2003年度歴史学研究会大会

会場:駒澤大学駒沢キャンパス(東京都世田谷区駒沢1-23-1)
第1日 5月24日(土)

 総 会 9:30-11:30 1号館301教室
 全体会 13:00-17:30 記念講堂
  公共性再考──グローバリゼーションとナショナリズム──
  「政治社会」を再想像する
  ──グローバル化時代における歴史研究のアジェンダ──……………テッサ・モーリス=スズキ
  文化的規範としての公共圏──王朝的秩序下における国民社会の成立──……………篠原  琢
   コメント:長谷川貴彦・吉澤誠一郎

第2日 5月25日(日) 9:30-17:30(近代史部会のみ10:00-17:30)

 古代史部会 古代国家の展開と地域社会 8号館255教室
  古代王権と贄……………………………………………………………………………………亀谷 弘明
  出挙・農業経営と地域社会……………………………………………………………………三上 喜孝
 中世史部会 中世社会の再生産構造 1号館301教室
  中世における環境管理と惣村の成立…………………………………………………………高木 徳郎
  15~17世紀における「村の成り立ち」と地域社会 ………………………………………黒田 基樹
 近世史部会 近世の国家・社会と文化動向 1号館401教室
  近世の「国学」的言説とイデオロギー状況…………………………………………………小野  将
  知の国学的展開と近世後期の地域社会………………………………………………………小林 准士
 近代史部会 科学と帝国 8号館257教室
  上海自然科学研究所における研究と科学者の行動規範……………………………………加藤 茂生
  熱帯医学とマラリア研究──20世紀前半の英領インド──………………………………脇村 孝平
   コメント:塚原東吾・米谷匡史
 現代史部会 ヴェトナム戦争と東アジアの社会変容 1号館202教室
  ヴェトナム戦争と日本の社会運動……………………………………………………………平井 一臣
  ヴェトナム戦争と韓国…………………………………………………………………………朴 根 好
  ヴェトナム戦争と文化大革命…………………………………………………………………朱 建 栄
   コメント:油井大三郎・高橋勝幸
 合同部会 転換期における農業社会 1号館203教室
  初期ヘレニズム時代エジプトにおける在地社会の変容と農民……………………………周藤 芳幸
  ローマ帝政初期を中心とする農産物輸送費の低下と農業立地の変化……………………池口  守
  土地売買と農村社会──紀元千年頃のスペイン北東部の事例から──…………………足立  孝
  人口増加とイングランド中世農業の変革……………………………………………………勘坂 純市
  近代初期スイスにおける領邦国家化と農業社会……………………………………………野々瀬浩司

  • 会場整理費として、24・25両日共通で、一般1500円・学生(修士課程まで)1000円を、大会当日総合受付にてお支払い下さい。
  • 総合受付にて会費納入も受け付けます。この機会に会費をお納めいただきますようお願いいたします。新規入会も受け付けています。
  • 出張依頼状が必要な方は、5月9日(金)までに郵便で事務局へお申し込み下さい。提出先機関名(必要であれば代表者氏名も)を明記し、80円切手を貼った返信用封筒を同封して下さい。
  • 大会当日、3~10歳児(原則として)の保育所を設置します。時間は24日が12:30~18:00、25日が9:30~18:00で、保育料は24日が1500円、25日が3000円です。御希望の方は5月14日(水)までに事務局へ電話でお申し込み下さい。
  • 25日の昼食は大学会館1階食堂をご利用いただけます。営業時間は11:30~13:30です。
  • 25日夜、大学会館1階食堂で懇親会を行います(18:00~20:00)。参加費は一般3000円、学生(修士課程まで)2000円です。ぜひ、ご参加下さい。


全体会

公共性再考─グローバリゼーションとナショナリズム─

委員会から

 歴史学研究会では,1996年度大会以来,取り組んできた「方法としての20世紀」「対象としての20世紀」に焦点をあてたテーマから離れ,昨年度の2002年度大会より,新たに21世紀の歴史学の展望を開くべく,現代の歴史学が置かれている時代状況を的確に把握し,この時代の歴史的位相を明らかにし,そこで歴史学が名指されている課題とは何かを問う新たなテーマを起こすことにした。
 昨年の全体会「グローバル資本主義と歴史認識」では,現代世界・現代社会の中心的問題としてグローバル資本主義の展開を取り上げ,そもそも「グローバリゼーション」の時代とはいかなる時代であり(伊豫谷登士翁報告),また,そうしたグローバリゼーションの進展が私たちの歴史認識にいかなる問題を投げかけ,具体的な歴史研究にどのように反映しているのか(永野善子報告),そこでの国民史のあり方やその可能性を探った。
 今年度の全体会では,この問題関心を継承して,グローバル資本主義に対抗する場を展望し,政治的な実践として姿を現している「新自由主義」への応答を視野に入れつつ,「公共性再考──グローバリゼーションとナショナリズム──」を全体テーマに掲げることにした。グローバル化の進展は,私たちの生活空間を取り巻く「公」と「私」の境界を大きく揺るがし,新自由主義は,私たちの歴史認識の基礎におかれていた「社会」「共同性」「公共圏」という領域を抹消しようとしている。従来の社会や,人と人とのつながりが解体・分断・再編されるなかで,歴史学は「近代」という時空の初発にさかのぼって,啓蒙の時代から続く自由・平等・民主主義といった政治理念に支えられた公共知を問い直し,公共性の新たな可能性と限界を議論しなければならない。
 ただその場合,近代の公共性は,つねに国民国家とのなんらかの係わり合いの中で形作られてきた経緯があるので,そこではナショナリズムと公,あるいはグローバリゼーションとナショナリズムの相関関係についても新たに考察されることが期待される。歴史学研究会が精力的に取り組んできた国民国家の相対化や「伝統」の創造といった観点からの検証を受け,そうした国家的共同性の脱構築後に,どのような共同性を私たちは「想像」できるのか。また一方では,こうした国民国家論に欠落していた論点として,前近代の「公」「私」と近代のそれとの関係性,西欧社会とは異質な地域社会での「公」「私」や,そこでの生の位相の複数性を経験主義的に検討していく作業を通じて,近代の公共性に関して新たな地平を切り開く余地も残されている。
 2003年度の全体会は,こうした問題意識をうけて,グローバリゼーションの時代の日本社会を海外から眺め,マイノリティ問題や新自由主義思潮に対して積極的な発言を行っているテッサ・モリス=スズキ氏(オーストラリア国立大学)と,東欧(チェコ)をフィールドに近代の市民的公共性の問題を「村」「町」「国民社会」といった場の重層的な関係のなかで検討している篠原琢氏(東京外国語大学)のお二人に大会報告を御願いした。テッサ・モーリス=スズキ氏の報告「『政治社会』を再想像する──グローバル化時代における歴史研究のアジェンダ──」では,「市民社会civil society」のオルタナティブとしての「政治社会political society」という言葉をキーワードにして,ハンナ・アレントの思想史的な公共性と革命の議論を参照しつつ,日本近代の中の社会変革の概念,近代知と歴史学にかかわる問題を総論的に論じていただく。篠原琢氏の報告「文化的規範としての公共圏──王朝的秩序下における国民社会の成立──」では,19世紀のハプスブルク帝国において,標準化された国民語をメディアとする複数の言説的公共圏が成立する過程をとりあげる。そこでは,言説的公共圏でのコミュニケーションを律するものとして,歴史的に形成された規範を文化の型として検出し,この文化の型が国民的形式をとって具体化され,身体化される様態が分析される。さらに,ここにあらわれた言説的公共圏が,1980年代から体制転換後にかけての異論派の「市民社会」論のなかで,どのように認識され,議論されているのか,現代ヨーロッパのイデオロギーのなかで検討されることになる。
 コメンテーターには,イギリス史の立場から長谷川貴彦氏,中国史の分野から吉澤誠一郎氏のお二人に発言を御願いすることとした。
 なお,あらかじめ報告者とコメンテーターの以下の文献を参照され,大会当日には時代や地域を越えて,全体会テーマについての活発な討論を期待したい。(貴堂嘉之)
 
[参考文献]
C.グラック,姜尚中,T・モーリス=スズキほか『日本の歴史 25 日本はどこへ行くのか』講談社,2003年。
テッサ・モリス=スズキ『批判的想像力のために──グローバル化時代の日本──』平凡社,2002年。
テッサ・モリス=スズキ『辺境から眺める──アイヌが経験する近代──』みすず書房,2000年。
篠原琢「「長い19世紀」の分水嶺」南塚信吾編 『ドナウ・ヨーロッパ史』山川出版社,1999年。
篠原琢「地方自治と『国民社会』──ボヘミアの事例を通してみたハプスブルク帝国の地方自治制度──」『人民の歴史学』126号,1995年冬。
長谷川貴彦「産業革命期のモラル・リフォメーション運動──バーミンガムの日曜学校運動を事例として──」『思想』946,2003年2月号。
吉澤誠一郎『天津の近代──清末都市における政治文化と社会統合──』名古屋大学出版会,2002年。

古代史部会

古代国家の展開と地域社会

日本古代史部会運営委員会から

 日本古代史部会では今年度の大会テーマを「古代国家の展開と地域社会」とし,亀谷弘明氏「古代王権と贄」,三上喜孝氏「出挙・農業経営と地域社会」の二報告を準備している。 亀谷報告は古代王権と地域社会との接点として「贄(ニヘ)」を対象とし,その分析から海民社会を中心とした地域社会の変化を通じて古代王権の展開過程を明らかにする。また三上報告では,国家と地域社会と民衆との関係を「出挙」を媒介として考察し,地域社会における出挙や農業経営の変遷から古代国家の展開を導きだすものである。両報告に共通するのは,古代社会における基本的な社会関係を明らかにする上で重要なキーワードである「贄」「出挙」を題材に,各地域社会におけるそれらの慣行のあり方やその変遷を検討することにより,古代国家の成立・展開について地域社会の視点から明らかにする点を報告の主旨としていることである。
 このような地域社会の実態をもとに古代国家や王権の本質にアプローチしていく研究は,近年出土文字資料の増加に伴い古代社会像をより豊かにしている。部会においても,1997年度大会ではそのような現状をふまえ①国家による地域編成では捉えきれない多様な社会の実態を描く②多様な地域社会をいかに律令国家が支配したのかを明らかにするという二つの指針のもと,シンポジウム「古代の地域社会と国家」を行った。ここでは主に①に即して出土文字資料研究の成果に基づき,傳田伊史・三舟隆之・高島英之・川尻秋生各氏により報告がなされた。また②の側面については98年度大会において井内誠司氏「国評制・国郡制支配の特質と倭王権・古代国家」によって,古代国家成立期において多様な地域社会を一元的な機構(国評制・国郡制)によって支配しようとした倭王権・古代国家の姿を明らかにしている。
 その後の部会大会報告においては,地域社会の実態に重点をおいた方向性から視角を広げ「地域論」を導入し,従来部会で検討されてきた王権論・国家論と「地域論」との融合をめざした報告が行われてきた。
 すなわち99年度大会では中村順昭・鐘江宏之各氏により,国家と地域社会との人的結節点にたつ下級官人とその人々を包摂した国郡の行政システムに対して検討がなされた。また00年度大会においては,黒瀬之恵氏が王権論の視角をもとに,古代国家・王権・地域社会の三者間の関係性のあり方について報告している。さらに01年度大会においては佐藤長門・金沢悦男各氏によって,王権内部の構造および銭貨について7世紀後半から12世紀までを概括的に見通す報告がなされ,02年度大会では前年度の報告をふまえ,主に平安期を古代国家・王権の展開期として捉え,神谷正昌・仁藤智子各氏により王権論の視角を軸に,「摂関」および「都市」をキーワードとして中世史との連関を目指した報告が行われた。上記の各報告は,古代国家論・王権論研究に多くの成果をもたらしており,その意義は大きい。
 しかし近年,大会テーマ設定についてその意図が不明確であったことも否めないであろう。99年度以降の大会主旨説明では,「地域論」を掲げた99・00年度大会主旨説明において操作概念としての「地域」を取り上げているが,それを用いて歴史にアプローチする際に地域という概念をいかなる意図で使用し,またどのような地域を設定しているのかということについて必ずしも明確に提示してはいない。そして,01・02年度大会の主旨説明においては,「地域論」に留意しつつも大会自体は「王権論」「国家論」を主に取り上げたものとなっている。
 これは97年度大会で提示された「地域社会論」と99年度以降の「地域論」の間に相異があったにもかかわらず,それについての説明が不十分であったことに起因する。すなわち「地域」概念のもつ柔軟性により,さまざまな分析視角を用いて大会運営を行ったため,運営側の意図が大会参加者へ明確に伝わりにくかったと思われる。
 このような反省をふまえ,今年度大会テーマの設定について部会運営委員会ではさまざまな議論を重ねてきた。そのなかで,97年度大会において提起した地域社会の実態を解明し,そこから古代国家・王権の本質に迫っていく作業は,今後の古代史研究にとって一つの重要な方向性であるが,部会では必ずしも十分に展開されていない議論であることを確認した。また,01・02年度大会において王権論・国家論の側から9世紀の画期性が提示されていることから,地域社会の側より同時期について検討を行うことで,より古代国家の展開過程が明確化すると考えられる。
 そこで本年度は7~10世紀を考察の対象とし,地域社会の実態をふまえた上でそれに対処していく古代国家・王権の側にも着手し,三者の相方向的な関係を明らかにすることを目的として前のように大会テーマを設定した。
 以上の大会テーマへの主旨をもとに,亀谷弘明氏と三上喜孝氏にご報告をお願いしている。当日の活発な議論に期待したい。(平澤加奈子)

中世史部会

中世社会の再生産構造

日本中世史部会運営委員会から

 1990年代の日本中世史部会は,地域的な権力のあり方を規定する在地社会の実態から,国家の統合の論理を解明するために,1992~94年度の地域社会論,1995~96年度の国家論をへて,1997年度以降は国家を相対化する視座や,在地と国家を切り結ぶ多様な「媒介」「切り口」を模索してきた。近年では,1998・99年度の「情報」,2000・01年度の「収取」というテーマのもと,多くの成果を生みだしてきたと考えている。この10年間の取り組みの方向性と成果を基礎に,昨年2002年度大会では,「中世における流通と地域社会」というテーマを立て,「流通」という切り口から地域社会構造の解明を試みた。
 具体的には,在地における流通の担い手であった在地領主や有徳人などに注目し,彼らの活動を地域社会との関係で理解することに努めた。そのうち高橋修「中世前期の在地領主と宿町」では,宿・町場の興隆,周辺農村の新田開発,周辺百姓を動員した材木の切り出しなど,在地領主が行った諸活動と,彼らの開放的な館の機能を分析することから,在地領主と地域社会との関わり方を具体化し,中世前期における在地領主の機能を地域の視点から明確に示した。また阿部浩一「戦国期の有徳人層と地域社会」では,「問屋」「蔵本」など戦国期の流通に関わる富裕層を「有徳人」として一括した上で,彼らの地域社会における諸活動を検討し,その活動を地域社会における有徳人層の機能として位置づけた。両報告は,これまでの取り組みによって解明されてきた地域社会構造に加えて,流通をめぐって形成される町や宿・都市周辺地域の社会秩序を具体化し,92年度大会以来の「地域社会論」を深めることになったといえる。
 日本中世史部会運営委員会は,昨年度大会の成果を受け,地域社会の実態をさらに深く理解するために,かつて「地域社会論」において重視された中世民衆の再生産維持の問題を取り上げ,それを支えていた社会構造を解明していくことに決定した。再生産維持の問題は,人々の生活の基底部分であり,それは民衆のみならず,民衆からの年貢によって生活していた領主をも規定していた。そのため,この問題を追究することにより,中世社会の実像が浮かび上がってくるものと考える。近年,再生産維持の問題をめぐっては,主に自立的な村落による用益維持の側面から追究されてきている。しかし中世民衆にとっての再生産は,用益の確保に加え,より日常的には,近隣村落との流通を通じて再生産や生活に必要な物資を移入するなどの交流関係を通じて維持されていた。こうした中世社会の実態から考えれば,中世において民衆の再生産維持には,地域社会との日常的な交流関係が必要不可欠であったといえる。
 ここで,「再生産構造」という言葉で表現するものは,在地におけるさまざまな活動が有機的に関係し合うことで作り出される再生産維持のための「システム」である。またここでの「地域社会」とは,再生産維持のための交流を通じて,近隣村落との間にさまざまに形成される関係の総体である。つまり,それはある固定されたエリアではなく,再生産維持に必要な物資の流通や,さまざまな人的関係によって形成される多元的・重層的な社会関係を意味している。今年度は,中世社会における再生産構造について,主にこうした地域社会との日常的な交流関係という視角から解明を試みたい。
 当日は,このテーマのもと,高木徳郎「中世における環境管理と惣村の成立」と,黒田基樹「15~17世紀における『村の成り立ち』と地域社会」の二つの報告を用意している。
 高木報告では,惣村成立以前の荘園村落を中心に,この時代の再生産構造について考察してもらう。特に,近隣村落間の用益競合関係が深刻な資源の枯渇状況をもたらしていた実態や,そうした状況を契機に地域社会の中から環境維持が求められてくる過程を中心に分析する。さらに,環境維持方法の変容を具体的に追う中から,惣村の成立要因や,それを主体とした再生産構造の形成過程を見通すことになるだろう。
 黒田報告では,15世紀後半から17世紀前半までの200年を「一つの時代」と捉えた上で,この時代における再生産維持のあり方を考察してもらう。当該期の社会をもっとも基底で支えていたのは村落であったことから,村落を主体とした再生産維持活動を「村の成り立ち」と表現し,その構造を追究する。そこでは,生業の別を背景とした地域間流通の問題や,周辺地域との金融関係といった視点から,地域社会との交流関係の中で維持されていた「村の成り立ち」の構造が,具体的に解明されることになるだろう。
 以上,大会当日には多くの方々が参加され,活発な議論が展開されることを期待したい。なお,両報告の内容をさらに深く理解するために,以下の文献を参照されることをお勧めする。(長谷川裕子)
 
[参考文献]
高木徳郎「中世における山林資源と地域環境」(『歴史学研究』739号,2000年)
同「荘園制展開期における山野の『領有』と相論」(『鎌倉遺文研究』10号,2002年)
同「中世的山野『領有』と相論」(『日本史攷究』27号,2002年)
黒田基樹『中近世移行期の大名権力と村落』(校倉書房,2003年)

近世史部会

近世の国家・社会と文化動向

近世史部会運営委員会から

 本年度の近世史部会運営委員会の基本的問題関心を以下述べてみたい。近世史部会では1991年度に中期的テーマとして「近世の国家と社会」を掲げ,未分離状態にある国家と社会の総合的把握を目指そうとした。とりわけ,1999年から2001年まで,地域社会論をテーマとした。そこでは,地域社会を国家と社会の拮抗する場と捉え,政治・経済を中心に,その構造を明らかにすることによって,歴史的被拘束性の中における人々の主体性を提示し得るというスタンスであった。この3年間の大会によって,近世の国家と社会を理解する上で,地域社会構造分析の重要性を提起し得たと思われる。
 では,近世の国家と社会の総合的把握を目指すため,さらに必要なものとは何か。昨年度は国家と社会を媒介する文化の諸様相を取り上げることによって,上記の課題に迫り得るであろうと判断し,「近世の政治支配と文化形成」を大会テーマに掲げた。具体的には,人々の主体性を規定する支配層の文化に着目して,イデオロギーの形成・浸透を,書物の流布という点から検討し,幕藩権力が社会を支配・統合する場合,その政治支配のイデオロギー的側面はどうなっていたのか,という点を議論した。
 本年も近世の国家と社会を総合的に論じるという点に立脚し,文化の政治性を考えてみるため,「近世の国家・社会と文化動向」を大会テーマとする。昨年度報告をより深めた点も含め,今年度課題とする点について,次の二点にまとめてみたい。
 第一に,文化ネットワークの形成とその性質について。地域ごとの政治的社会的状況,あるいは流通システムや学問などの文化的諸契機といった要素によって,さまざまな文化ネットワークが形成される。このネットワークはあくまで身分制社会の枠内で形成されたものであるため,市民社会的な公共圏にはなり得ていないが,身分を横断するものであり,多様な方向性を持っていたと思われる。敷衍すれば,文化ネットワークが政治性を帯びていく場合もあれば,政治性とは無縁の場で活動していく場合もあり,文化ネットワークを短絡的に政治活動と直結させるのではなく,政治史などとの関係に注意を払いながら検討してみたい。
 第二に,諸集団の国家意識形成について。幕藩権力が支配を貫徹しようとする中で,人々は権力や国家をどのように認識したのであろうか。この点については,70年代に仁政イデオロギーが提起されて以降,それを展開させて支配者層と被支配者層との双務的関係や共生などが語られてきた。しかし,政治支配における文化の位置付けが議論の土俵に上がってくると,より多角的な視点が必要となって来よう。この点について特に18世紀以降を考えてみたい。18世紀後半から19世紀は,由緒・地誌編纂・遺蹟に対する関心などの歴史意識が活発になる時代として捉えられている。この動向は,地域や家と向かい合うきっかけをもたらしたのみならず,「国学」(ここでは平田派以外の地域に展開する亜流「国学」なども含む)の浸透と相俟って,国家への関心を呼び起こす可能性があったものと思われる。これまで,内憂外患への反応として,国家に対する意識が芽生えていったと論じられてきたが,この点も踏まえて諸集団の国家意識形成を検討してみたい。
 以上の問題関心に基づき,大会報告を小野将氏・小林准士氏に依頼した。小野将氏による報告「近世の『国学』的言説とイデオロギー状況」は,近世中後期を中心に,さまざまな文化人・知識人などの言説を分析し,その言説の検討から社会的意識形態に認められるイデオロギー性を検証する。とりわけ,古典文献研究や古道論などの過去の歴史を追求しようとする思想・意識がどのように展開し,国家論的にはどのように捉えられるかを検討する。小林准士氏による報告「知の国学的展開と近世後期の地域社会」は,近世後期の石見・出雲地域を事例に「国学者」や僧侶など,この地域に存在する知識人・宗教者の知的営みを,当該地域の文化的・宗教的状況を踏まえ分析するものである。とりわけ,真宗が盛んであった地域における「国学」の展開や,神職・僧侶の動向を相互連関的に検討し,いかに藩や地域に影響を及ぼしたかを検討する。
 以上は,なお課題が多いものの,近世の国家と社会を検討する上で重要な論点を提示するものである。大会参加の上,活発な発言を期待する。また,次に掲げる参考文献は大会報告と関わる内容なので,一読されたい。(西村慎太郎)
 
[参考文献]
小野将「国学者」(『シリーズ近世の身分的周縁 2 芸能・文化の世界』吉川弘文館,2000年)
同「近世日本の政治文化」(歴史学研究会編『現代歴史学の成果と課題1980-2000年(2)──国家像・社会像の変貌──』青木書店,2003年)
小林准士「垂加派知識人による正統性の生産」(『史林』80-3,1997年)
同「近世における知の配分構造──元禄・享保期における書肆と儒者──」(『日本史研究』439,1999年)
同「来待神社の造営・遷宮からみた近世後期の地域運営」(『宍道歴史叢書5 町史研究3』2000年)

近代史部会

科学と帝国

近代史部会運営委員会から

 帝国における統治の権力・技法として,科学が果たした役割は大きい。科学は人びとの日常生活や身体にまで浸透し,支配する権力といえる。近年の歴史学における研究動向のひとつに,こうした科学の役割や,科学と植民地政策の関係性への注目がある。このような分析の多くは,政策に軸足を据えており,政策の論理に一方的に絡めとられ,「従順」に植民地統治の片棒を担ぐ,科学のありようを描きだすものとなっている。しかしながら,帝国の「発展」と科学の「発達」は,その過程において,かならずしも相容れるものではない。たとえ結果的に両者が結びつくとしても,その過程に眼をむければ,両者の関係が一筋縄ではゆかないことが判るはずである。
 顧みるに,近代史部会においても,しばしばメインテーマの周辺にあった科学と帝国に対しては,一定の目配りを施してきた。1997年度大会でとりあげた,植民地における権力秩序としての公衆衛生のありよう,1999年度大会で報告のあった,満州農業移民政策の推進に農政学者が果たした役割などは,その一例といえるだろう。しかし,いずれのセッションにおいても,科学と帝国について充分に議論することは叶わず,課題として積み残してきた。
 一方,科学史の分野でも,1980年代以降,学説史など個別学問分野の内在的分析からの脱却が進むなかで,科学と帝国主義をめぐる研究が脚光を浴びるようになった。「科学の社会史」とでもいうべきこれらの研究は,科学と帝国の関係性について多くの示唆を与えてくれるが,分析に際して措定される基本的なベクトルが「宗主国→植民地」の一方へと集中する傾向にある。それゆえ,宗主国・植民地双方を媒介する存在として科学を捉えることはもとより,帝国ないし植民地相互の比較検討をおこなうには至っていない。また,総じて学問同士の連関には分析が及んでおらず,それぞれの学問体系内における閉じた議論に終始している感がある。
 以上の問題関心から,今年度は「科学と帝国」をテーマに掲げ,学知としての科学に軸足を据えて,帝国の支配・統治(政策)との関わりについて議論したい。具体的には,実践を前提とした科学が,自らの「思惑」や「欲望」と政策との折りあいをどのようにつけていったのか,あるいは科学が帝国の支配・統治の何を担い,何を担わなかったのかといった,相互の多様な関係性のありようを,その過程と具体相に重きをおいて分析する。これにより,科学にとって帝国とは何か,帝国にとって科学とは何かを考察したい。部会構成は,以下のとおりである。
 帝国日本と東アジアの科学史研究を続けている加藤茂生氏の報告「上海自然科学研究所における研究と科学者の行動規範」では,戦前期中国における知的プレゼンス獲得を目的として,1931年,日本の外務省によって上海に設立された研究機関が,検討対象となる。そこではまず,帝国の対外的膨張のなかで,科学者の対外進出にも,南方・大陸といった複数の可能性があったことが報告される。そのうえで,非植民地ゆえに他の帝国との競合を余儀なくされた,上海配属の科学者たちが,さまざまな政治的要請に直面しながらも自らの関心に従ってテーマを選び得たこと,研究条件の悪化からテーマの見直しをはかるケースがあったこと,あるいは帝国の枠を越えた研究者同士の交流があったこと,などが指摘される。それらをとおして,帝国の政治的規範と科学/科学者の規範とが,絡みあいながらも,緊張感を帯びた関係にあったことが示される。
 英領インドの社会経済史が研究テーマの脇村孝平氏による報告「熱帯医学とマラリア研究──20世紀前半の英領インド──」では,はじめにイギリス帝国におけるマラリア研究のメッカとしてのインドの位置づけが示される。そのうえで,インドにおけるマラリア研究の制度的展開と,防遏法をめぐる論争が紹介されるが,そこでのアノフェレス・ファクター(媒介生物への対処を重視)に対するヒューマン・ファクター(病者の隔離・処置を重視)の学説的優位が,社会経済的な条件との関わりで検討される。すなわち,当初は入植者の健康を護ることを前提に研究・実践が進められていた熱帯医学が,現地人をも含めた植民地住民全体の健康護持へとその射程を拡げてゆく過程が,医学的な言説の「自律性」,帝国主義の利害に対する「従属性」,現地社会との関わり,などをとおして分析されることになる。
 2報告はともに,自然科学を扱うこととなるが,今大会では,科学を学知として捉えて,幅広く議論したいと考えている。そこで,塚原東吾氏に科学技術の文化研究の観点から,米谷匡史氏には,帝国における社会科学という観点から,それぞれコメントをいただく。報告・コメントを導きの糸として,「科学と帝国」をめぐる研究の射程を拡げるとともに,議論の深化をはかり,科学史の研究蓄積をふまえた,あらたな展開への布石としたい。当日は,狭義の学問的規範に囚われない,積極的な議論への参加をお願いする次第である。(石居人也)
 
[参考文献]
加藤茂生「植民地科学の展開」『科学史・科学哲学』11号,1993年
同「上海自然科学研究所の設立構想──大正期における科学と対外文化政策の一側面──」『年報科学・技術・社会』6巻,1997年
同「科学の外延──植民地科学史の視点から──」『現代思想』29巻10号,2001年
脇村孝平『飢饉・疫病・植民地統治──開発の中の英領インド──』名古屋大学出版会,2002年

現代史部会

ヴェトナム戦争と東アジアの社会変容

現代史部会運営委員会から

 昨年度,我々現代史部会は「1968年」の社会運動を取り上げた。その際,我々はテーマとして,次のような論点を掲げた。すなわち,I.「1968年」の諸運動は,何を課題とし何を敵として戦ったか,II.なぜそれらの諸運動が「1968年」に各国で同時多発的に展開されたのか,III.「1968年」の運動が残したものはなにか,ということである。
 これらの課題に対する答えを求めるために用意された日本・ドイツ・アメリカを対象とした3つの報告と,フェミニズム運動の観点からの補足発言というべきコメントは,「1968年」における各国の諸運動のありようを明らかにしたが,一方で「先の諸論点に対する積極的な方向性を打ち出しえず,問題についての端緒的な接近に止まった」(渡辺治氏による大会報告批判『歴史学研究』770号(2002年12月),44頁)という評価もだされた。また,司会の古田元夫氏からは,「1968年」という1年間のみに注目するのではなく,1960年代から70年代初頭に至る中期の変化や同時期に世界的な衝撃を与えたヴェトナム戦争の影響に着目する必要性を指摘された。
 こうした指摘を踏まえ,今年度の現代史部会では,世界各国で共時的に起こった「1968年」の諸運動の背景となった社会が,ヴェトナム戦争によって,どのような影響を受けたのかという問題を取り上げようと思う。個々の社会運動のありようではなく,むしろそれらを発生させた社会のあり方をより深く考察することによって,昨年度のテーマに掲げた問題点を捉え直すのが目的である。
 これまで,ヴェトナム戦争は1984年度大会の近現代史合同部会Ⅲと1992年度大会の特設部会の2度にわたって取り上げられた。しかし,1984年度大会は戦争反対の立場から,1992年度大会は湾岸戦争を理解する方法としてヴェトナム戦争を取り上げており,各国の社会に対する影響については検討されていない。今年度の大会はヴェトナム戦争を新たな視点から見直そうという試みである。
 今年度の現代史部会が取り上げるのは,日本・韓国・中国である。三国は,それぞれヴェトナムの近くに位置しながら,西側先進国・西側中進国・社会主義国として,ヴェトナム戦争から特異な影響を受けた。
 日本に関して報告するのは,平井一臣氏である。平井氏の「ヴェトナム戦争と日本の社会運動」は,ヴェトナム戦争を機に一気に盛り上がった日本の社会運動を,その担い手のヴェトナム戦争に対する認識を,①日本が関与する戦争としてのヴェトナム戦争,②アメリカとの戦争としてのヴェトナム戦争,③アジアの戦争としてのヴェトナム戦争の3つに分類して,検証し,ヴェトナム戦争のインパクトによる日本の社会運動の変化を考察し,今日の日本社会にも影響を与える当時の日本の社会運動の問題点について考察する。
 朴根好氏は韓国について報告する。朴氏の「ヴェトナム戦争と韓国」は,ヴェトナム戦争に積極的に関与することによって,自らの経済成長を実現しようとした韓国経済界の姿を中心に明らかにしていく。
 ヴェトナム戦争は確かに,北朝鮮との経済格差を解消し,逆に北朝鮮を圧倒するほどの経済成長を韓国にもたらした。だが,急激な経済成長は今日まで尾をひく韓国経済のゆがみを出現させ,ゆがみの修正を求める民衆の声はその後の民主化運動の一因ともなった。韓国では,「1968年」にこれといった社会運動は起きなかったが,1960年代を通じて,韓国社会は確実に変化したのである。
 朱建栄氏は中国について報告する。朱氏の「ヴェトナム戦争と文化大革命」は,ヴェトナム戦争において,アメリカ軍が北ヴェトナムへの侵入をあきらめ,北爆に専念することによって,アメリカとの直接衝突を回避した中国が,国内で文化大革命を激化させていく過程を考察する。
 建国の英雄である毛沢東の一人支配が確立していた中国では,民衆が自ら運動の主体となることはなかったが,毛沢東の死後,四人組の支配に対する反対運動が勃発し,改革開放路線がとられ,今日に至っている。
 また,報告の後には油井大三郎氏から全体を見通した総括的なコメントが,高橋勝幸氏からはタイで起こったヴェトナム反戦運動について補足説明がおこなわれる。
 ヴェトナム戦争の衝撃は世界各地でヴェトナム反戦運動を引き起こし,「1968年」に社会運動が多発する原因の一つとなった。しかし,ヴェトナム戦争は社会運動を引き起こすだけでなく,さまざまな変化を各国の社会に与えてきたのである。ヴェトナム戦争の影響を再検証することは,「1968年」から今日に至る世界がどのように変化してきたのかを理解する一助となるであろう。(岡田一郎)
 
[参考文献]
平井一臣「社会運動・市民・地域社会──『エンタープライズ闘争』前後の佐世保を中心に──」(岡本宏(編)『「1968年」──時代転換の起点──』法律文化社,1995年)
朴根好『韓国の経済発展とベトナム戦争』(御茶の水書房,1993年)
朱建栄『毛沢東のベトナム戦争』(東京大学出版会,2001年)

合同部会

転換期における農業社会

合同部会運営委員会から

 農業は有史以来絶えたことのない重要な産業であり,これからも絶えることはないだろう。しかし近代歴史学の場で,そうした重要性に見合う多角的な研究が行われてきたであろうか。そこで農業が,主として経済史ないし社会経済史の分野に押し込められ,近代産業化社会によせる価値観にもてあそばれたことは,否定すべからざる事実である。そこは,産業化社会が失った理想的な面を強調する少数派と,啓蒙主義・科学主義を拒絶する保守的な頑迷さを強調する多数派の相克する,モノカラーの世界であった。しかし尽きることのないこの種の議論から一転して,転換期にさしかかっている現在の産業化社会に目を向けてみれば,それが過剰生産,需要開発の行き詰まり,極端な経済格差,環境破壊による生活空間の動揺を生んでいることは,誰の目にも明らかである。このことは,産業化された近代農業においても例外ではない。
 第二次大戦後の工業化と市場化圧力は,かつてヨーロッパや日本で農民層の中核を成していた中小農民を伝統的束縛から開放したが,一方で彼らの大量離職を生みだした。それに伴う農村の荒廃は,効率の悪い財政政策や環境破壊の温床となっている。またアジア,アフリカ,ラテンアメリカ,ロシアなどで実施されたモノカルチャー経済や集団化農業は,経営的に失敗したのみならず,それによる生活感豊かな既存社会の崩壊をもたらした。こうした現実を目の当たりにした社会人類学者は,農業を工業の一生産部門と位置づける市場社会の農業論に疑問を持った。かつての農村には,鍛冶屋や樽作り,車屋,酒屋が住み,農業専従者とともに一定の機能的・自律的な社会を営み,維持してきたではないか。それどころか農業専従者ですら,生活のための多様な技能を身につけていたではないか。この社会システムを新たに考え,分析することは,頑迷な伝統的束縛の擁護とは違うのではないか。そもそも歴史的に見ても,農業社会は産業化社会に先行するではないか。
 こうして社会人類学の立場から,農業を産業面からのみ捉える市場社会の農業論とは逆に,市場を社会生活の一部門と位置づける「農民社会」(peasant society)という新たな範疇が生み出された。この考え方は今や環境問題への関心と相まって,農業問題を捉える主要な視点となりつつあり,独自の伝統的な方法論を持つ歴史学といえども,それを無視し続けることはできなくなっている。
 皮肉なことに,こうした新しい農業論が始めに実を結んだのは,工業化で最大の恩恵を受けた欧米社会であり,この論自体,L・A・ファラーズのアフリカ研究に示されるように,欧米社会の諸概念に依って立つ人が,異質な伝統的社会を解釈しようとする試みの中で生み出されたものである。それゆえ,歴史学の分野でもさしあたり欧米が他をリードしているのは,やむを得ないことであろう。市場社会との対決を至上命題とせず,それに一方的に支配もされず,他の生活部門と両立・共存させながら生活の質を維持し,向上させていく生業集団として農業従事者を理解し,時間軸・空間軸の中でそれを捉えていく視角は,とりわけ市場社会が相対的に弱く,産業化社会に突入していない前近代の農業社会研究者に新たな方向性を示唆している。そしてそれが,ジョルジュ・デュビィやヴェルナー・レーゼナーら,この分野の指導的な農業史研究者に多大な影響を与えていることは,わが国でも幾多の翻訳書やその影響を受けた新しい研究によって,すでに周知のところである。
 しかしそれにもかかわらず,そうした新傾向をとりまとめ,問題の所在がどこにあり,今後どのような研究対象が重要であるかを確定する試みは,歴史学においてはまだまだ乏しいと言わざるを得ない。農業経営の変化,技術革新の影響,農業による物理的・精神的な利益の内実,農業利得者と農業従事者の地位,それぞれの経験範囲,社会組成,地域との関係,規模(人口)を初めとする人間集団に与える影響,自然環境との調和など,諸問題の相互関係と重点配分は,ほとんど今後の研究に委ねられているのである。いわんや転換期にある現在の農業をどのように捉えるべきかという一般の関心に対して,歴史学が用意している解答は,全く示唆以上のものになっていない。「農民社会」を捉える上で,経済史は,政治史は,社会史は,思想史は,環境史は,どのように他と関係を持つべきなのか。もしも現在の諸研究がとりまとめられないままであれば,ここでも産業化と同じく徹底した分業的専門化と細分化が進み,やがて農業史研究の哲学は見えなくなってしまうであろう。農業を,特定の経済的発展段階をもたらす一産業分支としてのみ理解することを許されなくなった転換期の現在において,農業史の方法論もまた転換期にさしかかっているのである。
 2003年度の合同部会では,この点に関心を提起するため,前近代ヨーロッパの農業経営に関係する人々がどのような行動をとり,その結果として時間軸の中でもたらされる新たな諸条件にどのように適合し,あるいは不適応によって消滅していったかを中心に,事例研究の報告を行い,その成果の比較検討を通じて,新しい農業史がもたらす可能性と研究の行方を占いたい。
 すなわち古代史からは,周藤芳幸氏が「初期ヘレニズム時代エジプトにおける在地社会の変容と農民」と題して,プトレマイオス朝エジプトに発生した在地社会の変化と農民への影響について論じ,池口守氏が「ローマ帝政初期を中心とする農産物輸送費の低下と農業立地の変化」という題で,ローマ帝政初期のイタリアで,農産物輸送コストの変動から引き起こされた農業経営の変化と,それによって生じた農業社会の変容について報告する。また中世史からは,足立孝氏が「土地売買と農村社会──紀元千年頃のスペイン北東部の事例から──」という題で,ヨーロッパ北西部の古典荘園制と異なって,従来研究の薄かった中世初期の西地中海地域における農村の変容に,土地の流動性がいかなる影響を与えたかについて報告し,さらに勘坂純市氏が「人口増加とイングランド中世農業の変革」と題し,13世紀に高まった人口圧力にイングランド農村がどのように対応したかという,従来から研究層の厚い問題に関して,新たな視覚からの報告を行う。近世史からは,野々瀬浩司氏が「近代初期スイスにおける領邦国家化と農村社会──ザンクト・ガレンとゾーロトゥルンの例を中心として──」と題して,宗教改革期におけるスイス農民の政治運動と,それがスイスの領邦国制に与えた影響について報告する。これら最新の研究の報告から,前近代の農業社会を,産業化社会によって克服されるべき単なる奴隷制的ないし封建的束縛としてではなく,独自の構造を持ち,独自の機能を発揮する人間関係の総体として捉え直す材料が与えられよう。そして合同討論では,これらの機能と,農業社会の具現的表象(個人としての農民,家としての農民,荘園の一部としての農民,村民や市民,国家の一部としての農民,自然の一部としての農民など)の相関関係に議論を集中することで,政治,経済,文化,社会という分断された現代の概念が再構成され,農業社会の展開が的確に表現され,そして今後どのような方向で農業史を扱うべきかについてのパースペクティヴが得られれば,幸いである。(皆川 卓)