・ムスリム世界」で幅広い支持を集めている,との言説である。アラブ・ムスリム世界の人々を「非民主的」な「かれら」と一括すると同時に,それと対決する「われわれ」「アメリカ」という一体性を所与のものとしているのである。この矮小化された構図が,はたして「民主化のための戦争」の論拠となるのだろうか。むしろ「かれら」や「われわれ」の中にある差異を隠蔽する思考は民主主義と相反するのではなかろうか。
このような倒錯した状況の中で戦争が遂行され,世界各地で政府の意向と世論の分裂を顕在化させている。最近数年間のアメリカの軍事戦略は,朝鮮半島から東南アジア,インド洋,中東・北アフリカへとひろがるムスリムが多数を占める地域を「不安定の弧」と規定し,戦略策定のための主要な対象地域と位置づけてきた。ここにきて「不安定の弧」の言葉こそ取り下げようとしているものの,日本は自らをこれに対峙する最前線基地と位置づけ,積極的に軍事的な役割を果たし始めている。日本国憲法はおろか,日米安全保障条約からも逸脱した政策が,民主主義の危機の中で推進されているのである。「アメリカ対イスラーム」という陳腐な議論が大手を振っている状況は,民主主義の危機そのものである。いま,われわれはこうした民主主義をとりまく状況を根底から問い直す必要に迫られている。
イスラームと民主主義は両立するか,という議論は多くなされてきた。「女性抑圧」「異教徒差別」「世俗と宗教の不分離」などにより単一のイスラーム像が描かれてきた。パレスチナではこの問題が最も先鋭に観察される。パレスチナ人は「テロの温床」をかかえる非民主的なアラブ・ムスリムと一色にぬりつぶされ,「民主的なイスラエル国家」に対立させられる。臼杵陽氏には,「ナショナリズムとしてのイスラーム--聖地エルサレムをめぐる政治--」により,エルサレムを中心に多元的な宗教・社会を生きてきたパレスチナ人の歴史的経験とイスラームの包括的役割について報告をお願いした。
「多からなる一つ」を標榜してきたアメリカ合衆国の歴史は,多からなるがゆえの他者の排除・抑圧・差別の歴史でもあった。人種的マイノリティによる差別撤廃闘争やフェミニズムなど,他者化された人々によって繰り返し構築されてきたものこそが,「アメリカの民主主義」である。このプロセスを中心に中條献氏に「『理念国家』を問い直すこと--アメリカ合衆国をめぐる歴史認識--」を報告していただくことで現状に関する考察も深まるだろう。
「イスラームとアメリカ」というねじれた対抗軸にひそむ,外にも内にもつくりだされる「かれら」=他者の問題は,植民地主義の問題でもある。その文脈で,敗戦から現在に至るまでの日本における民主主義の内実も問い直される必要があろう。この点を再確認するとともに,他者化された人々が自己を追求するときの一体性や差異の問題をも視野に入れるために,アイデンティティの分裂と向き合いながら「在日朝鮮人」として語ってこられた徐京植氏に両報告を深化させる視点を提示いただく。
今日,「アメリカがイスラームを民主化する」という標語とともに民主主義が世界規模で危機に瀕するなかで,この言説を支える二項対立的図式を克服する視点を獲得する必要がある。本全体会での歴史的考察にもとづいた議論が,民主主義の再獲得にむけた一歩となることを期待する。(研究部)

〔参考文献〕
The 9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks upon the United States (New York: W.W. Norton, 2004).
臼杵陽『世界化するパレスチナ/イスラエル紛争』(岩波書店,2004年)。
同『イスラムの近代を読みなおす』(毎日新聞社,2001年)。
中條献『歴史のなかの人種--アメリカが創り出す差異と多様性--』(北樹出版,2004年)。
同「変化するナショナリズム--アメリカ合衆国の国民統合と公民権運動の歴史解釈--」『アメリカ史研究』27号(2004年8月)。

古代史部会

古代王権の構造と支配秩序Ⅱ

古代史部会運営委員会から
古代史部会では,これまで日本古代史・アジア前近代史・西洋古代史などの部会によって,成立期の国家について一国史を越えた議論を重ねてきた。本年も日本古代史部会・アジア前近代史部会が共同でテーマを設け,大会報告に臨むこととなった。以下,各部会のこれまでの議論と課題を整理しておく。
日本古代史部会では,1973年以来,首長制論にもとづく国家論を展開してきた。近年では地域社会の実態についての再検討を課題として大会報告を重ね,2003年度大会では出挙(三上喜孝氏)や贄(亀谷弘明氏)を取り上げ地域社会と国家との関係について論じた。一方,2000年度大会では黒瀬之恵氏報告が地域社会との「交通」という視点から王権論の再検討を提起し,2001年度大会では銭貨を通じた王権・国家と地域社会の結びつき(金沢悦男氏),王権そのものの構造変化(佐藤長門氏)が検討された。続く2002年度大会では古代国家・王権の展開期(転換期)としての平安期における王権の構造(神谷正昌氏)と空間認識(仁藤智子氏)の問題を取り上げ,王権論の深化と再構築を進めてきた。
アジア前近代史部会でも,1978年から「古代における法と共同体」という統一テーマを設け,1982年の「法と共同体--アジア的専制国家論の再検討にむけて」,1984年「アジア的専制国家論の再検討」,1985年「古代における国家と共同体」として継承し,議論や問題点の追究を継続した。さらに1988年からは「古代における王権と国家」という古代史部会テーマで太田幸男氏,豊島静英氏,多田狷介氏の報告がなされ,共同体を基礎とした国家構造把握の有効性を再認識させた。続く1991年からは「古代における在地社会の展開と国家」と題し,在地社会とその秩序性について渡邊義浩氏・伊藤敏雄氏による継続的・発展的議論が展開され,1994年の久保田宏次氏報告により,国家成立期から成立後へと対象を移行させつつ中国古代国家観の提示と検証が行われた。
近年では1998年に小嶋茂稔氏が国家・小農民・豪族の関係の把握から州・刺史の機構的変容に迫り,1999年度の飯尾秀幸氏による在地社会の変化と連動した国家支配の変質を追う報告へと受け継がれた。このように,国家・王権と在地社会の変質と構造的関連性について継続的な問題提起と再構成が繰り返されてきた。 
2004年度大会では,これら両部会の近年の大会報告を受け,古代王権・国家による支配の性質を明らかにするために,「古代王権の構造と支配秩序」をテーマとして河内春人氏の「『天下』論」,山田智氏の「漢代専制皇帝権の形成過程」の2報告が行われた。
河内報告では国家・王権の世界認識である「天下」をキーワードとして,支配を正当化するためのイデオロギーの推移を跡づけ,その大きな画期として5世紀末と律令国家の成立を位置づけた。また,それを受容する構成員のアイデンティティの問題についても論じ,それが支配客体に共有されるのは遅れることなどを明らかにした。河内報告によって古代日本における王権・国家の支配を支えるイデオロギーの形成過程と特質が明確にされたが,その支配イデオロギーは現実の古代社会とどのような照応・規定関係にあったのかという論点が提起された。それを明らかにするためには王権・国家のイデオロギーと社会とを結ぶものとして,その支配秩序を可視的に表現し,維持するための儀礼や祭祀,具体的な実行装置としての官僚機構などについての議論を深めることがなお必要となる。
山田報告では始皇帝以来の皇帝制度整備が武帝期までに国家的専制支配権力として展開してゆく,その実行構造について追究がなされた。これは西嶋定生氏以来の「中国古代専制主義」論を批判的に継承し,同時に「古代における王権と国家Ⅲ」(1990)で多田狷介氏が提示した「所有」の問題を皇帝家産という視点から発展させた。そこから新たに,王権自体の実行装置としての家産官僚群とその背景となる家産の問題が提示された。これは具体的にはこうした支配構造の概念と実行装置・機構とがどのようにして広く受容されたのかという点に集約される。特に上部構造側のテーゼであった支配概念やその制度化が,中間層そして下部構造まで含めた同一的秩序になったのか,そして機能化していったのかという点が直接かつ現在の課題として示されている。
以上のような両部会の昨年度大会の成果と課題を受け,本年度の古代史部会では大会テーマを引き続き「古代王権の構造と支配秩序」とし,日本古代史部会から藤森健太郎氏「天皇即位儀礼からみた古代の国家と社会」,アジア前近代史部会から阿部幸信氏「対匈奴関係からみた漢朝支配体制の推移と確立」の2報告により,古代国家・王権による支配構造の解明を試みる。
藤森報告では,日本古代における天皇の即位儀礼を中心に,儀礼の構造とその展開過程を検討する。天皇即位儀礼は天皇制のシステムを再生産する国家・王権の支配において最も重要な儀礼の一つであるが,その儀礼は支配イデオロギーを一方的に表象するのみでなく,そこに立ち会う人々に支配秩序を維持・確認する機能を有する。儀礼とそれを取り巻く構造を巨視的・俯瞰的に追っていくことで,国家・王権と社会の双方向的関係の展開を明らかにすることができるであろう。
阿部報告では,中国古代における対匈奴関係の推移にも注目し,秦漢時代における国家そのものの確立過程において,外的な要因がいかに実態として封建擬制とその構造的形成に影響を与えたかを併せて検討する。これらが社会的要因とともに,王権と国家そのものの実体を規定するまでに作用した過程を明らかにすることで,本報告は2004年度大会ならびに過去のアジア前近代史部会の大会報告が展開してきた中国古代専制国家論を継承発展させるものと認識している。
以上の2報告により,古代国家・王権による支配の具体像に迫ることができると考える。大会当日には多くの方々の参加と活発な議論を期待したい。
(中 大輔・膳 智之)

中世史部会

中世の荘園制と地域社会

日本中世史部会運営委員会から
近年の日本中世史部会は,国家と在地とを結ぶものとしての新しい歴史の切り口を模索してきた。こうした動向を受けて,2002年度大会では<流通>を切り口としながら,かつて日本中世史部会が取り組んだ「地域社会論」の成果を深めた。2003年度大会ではこの視点を受け継いで,「中世社会の再生産構造」の解明に取り組み,地域社会の実態をさらに深く理解することに成功するとともに,中世前期と後期の両時期をつなぐ議論を提示した。2004年度大会では,前年度大会の後者の議論をより深めるべく,13世紀末~15世紀という時期を一つの時代と設定し,当該期の社会像について議論することとした。その際,有効な問題対象として,「荘園制の変容」を設定した。
高橋一樹「荘園制の変質と公武権力」は,13世紀を通じて進行する荘園制の構造変化を,幕府権力を軸とした領有体系の再編という視角から論じ,清水克行「荘園制と室町社会」は,15世紀の物流構造の解明を通じて当該期の荘園制の内実を考察した。両報告とも,領主制論と表裏一体の関係として構築されてきた従来の荘園制論の見直しを図る,近年の新しい荘園制研究の成果を踏まえ,深化させたものである。その結果,そうした領主制論を相対化した視角から13世紀末~15世紀の社会像について,単純に領主制の発展としてだけでは捉えられない,当該期の複雑で多様な社会の構造・実態を打ち出すことに成功した。しかしながら,13世紀末~15世紀における荘園制の受け皿としての地域社会の実相については課題として残され,「荘園制の変容」をめぐる議論は,2004年度大会の成果の上に地域社会の議論を組み込んで総合的に構築される必要性が確認された。そこで2005年度大会では,13世紀末~15世紀における荘園制の受け皿としての地域社会の実相解明を軸として,引き続き「荘園制の変容」について議論することとした。
荘園制と地域社会との関係を問う研究を顧みると,それは中世後期を中心に,歴史的所与としての荘園制と,その枠組みから相対的に自立し,それを改編していく存在としての地域との関係が議論されてきた。しかしその一方で,中世前期の側からも,荘園制成立期における荘園制と地域との関係を問う研究が提示されており,都鄙間交通を媒介として両者が密接不可分に形成されてきた過程が議論された(「シンポジウム 日本中世の地域社会」,『歴史学研究』674,1995年参照)。この中世前期の側からの議論は,川端新・高橋一樹氏の研究に代表される,近年の立荘を基軸とした荘園制の議論へと継承されており,その実態について理解が深められたことは周知の通りである。
このように荘園制と地域社会との関係を問う研究は,これまで11世紀後半~12世紀前半と,14世紀後半~16世紀とで,別々に議論が積み重ねられてきたといえる。これに対し最近,この断絶を克服するべく,13世紀半ば~15世紀半ばに至るまでの時期の地域社会の様相解明に自覚的に取り組み,そこから荘園制の変質の内実を解明しようとする研究が公表されてきている。2005年度大会では,こうした荘園制の変質と13世紀末~15世紀半ばにおける地域社会秩序との関係を問う研究に積極的にリンクし,13世紀末~15世紀の荘園制論に対し新たな知見を加える。そして,2004年度大会の成果を踏まえて総合的に当該期の荘園制論を構築し,中世前期と後期の荘園制論の「架け橋」とすることで,中世を通じた荘園制の推移を見通したい。
当日は,小川弘和「14世紀の地域社会と荘園制」と,岡野友彦「『応永の検注帳』と中世後期荘園制」の二つの報告を用意している。
小川報告では,13世紀半ば~14世紀の地域社会秩序を担ったとされる「沙汰人」層の実態解明を通して,彼らが織りなす複雑な在地構造の上に,荘園制がいかに展開したかを考察する。そして,国家的課役の負担基盤たる「公田」が,当該期の地域社会秩序の再編を経ていかに確定したかを論じる。
岡野報告では,最近の研究において安定期とされる14世紀後半~15世紀半ばの時期の荘園制について,荘園領主・室町幕府・地域社会の三者の関係を有機的に関連づけながら,その「安定」的な構造の内実を追究する。具体的には,応永期に全国レベルで行われた検注帳作成の背景の検討が中心となる。
大会当日には,以上述べてきた主旨をご理解いただき,より建設的な議論が行われることを期待したい。なお,両報告の内容を理解する上で,以下の文献を参照されることをお勧めする。(田中大喜)

〔参考文献〕
小川弘和『古代・中世国家と領主支配』(吉川弘文館,1997年)第三部第一章。
同「南北朝期矢野荘田所職考」(『日本史研究』449,2000年)。
同「播磨国矢野荘海老名氏考--鎌倉末~南北朝期を中心に--」(『地方史研究』294,2001年)。
同「『大田文』帳簿群の歴史的展開」(『鎌倉遺文研究』11,2003年)。
岡野友彦『中世久我家と久我家領荘園』(続群書類従完成会,2002年)。

近世史部会

近世の国家・社会と「秩序」

近世史部会運営委員会から
近世史部会運営委員会は,本年度の大会テーマを「近世の国家・社会と「秩序」」とした。
近世史部会では1991年度以来,中期的テーマ「近世の国家と社会」を掲げて国家・社会の総合的把握を目指してきた。この中期的テーマは,91年当時,それまで追究されてきた近世国家像に比して近世社会像の把握が不十分であること,国家と社会との相互関連性の検討に課題を残しているとの認識から,近世国家論の成果と自治・共同体論の成果を踏まえ,国家と社会を総合的に把握していく試みであった。以来,多くの成果があがっているが,特に1999年から2001年度大会までの地域社会論では,政治・経済の精緻な分析から中間層の再検討や社会構造分析などを行い,地域社会の関係構造とその変動を描き出し,近世社会全般に通底する問題群を提示した。2002・03年度大会では,前年までに提示された社会構造分析を重視しながら,近世社会における政治支配と民衆との関わりを位置づける,新たな方法を展望した。そこでは「文化の政治性」という視座を提起し,イデオロギー装置としての「文化」と政治動向を考えた。そして昨年の「社会の近世化」論では,寛文・延宝期,あるいは綱吉政権期頃を画期として変容するとされてきた近世社会の画期・転換の意味を改めて問い直した。
以上のように,これまで「近世の国家と社会」を検討する多くの視座を示しえた。そこで,本年度は,中期的テーマを掲げた際の意図を再認識し,「社会の近世化」論で追究した「近世的」といわれるものの形成過程,「文化の政治性」論で追究した行為・価値観を左右する諸契機・規定性,そして,地域社会論では充分に深められなかった国家論との接合から近世の全体像の把握を目指したい。
すでに,1970年以降,幕藩制国家論の進展の中で,外交権・貨幣・交通・宗教統制・権威・イデオロギーなど,近世国家の統治権能についてさまざまな角度から検討がなされた。そこでは,むきだしの暴力により創始された幕府が統治権能を駆使し,近世国家が公権力としての安定を求めていたことが指摘されている。本年度はさらに近世国家権力の特質を解明するために,国家支配を成り立たせるために大きな役割を果たした「秩序」に着目する。
秩序には,法的側面と習俗・道徳としての側面の二面性が存在することはすでに指摘されている。秩序についてこれまでは法規範・法支配といった観点からの検討が中心であった。また近世史部会でも1997・98年度に秩序をテーマに取り上げたが,それは近世の国家権力と政治行為,領主階級それ自体の特質に迫ろうとする視点であった。本年度は,これまでの研究蓄積からさらに歩を進め,秩序の意識・習慣・常識などといった人々の行動様式を規定するものとしての側面に注目したい(以下,このような秩序には「 」を付す)。公権力によって作られた法や制度は,やがて習俗・慣行化することで人々の間に定着し,常識化する。その過程において,形作られた「秩序」には別の意味が付与され,人々がそれを利用する動きも現れてくる。それは国家が自らの安定をなすため定着させようとした社会的基盤としての「秩序」が,近世社会の意識形態の変化によって,とらえかえされたともいうことができる。つまり,「秩序」は国家の観念的支配において重要な役割を担う一方で,人々によって絶えずとらえかえされる可能性を含んでいたのである。
なお,ここで留意しておきたいのは,本年度大会の企画意図が,国家による「秩序」の単純な浸透・定着を明らかにするのではないということである。これは「文化の政治性」論の企画意図と成果にも大きく関連する。その企画意図は,単純に支配者側の考えが浸透・定着するのではなく,国家が新たに働きかけた「秩序」を,意識・無意識を問わずに,国家が意図していなかった別の「秩序」としても人々がとらえかえしていくという点を検討するということにある。
以上の問題意識から,運営委員会では,中川学氏・大橋幸泰氏に報告を依頼した。両氏の報告の概要は,以下に示すとおりである。
中川報告「近世における触穢観念と政治秩序」は,17~18世紀における近世朝廷(公家)と江戸幕府(武家)の触穢観念について分析し,穢という存在が近世の政治秩序にいかなる影響を与えていたのかを検討する。とりわけ,穢とみなされるいくつかの要素のなかで,天皇・上皇・将軍の死に注目し,その穢をめぐる朝廷・幕府の政治的対応がどのような展開をとげ,それがどのような歴史的意味を持っていたのかについて明らかにしたい。
大橋報告「キリシタン禁制と異端的宗教活動」は,潜伏キリシタンや異端的な宗教活動が問題視された事例を主な素材に,近世秩序を維持する重要な手段のひとつであったキリシタン禁制の内実の変化について検討する。「切支丹」とは,近世秩序から逸脱する言説や集団を象徴するものであったとの指摘を前提に,キリシタンをめぐる問題と近世民衆の多様な宗教活動をめぐる問題を横断的に扱い,キリシタンイメージの貧困化と異端的な宗教活動への規制強化との関係を考える中で,上記の課題に迫っていくことを企図している。
以上,大会への積極的な参加と活発な議論を期待したい。(野尻泰弘)

近代史部会

近代化における「伝統的」民衆運動の再検討

近代史部会運営委員会から
9.11以降,「グローバリズム」と「ローカル」の復権に関する議論がますます盛んになっている。歴史学もまたその例外ではなく,さまざまな応答が試みられている。近代史部会では,前年度大会「帝国と地域主義」において帝国の空間再編の動きを扱ったが,支配者の権力行使や知識人の構想といった側面が中心となり,表裏ともいえる摩擦・軋轢の表出,「ローカル」の復権については十分に取り扱えなかった。そこで今年度は「グローバル」な変化に伴う,「ローカル」の動きに焦点を当て,テーマを「近代化における「伝統的」民衆運動の再検討」とする。
本年度の各報告は,近代化が世界大に連鎖・拡大した19世紀以降の運動を対象としている。近代化の波及は,政治・経済・文化的な共通性・普遍性を強要するものとして存在し,各地に統治体制の転換・資本制の展開・社会規範の変容などをもたらした。その結果として,人々の生活空間における,従来の社会秩序・慣行に変更を迫った。ゆえにさまざまな摩擦・軋轢・抵抗が生じたのであり,民衆運動はそうした摩擦の所在を示すものとしてこれまで歴史研究者に注目されてきた。
近代化の波及の対応としての「ローカル」な運動は,しばしば「伝統的」価値を表象する形で立ち現れたが,しかし,そのことから,近代と「伝統」からなる二項対立的を前提とするべきではない。民衆運動とは,現状への異議申し立て・「あるべき社会」を要求する営為である。近代化の過程において主張・要求の形態を位置づける社会規範などの活動原理が動揺する中,従来有効であった問題解決・異議申し立ての形態はその機能を失った。その代替を模索して,新たな形でのさまざまな立場・価値に依った運動が立ち現れたのであり,また一方では直接的な暴力の行使が頻出することとなった。
これらの運動の構成者は,均一の性格や水平の権力構造を持つものではなかった。職業・階級・地域などが異なる多様な存在により構成され,重層的な権力構造を有していた。関係性としては運動・地域の「内部」にとどまるものではなく,その「外部」との接触・交渉を常に折り込むことによって成り立っていた。同時に,運動は時間の経過によりその性格を変化させ,その分裂や変質をも生じさせた。そして,民衆運動は多くの場合,参加者ではなく外部の人間により記述されたが,その「まなざし」自体が運動をある価値のもとに理解させるものとして存在した。これらの構造的・動態的分析の精緻化と運動の記述という問題から,つまり運動をその全体性として捉えることを提示したい。
以上の理解に基づき,本大会では,近代性の拡張・浸透という全世界的状況を,「ローカル」な抵抗として姿をあらわす「民衆運動」の構造・変化とその記述の問題から,改めて実証的にとらえ返す作業を行いたい。そこから,その後の運動との連続/断絶を問う歴史的位置付けについても,議論を進めたい。
当日の具体的な部会構成は次の通りである。
須田努氏の報告「語られる手段としての暴力--甲州騒動・世直し騒動,そして秩父事件--」の概要は以下のとおりである。19世紀,幕藩領主と領民との間にあった撫恤・恩頼の関係は崩れ,百姓一揆の作法も崩壊した。人びとは,訴願を捨て暴力を選択した。「騒動」「暴動」の場面で行使された,有徳人らへの暴力(水平方向の暴力)や,幕藩領主・明治政府への暴力(垂直方向の暴力)を,当時の人びとはどのように語り,記憶していったのか。この意味を,甲州騒動(1836)・世直し騒動(1866),秩父事件(1884)を素材として考察したい。このことを通じて19世紀における民衆運動の特性と,むき出しの暴力に直面した人びとの心性(集団心性)の一端が理解できよう。
伊野憲治氏の報告「ビルマ農民大反乱(1930~1932年)に関する一考察--農民蜂起の意識過程--」では,ビルマ農民大反乱を対象に,従来「伝統」と「近代」との狭間で描かれてきた反乱下の農民像を再検討し,主体となって反乱を担った農民の論理を明らかにすることで,新たなビルマ人農民像を提示する。
中塚次郎氏の報告「1930年代スペインの農民運動--持続と変容--」では,19世紀半ば以降の長期的な政治・社会体制の変化と,農村の文化的規範に関する人類学・歴史学の議論をふまえ,20世紀前半のスペイン農民運動がどのような歴史的局面にあったのかを論じる。
三氏の報告を踏まえた上で,太田好信氏に歴史学と文化人類学の共通問題としての「伝統の創造」論に関するコメントを,南塚信吾氏に民衆運動史からのコメントをいただく。
以上の報告・コメントから,大会では民衆運動をめぐる課題への理解を深めたい。幅広い研究領域に属する方々に参加いただき,問題意識を共有する場となれば幸いである。参加者皆様の発言をお願いしたい。なお参考文献は以下の通りである。
(高口康太)

〔参考文献〕
須田努『「悪党」の一九世紀 民衆運動の変質と“近代移行期”』青木書店,2002年。
同「人斬りの村-- 一九世紀集団暴力の心性--」『暴力の地平を超えて歴史学からの挑戦』青木書店,2004年。
伊野憲治『ビルマ農民大反乱(1930-1932年)--反乱下の民衆像--』信山社,1998年。
同「ビルマ農民大反乱(サヤー・サン反乱)--農民蜂起の意識課程--」池端雪浦ほか編『岩波講座東南アジア史7 植民地抵抗運動とナショナリズムの展開』岩波書店,2002年。
中塚次郎「スペイン農村革命の担い手たち--内乱下アラゴン地方の活動家分析--」『歴史学研究』673号,1995年。
同「地中海的規範とアンダルシーアの農民運動」歴史学研究会編『地中海世界史5社会的結合と民衆運動』青木書店,1999年。

現代史部会

複合的視角から見た戦後日本社会-高度経済成長の外縁-

現代史部会運営委員会から
現代史部会ではここ数年,1960年代を中心テーマに検討をすすめてきた。2002年度は「『1968年』と現代社会」,2003年度は「ヴェトナム戦争と東アジアの社会変容」,そして昨年度は,その一環として「ジェンダーの視点から見た1960年代社会」と題する企画をたてた。この昨年度の企画は,それまでの1960年代論に欠落した視点を補う野心的な試みであったが,逆に分析視角がジェンダーもしくはフェミニズムに特化されてしまい,それまでの企画や,他の分析視角との架橋が十分ではなかった点,課題として残ったように思われる。ある視角を欠落させるか,それともそれに特化するか。こうした二者択一の陥穽を克服するために,今回,現代史部会では,「性」「階級」「民族」といった視角を複合させることで,日本の高度経済成長を見直す視座を得たいと考えた。以下,主催者側の企画意図を整理しておこう。
日本の高度経済成長に関しては,早くから日本的経営や日本文化の優秀性を礼賛する保守的言説が流布されてきた。かかる言説は今日,不況下にあってさすがに表面化しえなくなってきたが,「日本の誇り」を支える神話の一つとして,依然として根強い効力を有していることは間違いないだろう。
他方,そうした保守的言説に対抗する側においても,ともすれば「平準化」や「一億総中流化」といった安直なイメージが共有されてきた面がないとはいえない。そのなかには,高度経済成長の“果実”を,一国史的な枠組で均質にとらえようとする観点もあれば,何らかの格差を想定しながらも,結局はそれを程度問題にすぎないものとして,経済成長とともにいずれ消滅するかのごとく想定する,予定調和的な観点も含まれよう。
しかし,現在私たちが直面している事態は,果たしてそのような観点を正当化してくれるものであろうか。むしろ,そうした格差が温存され更新され,国境を越える形で拡大再生産されていく事態こそが,問われるべきなのではないか。近年,不況を背景に,経済成長をより合理的に推進しようとする新自由主義的な言説が跡を絶たないが,それが,こうした格差の存在を容認し,積極的に利用しようとする企みであることは言うまでもない。
また,高度成長によってもたらされた“果実”は,そこから除外されたものへの共感と想像力を減退させよう。理解を示しているようでいて,結局はそれを他人事としてしか処理し得ない感性は,“果実”から除外されたものの実態を不明にしつつ神話化し,その神話化がさまざまな保守的言説を放置する点も見逃せない。
ともあれ,こうした高度経済成長の前提でもあり,かつ結果でもあるところの格差について,その実態と意味を歴史的に問うことは,いまや喫緊の課題といえるだろう。かかる意味をこめて今回は,そうした格差が集中する外縁部の「場」と「人」に着目することにした。
ところで,こうした高度成長期に関する批判的研究は,すでにある程度の蓄積を有している。企業社会のもたらす種々の矛盾が,家庭や地域社会にひずみをもたらしていくメカニズムや,その過程で確立する社会保障制度の枠内で,性別分業が固着化していく側面などが,従来,国内政治や冷戦構造との関係で分析されてきた。今回の企画も,そうした動向に連なり,それを補強しようとするものにほかならない。
そのさい,上記のような問題意識から,本企画では,「性」「階級」「民族」といった複合的視角を強調したい。それは,個々の人間によって体験される苦悩や抑圧,あるいは解放への願望は,本来,そうした視角のいずれかに特化し得るものではないという素朴な感触に発している。
しかし,その場合注意しなくてはならないのは,それらの視角は,ただ機械的に配列すれば,今日の事態に有効に対処できるのかという点である。たとえば,社会保障制度の枠内にあるジェンダー秩序の問題と,枠外に放置された「格差」の問題という形で,問題領域を首尾よく振り分ければ,本当に生産的な議論ができるであろうか。
むしろ,ここで銘記しておきたいことは,それらのカテゴリーは,分析者の都合によって後知恵で分節化されたものに過ぎないということであり,同時に,支配する側がもつ差別や抑圧への衝動も,そうしたカテゴリーの設定に先行して存在するということである。すなわち,「男-女」「日本人-朝鮮人」といった線引きが先にあって差別が行われるのではなく,差別をしたいという欲望に適合的な線引きが,後から恣意的に行われるのである。それに批判的な側による分節化も,そうした支配者側の企みと競合関係にあることに注意しなくてはならない。線引きやカテゴリーを既存のものとして自明視するのではなく,それらが生成し更新され再編される局面をこそ注視することで,そうした競合関係に介入する有効な方策が得られるのではないか。今回の企画で,「国」単位で比較するオーソドックスな手法を避け,同時に諸カテゴリーを混在させた形で報告をたてたのも,そうした線引きを自明視しないための工夫である。
以上の思惑を込めながら,今回は水内俊雄氏に「戦後京阪神大都市におけるマイノリティをめぐる都市空間と政治」と題して,居住空間の差別的な配置とそれを改善する動的な要素,そしてメディアによるステレオタイプなイメージの表出といった側面について,「部落」「ホームレス」「沖縄人」「在日朝鮮人」などの実態をふまえてご報告いただく。また宋連玉氏には,「在日朝鮮人女性にとっての戦後30年」と題して,朝鮮半島が南北に分断されるなか,「在日朝鮮人女性」がいかなる状況で生きていたのかを,敗戦直後から高度成長期にかけて論じていただく。史料が皆無に近いなかで,ヒアリングで裏づけられる範囲内で見通しを述べていただくことになるだろう。そして,コメンテイターの大辻千恵子氏には,「性」「階級」「民族」等がリンクする諸契機について,アメリカ史の知見からヒントをいただきたい。(及川英二郎)

合同部会

ギリシア文化の伝播と受容

合同部会運営委員会から
昨年2004年,オリンピックが(近代の)第一回大会以来約1世紀ぶりにギリシアの地アテネで開催されると,にわかにギリシアブームが到来した。書店にはオリンピック関連のものを中心に,ギリシアに関する書籍が次々と並べられた。そのなかでひときわ異彩を放っていたのが,原書の出版当初から話題をよんでいた,マーティン・バナール『黒いアテナ』の(一部)邦訳(金井和子訳,藤原書店)である。彼の主張によれば,古代ギリシア人はエジプト人の植民活動によって,その高度な文明を享受していた。しかし,近代以降のヨーロッパが,自らの文化的根源として古代ギリシアを称揚していくなかで,そのエジプト起源が隠蔽されてきたというのである。西洋文明の本源たる古代ギリシア,その象徴たる女神アテナは,アフロ・アジア的ルーツを持った「黒いアテナ」ではなかったか,とバナールは問う。挑発的な書名も手伝って,この書は大きな論争をまき起こすことになるが,その痛烈なヨーロッパ中心主義批判に,われわれも無関心でいることはできない。
われわれは昨年度合同部会で,西洋において帝国理念や君主理念の中で繰り返し立ち現れる「ローマ」概念を取り上げ,それが文脈によっていかに変容してきたかを論じた。しかし西洋におけるギリシア文化の伝播と受容については,事情がより複雑である。ローマに発したラテン的文芸が,古代・中世・近代を通して形を変えながらも生き続けてきたのに対し,ギリシアのそれは幾度もの複雑な屈折を経てきた。いわゆる「12世紀ルネサンス」にせよ13世紀の「アリストテレス革命」にせよ,ギリシアの文芸が間欠的に西洋にもたらされることがあっても,それが原典によって本格的に研究されるには15世紀のルネサンス期における「発見」を待たねばならない。また15世紀以降もギリシアへの関心には消長の波があり,18世紀の古典主義隆盛に支えられて再び進行していく。18世紀後半からは古代ギリシアへの幻想が膨らみ,西洋思想の根源としての理想的な古代ギリシア像が描かれたのである。われわれはこうした過程を再認識する必要があるだろう。
一方で,古代の終焉以来15世紀に西洋によって「発見」されるまで,いわば胎動期にあった「ギリシア」はいかなる状況にあったのであろうか。たとえば,中世においてもギリシア語がなお生活上・行政上の使用言語であった南イタリアやシチリアは,どう位置づけられるのか。ギリシア文献がアラビア語に翻訳された際に,それがどういったプロセスで行われたのか。また「12世紀ルネサンス」の翻訳活動を担った者たちは,どういった動機づけのもとにアラビア語を修得し,ギリシアの文芸をラテン世界に紹介しようとしたのか。こうした問題に関してわれわれは概して無関心であり,とりわけイスラーム圏に伝えられて爛熟したギリシア文化を「東方」起源とすることに,いささかの抵抗を感じてこなかったであろうか。アメリカによるイラク侵略を背景として世界の二極化が叫ばれる現在,われわれは西洋におけるギリシア文化の伝播と受容を,「東方」からの刺激としてとらえなおしてみる必要があるのではないだろうか。
以上のような問題意識をもとに,合同部会のために準備されたのが以下四本の報告である。まず庄子大亮氏の報告「古代ギリシア像と『神話』をめぐる精神史」が,バナール『黒いアテナ』以降のギリシア像再考を視野に入れつつ,「神話を乗り越え,科学的・合理的思考を生みだしたギリシア」というイメージがいかに形成され,それがどのような問題をはらんでいるかを論じる。とりわけ近代以降,非合理な思考としての古代ギリシアの「神話」が,西洋的「知」の進歩の起点として転換されていくプロセスを検討する。続く竹部隆昌氏の報告「10世紀の西方とビザンツ文化」は,南イタリアを再支配したビザンツ帝国が,西方に対するギリシア文化の伝播に何らかの貢献を為したか否かについて,10世紀を中心に考察する。多くのギリシア系住民を擁した南イタリアにおける影響と外交関係国に対する影響という二点について,ビザンツ帝国から西方へいかなる文化伝播が行われたかが明らかにされる。一方で,東漸するギリシア哲学・科学について論じるのが髙橋英海氏の報告「古代ギリシア自然哲学・科学のシリア語世界における受容」である。ここでは特に古代ギリシアの自然科学が,ギリシア語からアラビア語に訳される際に,その間に介在したシリア語訳の影響およびシリア語世界における受容のあり方が検討される。アラビア語圏で保存されたギリシアの文献はやがて「12世紀ルネサンス」における翻訳活動によってラテン語に翻訳されていく。その中心地トレドにおいてギリシアの作品を精力的に翻訳したのがクレモナのゲラルドゥス(1114-87年)である。最後の報告,熊倉庸介氏「クレモナのゲラルドゥスとアリストテレス」は,西洋における科学・哲学の発展に大きな影響を与えたアリストテレス文献を主にとりあげ,ゲラルドゥスの翻訳活動とその意義を検証する。報告は以上の四本であるが,これらの報告を受けて質問・論評を行うコメンテーターとして,古典受容史を専門とする高田康成氏を招いている。四報告を受けて,議論の射程を近現代にまで伸ばしていきたい。
「ギリシア概念」は,「ローマ概念」よりもはるかに複雑な構造をもって伝播し,受容されてきた。そのため,これを論ずるにあたっては,西洋史という枠組みに固執することはできず,地域横断的な研究が必要であることは言うまでもない。また,狭義の歴史学に限らず,西洋古典学・文学・科学・哲学など幅広い分野の関心を集められることだろう。合同部会はそうした議論の場を提供できる貴重な機会であり,多くの研究者の参加と活発な意見交換が期待される。(石渡 巧)

特設部会

日本歴史学の未来-日本学術会議の再編から-

委員会から
2004年4月,日本学術会議法の一部を改正する法律が成立した。この法律改正により,日本学術会議の体制は大きく変容することになった。まず,日本学術会議会員の選出方式が変更された。これまで会員は登録学術団体の推薦にもとづいて選出されていたが,今後は日本学術会議自らが研究者情報を集めて会員を選考する方式(co-optation)になった。その結果,登録学術団体という制度そのものもなくなり,これまで日本学術会議に登録していた学協会は,「広報協力学術団体」という資格で同会議と関係をもつにすぎなくなる。さらに,会員を構成する学問分野ごとの部門編成は,7部から3部(=人文科学系[社会科学系もふくむ],生命科学系,理学・工学系)へと改められ,しかも部の定員制が廃止された。その代わりに,会員自らが所属する部門を選択するという。またこれまで日本学術会議の活動を学問分野ごとに支えてきた研究連絡委員会が廃止される。研連や登録学術団体を廃止する代わりに「連携会員」なる制度が設けられる予定であり,その詳細は未定とされている。
そもそもこの改革は,1997年以来の中央省庁の再編に由来し,国立の美術館・博物館・研究所・大学の独立行政法人化問題と同時に進められていた。ただし今回の法律改正では日本学術会議は内閣府の下に置かれ,「国の特別の機関」のままになっている。この改革を進める内閣府所管の総合科学技術会議の見解によれば,日本学術会議の改革の第一の目的は政府・社会への「政策提言機能」の強化であり,国家の機関にとどまったのもそのような役割が期待されているからだろう。しかし,日本学術会議の現在の地位は新体制発足後10年内に再検討されるべきと指摘されており,将来的に法人化される可能性はまだ残されている。
日本学術会議は日本の科学者の代表機関として1949年1月に設立された。その第1回総会声明では,戦前の学術体制を反省し,「人類の平和のためあまねく世界の学会と提携して,学術の進歩に寄与する」ことを謳った。これまで歴史学研究会は日本学術会議の動向に注視し,本誌・月報などを通じて本会会員,広くは社会一般に日本学術会議の現状を伝え,必要に応じて問題点を指摘してきた。また日本学術会議会員の選出にあたっては,その理念にふさわしい会員候補者を推してきた。それは本会の活動目的と日本学術会議の理念に共有するところが大きいからである。この法律改正によって日本学術会議と学協会の関係は正式には情報提供のレヴェルにとどまることになるが,そのような関係によって日本学術会議が従来どおりに日本の科学者の代表機関としての性格を維持できるかどうかは疑問の余地があろう。
近年,歴史学を取り巻く制度的な環境は急速に変化している。まず,歴史学の主たる研究対象である史料に関しては,2004年本会大会総会決議に示されるように,市町村合併とともに進行する公文書保存の危機があり,公立の資料館・博物館の現状全般においては,経済効率を優先させた運営組織の見直しが進められている。次に,研究機関であると同時に歴史教育者・研究者を育成する役割を担ってきた大学機関では,大学間競争と効率化が要請され,学部・研究科の再編が迫られている(2004年5月総合部会「大学改革の歴史的位置」)。そして,研究者交流と研究発表の場である学術団体については,今回の日本学術会議の改革がある。これらの一連の動きから,これまで日本の歴史学を再生産してきた制度的枠組みが大きな転換点にさしかかっているといえるだろう。
このような現状から,2004年度歴史学研究会委員会は2005年度大会で「日本歴史学の未来--日本学術会議の再編から--」と題した特設部会を開催する。この特設部会の目的は,日本学術会議再編の問題を糸口にして,歴史学が現在直面している制度的な再編について,歴史研究者相互の理解と認識を共有し,さらに今後の日本の歴史学のあり方を展望することである。当日は,最初に,小谷汪之氏から法律改正からおよそ1年を経た日本学術会議の現状に関する報告を予定している。そのうえで,安田浩氏より大学改革問題の観点から,また松尾正人氏より地域における史料保存の観点からそれぞれコメントをいただく。その後の質疑応答では,多くの方々の積極的な発言を期待している。(浅田進史)

〔参考資料〕
会誌・月報に掲載された日本学術会議関連の主要な記事
会誌
「学術体制刷新問題に関する本会の対処経過報告」131号,1948年1月/「日本学術会議会員選挙」138号,1949年3月/歴史学研究会委員会「統一学会の問題についての報告」143号,1950年1月/山口啓二「学術会議10年の歩み」234号,1959年10月/井上清「日本学術会議はどこへ行く--16年の歴史の批判的回顧--」304号,1965年9月/松島栄一「学術振興会法案の危険性--科学研究費と学術体制の全面的転換を警戒する--」326号,1967年7月/高橋〓一「日本学術会議--学問・思想の自由委員会の活動--」413号,1974年10月/門脇禎二「日本学術会議における活動報告」413号,1974年10月/江口朴郎「第9期日本学術会議の二,三の基本的問題点」413号,1974年10月/土井正興「日本学術会議の当面する諸問題」449号,1977年10月/永原慶二「日本学術会議の改革問題と会員選挙」520号,1983年9月/歴史学研究会委員会「学術会議法改悪案の成立にあたって」524号,1984年1月/永原慶二「日本学術会議法の「改正」と今後の問題」527号,1984年4月/歴史学研究会委員会「2003年度歴史学研究会総会の報告」779号,2003年9月/歴史学研究会委員会「2004年度歴史学研究会総会の報告」792号,2004年9月

月報
石母田正「学術会議の選挙について」3号,1950年12月/江口朴郎「日本学術会議に期待する」5号,1951年2月/一志茂樹「日本学術会議と地方研究」31号,1953年4月/「『日本学術会議改革試案』提示される」273号,1982年9月/「2002年度委員会活動報告 Ⅵ 科学運動・学術体制 3 日本学術会議」521号,2003年5月/「2003年度委員会活動報告 Ⅵ 科学運動・学術体制 3 日本学術会議」533号,2004年5月